人の下心
「おはようございます、教授!」
「おはよう、今日もよろしく頼む」
いつもの会話で始まる朝。実感・・・と言うわけではないが、朝のこの会話があると「一日が始まったなぁ」という気がする。夏もセミが鳴き始めると「夏だなぁ」と思うし、テレビから第九が聞こえると「年末だなぁ」と思う。そのくらいの感覚だ。
「あ、教授、駅前で工事してたの知ってます?」
「工事って、あぁ、東口側?」
「そうですそうです。あそこショッピングモール出来るっぽいですよ」
「へぇ、いつ?」
「来月オープンですって。早いですよねぇ・・・」
「ほぉ~、でも便利そうだな」
「ですよね!よく買い物するブランドが入るらしくて、ちょっと楽しみなんですよ」
「ブランドと言えばぁぁぁぁぁ!」
冱露木がドアをバンッと開けながらやってくる。
鬱陶しい。
「冱露木教授、おはようございます!」
「おはよう時雨っち!
媛遥!セッティングできたぜぇ・・・」
「俺は何も頼んだわけじゃ・・・」
「『セッティング』って、何の話です?」
杉下君がキョトンとした顔で冱露木を見つめる。
「なんだ媛遥、お前話してなかったのか」
・・・話すも何も、まだ行くとも決めていないのだが。
「聞いてよ時雨っち、媛遥な、婚活するんだってよ!」
「えっ、婚活ですか?」
時雨君は予想よりも小さく驚き、今度は私を見つめ始めた。
「そそそ、この間媛遥がファッションサイト見ててさ、
『へぇ…媛遥もファッションに興味あるんだなぁ…』って思ってたらさ、
『冱露木、俺は結婚相手が欲しい』って」
「言ってない」
「そんなん聞いちゃったら恋愛マスター・オブ・ザ・スターズの俺が黙ってるわけにはいかないでしょ?
だから、俺が知り合いに頼んで婚活パーティーに参加登録させたってわけよ」
「えぇ・・・教授、本当なんですか・・・?」
「・・・まぁ、10%くらいは本当だ。
実際に、私はもう30だからな。人間的なことを言えば、そろそろ実を固めたほうが良いのではないかと思ってな」
「でも、わざわざ婚活に行かなくても・・・」
そういう杉下君の表情は、どういったわけか不安そうに見えた。無理もない。実際問題私は初対面の人間とはうまくコミュニケーションは取れないし、特に相手が女性となると猶更だ。
恥ずかしいというわけではなく、シンプルにどういった会話をすればいいのか分からないのだ。この辺はセミだった頃の名残なのだろうか。虫だったときは正直会話…っぽい会話はオス同士ではあったが、メスは用事がない限り寄ってこないのだ。
「・・・まぁ、なんだ。別にそのパーティーで相手を絶対見つけようってわけでもない。
元々女性と会話するのが苦手なんだ。将来パートナーが欲しいとなったときに、会話ができないんじゃどうしようもないだろ?
だから、練習もかねて、あとは興味本位で行ってみてもいいかと思ってな」
「そうですか・・・。うん?今ちょっと失礼なこと言われたような」
「まぁとにかく、下心丸出しで女漁りをするわけじゃない。気は違ってないから安心してくれ。
それで冱露木、そのパーティーとやらはいつなんだ。」
「それが結構予約が埋まっててさ、悪いけど来月の28日金曜の夜」
「そうか、分かった。服装とか指定があれば事前に教えてくれ」
「へっ? あぁ、特にねぇよ?
パーティーつっても、お姫様が出てくるようなパーティーじゃねぇよ。
何なら普段着でいい。
ってなわけで、また詳細分かったら連絡するわ!
じゃあとりあえず!今日もいつものあの店な!」
そういうと冱露木はいつの間にか来ていた萩野助手に引っ張られていった。時計を見ると1限目の30分前。
「・・・よし、準備しよう」
「そうしましょう!」
大学ではいろんな景色が見れる。やはり一番見える景色は、今こうして授業を受けてくれている学生の顔だが、その次に見かけるのは、男女仲睦まじく、仲間と語り合う姿だ。それはもしかすると友人同士かもしれないが、男女の仲の者も居るかもしれない。公開しているかしていないかは別として。
「そういえば・・・今、パートナーがいる学生はいるか?」
私の悪い癖がまた出てしまった。気になったことは聞いてしまう。素っ頓狂な質問に、数名の学生が手を上げる。たまたま最前列にいた学生に、追加で質問をする。
「君、えーっと、神永君、どうしてお付き合いを?」
「えっ、それは・・・」
「教授、デリカシーなさすぎです。授業中ですよ」
杉下君がぴしゃりと言い放つ。
「すまんすまん、説明しないとな。
実は、個人的なことで申し訳ないが、数学科の冱露木が来月末に私を婚活パーティーに連れて行くらしい」
教室内がざわつく。そりゃそうか。
「しかし、私は人と人とが付き合い、結婚し、生涯を共にする理由が分からないんだ」
『えぇぇぇぇぇ!?』という高い声が教室のあちこちから聞こえてきた。なんで?みんな分かってるの?大人だなぁ…。
「・・・まぁ、引かれるかもしれないが、ついでだ。
あくまで私の価値観なのだが、生物界のなかで、生涯を一匹の伴侶と共に過ごす動物は、人間を含めてもほとんど数が少ない。生物の本能とは、種の保存だ。大半の生物の生きる理由は、種を継続させること、つまり子供を作ることだ。
それを前提として考えると、人間例えば20後半で結婚すれば、平均年齢から考えるとその番と50から60年程度は共に生きるわけだ。もちろんその番と子供を産む過程はあるかもしれないが、母親が妊娠から出産後の間は、子は生まれぬわけだ。そうなると・・・一人のパートナーとだけ付き合うというのは、非合理的なように思えてしまう。現にこの国の外では『一夫多妻制』なんて文化もあるくらいだ。
それでも・・・結婚がどうして必要なのか、分からないんだ」
「だから、教えてほしい。どうして人間は付き合うんだ?どうして結婚する?」
教室がシンと静まり返る。数名の女生徒は口元を手で覆っている。杉下君は手を額に当て下を向いている。・・・なるほど、私のこの価値観は、こういった空気を作ってしまうのか。まだまだ人間モドキだという訳か。
申し訳ないと謝罪をしようとしたところに、先ほどの男子生徒が口を開く。
「おっしゃる通り、本能に従えば、言葉を選ばずいうと、結婚なんてせずにひたすらとっかえひっかえ子供を作る方が正解かもしれません。現に男の、オスとしての本能の中には、そんな欲求もあるかもしれません。
でも先生、僕は思うんです。人と動物の違いは、“恋”をするところにあるんじゃないかと。
多くの生き物は、番と出会うと愛し合います。しかし、人間にはその前の過程として、肉欲なんかの前にその人との精神的なつながりを求める、“恋”というステージが挟まります。
これは、人間が複雑に進化しすぎた結果なのかもしれません。人間として合理的に、理性的に生きるとすれば、体の相性よりも前に社会的安定を求めるものだと思います。さもないと生きていけないですから。
でも、どうしても本能も顔を出します。だから、人はそこで、番を1人にすることで整合性を取ったんだと思います。
『社会的安定維持と、この人の子供が欲しい』この欲求をかなえるとなると、複数人と関係を持つのは得策ではない。かといって、生半可な相手とは添い遂げられない。だから、恋を確認するために、お付き合いしたりするんだと思います」
男子生徒の答えに、私は妙に感動してしまった。そうか、それが人間の進化なのか。隣の杉下君が、小さく拍手をする。
「・・・あ、すみません、若造が何をって話ですよね・・・。すみません」
「あぁ、いや。すごいなぁと思って。そこまで深く考えてお付き合いを・・・」
「いや!僕なんてのはそんな深く考えてないですよ!
あぁいや、そう言うと語弊があるけど、でも、彼女に恋をしたので、僕はお付き合いをしています」
「・・・いいね!」
杉下君が男子生徒に親指を立てる。数人の学生も彼に拍手を送っていた。
「素晴らしい意見だった。ありがとう」
さて、どう取り繕ったものか・・・。
「岩崎教授は、実は複雑な家庭で育ったんです」
教室の後方から麻鬼理事長が降りてくる。いつから居た。
「詳細は言えませんが、彼は父親から愛情を持っては育てられておりません。
愛し、生んでくれた母親も早くに亡くし、一人で生きてきました。
彼が民俗学、人文学を学び、研究し、教授になっているのも、そういった過去が要因だったりするんです。
だから、皆さん。皆さんが彼から学ぶことがあるように、彼も皆さんから学んでいます。
どうか、彼にいろいろ教えてあげてくださいね」
麻鬼のフォローに、数名の学生が涙を浮かべていた。なんだか今日の教室は忙しいな。
授業を終えて、帰り支度をする中で、男子生徒の言葉を頭の中で繰り返していた。それと同時に考える。私も恋に落ちることはできるのだろうか。その答えは、もしかするとあと1か月後に得られるかもしれないが、そうでなくとも別に構わない。元々恋愛にはそこまで大した憧れや夢を持っていない。
「教授」
杉下君が帰り支度を整え、声をかけてきた。
「あぁ、お疲れさま。今日は晩御飯どうする?」
「う~ん、どうしましょう? 食べて帰えろっかなぁ」
「そうか、じゃあいつものとこでいいか?」
「えっ、いいんですか~? ありがとうございます!」
「ふっ、ちょっと待っててくれ。5分で支度する」
書類を整え、私も変える支度をする。すると、杉下君が椅子でくるくる回りながら話しかけてくる。
「教授、教授って、どうして民俗学を選んだんですか?」
「・・・というと?」
「ほら、理事長がおっしゃってたじゃないですか。『民俗学・人文学の道を選んだ』って。
それって、教授は元々人文学も学ばれていたってことですよね?」
「あぁ、学生の頃は民俗学と人文学を履修していたな。ゼミに入るってなった際に、民俗学を選んだんだ」
「それって、どうしてなんですか?」
「うーん・・・。人文学って、基本的に相手が文章なんだ。まぁ、学生の頃履修していた人文学は映画や映像も対象にしていたから、かなり曲者の人文学だったけど、それでも基本的には、人が意図的に残した、人が人に伝えるために残した物なんだ」
「ふーん」
「民族学は、ちょっとだけ違う。君もいろんな場所についてきてもらったから分かるかもしれないけど、基本的に研究対象は“生”なんだ。人との会話だったり、出土品だったり、宗教だったり、仮面だったり・・・。意図したわけではないけど、残っているものを研究するのが民俗学・・・だと僕は思う」
「・・・なるほど?」
「もっと知りたくなったんだ。人間っていうものを。人間が人間のために残した物じゃなくて、もっと生の・・・その人間たちの文化の痕跡も知りたくなったんだ」
「文化の痕跡・・・」
「それに、人が意図して残したものは、時に嘘が混ざることもある。それを検証するのも楽しいことかもしれないけど、その集団が全員嘘をついていたら、真実が分からない部分も出てくるだろ? でも、生活は嘘をつかない。嘘の生活なんてできないから。
だから・・・かな」
「嘘・・・ですか。確かに、そういわれてみると、なんだか納得しちゃう」
「・・・どうして急に?」
「う~ん、今日のあのパートナーの話あったじゃないですか。
教授、恋愛には興味ないのに、なんで人には興味があるんだろう・・・って。
普段セミに話しかけるような人なのに」
「・・・あぁ」
「教授って、やっぱり変わってますよね」
「よく言われる。さっ、行こうか」
準備を整え、鞄を背負う。
確かに私は、人間に興味がある。それは今でも変わらない。ただ、好きかと言われると話は別だ。いまだに、人間に惚れる理由が私にはない。それはきっと雨井だってそうだろう。だからこそ、私は人間として生きている今、この状況をどうにかしないといけない気がした。
冱露木の迷惑がその打開策になればよいのだが、いまいち期待はできない。何かしらの努力が必要だ。さて・・・どうしたものか。
杉下君がやんややんやと話しかけてくれる帰り道、私はまた物思いにふけって、話の半分以上を聞いていなかった。




