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時には昔話を

窓の外では、セミがまばらに鳴き声を上げ始めていた。季節は再び夏に差し掛かろうとしている。


「そんなにぼんやりと鳴いていると、婚期逃すぞ」


 そうはいっても、向こうはこちらのことなど見向きもしない。もちろん今の私も彼らが何と言っているかなんて分かりはしないが、大体何を考えているかは分かる。自分で言うのもなんだが、虫の脳なんてたかが知れているので、大体考えることはワンパターンなのだ。


 朝だ。暖かくなってきた。鳴こう。メス。メス。メス。夜だ。休もう。寒い。


 おおざっぱだが、大体こんな感じ。メスはどうなんだろうな。メスはもう少し理性的だろうか。まぁ、メスは選ぶ側だから、もう少しいろんなことを考えているかもしれない。

 「このオスは羽がきれいに伸びていて、大きい」とか、「このオスは周辺と比べて大きい音を出す」とか、「このオスはおいしい樹液の場所を知っている」とか・・・。どの程度まで理性的なのだろうか。


「オスって単純なんだなぁ・・・」


 研究室の外を眺めながら、そんなことを私もぼんやりしながら考えていた。


 今日は杉下君は休暇、雨井は所用で出張。冱露木は午後から出勤。非常に貴重な一人の朝だ。普段なかなかこうして日中物思いにふけることがなかったので、この日はたっぷりと考え事をしていた。

 ふと、自分のさっきの発言を思い返した。気が付けば私ももう30歳を過ぎて、世間では結婚を意識し始める歳だ。



「ぼんやり生きているのは俺の方か・・・」



 人間、岩崎媛遥として生きてもう12年、セミだった頃の方が短い、それこそ本当に人生と呼ばれるくらいには人間をしてきているが、生を実感しているかと言われれば、いささか微妙なところだ。

 不幸ではないのは幸せなのだろうか、悲しくないのは嬉しいのか。死んでいないのは、生きているといえるのだろうか。昔の自分なら、そんなこと考えずにまっすぐ生きていたかもしれない。


「なんだかなぁ・・・」


 蒸し暑くなってきた季節が、私にそんなことを考えさせるのかもしれない。いつも通り、講義をして気分でも晴らそう。褒められた動機ではないが、それが一番陰鬱にならなくて済むのだ。



・・・・・・


「本日の講義は以上、みんな、暑くなってきているから、水分補給など体調管理に気を付けて。来週もまたよろしく頼む」


「教授!」


「なんだ?」


「教授は衣替えってないんですか?」


「あー、まぁ、この白衣は一応夏仕様のものもあるが…教授だからな。ちゃんと着ないと」


「教授って、夏も冬もあまり見た目が変わらないような…」


「まぁ、似たような服が多いからな」


「夏本番になったら、教授の衣替え見てみたいです!」


「・・・考えておこう」


・・・・・・



 衣替えか…衣替えなぁ…。しているつもりではある。夏は夏、冬は冬らしい恰好をしているつもりではあるのだが、どうも色がほぼ同系統のものが多く、人からは違いが分からないらしい。はて、最近の服装とはどういったものがあるのだろうか。ちょっとインターネットでも…


「媛遥おはよぉう!元気してっか!?何見てんの?!」


「おい冱露木ノック」


「えっ」


 冱露木が画面を見たまま固まっている。私の見ている画面はただ大衆向け服屋のホームページなのだが…。冱露木がゆっくりとこちらを向いてくる。


「媛遥、お前、やっとこさ服に興味湧いたのか!!」


「いや?」


「えぇぇぇぇぇぇ…。じゃあなんだよ、衣替え用の服か?」


「まぁそんなとこだ。学生から見た目が変わらんと言われてな。いつもこの服屋で購入しているのだが、新商品というのはどういうものか見ているのだ」


「はぁ…。俺はてっきりお前にいい女でもできたのかと」


「そんなわけないだろ。ただまぁ…気になっていることはある」


「なんだ?」


「俺って、結婚適齢期ってやつなんだろ?そろそろ番を…いや、彼女の一つでもこさえたほうがいいのかと思ってな」


「ほぉん・・・・・・・・・・・・・・・・・・







 お前とうとうその気になったのか!?!?!?!?」


「えっ、いや、まだ」


「なんだよそうかぁ!!!そうならもっと早く相談してくれよ!

 この百戦錬磨の冱露木様に相談しない手はないだろ!」


「相談も何も」


「みなまで言うな!お前のことだ。恥ずかしかったんだろ!

 任せろ媛遥。俺の遠い知り合いに婚活の会社務めてるやつがいるんだ。

 お前向けの婚活パーティーこさえてやるから、首とめん玉と襟元洗って待ってろよ!」


「おい冱露木」


「みなまで言うなあぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・」



 そういうと冱露木は勢いよく飛び出してどこかへ行ってしまった。



「・・・まぁ、いいか」


 再びパスコンの画面に向き直り、夏向けの服をぼーっと眺める。冱露木が直情的なのは致命的な欠点だが、たまに奴の行動力に感心するときもある。

 人間とは、特にこの国では、原則1対1の番と聞く。まぁ、中には一夫多妻制のように、元々のサルだった部分を色濃く残している国もあるにはあるが、どういったわけか文明が発展してきた国は、往々にしてこの1対1の番制度がある。つまるところ、結婚したが最後、その番と一生を添い遂げることになるわけだが、そんな大事なことが紙切れ一枚で契約できてしまう。冱露木は浮気をするような人間には見えないが、この先長い人生で、本当に浮気しないだなんて100%の保証はない。一生を共にする伴侶なんて、理論上老い先短くなってから探しても良いもんだ。

 それなのになぜ、人は若くして結婚するのだろうか。

 「結婚適齢期」なんて言う言葉があるが、30歳というのは本当に結婚適齢期なのだろうか。


「子供を産むだけなら、別に結婚なんて必要ないと思うんだよなぁ・・・」


 そう私はメンズ服の新着一覧を転がしながら考えていた。




 ふと、窓際の時計を見てみると、時刻は午後7時を過ぎていた。


「そろそろ帰るか」


 荷物をまとめ、帰路へ向かう。

 大学から最寄りの駅までの道は一本道。しかし、途中少し右に外れて歩くと、一筋の商店街がある。


「今日は雨井が帰ってこないし、食べて帰るか」


 この商店街には行きつけの店がある。…行きつけとは言うものの、過去に一度たまたま食事してからというものの、その店しか知らないからという理由で行き続けているだけのお店だ。

 その店は小柄な初老の女性が営むカツ丼屋さんで、店はこじんまりとしているが、人が入っていない所はみたことがない。

 お店の扉を開けると、どこからともなく鈴の音が聞こえる。


「いらっしゃいませ~! あっ、先生! こんばんは!」


「こんばんは」


 ペコッと会釈をして、席に着く。


「はい、お冷置いておきますね。ご注文は?」


「かつ丼の大盛と、豚汁、あとミニサラダください。あっ、かつ丼は・・・」


「卵2つ、いつものでいいですか?」


「はい」


「あ、そうだ、先生、今日珍しいお客さんが来たんですよ。誰だと思います?」


「誰だろう・・・おばちゃんが知ってるってことは、よく来る人かな。

 冱露木でも来たんですか?」


「潤ちゃんはしょっちゅう来るじゃないの。

 覚えてない? 昔よく一緒に来てた・・・、ほら、ええっと・・・」


「まさか、呉白?」


「そうそう呉白くん! 今日久しぶりに来てね、すっかり見違えてたからおばちゃん一瞬分からなかったんだけど、呉白くんの方から『ご無沙汰しております』ってきたもんだから『えぇぇぇ!』って驚いちゃって」


「へぇ・・・あいつ今監督ですよね?なんでまた?」


「なんでも、ドラマの撮影でこの辺をロケ地として使おうと思ってるって言ってたよ?

 『良ければこのお店もドラマに使いたい』って言ってくれたんだけど・・・」


「お客さん来すぎちゃうと、おばちゃん賄いきれなくて倒れちゃうよ」


「そうなのよ、だから遠慮したら『そりゃそうだ』って二人で笑ってたのよ。

 あっ、ごめんねごめんね、ご飯すぐ作るわね」


 そういうとおばちゃんはいそいそと料理を始める。

 呉白とは大学卒業までは連絡を取り合っていたが、卒業後はたまにしか取らなくなり、今は年末年始に写真を送りあうくらいだ。写真と言っても自撮りではなく、その年一番気に入った映画のチケットを送るだけだ。お互い忙しい身になってはいるが、決して赤の他人になったわけでもない。

 卒業後の呉白は映像系の企業に入り、映画も一本出してはいたが、処女作はいまいち鳴かず飛ばずで評判にはならなかった。その後ドラマの制作に携わるようになり、3年目で監督を務めたドラマが大評判になった。


「はい、かつ丼と、豚汁とミニサラダ」


「ありがとうございます」


「ねぇねぇ、もうちょっと喋ってていい?」


「食べながらで良ければ」


「全然!ごめんね!いや、呉白くんがね、『岩崎来てますか?』って、おばちゃん嬉しくてね、『週一回来てるよー!』なんて言ったら呉白くん笑っちゃって、『相変わらずだなぁ』って」


「ふっ、“相変わらず”って、どうせ呉白だって玉ネギ抜きのかつ丼並と肉うどん頼んだんでしょ?」


「あ、よく覚えてるね!私注文されてから思い出したのに」


「相変わらずはどっちだよってね」


「ほんとねぇ・・・。呉白くんね、結婚まだしないんだって。彼女はいるって言ってたんだけど、『俺は映画としか結婚しないんだ!』って」


「まだそんなこと言ってるんですかあいつ」


「そうなのよ。あ、言ってたわよ、呉白くん」


「なんて?」


「『また一緒に飯食うぞ、岩崎。その時は俺がおごってやるよ!』ですって」


「売れない監督が何言ってんだか、泣きべそかいて俺に飯せがんでも知らないからな」


 そういうとおばちゃんはひと笑いして、入ってきたお客の対応に回った。

 しかし、呉白という男はいつまでたっても私の知る男だとわかり、少しほっとしていた。人間、容姿や成りは変わっても、根幹は案外大きくは変わらないものだ。かくいう私も、自分自身では大きく変わったと思うものだが、良く知る人間から見るとちっとも変っていないのかもしれない。


「婚活なぁ・・・」


 変わるきっかけになるだろうかとは思うものの、かといって変化を渇望しているわけでもない私にとっては、まだいまいちピンとこない。しかし、人間の女性と交流のない私にとって、良い刺激になるかもしれない。仮にもしほとんど成果が得られなかったとしても、いつか呉白と出くわした際にビックリさせる話題にはなるだろう。


「明日あたり、服でも買いに行ってみるか」


 手元のスマホで、久々に呉白に映画と関係ない写真を一枚送った。

「・・・おっ、岩崎から珍しく・・・。

 ははっ、何だアイツ。まだこのメニュー食べてるのか。

 変わんないなぁ・・・」

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