02 So majestic girl
──魔導科には変人がいる。
それは、魔導科に属している者なら知っている、言わば共通認識だった。
「では、今日は錬金術の応用の実験をします。かの有名な触媒鉱である火緋色金の劣化品、されど高い魔力を生み出す火緋色銅の錬成に──ああ!アン!待ちなさい!お願い!誰かその手を止めさせて!」
──なにやら、教室が騒がしい。
「…………」
作業する手を止めて前を見る。
歪んだ視界に映ったのは、顔を真っ赤にした私に杖を向けて何か叫ぶ錬金術の教師と、その叫びに呼応するようにこちらに走り寄ってくる生徒達。
なるほど、状況を鑑みるに騒ぎの原因は、私が行っている"錬金術"にあるようだ。
(はぁ……)
当然、このような面倒な事態にならないように対策は取っていた。
ローブ内に仕込んでおいた、魔力で編んだ術式、私が発生させる音を全て消す"遮音"と、魔法の干渉を防ぐ上に視認も防ぐ"隔壁"の併用によって、教室の隅で完全に音も姿も隠していた。……はずだったのだが、錬金術に気を取られて、術式が上手く維持出来ていなかったようだ。
そんな後悔をしている暇にも、彼らは目と鼻の距離までに近付いていた。
──でも、それは私にとっては些事でしかない。
滅多に使えない錬金釜を使える錬金術の授業なのだ。
私の魔力と知識、それから手持ちと配られた素材の2つを使えば、私の研究に必要な素材が作り出せる。その機会が目の前にあるというのに、利用しないのは愚の骨頂だ。故に、制止を受けようとも錬金を止めるつもりは毛頭ない。
「みんな急いで、アンを止めて!取り付かえしのつかないことになるよ!」
「急げ急げ!」
今、まさに躍りかからんとする彼らを横目に、私は体内で寸前まで圧縮しておいた、高濃度の魔力を錬金釜に即座に流し入れた。
すると、即座に顔の大きさの程度の錬金釜が大きく震え出し、青白い煙を吐き出し始める。
これは、中の素材達を高濃度の魔力によって活性化した錬金釜が中身を融解して、性質を変貌させている反応だ。
そしてそれは──結果がどうであれ錬金術自体は成功しているという紛れもない証拠だった。
(どうだ──?)
手を握りしめて、錬金釜の揺れが収まるのを待つ。揺れが収ま?というのは、錬金の工程が完了したということ。私は必死に目当ての素材が錬金されていることをただ祈る。
だが──私はこの時、重大な失態に気が付いていなかった。
一つは火にかけていないのにも関わらず錬金釜は、今も尚飛躍的に夥しい超高熱を生み出していたこと──そして、錬金釜は高熱によって、最早、臨界点に達していたことに。
(あ───)
錬金釜の青白い煙の中から一際強い閃光が瞬き、ようやくその失態に気が付いたが、もう手遅れだった。
刹那───耳を劈くような凄まじい音と共に発生した超高熱の爆発によって、投槍の如し勢いで吹き飛ばされた私は、壁に叩き付けられた。
「うおわああああああ!?」
「アンッ!!」
突如発生した爆発に、周りにいた生徒が驚愕のあまり大声で絶叫し、事故に慣れているはずの教師でさえも金切り声で悲鳴を上げた。それ程までに、爆発が大きかったのだ。
その爆炎を噴き上げた錬金釜は、爆発四散し、跡形もなく消し飛んだ。それこそ、消滅と言い換えても何ら可笑しくない、破片の一つすら残らない程に。不幸か幸いか、周りにいた生徒達は、その威力のおかげで破片が飛び散らなかったために怪我は無かった。
だが、超高熱の爆発をその身に浴びた少女──アンはその限りではない。
「ッ!アン!!……あぁ……あぁ!!なんて酷い怪我!この大馬鹿者!」
慌てふためく教師の目に最初に映ったのはのはアンの顔の左半分、並びに左腕の大半は爆炎に焼かれた皮膚。超高熱を浴びた皮膚は当然、その熱に耐えられるはずもなく赤黒く変色し泡立ち、醜悪に爛れていた。
「っ……!」
あまりに凄惨な状況の彼女の顔を見るのに耐えかねて目を逸らすようにして、顔の下に視点を移動させる。
「っ……っ……!」
だが、そこで目に入ってしまったのは、教室の壁にめり込む程に叩き付けられた衝撃で半ばからあらぬ方向に折れ曲がり、ぷらんと、力なく垂れ下がる右腕。それだけならまだ良かったというのに、事態は最悪で、折れた場所を起点として今も尚広がり続ける黒い痣が、大量の内出血を起こしていることを如実に表しており、一刻も早い止血が必要なのは明白だった。
総じて、痛々しい──では、到底済ますことができない大怪我。
「そんな……そんな……!」
「いや……いや!いやああああぁあ!」
「くそ……やっぱり、こうなるのかよ!」
一瞬の内に起きた、予期せぬ衝撃的な事故に、騒然とする教室。
信じ難い現実から目を背けて叫ぶ生徒に、変わり果てたアンの姿に呆然と立ち尽くす生徒。冷静な思考能力を有する人間は、もうこの教室にはいない。
「お、おい!誰か!医務室から人を呼んでこい!早く──」
「──その必要はないよ。」
──立ち上がった一人を除いて。
その声を聞いて狂乱に満ちていた教師が、冷水をかけられたかのようにとして静まり返った。この状況を見て、そんな馬鹿げたことを平然とした口調で抜かせるやつがいたのかと、教室内にいた全員がその声の主に振り返る。
「え……」
だが、口から出たのは非人道的な意見に対する怒りでも、落胆でもなかった。思考力が抜け落ちた、微かな吐息に等しい間抜けな声だった。自分は夢でも見ているんじゃないか、とみな一様に目を疑う。教師に至っては、その人物を見るなり、腰を抜かし床にへたり込んでしまっていた。有り得ない──それ以外に脳裏に浮かんでくる言葉はなかった。
「「ア、アン!?」」
そう──声の主は、渦中の人物で尋常ならざる怪我を負ったアン、その人だったのだから。
焼け爛れた左腕に、内出血が広がり続ける右腕、それから爆発の衝撃で叩き付けられ全身が損傷したであろうその細く、色白い小さな身。常人なら全身を駆け巡り続ける激痛で悶え苦しみ、呻くか泣き叫ぶのは必至であるのは想像にかたくない。だというのにアンは、何事もなかったかのように無表情のまま、幽鬼のようにのっそりと立ち上がった。それだけでなく、はあ、と溜息をつく余裕すらも見せていた。
「迷惑かけちゃって、ごめんね。みんな、怪我はない?」
脳内の整理が追いつかず絶句する一同を他所に、そう一言謝罪するアン。彼女はプラチナブロンドの長い髪に付着したそぐわない煤や埃をゆるゆると頭を振って払う。
「えっと、ここに入れてたっけ……あぁ、あった。」
そう言って彼女が学生服のローブから取り出したのは大粒の濃緑の丸薬。それをすぐさま噛み砕き、直ぐに魔法の詠唱を行う。
すると、なんということか。彼女が負っていた全ての傷が、みるみる時間を逆光でもさせたかのようにたちまちに消えていくのだ。焼け爛れた皮膚は血色が無く白く透き通るような肌に、内出血はその痣を急速に縮めて跡形もなく、折れた腕は骨が軋みながらも元の機能を取り戻し、そして、あっという間にアンの身体からは一切の傷が消え去っていた。
「す、すげぇ……」
「あんな、魔法があったのか……」
これには、一歩身を引いていた生徒も目を見開いて驚かざるを得なかった。
拍手こそ鳴らさないが、生徒達はアンが目の前で魅せた魔法に心の底より盛大な喝采を送り、賞賛する。
「……なんで……?」
──しかし、その光景はありえないことだった。否、有り得たとしてもアンが無事であるはずがない現象だった。
唯一、その異変に気が付いたとある人物が前に躍り出る。
「あ、アンリちゃん……あなた……アンリちゃんこそ、その怪我……大丈夫なんですか……?」
それは、ついさっきまで血相を変えて制止をしようと躍起になっていた小柄なアンよりも更に背の低い女子生徒の一人だった。彼女が属する魔道研究科の中でも、薬品と治療魔法にかけては、並々ならぬ才気と卓越した技術、並びに膨大な知識を兼ね備えていることで教師からも一目置かれている。だからこそ、彼女はアンが使った魔法の重大なリスクを知っていた。知っていた彼女の顔は──心配と畏怖、それから恐怖を綯い交ぜにした、凡そ人を見るものではなかった。
「うん、この通り魔法で怪我はもう治ってるからね。」
ローブをめくって両腕を見せたり、ジャンプしたりして自らの無事を強調するアン。生徒達はその姿に一安心してほっ、と息をつく。
だが、その女子生徒だけは違った。
その眼光をさらに細め、そして険しい顔つきで重々しく言った。
「うん……知っています。知っているに決まっています。その丸薬で補強した魔法は強力ですから……アンリちゃんみたいな癒しが下手な使い手でも服用すればたちまち、重体程度の傷なんて癒える位の魔法になるくらいには薬効は強い……」
「でも、丸薬を服用して健常でいられたのは稀です……」
「──丸薬には絶大な効能と引き換えに、神経を引き剥がされる、と形容される痛みが全身を襲うという反動がありますから……泣き叫んで苦しんで死亡するか、本当に運が良くて廃人です……」
「「──ッ!?」」
胸を撫で下ろして安心しきった顔が再び急速に怖々しいものへと変貌し、息の一つすら出来ずに凍り付く。
痛み。それは人体の根源的な苦痛を呼び起こす魔法使いであっても忌避する五感だ。
魔法の研鑽には痛みは必ずの付き物であるが──それでも、神経を引き剥がし、死に至らしめるなどという凄絶極まりない、それでも尚表現するには満たないその激痛は、この教室にいる人間は誰も感じたことも、おろか意識すらもしたことない。加えて彼女は、この痛みに等しい、もしくはそれ以上かもしれない爆発の痛みだって体験している。
想像すらつかない、したくないその死へと繋がるという激痛を2度も短時間に自分達が受けて、正気を保っていられる自信は毛ほどもなかった。
しかし、彼女はそれを平然と受け入れ、生きている。
故に。故に、当然の疑問として脳裏に浮かび上がる謎。
それは同時に、最も触れてはならない謎。
彼女は何故──僅かにでも痛がらず、そして生きていられるのか。
「お、おい……アン……」
恐る、恐る呼びかける。
声が震えてしょうがなかった。奥歯も震えて何度も擦れ合って音を立ててしまっている。その呼びかけは確かにアンを気遣い、心配するものであるのだが──同等、もしくはそれ以上にアンという人物の並み外れた、もはや不気味としか言い様のない精神性への恐怖が確かにあった。
「ん、何?」
対してアンは、全く平時と変わらない口調だった。
飛散した錬金釜を拾い集める手を止めて、振り返る彼女はいつも通り気の抜けるのんびりとした表情だった。
そう、だからこそ。だからこそ──恐い。
少しでも、苦しむ素振りを見せてくれていたら良かったのに。であれば、『人間らしさ』、というものに情を抱くことが出来たのに。
だけど、それとは正反対に位置する、まるで変化のない口調と態度は──相手が人間でないような錯覚を覚えずにはいられない。
紅い鮮血を流したというのに、人という種であるはずのに──むしろ人間というよりも、痛覚も感じず、死という概念すらも存在しない、入力された命令のままに操られるオートマタのようだった。
「あ、その……えっと…」
もう、続く言葉が出てこない。つい、先程まで軽口を言うように容易く出てきていたはずの心配言葉の一つすらも。
彼女は学友であり、決して命を軽々しく扱う悪人でもない。だというのに、口に見えぬ枷を嵌められかのような重度の緊張が支配して、思うように口が開かなかった。
もごもごと、口唇を動かすばかりの無駄な時間が経過してゆき、気まずい沈黙がただただ無駄に続く。
そして、何秒経ったか分からなくなり、このまま会話が途切れてしまう──そう思った矢先のことだった。
「──大丈夫、痛くないよ。」
アンが本当に、本当に少しだけ自然に微笑んで、そう突然に答えたのだ。
それは、その言葉は問い掛けた生徒の心配の意を読み取ったのか、それとも生徒の伝えたくない真意を読み取ってしまったか定かではない。
……けれど。
「──心配してくれてありがとうね。」
手はまだ震えるし、彼女がどうして痛みを感じていないかは分からない。
けれど、確かに──確かに、彼女の見せたその表情は間違いなく、決して、間違いなく。血の通った感情豊かな、そしてどこにでもいる人間の笑顔だった──
──そう、これは彼女、アンこと、魔導科の変人"アンリ=リ=リーズベッド"の物語であり、そして──彼女が"予感"に出会う物語である──
「あ、ところで先生。もう一つ錬金釜借りていい?」
「 「 「駄目に決まってるでしょ!?」 」 」
……ただし、前途多難ではあるようだが。