セミとゼミ
さて、大学に入学してからの話だが、実は正直そこまではっきりと覚えていない。
高校に通っていたころは毎日が新鮮で、社や音綟、剛田たちとは過ごす時間が長かったのでよく覚えていたが、大学の連中は…正直驚くほど薄っぺらい関係性しか築くことができなかった。
たまたま授業で隣になるやつも、1学期丸々隣ならまだしも、明日には違う席なんて普通にあった。そんな人間とどんな思い出作りをすればいいのかといわれると、答えは「不可」だ。
そのため、大学の話は高校と比べると極端に薄くなってしまうのだが…。
そうだな…、何を話したものか…。
あっ、そうだ。ゼミの話を少ししようか。この大学、亜心大学では2年からゼミに入ることができ、私は当然のことながら人文学と民俗学を中心に選んでいた。
人文学のゼミ担当、玄八先生、彼は今でも交流のある先生だ。彼のゼミは大変面白く、とにかく映画を見まくった。
人文学というと過去の映像作品や文学作品から、現代に通じるテーマ、逆に現代では通じないテーマを研究することが多いのだが、那須知先生は現代の映画を、過去の映像作品に匹敵する内容にするにはどういう観点からモノを撮り、どんな撮影方法で表現するかを研究し、そして実際にそれを撮影し、振り返り、現代ではどのような感想を抱かれるか一般向けに上映会を行っていた。
半ば芸術系の分野ではないかと一部批判する者もいたが、私は面白かったので続けていた。結局最後まで残ったのは、私率いる「セミ組」と、そして呉白という男子率いる「ムカデ組」だけだった。
なぜそんな名前になったのかというと、最終「2つの組に分かれよう」という話になった際、セミ組は私が適当に名付けたのだが、呉白はその蝉に対抗しうる捕食者、「ムカデ」を選んだそうだ。誤解を解くために言うが、呉白自身は「ムカデ」から想像されるような恐ろしい奴ではなく、むしろ大人しく、人から好かれる好青年だ。
そんな呉白とはよく作る作品が被ることがあった。何を隠そう、二人でよく映画を観に行っていたからだ。ゼミの研究のために全員で映画を見に行く以外に、私と呉白は個人で観に行くことも多かった。
今思い出すと、週の半分は映画を観ていたのではなかろうか。その中で、私と呉白は映画の趣味が合ったため、時間が合えば一緒に観に行って、上映後はカフェで感想を言い合っていた。ここがまた面白いのだが、大体この感想会で話がぶつかるのだ。3分に一回「分かってないな」が飛び交う。映画の趣味は合うのだが、見る観点が違うので、おのずと映画に対する解釈も違ってくるのだ。そのせいで夏場は頼んだはずのフローズンがただのジュースになっていることもしばしば。
2年の前半は人文学のゼミに入り、後半は民俗学のゼミに所属していた。民俗学のゼミは実地が多くてとにかく大変だったことを覚えている。
当時の教授、鈴女教授は比較的ふくよかな女性だったが、信じられないくらいアクティブな人で、週に1回必ず実地に行くような先生だった。ゼミ生はついていくかどうかは任意とされていたが、「経費は全額大学側が負担」というサービス?があるので、出席率は非常に高かった。かくいう私も、もちろん費用が掛からないからというのもあったが、実地そのものが好きだったためすべて参加していた。
海外の調査に行くと、鈴女先生は絶対その国の郷土料理を食べるのだが、そこで必ずその国の思い出を先生は語ってくれた。そして初めての国では「今回の旅の思い出」を語ってくれた。
また、民俗学のゼミに入っているときは、現地調査中にその土地を探訪できるのが個人的には楽しかった記憶がある。
自由時間の過ごし方は人さまざまだ。引き続き飯を食う者。現地の人にインタビューをする者。現地の建物を探訪する者。現地の女をナンパするやつ。
そんな中で私はというと、ただただ観光をしていた。その土地の有名どころへ行き、そこにある物を観察し、必要あらばその土地の人間と話し、お土産を見て帰る。私の中の「民俗学」は、実を言うとそんなものだった。
3年になるといよいよ本格的にゼミを1つに絞らないといけなかったのだが、そのころの私は人文学を専攻しようと考えていた。事前に呉白に相談すると、彼も同じく人文学のゼミに入ろうとしていることもあり、かなり前向きになっていたのだが、玄八先生に相談するとこんなことを言うのだ。
「岩崎君、君は非常に面白い子だ。君と呉白くんが作る作品は、毎回同じテーマなのに映画が互いに戦い合っているように見えて非常に面白い。僕はそんな二人の映画をこの先も見たいと思う。
でもね、なんとなく感じるんだ。君は、民俗学に進んだ方がいい。
私の人文学を楽しんでいる君の顔と、民俗学の実地から帰ってきた君の顔とでは、民俗学は君の知的快楽を静かに押し上げているような気がしたんだ。なんというかな…、私のゼミに居る時の君は、幼く、ふわふわとした明るい雰囲気をまとっているが、民俗学の君は、帰ってくるたびにその道を究めた、澄み切った雰囲気をまとっているんだ。
もちろん、一番大事なのは君の心だ。
だから、もう一回聞くよ?
人文学でいいのかい?」
玄八先生の最後の言葉に、私の心は妙にフィットしてしまっていた。そう、私にとって、人文学は「で」なのだ。好きな映画を見て、呉白と語り合い、自分の好きな映像を作る、そんな楽しい空間を続けられるなら、私にとっては「人文学で良かった」のだ。
しかし、当初の私の欲望は、果たしてそんなことだったんだろうか? 私は、人間をもっともっと知り、人間らしく生きていくのが目的だったはずだ。それを束の間でも忘れ、自分の欲望の道から逸れようとしていたことに、私ははっとさせられた。
「玄八先生、ありがとうございます。私は、民俗学の道に入ります」
「うん、なんとなくそれがいいような気がするよ。
民俗学は本格的にゼミが始まると鬼のように忙しいから、頑張ってね。
ちょっと視点を変えたかったり、息抜きしたい時は、いつでも人文学に遊びにおいで」
呉白に民俗学のゼミに入ることを告げると、彼は特段止めることもなく、あっさり受け入れてくれた。
「すまんな、相談しておきながら、違う答えになって」
「いいよ、僕と君の意見が合ったことなんて、映画の趣味以外無いじゃないか。
確かに君とこの先人文学で張り合えないのは残念だけど、映画を見に行けないわけじゃないだろ?
普通に友達としてこれからも仲よくしよう」
「・・・友達?」
「・・・えっ、友達じゃないの?」
「友達なのか?」
「えっ、わからない」
「すまん、友達という者ができたことが無いのだ」
「…あっ、あぁ…なるほどね。じゃあ、友達になろう。ほれ、握手」




