正式助手
天使と悪魔のリアルを知ってからというものの、どうしても経費処理をしていると、「あぁ、これって天使のところに行くんだよなぁ」という感想がこびりつく。私もちょくちょく処理ミスやら書類漏れを指摘されることがあるが、他の教授もバシバシ指摘を受けている。冱露木なんて特にそうだ。最近は自分じゃ無理だからと助手に任せているらしい。そのおかげか、助手二人とも簿記1級を取得したそうだ。人間よりも恐ろしい精度・速度で対応してくる経理を、誰も不思議に思わないのだろうか…。
あれから4か月が過ぎて、季節はそろそろ春。さすがの決算月は経理も忙しいのか、足就氏の顔は最近見ない。
「そのうちお菓子の一つでも持っていくか…」
「いいんですよ、そんなに気を使わなくても」
当たり前のように突然目の前に雨井がやってくる。
「しょっちゅう迷惑をかけてしまっているんだ、お菓子の一つくらい差し入れたっていいだろう」
「あのケルビムさんですよ? 迷惑どころか、ため息をつきながら『またですか…』と処理してくれてますよ」
それを“迷惑”と人は言うのだが。
「そういえば、杉下さんを採用してもう1年でしたっけ?
彼女めちゃくちゃ働いてくれてますよね」
「あぁ、私の業務内容も半年くらいで覚えてくれてな。最近は海外研究にも付き合ってもらっているよ」
「なんでも喋れますもんね…。『無限母語話者』でしたっけ?」
「すごいもんだよ。興味本位で全く行ったことのない集落に行ってみたら、一日二日である程度の単語を習得しているんだから」
「その学習力を媛遙さんに分けてほしいものですね」
「まったくだ、どこぞの悪魔の配慮不足のせいで…」
「ぐっ…物事を学ぶのは、能力ではなく意欲がものをいうのですよ。媛遙さん」
「私は意欲があるからこうして学者をしているわけだが?
意欲は十分なのに言語が習得しにくいのは、ひとえに初期設定のせいではないのかな?」
「…ぐぅ」
情けない顔をした悪魔にみたらし団子の串を貼り付ける。そこへちょうど杉下君が出勤してきた。
「おはようございます!教授またそんなことして!理事長かわいそうに…」
「…ぐすん、杉下君こんにちは、今日も元気だね」
「はい!おかげさまで!今ウェットティッシュお持ちしますね」
カラーボックスにウェットティッシュを取りに行く杉下君を、理事長が目で追いかける。どうやら本日の用事は私ではなく彼女のようだ。
「ところ麻鬼理事長、本日はどういったご用件で」
「あっ、そうそう、杉下君、正式助手に興味ない?」
「えっ、こんなに早く?」
「うん、だって、岩崎君もう来月で3年目突入だし、ボーダーラインはクリアしてるでしょ?杉下君は私から見ても非常によく働いてくれているから、この際どうかなって」
「どうって・・・岩崎教授・・・」
「私は別に構わんよ。杉下君は相応に・・・いや、それ以上に勤務してくれているし、助かっている。私としては、君さえよければ正式助手の試験を受けてみてほしいね」
「ほら、君の教授もこう言ってるし」
私と麻鬼を前に、杉下君は少し考えこんでいる。考え込んでいるというよりは、その姿は何か遠慮しているようにも見えた。
「では、お二人がよければ…正式助手、受けてみたいです」
「そうこなくっちゃ。じゃあ、改めて、採用試験について説明しますね。
採用試験は…」
「まず私が用意する一次試験、そしてこの理事長が作る二次試験、この二つをクリアすれば正式助手になる。
私から課す試験としては…そうだな、私の講義では、最初に前回をおさらいをやっているのは分かるね?それを、次の1週間、君にやってもらおう」
「私がですか?!」
「うん、杉下君が。来週からだから、今週いっぱい私の『前回のおさらい』を見て流れを把握して、実際にやるのは君独自の色を出してくれてかまわない」
「急にそんな…」
「私の講義を1年以上見てきた君だ。大丈夫。多少間違ったってかまわないから、ちょっとやってみてくれないか」
「『ちょっとやってみて』を試験にするのはどうかと思いますが、岩崎君、審査基準は?」
「私が『合格』といえば合格、『不合格』といえば不合格だ」
「・・・がんばります」
「麻鬼理事長、二次試験はどうする?」
「そうですね・・・それはじゃあ、来週1週間の中で考えておきますので、
岩崎君の審査結果発表の日に、二次試験については発表しましょうか」
「わかった。杉下君、それでいいかい?」
「・・・大丈夫です。がんばります!」
「よし、よく言ってくれた。
・・・そういえば、冱露木のやつも3年目突入だろ?あいつから何か話って上がってきているのか?」
「おや、よくお気づきで。えぇ、冱露木君も去年末に正式助手の話をしていて、もう採用試験の準備は整っているそうですよ」
「あいつにしてはずいぶん手際がいいな」
「えぇ、『女の子にはちゃんとした評価を見せてあげないと、一流の男じゃない』…ですって」
あの野郎。
「教授、そろそろ…」
「あぁ、じゃあ行こうか。では理事長、二次試験のご準備、よろしくお願いします」
理事長を見送るでもなく、資料を抱えて杉下君とともに研究室を後にする。
この一年、いつも廊下を歩く際は私が前で杉下君が後ろをついて歩いているのだが、今日はなんだかいつもより後ろを歩いているような気がした。
「なんだ、杉下君。緊張しているのか」
「そりゃそうですよ。だって、私が学生の前に立って喋るなんて、本格的なのって今までなかったですから…」
「でも、いつも喋ってるじゃないか、『学生証を机の上に出しておいてください』って。そのセリフが少し伸びるくらいと思ってくれればいいよ」
「学生証の提示要求と前説を一緒にしないでください。
はぁ・・・緊張する・・・。
・・・ところで、学生所のスキャンはどうするんです?」
「あぁ、それなら心配ない。当面の間は私がやるが、新年度から教室単位でスキャンできる仕組みが導入されるんだ」
「えっ、そうなんですか? 私のところにはそんな話来てなかったような…」
「すまない、伝えるのを忘れていた」
「教授そういうの多いですよね…」
「呆れた」という顔でこちらを見る杉下君の顔に、先ほどまで見えなかった余裕が少し感じられた。
教室に入ると、学生たちは騒がしいでもなくそれぞれに授業の開始を待っている。朝の1限目はたいていこんな感じだ。学生とは不思議なもので、勤勉なものはそうでもないが、多くの学生は朝に弱い。私も大学時代はどうしてか朝が弱かったと思う。原因は…まぁ、夜寝るのが遅いとしか言いようがないのだが、バイトだったり勉強だったり、普通に娯楽だったりと理由は様々だ。ところが、大人になると案外早起きは普通にできるものだ。眠いのは眠いのだが、春以外は絶望的な眠気は来ない。杉下君も学生の頃は1限目は教室で寝て待っていたそうだが、こうして働くようになってからは強くなったようだ。
1限目の開始を告げるチャイムが鳴る。
「よし、じゃあ講義を始めようか。じゃあ杉下君、学生証のスキャンを…」
「はい、では…前回の講義ですが…」
「す、杉下君、来週。来週からだから」
「失礼しました! では学生の皆さん、学生証を机の上、通路側においてください」
教室でドッと笑いが起きるとともに、少しざわざわし始める。
「あぁ・・・じゃあ、あらかじめ言っておこうか。実は、いつもお手伝いをしてくれている杉下君だが、彼女はこの度正式助手の試験を受ける運びになった。その一次試験として、彼女は来週から講義の前説を行うことになる。
みんな・・・お楽しみに」
「教授!!」
こういう時の大学生はノリがいいもんだ。みんな歓声とともに拍手をしてくれる。その中で私を凝視してくる杉下君の目線は、明らかに殺意がこもったピュアな目線だった。
授業が終わると、廊下でそこそこ痛い肘鉄を食らう。この日の杉下君は、いつもより機嫌が悪かったのを克明に覚えている。
一週間後、一次試験の週。相変わらず杉下君は緊張しているが、彼女が時間をかけて準備をしているところを見ている私は、特に大きな心配はしていなかった。このたった一年だが、彼女が「超」の付くほどの努力家であることは私が知っている。努力家過ぎて休むことを教えたくらいだ。そんな彼女だからこそ、ミスはすれども失敗はしない。私はせこせこと準備をしている杉下君を横目に、マイペースに講義の準備を進める。
「よし、じゃあ杉下君。一次試験、始めに行こうか」
「・・・はい!がんばります!」
先週は私のずいぶん後ろを歩いていた杉下君が、私の隣を歩く。
「教授」
「うん?」
「がんばります」
「おう、マイペースにな」
教室に入ると、学生たちがニヤニヤした顔で待っている。全員杉下君の前説を楽しみにしているようだ。かくいう私も、今日が初めて見る日なので楽しみにしている。
「よし、ではチャイムもなったし、講義を始めていこう、学生の皆はいつもの場所に学生証を置いてくれ。今日は私が読み取りに行く。
では杉下君、前回のおさらいをよろしく」
「はい、前回の講義では、各地から出土されるアーティファクト、人工造物の特徴から、その地域の風土、あるいは風習が見て取れるという視点から、、、」
杉下君の前説を聞きながら、せっせこせっせこと学生証のスキャンをする。はじめの頃はこれを喋りながらしていたんだなぁと思うと、この一年でもどれだけ彼女に助けられていたかしみじみとする自分がいる。ふと、最後に差し掛かった時に、学生証ではなく社員証を出しているバカがいた。
「お前…今日を狙ってきたのか」
「そりゃそうっしょ、しぐれっちの初ライブだぜ?見ないわけにはいかないって」
「お前らしいな」
「俺の席で最後だろ? なんならお前も見て行けよ」
「・・・アリだな」
私は冱露木の隣の席に腰かけ、杉下君の前説をゆっくり聞いてみた。
「では、それらを踏まえて、今回の講義ですが…」
・・・ん?
「いまからお配りする資料を基に、果たしてそれら研究者の主張の食い違いは、どこから生まれるものなのかを探っていきます。
ごめんね、これ後ろの人に回してくれるかな」
学生たちは、必死にざわざわを抑えている。かくいう私も、止めに入らねばという気持ちと、これはこれで面白いのではないかという気持ちが拮抗している。隣の冱露木も、尋常じゃないくらいニヤニヤしている。皆一様に、この奇妙な状況の続きを見たがっているように思えた。
「いま配った資料だけど、前回の研究者の主張と結論をまとめたものになります。これを基に隣の人とディスカッションをしてもらって、特に発表とかはないんだけど、自分なりの主張と結論をまとめてください」
「だとさ、学生」
「あぁ、数学専攻」
「しぐれっちあれだな、テンパりすぎて面白いことになっているな」
「あぁ、一向に私が帰ってこないなぁと思っているか、それとも・・・」
「いやぁ・・・あれはマイ・ワールドに入ってるよ。やるね、しぐれっち」
この状況を全員が意地悪に楽しむ中、杉下君は一向に私を探すことなく、つつがなく授業を進行している。30分、60分経っても、彼女は自分が用意したカンペをまっすぐに見つめていた。
やがて授業も残り10分になったところで、ふと杉下君が視線を挙げて話し始める。
「というわけで、今皆さんが共通認識を持って下さったとおり、結局のところは同じ結論を言いたいものの、話の視点が違えば、同じ結論でも反対意見を述べているかのように聞こえるのも、また民俗学の面白い部分だという話を、今回の講義ではしていきます。
では教授・・・。 あれ?
あっ」
私を見つけた杉下君と目が合った。ご紹介にあずかり、教室の前方へ移動する。もうプリントも資料もない教卓に立ち、すでに板書で埋め尽くされているホワイトボードを一見し、学生たちの方に向き直る。
「ありがとう、杉下君。
以上の内容を踏まえて、今回の講義だが・・・
以上だ。」
学生たちが大笑いとともに、拍手をする。その拍手は間違いなく杉下君に向けられたものだ。冱露木はと言えば、いつの間にか隣に座っている理事長と一緒に大爆笑をしている。しかし、決してそれは嘲笑などではなく、感嘆の混ざった爆笑であることは言うまでもない。私も学生に混ざり、彼女に拍手を送る。
「おぉぉぉ・・・教授、大変申し訳ございません・・・」
彼女は深々と私に頭を下げるが、私は彼女の肩をたたき、体を起こさせ、学生たちに向き直る。
「じゃあ、残り講義5分ではあるが、私から皆に提案だ。
先週話した通り、彼女はこの度正式助手になるべく、今週から一次試験として私の講義の前説をすることになったわけだが、見ての通り、講義のほとんどをやってのけてしまった。これは別に、杉下君がお茶目だとか、おっちょこちょいだとか、もちろんそういった部分もあるかもしれないが、この1週間でこれだけのことができる彼女は、間違いなく努力の天才であるという証拠だ。
そこでだ、私としては今日この講義をもって、彼女を正式助手一次試験合格としたいが、皆の意見を聞きたい。
賛成の人は拍手を」
学生たちと冱露木が拍手喝采を送る。私も再び彼女に拍手を送る。
その様子に、杉下君はただうつむき、顔を赤くして手を振るだけだった。




