採用が馬
ふと窓の外を見る。菜の花が見えるこの教室からは、そこに群がるモンシロチョウの姿をも綺麗に見せる。あいつらは絶賛食事処を探している、12時15分ごろのサラリーマンたちなのだ。人間の場合は手持ちと要相談だが、我々昆虫は好き勝手群がり、食べる。気にするのは、ただそこにライバルが多いか少ないかくらいだ。
「先生」
遠目から見ると美しい、この水彩画のような窓の風景だが、実際はもっと近くで見ると生き物たちのリアルな様子が見て取れる。菜の花の中には青虫や毛虫、アブラムシ。地面ではヤスデやミミズがウロチョロ。飛んでいるのだって、別にモンシロチョウだけではない。場合によっては攻撃性のあるハチどもが飛んでくる。
「先生?」
ミツバチはまぁ百歩譲って許してやるよ。樹液飲むときも比較的協力的だから。クマバチも、一瞬ビビるけど根はいいやつだ。だがスズメバチ、お前だけは絶対に許さない。
「先生!!!」
「あぁ、はいはい。えーっと、なんだっけ?」
「もうディスカッション終わりましたけど・・・」
「あ、ディスカッションね。はいはい。じゃあ、それぞれ代表者1名、発表してもらえるかな。では・・・そこのグループから」
「・・・ちゃんと聞いてくれます?」
女子学生がそういうと、どっと笑い声が起こった。いやぁ、恥ずかしいったらありゃしない。
教授になって1年。つまり、2年目突入の春を迎えた。教授職というのはなかなか忙しいもので、大学や院のころに比べ、論文の提出が鬼のように求められる。当然民俗学の論文なんか、過去の文献を読み漁るところから始まるわけで、おかげで家の書斎はピサの斜塔レベルの建造物になっていた。そして何より、人手が足りない。論文を書く傍らで講義内容の計画書やら、広義に使用する文献やコピーやらなんやらなんやら、教授室にいくらみたらし団子を常備していても到底手におえない日がある。
そんな日は、講義中にふと窓の外に目をやり、現実逃避をしてみせるのだ。いやぁ…私も人間らしくなったものだ。
「・・・以上が、我々『ち』組の結論です」
「うん、ありがとう。みんな、ち組に拍手を。さて、これで『い』から『ち』、合計8つの意見を聞いたわけだが、ここで私が実際に現地で調査・アンケートを行った結果を見てみよう。
これは、今から3年前の調査になるので、現在はどうかはまた再調査しないとわからないが、この円グラフから見るに…」
たまに思うことがある。学生の頃の発表と、今こうして教授をやっているときの私の口から出てくるものは、少しだけ違うものになっていると。学生の頃の私の口から出ていたものは、すべて可能性の話で、それが正しいなんてことは分からなくてよかった。しかし、教授になると、いかんせん「全く分からないけど、こうだと思う」講義は、よろしくない。なので、自分の意見の正解率を、明確にしたうえで講義はしないといけないのだ。それにあたっては、言葉はずいぶんと選ばれなければならない。思うがままに、感じたままに発表するのは、教授の仕事ではなく学生の仕事なのだ。その事実がたまに歯がゆくなる。
「よし、本日の講義は以上だ。・・・少し時間があるな」
ふと、この大学のある制度を思い出した。
「・・・試しにやってみるか。みんな聞いてほしい。この中に今年3年、もしくは4年の人は居るか?」
数名の学生がきょとんとした顔で手を挙げる。
「・・・8人か。実は折り入って相談がある。誰か、私の助手をやってくれないか」
学生がざわつき始める。もっとスムーズに導入すればよかったか。
「実は、情けない話だが、教授になったばかりで、講義の準備が忙しく、自分の研究したいことに没頭できていない。本来はがむしゃらに努力して時間を救るべきなのかもしれないが、この大学にはそういった教授向けに、この学校オリジナルの助手制度がある」
そう、亜心大学には独自の助手制度があり、うちの大学の約半分の教授はこの制度を使っている。
この助手制度とは、教授主催の1次試験、理事長による2次試験を突破し、最終面接を合格した際に、正式助手として自身の下につかせることができる制度のことだ。正式助手には教授職に与えられる給与の50%程度の給与が支払われる。しかし、教授が正式助手を雇えるのは、着任してから2年を要する。理由は特に明言されていないが、雨井曰く「鍛えるため」だそうだ。
そこで、“困った”私が作った制度が…
「アルバイト助手制度といって、正式助手の為の難しい試験はなく、私への簡単なレポート提出と、面接のみで採用されるものだ。給料は専任先教授…つまり私の采配になるが、正式助手が教授の50%ほどの給与なら、アルバイト助手は30%ほどの給与は保証しよう」
「その、30%ほどって、具体的にどのくらいとか聞いていいですか?」
「そうだな…。金額を話すと下世話になるので言えないが、君たちがコンビニで週5日、8時間働いて稼げる給料の、1.5倍…といったところか」
教室のざわつきが増す。
「あの、就労時間はどんなかんじですか?休憩とか・・・」
「助手として週5日、場合によっては土曜日も出勤してもらう日もあるが、
一日の拘束時間は8:30~18:00を考えている。休憩時間は申し出てくれたら、
スケジュール上問題なければ自由にとってくれてかまわない。
まぁ、今まで一人でやってきた業務だ、助手が小一時間抜けようが問題ないさ。
拘束時間は長いが、昼食代は大学の福利厚生で賄えるし、昼食時間は休憩時間とは別とする。
大学周辺の提携施設をお得に利用できるクーポンまでついてくる。
有給は年15日支給。支給は採用されたその日だ」
「もっと詳しく!」
「なら福利厚生を詳しく話そう。
教授室も制限はかかるが使ってくれてかまわない。
特にレポート提出時は大学内のどこも混雑するからな。
教授室には助手用の机を用意しようじゃないか。
パソコンは…希望のものを与えよう。
また、3年生は仮に採用されれば、4年時の単位残数は免除になる」
教室のボルテージが上がる。
「ただし、業務上の責務を果たさず、教授から解雇を宣告された場合は、当該免除は取り消しになる。タイミングによっては100%留年になるから、そこのところ留意しておくべきだな」
「あの・・・」
「なんだ」
「ボ、ボーナスって出ますか」
「アルバイトなので、原則ない」
・・・
「が、寸志は与えるつもりだ。
現金が欲しい人、物が欲しい人がいると思うから、希望を聞こうじゃないか」
「イェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!」
人間ってのは、欲にまみれた生き物だなぁ…。かくいう私も、そういう人間になりつつあるのが悲しいところだ。
「では、希望者は今日から2週間以内に…そうだな…『異文化の理解の仕方』について、最低1000字程度のレポートを提出してくれ。パソコン・手書きは問わない。レポートには必ず学籍コード、氏名、連絡先の記入を忘れないでくれ。連絡先は電話番号でも学生用メールアドレスでも、どちらでも構わない。よろしく頼む」
そういって講義を終えたのだが、アルバイトに関する質問がこの後もう5分ほど続いた。結果、その週はこんな感じの出来事が10何回と続いた。
教授室で提出されたアルバイト希望のレポートを見ていると、扉が勢いよく音を立てて開かれた。
「よお媛遙!調子どうよ!」
「ノックをしろと何度言ったらわかるんだ」
「えぇ~、ノックなんかしたことないって」
「そりゃしたことがないからな。今日こそ覚えて帰れ」
「やってみる!今日は何してんの?」
「アルバイトの一次試験だよ」
「あぁ、雇うの?」
「まぁな。民俗学・人文学はなかなか講義の準備が大変でな。そのうえ論文提出ときたもんだから、手が追い付かなくてな」
「なるほどねぇ。俺も確かに人手が欲しいから、2~3人アルバイト雇おうかな」
「数学教授の何にアルバイトが必要なんだ。よくもまぁいけしゃあしゃあと…いつも飄々とした顔で教授室を出ていくじゃないか」
「ハッ、媛遙さんよぉ。できる男ってのは、いつもクールな顔をしてるもんなんだぜ」
残念ながら、この男、確かにできる男なのだ。そもそものこいつの経歴がおかしい。高校、大学では他の教科は並々の点数であったにもかかわらず、どういったわけか数学だけは飛びぬけて点数がよかったらしい。
本当かウソかはわからないが、幼稚園の段階で小学校の算数を乗り越え、小学校で中学・高校数学をマスター。高校では数学雑誌を読み、ゲームの傍らチラシの裏で問題を解いていたらしい。その証拠に、彼が着任前に提出してきたのは、数式がびっしり書かれたチラシの束だった。当然そんなのを見た大学の人間は取り合おうとはしなかったが、「あんたんところの数学ができるやつに見せてみてくれよ」と啖呵を切り、当時の会計課主任に見せたところ、泡を吹いて倒れたそうだ。
「はいはい、『絶対解けない』と言われていた問題を、チラシの裏で解いた人間は言うことが違うな」
「そうなんだよ、そうなんだよ媛遙君。できる男だから俺はここにいるんだよ媛遙君」
「そんなできる男ならアルバイトなんかいらないんじゃないのか」
「そんなできる男にも、できないことがある」
「なんだ」
「・・・愛だよ「帰れ」 なぁんだよぉ!割り込んでくるなよぉ!」
「いま取り込み中なんだ。見て分かるだろ。邪魔するなら帰れ」
「じゃあ手伝うから、もうちょっとお話ししようぜ~?」
「畑違いの男が読んでわかるわけないだろ」
「そんなことないって。ほら、この子のレポートとか面白そうだぜ?
なんて言ったって文字がほら、良い子そうじゃん」
「触るな。あぁもう、順番がわからなくなったじゃないか。LAN0058と…」
「すまんすまん。お詫びと言っては何だが、今夜一杯奢るぞ?」
「・・・本音は何だ」
「今日もコンパ付き合ってく「断る」ださい!だぁから!
言い終わる前に断らないでくれよぉ!」
「忙しいと言ってるだろ」
「でもあと5日もあるんだろ?晩飯何でも奢ってやるからさ。
あと…アレだ、みたらし団子!その店美味しいみたらし団子出すんだよ!
もし付き合ってくれたら御馳「何時だ」走するからさ、20時に正門前な!」
そういうと冱露木は合掌したり手を振ったりしながら中腰でこっちを向きながら部屋を後にした。「あと5日も」とは言っていたが、あと5日でレポート20部見て評価して連絡しないといけないということを分かっているんだろうか。分かってないだろうな…。
P.S.蝉日記
「『その地域の祭りを研究することで』…ふむふむ。なるほど。連絡しようか。
えーっと次は、あ、さっきのやつか。『異文化とはつまり異なる言語の集合体で』…なるほど、『その言語を理解しない限りは、現地の交流ができず』…ははっ、そりゃそうだろうな。
なんだ、面白いことを書く子がいるな。民俗学でも何でもない…。4年生か。
…あー、この間しょっぱなで発表してた子か。連絡してみるか」




