蒼いマフラー、なびかせて ②
☆☆☆
「…」
心地の良い微睡みから覚醒すると、X-9th/朱雀キョウジは白い診察用ベッドの上に上半身裸の姿で横たわっていた。
「気分はどうじゃね、X-9th?」
覚醒と同時にキョウジは誰かに声をかけられた。
優しげな老人の声だ。
上体を起こして声をかけられた方に顔を向けると、真っ白な頭髪と髭、眼鏡が印象的な70代程の白衣を着た老人が、コンソールのようなものを操作していた。
X-サイボーグの生みの親にして、後見人的存在であるヨセフ・パブロフ博士だ。
そこでようやくキョウジの寝ぼけた頭は、パブロフ博士から定期メンテナンスを受けていたことを思い出した。
「…えぇ、特に違和感は無いですよ、博士」
右手を回しながらそう答えると、キョウジはベッドから立ち上がり、すぐそばのカゴに脱ぎ捨てられていたワイシャツやベストなどを着始めた。
「そうかね。いやぁ、わしも歳だからね。ミスを起こさないか心配でなぁ…」
キョウジに話かけながらパブロフ博士は白衣を脱いで、代わりに茶色いジャケットを羽織り、足が4つある老人用の杖を手に取った。
「君たちと違い、わしもずいぶんと歳を取ってしまった…杖が無ければ、まともに歩くこともできん。老眼鏡が無ければ、自分の手元すら見えん。こうして君のメンテナンスをできるのも、後何回か…」
「そんなこと言わないで下さいよ。別に僕はもう戦う気はないし、ミスやチェック漏れがあったって気にしませんってば」
顔をうつ向かせて弱気な発言をするパブロフ博士をキョウジは慰めた。
傍目には、その姿は高校生の孫とその祖父に見えることだろう。
だが、キョウジは…X-サイボーグのリーダー・X-9thは外見こそ栗色の髪と甘いマスクが印象的な17歳の少年ではあるが、実年齢はすでに50代半ばに差し掛かっていた。
彼らX-サイボーグは、改造された時点から外見年齢の加齢や老化が停止してしまっている。
定期的にメカニック部のメンテナンスを行い、故障したパーツを修理・交換していれば、理論上、彼らは半永久的に生きることができるのだという。
一方、X-サイボーグ達の生みの親とも言えるパブロフ博士は、生身の人間だ。
いくらかの老化防止処置によって、寝たきりや認知症になることだけは避けられてはいるが、それでも時の流れに逆らうことはできない。
何時かは分からないが…遅かれ早かれX-サイボーグ達を残して、パブロフ博士だけが天に召されることは間違いないだろう。
弱気な発言を漏らすのも無理からぬことだとキョウジは思っていた。
メンテナンスルームを退出しても、パブロフ博士の顔は暗いままだった。
「…君に内蔵されている『加速装置』はデリケートなものでな。少しでも故障があるとすぐに動かなくなってしまう…もし必要な時に作動しなかったらと思うとどうしても…」
震える手で杖を突きながら歩くパブロフ博士は、心底心配そうにキョウジに自身の不安を吐露する。
「心配入りませんよ!もう僕は引退したし、『加速装置』だって、もう起動させる場面なんて来ませんよ」
キョウジはパブロフ博士を元気付けようと、明るい調子で答えた。
『加速装置』とはキョウジ/X-9thの体内に内蔵されている彼専用のパーツだ。
X-サイボーグは各々が全く違うコンセプトの下に改造を施され、各人がそれぞれ固有の能力を有している。
例えば、X-2nd/シャーリー・リンクの場合、両足に内蔵されているジェットエンジンの作用により、最高速度マッハ10による高速飛行を行える他、強化された視力と専用スナイパーライフルにより百発百中の遠距離狙撃を行える。
そして彼-X-9th/朱雀キョウジは、体内の『加速装置』を起動させることにより、最高速度マッハ9に達する超高速移動を行うことが出来るのだ。
しかし、キョウジの言葉通り、彼はもう何年もの間、自身の『加速装置』を起動させていなかった。
国連からの引退勧告を受けた際、キョウジは勧告を受け入れて引退し、故郷である日本で一般人としての生活を送り始めた。
それ以来、彼は一度として『加速装置』を起動させなかった。
いや…何度か『起動させようとした』事はあったが、実際に起動させる前に思いとどまり、起動させることは一度も無かった。
『戦いは終わったのだ』と、何度も自分自身に言い聞かせながら。
外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
パブロフ博士の自宅兼研究所は、都心から離れた郊外に立地している関係で付近にはまだ自然豊かな森や里山がまばらにあり、遠くからは虫の鳴き声が聞こえ、まばらに生えた電柱の灯りと月の光だけが地面を照らし出していた。
ちなみに、以前は海岸沿いに住んでいたのだが、東日本大震災の時に被災した為、数年前に現在の住所に引っ越したのだ。
キョウジは外に出ると赤いヘルメットを被り、門の辺りに停めていた中型のスクーターに跨がった。
「それじゃあ、また来週辺りに…」
「あぁ…その…X-9th」
門まで見送りに来ていたパブロフ博士は、キョウジに遠慮しがちな視線を向ける。
「別にな…定期メンテナンス以外で、そんなに頻繁に会いに来てくれんでも良いんじゃよ?わしのような年寄りに付き合うよりもその…デートするとか旅行に行くとか…色々あるじゃろう?」
パブロフ博士の言葉に対して、キョウジは「いいえ」と首を横に振る。
「僕が好きでやっているんです。パブロフ博士は僕達の父親みたいな物ですから…『少し遅めの親孝行』とでも思ってください」
「…そうかね」
キョウジの返答にパブロフ博士は重い息を吐き出した。
「…すまんなぁ、X-9th」
「いえ…じゃあ、また近い内に」
キョウジはパブロフ博士に軽く会釈をして、スクーターを走らせた。
「…」
パブロフ博士はキョウジの後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、杖を突きながら家に戻っていった。
☆☆☆
キョウジの自宅は、パブロフ博士の自宅兼研究所からバイクで30分程の場所に立地している。
二階建てのこじんまりとした一軒家だ。
この家も、パブロフ博士の研究所も、国連からの勧告を受け入れて引退を表明した際に、国連が日本政府に働きかけて用意してくれた物だ。
郊外に位置するため交通の便は悪いが、隣人も少ないのでトラブルやストレスとは無縁の環境だった為、キョウジはそれなりにこの家を気に入っていた。
キョウジはスクーターを駐車スペースに停めてヘルメットを脱ぐと、ポケットから鍵を取り出しながら玄関に向かっていく…が、
「!」
玄関に着いた時、キョウジは自分の目を疑った。
玄関のドアの鍵が壊されていた。
本来、鍵穴があるはずの部分は、まるで銃で吹き飛ばしたかのように粉々に粉砕され、ドア自体も半開きの状態になっていたのだ。
キョウジは恐る恐る玄関に入る。
家の中を覗くと、玄関からキッチンまでの廊下に靴の跡がくっきりと残り、玄関と同じく入り口のドアが半開きになっているキッチンからは、灯りと物音が漏れているのがはっきりと確認できた。
「…」
キョウジは音を立てないように気をつけながら靴を脱いで家に上がると、靴の跡を追ってキッチンへと向かう。
拳を握り締めてドアの隙間からキッチンの中を覗くと、そこには…
「…よぉ、X-9th」
…X-サイボーグの仲間であるX-4th/アルベルト・エミヤがテーブルの席に座っていた。
「あ、X-4th…」
予想外過ぎる相手がいたことで、キョウジはまたしても固まってしまった。
「腹が減ってたから、勝手にあるもの食ってた。悪いな、留守中に」
そう言いながらX-4thはカップラーメンの容器から麺を手掴みで取り出し、その麺をお湯で戻さずに生のまま食べていた。
X-4thが乾燥した麺を咀嚼する度に、キッチンにはバリバリという乾いた音が響き渡る。
キョウジがキッチンに入ってX-4thの周囲をよくよく見てみれば、X-4thが腰掛けているテーブル席には空のカップラーメンの容器や開けられた袋麺のビニールなどがいくつも散乱しているのが確認できた。
「い、いや…別に構わないさ。そうだ!お湯、沸かそうか?」
「…いや、いい」
麺を完食したX-4thは、今度は容器の中に残っていた具材や粉スープなどを口に流し込み始めた。
「そ、そうかい?その…久しぶりだね、X-4th。どうしてたんだい、最近?」
「…」
カップラーメンの容器を空にしたX-4thはカップラーメンの容器をテーブルに置くと椅子から立ち上がって、キョウジに向き直った。
「…刑務所は免れている。今のところはな…それより、X-9th」
キョウジの顔を見つめながら、X-4thは告げた。
「シャーリーが…X-2ndが死んだ。殺されたんだ」
「…え?」
唐突に仲間の死を伝えられて、キョウジは目を見開いて固まった。
「しゃ、X-2ndが…?そんな…冗談だろ?」
「いや…生憎本当だ。これを見ろ」
X-4thは戦闘服のポケットから一台のスマートフォンを取り出すと、その画面をキョウジに見せる。
スマートフォンの画面には『国連特別外交官シャーリー・リンク女史 死亡』と報じるニュースサイトのページが映し出されていた。
「最初は俺も、同姓同名の別人かと思ったんだが…そいつの部屋で戦闘服とマフラー、それからX-2nd専用スナイパーライフルを見つけた。死んだのは間違いなく、俺達の知っているX-2ndだ。誰かに窓から突き落とされたんだ。しかもご丁寧に、片足を引き千切って飛べないようにされてな」
「…」
そこまで聞かされて、ようやくキョウジはX-4thが事実を言っている事を受け入れることが出来た。
「…ここじゃあ人目につく。場所を変えよう」
キョウジはX-4thを連れて、家の二階にある一室へと移動した。
「ここなら大丈夫。散らかっているから、足下気をつけて」
部屋に入って照明をつけながらキョウジは告げる。
明るくなった部屋の中を見渡して、X-4thはキョウジの言葉に内心『なるほど』と思った。
その部屋には、中に物を詰め込んで封をしたままの状態の段ボール箱が大量に置かれていた。
軽く15箱くらいはあるだろうか。
段ボール箱自体にも細かな埃が積もっており、かなり長い間放置されたままであることが想像できた。
「…?」
X-4thは大量の段ボール箱の中に、一つだけ封を開けられているものを見つけた。
その中にはクリーニング店のビニール袋に入れられたまま綺麗に折り畳まれている改造人間用戦闘服と青いマフラー、ホルスターに入れられたレーザービームガンとX-2ndの部屋の衣装箪笥に隠されていたのと同じ、X-サイボーグ全員が写った写真が入れられているのが見えた。
「…これ、全部シュバルツガイストと戦ってた頃の奴か?」
「ま、まあね…」
X-4thからの質問に、キョウジは照れ臭そうに頬を赤らめながら答えた。
「…引退しようって決めた時に纏められるだけ纏めて段ボールに詰めてね。『普通の暮らし』をするなら捨てちゃっても良かったんだけど、どうしても捨てる気になれなくてね…この家で暮らしはじめてから、ずっとこの部屋に置きっぱなしさ」
キョウジの話を聞いて、X-4thは笑みを浮かべた。
「お前らしいな、X-9th」
「ありがとう、X-4th…それより、さっきの話だけど…」
X-4thに向き直ると、キョウジは封のされた段ボール箱の一つに腰を下ろした。
「…ただの強盗の仕業じゃないのかい?犯人は、彼女がX-サイボーグのX-2ndだとは知らないで…」
キョウジの見解を聞いたX-4thは、顔をしかめながら「馬鹿を言うな」と呟く。
「『ただの強盗』が…訓練もしていない『生身の人間』が、改造人間を殺せる訳がない。第一、さっきも言っただろう?X-2ndは片足を、無理矢理引き千切られていたんだ。ただの強盗にそんな芸当ができる訳がない」
「それは…確かにそうだね…」
X-4thからの反論を受け、キョウジは手で顎を擦りながらまた別の仮説を上げた。
「…X-2ndは、77年に僕らが解散させられて以来、国連のエージェントをしていただろう?中東の過激派組織壊滅やアフリカの軍事独裁政権転覆に手を貸していたって聞いている…『政治的な暗殺』って可能性もありえるんじゃないかな?」
「…かもな」
キョウジの説を受け入れつつも、今度はX-4thが自身の考えを述べた。
「あるいは…『シュバルツガイストの生き残りによる復讐』って可能性もありえる」
「!?」
『シュバルツガイストの生き残りによる復讐』。
X-4thの上げた可能性にキョウジはまたしても目を見開いて固まった。
確かに、X-2ndを…というより、X-サイボーグ達を一番恨んでいる人間がいるとするならば、彼らが壊滅に追いやったシュバルツガイストの関係者以外にはあり得ない。可能性としては一番信憑性があった。
「そ、そんな…いくら何でもそれは考え過ぎだよ」
だが、キョウジはその説を受け入れることは出来なかった。
「だって…あれからもう、何十年も経っているんだよ?仮にシュバルツガイストの生き残りがいたとしたら、もっと早く復讐しているはずじゃないか」
…そう、X-サイボーグがシュバルツガイストを壊滅させたのは1975年。もう半世紀以上も昔の話だ。
シュバルツガイストの本拠地を破壊し、幹部達や『総帥』を倒した後、キョウジ達は世界中を飛び回って残党狩りと隠れ家潰しを行い、ようやく後始末が終わったのが国連からの活動禁止命令が下されるちょうど1ヶ月前の事だった。
つまりはそれまでの2年間、いくらでも彼らを倒そうとするチャンスは有ったはずであり、わざわざ半世紀も経ってから思い出したかのようにX-サイボーグに復讐するというのは、常識はずれも良いところな話だった。
しかし、X-4thはその考えを「甘いな」と断じた。
「忘れた訳じゃないだろ?奴らはその名前通り、『幽霊』みたいな連中だ。死んだと思わせて、俺達が安心しきった隙を突く。奴らなら…シュバルツガイストならあり得ない話じゃない…そう言えば、パブロフ博士は元気か?」
「…え?」
X-4thが唐突に話題を変えたので、キョウジは口を開けてポカンとなった。
「パブロフ博士が書いた暴露本…あの中で博士はお前の活躍ばっかり華々しく描写して、俺や他の皆の事はオマケくらいにしか書いてなかったよな?」
「おい、止めろよX-4th!」
自分達にとって父親のような存在であるパブロフ博士を疑うような発言に、キョウジは声をあらげて抗議した。
X-4thが口にした『パブロフ博士が書いた暴露本』とは、1980年にパブロフ博士がX-サイボーグの存在を後世に伝えるために、その戦いの記録をまとめ挙げて執筆・出版した自叙伝『誰がために』の事だ。
この本は、パブロフ博士がシュバルツガイストにスカウトされた頃の話から始まり、X-サイボーグ達の誕生とシュバルツガイストへの反乱を起こした経緯、そしてシュバルツガイスト壊滅までの長い戦いの日々を事細かく記した物で、当時のX-サイボーグの関係者が記した数少ない資料という事もあってベストセラーとなり、現在パブロフ博士が生活できているのもこの本の印税のおかげのような物だった。
「パブロフ博士はもう70歳を超えているんだ!そういう言い方はやめるんだ!」
キョウジからの抗議に対して、X-4thは顔色一つ変えずに「俺は事実を言っただけだ」と言った。
「良いか、X-9th。この際、犯人の正体や動機は関係ない。重要なのは俺達の仲間が殺された…その事実だけだ。昔のお前だったら、仲間が傷ついたら猪の一番に動いていただろうにな…」
「…」
X-4thの言葉に答えることなく、キョウジは顔を伏せてX-4thから目線をそらした。
「…『X-サイボーグ』の戦いは終わったんだ、X-4th。もう戦い続けているのは君一人だけだ。パブロフ博士に頼めば、顔ぐらい変えられる…もう『自警団ごっこ』は辞めて、『普通の生活』を送るべきだよ」
「…『普通の生活』?本気で言っているのか、お前は?」
キョウジからの申し出をX-4thは鼻で笑った。
「俺達は改造人間だ。見かけは人間と同じでも、体の中には機械が詰め込まれ、血の代わりにオイルが流れている。年を取ることも病気にかかることもないし、例え車に跳ねられたとしても掠り傷一つ負わない。俺に至っちゃ、生体部がほとんど残ってないから、子孫を残す事だって出来やしない…そんな奴が普通の…『一般人と同じ暮らし』が出来ると、本気で思っているのか?」
「そ、それは…」
キョウジはX-4thに何も言い返す事が出来なかった。
X-4th/アルベルト・エミヤはX-サイボーグの中で最も改造箇所が多い改造人間だ。
右腕にはマシンガン、左腕側面にはチェーンソー、右足大腿部には小型ミサイル、左足大腿部にはレーザー光線砲、そして体内には小型中性子爆弾…といった具合に、全身に強力な兵器が大量に内蔵されており、『たった一人で陸軍一個師団級の戦闘力を有した戦闘特化型の改造人間』というコンセプトの下に改造を施されており、事実上、単純な戦闘能力に限ればX-サイボーグの中で最も高い…しかし、その代償として彼の生体パーツ…元々の生身の部分は全体の5%しか残っておらず、残りはほぼ機械化されてしまっている。
X-4thが『自分には戦いしかない』と考え、現在まで社会悪と戦い続けているのも、ほぼ脳髄と神経系しか生身の部分が残っていない自身の体と内蔵されている大量の兵器に起因している部分が大きかった。
「…まあ良い。とりあえず、要件は伝えた。これでもう行く」
キョウジにそう伝えると、X-4thは部屋の窓を開けて窓の冊子に足をかける。
「…あぁ、そうだ」
窓から飛び出す寸前、X-4thは首だけをキョウジに向ける。
「今、X-6thとX-5thが東京に来ている。悪いが、今の話を伝えといてくれるか?俺は、X-1stとX-3rdの所に行ってくる」
「あぁ…分かった」
キョウジからの返事を聞くと、X-4thは窓から飛び去っていった。
「…」
残されたキョウジはかつての『思い出の品』に囲まれた部屋でうつ向いていた。
感想よろしくお願いします。