重陽にともしびを 星の運命シリーズ(仮)②
もう何度目だろうか、この夢を見るのは。
目の前には老若男女問わない見知らぬ人たち。
彼らはまるで自分を神と崇めるかのように切実な祈りを捧げてくる。
「……助けてくれ。どうか我ら一族を、あいつを、助けてくれ。」
君たちは、あいつとは、誰なんだ。なぜ、僕なんだ。
その疑問に答えてくれる人はいない。
「助けてくれ、助けてくれ。」
ただ、こう繰り返すのみの悲しい夢だった。
「かなで……奏っ! 早く起きないと遅刻するわよ!」
勢いよく跳ね上がると、既にスーツに着替えた母親が仁王立ちでこちらを睨んでいる。
「ったく、転校初日に……。お母さん、小学校に寄るからもう出るわね。後はよろしく。」
どうやら小学生の妹を新しい学校に送ってから仕事へ行くらしい。この感じだと、父も既に出社したようだ。
「あと新しいお家、帰りはそっちへ帰ってね。」
返事する間もなく、母は妹を連れて慌ただしく出ていってしまった。
小さいあくびを一つして、ルームサービスを手配する。ホテルのチェックアウトもしなくてはならないので、早くしないと転校初日、本当に遅刻しそうだ。
高校生活も半分を過ぎたこの時期になっての急な転居と転校。今更わくわく感もなければ、不安もない。
ただ、あの夢だけが妙に気がかりなだけだった。
* * * * * * * * * * * *
高校生のメインイベントである修学旅行が迫った秋のある日。クラスはいつになく盛り上がり、ざわついていた。
それは、季節外の転校生のせいに違いなかった。
「僕は天狼奏。よろしく。」
落ち着いた物腰でハスキーな声、高身長でブロンズのベリーショートが似合う中性的な彼は、あわよくば女子から黄色い歓声が上がりかねないほどの美青年だった。
「美男子で高身長、しかも全国模試上位……理想のスパダリっ!」
実際、絶賛彼氏募集中の里緒は早くも狙いを定めたようである。
担任によれば前の学校は全国模試上位のエリートがうじゃうじゃいた相当の進学校だったようで、当然成績優秀。それに容姿端麗とくれば里緒の標的になるのも頷ける。
それもあってか、彼の周りは人だかりで一時有名人だ。
当の私――琴峰海優と言えば目に留まらないというまではいかなくとも、それ以上の感情はないというのが本音だった。
だが彼の席が私の前ということもあり、里緒を含めて仲良くなってしまったのは事実。確かに女子に好まれやすい親しみと紳士的な一面もあるようだ。
「琴峰はその……彼氏とかいるのか? 」
放課後、私と里緒と数人の女子で彼のことを根掘り葉掘り聞きだしていたとき、突然そんなことを聞かれたのが、運の尽きだった。
まるで好意を寄せるかのような物言いに、きっぱりと断っておきたかった私は口を開いたが、それよりも先に外野の女子たちが好き勝手言い始めていた。
「へえ……奏くんは海優がお好みなんだ。」
口惜し気に言いながらも、何やら怪しげな笑みで私にちらりと視線を投げる里緒。当の彼も何か言いたげに口を開こうとしたが、盛り上がった外野の熱気的な会話に圧倒され、沈黙。
「董麻にライバル出現じゃん。」「それそれ!」「面白くなってきた!」
まったく、噂とはこうも勝手に独り歩きしていくものなのか。
変な誤解を生む前に何とか鎮火したかった私だが、最悪のタイミングで噂の彼――鷲谷董麻が教室に入ってきた。
「また井戸端会議か。海優、帰るぞ。」
修羅場だと言わんばかりに外野がきゃあきゃあと騒ぎ始める。
彼のいつもよりとがった声に、私は先ほどの話を聞かれていたのではないかとひやひやしながら、若干ぎこちない返事を返して席を立つ。
しかし一人立つと雪崩が起きるかのように、外野たちが次々と私も、私も、と腰を上げ始めた。
「じゃあ僕も、そろそろ帰るよ。」
花の転校生の一言で、結局井戸端会議は解散となった。
そして、夕日が差し込む帰り道。
「ええぇ!? 奏くんの新しいお家が葉月村ぁ!? 」
驚愕の事実に、奏と里緒の少し後ろを歩いていた私と董麻も思わず顔を見合わせる。飲み物を飲んでいたら、盛大に吹きだしていたことだろう。
それもそのはず。私、董麻、里緒の三人が暮らす葉月村は、訳あって普通の人が引っ越すどころか、入れない仕組みになっている。そのため一年前に私が引っ越してきて以来、新しい住人が来ることはなかった。
そして葉月村の住人になるには、とあることが必然条件だった。
葉月村は、高校がある街中から離れた浦に隠れるように存在している。その入り口でもある、海辺と山裾がぶつかる道の行き止まり。そこの結界を超え、視界に村への道が伸びるのを待って、里緒が言った。
「……じゃあ、奏くんも何かの異能持ちってこと? 」
異能とはその名の通り、常人にはない異質な能力のことだ。そもそも大昔、とある神が今でもその存在感を放つ浦の中央の赤い大鳥居を目印に、天界と現世をつなぐ門を作った。そして葉月村を作り、村人に異能を与え、年に一度開かれる門を狙う魔物から守る役割を与えたのだ。葉月村はいわば、門の番人なのである。
遠い年月を経た今は村もかなり小さくなったが、その役割は健在だ。
このような理由から、村の住人は皆異能を持っている。それは私も董麻も里緒も例外ではない。それはとやかく、やってくる一家も誰かしらが異能を持っていることが絶対条件なのだ。
里緒の言葉に一瞬きょとんとした顔を見せた転校生だったが、一転して何がおかしいのかケラケラと笑いだした。
「あはは! 僕は……」
「へぇ、相変わらず入り口は変わってないんだね。」
どこからともなく乱雑に入れられた横やり。
私たちが反射的に後ろを振り返ると、そこには見知らぬ青年が不敵な笑みを浮かべながらこちらを伺っていた。
「「誰! 」」
三人の声が重なる。ここは葉月村の結界の中。一般人はおろか村人以外は入ることができない。小さな村なので、私たちが見知った顔ではないということは村の人間ではないのは確実。しかしそれでは目の前の青年が結界内にいるという説明がつかなかった。
ただ、村の異質な事情上荒手には慣れている。私は背中に背負う弓道具に、董麻は同じく剣術道具に、それぞれ素早く手をかけた。
「やれやれ物騒だなあ。僕は久しぶりの村に視察に来ただけなのに。」
両手であからさまな呆れた仕草をする彼の甘ったるい物言いが、無性に腹が立つ。実際それに触発された董麻は、静かな怒りを込めるかのように引き抜いた刀の周りに風をまとわりつけていた。
「あいにくあんたの顔なんて見たことがないわよ。どこの家のどいつなのか、言ってみなさいよ。」
どうやら里緒もいら立ちを隠せないようだ。握ったこぶしからは電流の火花が散っているし、茶髪は静電気で不気味に揺らいでいる。
しかし自分が背水の陣に立たされていてもなお余裕なのか、彼は突然狂ったように笑い出した。
「君たちみたいな若造が、僕を知っているわけないじゃん。実際、僕がこの村にいたのはもう九〇年前のことだし。」
「は?」と三人ですっとんな声を上げる私たちをよそ目に、彼はちらりと転校生を見ると、途端に青年とは思えぬ冷たい視線になる。だがそれは一瞬の間だけで、瞬きをすれば元の落ち着きに戻っていた。
「ま、今日はこれくらいにしておくよ。またいずれ、君たちには会うだろうから。これは挨拶代わり。」
彼の掌に勢いよく真紅の炎が燃え盛ったかと思うと、それを適当に頭上に放り投げた。すると瞬く間に木々に燃え移った炎の塊が囂々と音を立てながら目の前に転がり落ちてくる。
「またね。」
視線を移せば、彼は忽然と姿を消していた。
とりあえず燃え盛る木々を董麻が風の力で海へと放り投げる。
そして私たち四人は顔を見合わせ、首を傾げた。嵐のように現れては去っていった正体のわからない青年に、私たちはまるでゆらゆらと翻弄されていたかのようだった。
「何なの、あのクソガキ。意味不明なこと言ってたけど。」
相変わらず口の悪い里緒がイライラし始める。彼女の気持ちもわからないでもないが、何せ素性が全く聞きだせなかったのは痛手だった。
「でも九〇年前って村で大火事があった年でしょ。何か関係あるのかもしれない。」
それはつい先日、鷲谷のババ様から聞いた話だった。
九〇年前、炎の力を持った一等家の一族が突如起こした大火事。
村は火の海と化し、多くの人の命が失われた悪夢。
それは「重陽の大火」と言われ、村では毎年命日に慰霊の催しが行われている。その日も近いが、それとこれとがどう関係しているのかさっぱりわからない。
「一応報告しに行くか。ったく厄介事ばかりで暇しないな、葉月村は。」
同感と言わんばかりに、私と里緒は首を縦に振る。
そして転居して早々、異様な現場に遭遇してしまった転校生と言えば、何がどうなっているのかわからなく、あんぐりと口を開けて突っ立っているのだった。
* * * * * * * * * * * *
とある暗い場所。岩に腰掛けた青年の周りには、不自然に燃え上がる炎が蜃気楼のように揺れては彼を照らしていた。
『あそこは憎たらしいほど、何も変わってなかったな。』
「うん。多少懐かしさはあったけど、僕らを捨ててあげく皆殺しにした村なんて糞食らえだ。」
端正な顔立ちをしながらも、冷たい顔でそう吐き捨てる青年。
『それでいい。余計な感情なんぞ邪魔にしかならん。』
「まあね。せっかく利害が一致したんだから、この機会を逃すわけにはいかないさ。手を貸してもらうよ。」
揺らいでいた炎がわかったと言わんばかりに、ますます燃え盛る。
「もしよろしければ、あなた方に知恵をお貸ししましょうか? 」
ふいに何の気配もなく、凛とかわいらしい声が暗闇に響く。
青年が驚いて顔を向けた先には、まだ中学生ばかりのあどけない少女がにこやかな笑顔で立っていたのだった。
* * * * * * * * * * * *
結局その足で鷲谷家に行った私たちであったが、報告元のババ様もまだ何もわからないと言うばかりで、その場はお開きになった。しかし、私が述べた九〇年前の大火事に関係があるかもしれないという指摘には思うところがあったようで、それについては考え込んでいるようであった。
そしてもう一つ、重大なことが発覚した。
「僕はあいにく、そんな超人的な力なんてないよ。」
なんと、転校生の奏は異能を持っていなかったのだ。
夏の終わりに天界で発動された力によって、過疎化で没落していた葉月村の家の名が、再び日本中に渡るということが起こった。それは重要な役割を担っている葉月村を没落させないための策というのに一理あり、奏の家、天狼家がその最初の一家であるのは確実。
しかし名と同時に力も受け継いでいるはずが、奏の一家は誰もそのような異能を持っていないという。要するに門を守るべき番人が全くの丸腰ということなのだ。
「でも、それじゃ本末転倒よね。」
夜、自宅で董麻と食卓を囲んでいた私はそう言った。
ちなみになぜ私の家に彼がいるのかというと、夏の終わりに三人の居候が天界へ帰ってしまい寂しいだろうということで、彼氏である董麻が来てくれているのだ。それはとやかく。
「それはないはずだ。あり得るとしたら、あいつの妹かあいつ自身の異能が覚醒していないということだろう。」
異能は遺伝する。そのため両親よりも子供である奏かその妹に力が眠っているのでは、というのが董麻の見解だった。
しかし自分のことでない以上、私たちが話し合ってどうにかなるような問題でもない。こればかりは時の流れに身を任せるしかないだろう。妙な青年のことも何もわかっておらず、完全に八方塞がりだ。
私は割とうまく作れた唐揚げに箸を伸ばしたが、あらぬことか彼がその手をいきなりつかんだ。
「なあ、海優。お前、奏のことどう思ってるんだよ。」
彼が誰もいないとはいえ大胆な行動に出たことと、昼間の話を聞かれていたということにすっかり気が動転してしまった私は、口をパクパクさせるしかなかった。
二人だけの居間に、沈黙が流れ、聞こえるのは秋の夜虫の音。
「奏くんに、嫉妬してるんでしょ。」
私がぽつりとつぶやくと、その途端彼は視線を外してそっぽを向いてしまう。時折ちらりとこちらを窺いながらも、心なしか彼の頬が赤くなっているように見えた。
あまり多くを語らない彼は、起伏もあまり大きくない。
その彼が嫉妬している姿が妙におかしくて、私は笑いをこらえきれなかった。片手で押さえた口の端から、小さな笑いが零れ落ちる。
「……何で笑うんだよ。」
あからさまに不機嫌な彼に、私はひとしきり笑った後言った。
「嫉妬なんかしなくても、私は董麻しか見てないのに。」
一瞬彼の動きが止まった。そして私の手を離すと、何事もなかったかのように食事に手を付け始める。
「あまり奏と仲良くするなよ。」
それだけ言うと、唐揚げとご飯を口に詰め込む彼。
途端に体の体温が上がったような気がして、私も慌ててご飯を詰め込み、衝動で何か口走ってしまうのを阻止する。
そのあと私たちの間にあまり多くの会話はなかったが、まるでともしびがついたかのように、心はほんのりと温かかった。
運命のように出逢い、惹かれ合い、結ばれた私たち。
その綻びは脆くはなかったようだった。
それから数日の間に、村は十何件もの不審火が相次いだ。燃えたのは畑の作物や使われなくなった小屋、植木、薪など大したものではなかったが、何度か青年らしき人物を見たという目撃情報もあり、村内は不安に包まれつつある。何しろ村の結界内に出入りできる上に、素性も目的もわからない。
そしてある晩。いつか起こるだろうと思っていたことが、ついに起こってしまった。
家が燃えたのだ。それはくしくも、天狼家だった。
全焼はしなかったものの、火元はなぜか奏の妹の部屋で、彼女は身体に大やけどを負い重傷だ。妹は急遽会社から引き揚げてきた両親とともに街の大病院へ向かったが、その前におびえた声でこんなことを言っていたという。
「兄ちゃんと同じくらいの男の子が部屋に入ってきて、私が『誰? 兄ちゃんのお友達?』って聞いたら、『違うよ。僕は君のお兄ちゃんと村を殺しに来たんだよ。九〇年前、僕たちにしたことと同じことさ。』って言って、私の部屋に火をつけたの。」
そして私たちは鷲谷のババ様に呼ばれ、座敷に集められている。
メンバーは私、董麻、里緒、奏の四人。なお里緒の双子の弟である伊緒はここのところ塾に通い詰めで、まだ帰ってきてなかった。
「奏、両親から連絡はあったかね。」
しばらくして、齢百歳を超えるババ様は器用に車いすを操りながら、座敷に顔を見せた。
「はい、何とか命には関わらないそうです。」
奏の報告にしわくちゃの顔ながらもほっとした表情を見せたが、最近不審火が相次いでいることや、それを未然に防ぐ手立てがないということもあり、少々やつれているようにも見えた。
「そうかい、安心したよ。ところで、お前たちは炎を使うという青年の顔を見たようじゃが、この写真の中にいるかね。」
ババ様が私たちに一枚の写真を寄越す。
それは紙が茶色く変色してしまった、古いモノクロ写真だった。
制服に身を包み、卒業式の看板の前で笑顔を見せる数人の男女。
その中央に、おさげの少女と仲良さげに写る青年。
「こ、この青年よ、ババ様。私たちが顔を見たのは。」
全員合致で首を縦に振る。
ババ様の口から、それがわかっていたかのような溜息が漏れた。
「やはりそうじゃったか。彼は天狼焔。九〇年前まで一等家、天狼家の長男であったやつじゃ。」
あまり驚きはなかった。元村人だったというならば、村の結界を通ることができたのにも納得がいく。
「焔はわしと同い年の幼馴染で許嫁じゃった。ほれ、その写真のおさげの女子は、まだお前たちと同じくらいの時のわしじゃよ。」
三人は食い入るように写真に見入っていたが、私はババ様の言葉でハッと気づいた。夏の終わりに、天の浦の海岸でババ様に聞いた話が蘇ってくる。
確かあの時、名前こそ出さなかったものの許嫁だった彼と一族は大火事を起こした罪で追放され、のちに抹殺されたと言っていた。
「ちょっと待って、じゃあ天狼家って……。」
「そうじゃ。天狼家は九〇年前の『重陽の大火』の元凶となり、異能を剥奪された上で一人残らず抹殺された一族。」
そういうことだったのか。天狼焔という青年が、村を殺すとまで言っていたのは、一族を殺された復讐ということだったのだ。
「じゃあ、僕を殺すと言っていたのは……。」
奏が独り言のように言葉を吐き出す。身体は心なしか震えているように見えた。
「剥奪された名と異能を継ぐ奏たち一家が許せないのじゃろう。」
今でこそ血のつながりのない奏一家が天狼の名を継いでいるが、彼らはただ神によって名を継ぐよう運命られただけのこと。
逆恨みどころかとばっちりもいいところである。
「待ってくれ、ババ様。天狼家は一人残らず殺されたなら、なぜあいつは生きているんだ。それにしたって、九〇年前と姿が変わらないのは何が何でもおかしいだろう。」
董麻の言う通りだ。人の命は永遠ではない。
医療が発達した現代だって、不老不死、不死身は存在していない。
「それはわしも引っかかっていたところじゃ。だがぐずぐずしてられんぞ、明日は『重陽の大火』があった命日。あやつが動くなら、一族のすべてを変えた、明日の可能性が高い。」
幸い明日は平日より村に人がいる休日だ。
ババ様自ら村に警戒の伝達を出すよう指示してくれるというので、私たちもそろそろお暇することになった。
玄関で靴を履いていたところで、先に外へ出ようとしていた奏がふいにあっと声を出した。
「そういえば、なんで天狼焔は炎の力を使うことができたのかな。だって一族は力を剥奪されたんだろ、おかしくないか。」
思ってみればそれもそうだ。だが、天狼焔はあのとき確かに炎の力を操っていた。すると私の隣で黙り込んでいた里緒が口を開く。
「そういえば炎で思い出したんだけど。妹ちゃんが、あのクソガキの背後で炎が笑っていたとかなんとか言ってたらしいよ。子供の寝言じゃないかって大人たちは笑ってたけど。」
「炎が笑っていた……?」
玄関まで見送りに来ていた董麻が反射的につぶやいた。
何か思い当たるところがあるような素振りだ。
「いや、大昔に死んだ弟が炎の神だったのを思い出してな。弟は生まれたときに、母に大火傷を負わせたせいで父の怒りを買って首をはねられたやつだが、まさかそんなことはないか。」
これは村の皆には既知の事実だが、董麻はこれでも素戔嗚尊という名の神だ。訳あって葉月村の鷲谷家の次男として暮らしている。そのため魔物や神といった類の知識には長けているのだ。
ちなみに私は天照大御神の生まれ変わりであるらしいが、前世の記憶はさっぱりない。だが、彼とは事実上姉弟で付き合っているというなんとも危ない関係でもあるのだが、それはいいとして彼の弟と言うことは、前世の私の弟にあたるということ。
「神様が魔物になり落ちるなんて洒落にもならないじゃん。」
確かにそうである。と言うより、それだけは信じたくなかったという思いも少なからず込められていたことだろう。
四人揃って、それはないだろうと笑った。
だが気休めにもならないのは、誰が見てもはっきりしていた。
戸を開けると、少し冷えた夜風が私たちの心を揺らがせるのだった。
* * * * * * * * * * * *
九月九日は、すがすがしい秋晴れの空模様だった。
菊の節句は本来、不老長寿と繁栄を願う五節句の中で最も縁起のいい日でもあった。村でも第二の敬老の日として様々な行事や菊を使ったごちそうが振舞われていたという。
しかし九〇年前からというものの、慰霊の日として一日を静かに過ごし、夜に天の浦の海に灯篭流しをする。
最も縁起のいい日は、影を潜めてしまった。
またそれに追い打ちをかけるかのように、今日ばかりはピリピリとした雰囲気も上乗せされている。大人たちは交代で外を警戒に回っているようだが、私たちは一同奏の家に集まっていた。
「ったく高雅も持ってないわね。腕の見せ所じゃない。」
私、董麻、里緒と伊緒、転校生の奏のほかにもう一人、白鳥高雅という高校二年の男子がいるのだが、彼はあいにく数日前から村を留守にしている。炎に相性のいい水の力を持っている彼は、活躍する場をみすみす逃したということになるのだ。
「ついてないな、あいつも。」
軽く笑いをこらえながらも董麻がそう言うが、今更言ってもどうにかなる話でもない。
天狼焔がいつ現れるのか、そもそも今日なのか、何もかもがゆらゆらと揺らいでいてはっきりしないおかげで、私たちも一日落ち着かない日々になりそうだった。
そして時間は過ぎ気づけば空は茜色、と言うより鮮やかな赤に染まっていたのだから妙に気味が悪い。
すると、突如来客を告げるインターホンが鳴った。
各家にインターホンはついているが、村人は皆知り合いという仲なので滅多に使わない。呼ぶか戸を叩くか問答無用で入るかの三択だ。
誰だそんな律儀なやつは、と口々に言って中々誰も立たないので、仕方なく廊下に近い里緒が重い腰を上げた。
「はぁい? どちらのどなたさま?」
けだるいのを隠そうともせず応答する里緒の声が聞こえてきたが、異変があったのはその直後だった。
「ちょ、ちょっとあんた、なんで……!?」
困惑した声が途切れたかと思うと里緒の悲鳴が響き渡った。
のんびりしていた私たちは我に返ったように跳ね起き、持つものを持った臨戦態勢で廊下へ出ようとした。
しかし、その直前に悠々とした面立ちの青年が部屋に侵入してきた。
「あ、天狼焔!」
私はすぐ、伊緒に戻ってこない里緒のところへ行くよう目で合図をする。伊緒が去った後、董麻は剣術用の竹刀に偽装していた刀を抜いて、切っ先を敵へと向けた。
天狼焔はそれを一瞥しただけで、相変わらず飄々としていた。
「やっぱりまた会ったね、若造たち。でも、今日の僕は本気だ。」
そして私が背後に庇っている奏にちらりと目をやる。
「君の妹に言っといたはずだよ。次は天狼奏、君を殺すって。」
彼の片手から勢いよく炎が燃え上がり、それに対抗するかのように董麻の刀には強い風がとぐろを巻き始める。
二つの力がぶつかって家が吹っ飛ぶ前に、私は素早く背から矢を抜き、構えていた弓から炎に向かって矢を放った。
風を切る鋭い音。一瞬で炎が消えて、矢が柱に突き刺さる。
「天狼焔、あなたの本当の目的は何?」
私たちが是が非でも聞き出したかったのは、それだった。
それを聞いた彼は、初対面の時のように狂ったように笑い出す。
「率直だね。でも、いいよ。僕の本当の目的は、一族の運命を変えた大火事の日に、村を一人残らず殺すこと。」
彼から再度燃え上がった炎に、私の二本目の矢が命中して消える。
「大火事の後、一族に罪はないのに村と神は僕らを見捨てた。そして挙句の果てには皆殺しだ。僕も死ぬはずだった。だが死に際、一人の神が僕に手を指し伸べた。僕は村に復讐したかったし、神は天界に復讐するのに村が邪魔だった。僕たちの利害は一致していた。そして今日、僕らはここへ来た。」
雄弁を振るう彼の背後で、いつの間にか揺らめく炎が顔の形をして笑っていた。奏の妹が炎が笑うのを見たというのは間違いではなかった。そして、董麻の考えも残念なことに当たっていた。
「やはり貴様だったか、加具土命。考えたくはなかったがな。」
刀を強く握りしめたまま、董麻はいささか冷たく言い放った。
『覚えていましたか、大兄上、大姉上。愚弟、火の神加具土命を。』
炎の姿を揺らしながら苦笑を漏らす加具土命。
とりあえず家の中にいては圧倒的に私たちが不利なことは目に見えてわかっている。とにかく広い場所に出る必要があった。
私は何の前触れもなく、奏の手を掴んで裸足のまま縁側から外へ走り出した。董麻も刀を一振りして後を追ってきていたし、里緒の悲鳴を聞いてか村人が集まり始めていた。
そしてものの数十秒で躍り出た場所は、天の浦の海岸だった。
真っ赤な夕日に溶け込むかのように、朱色の大鳥居が私たちの行く末を見守っている。
私としては隠れていてもどうせ燃やされてしまうのだから、火のつくものがない海岸で決着をつける算段だった。
あっという間に追いついた彼は、息も切らさずに海岸に立っていた。
「まずは偽物の天狼を名乗るやつを殺さないとね。」
彼が両手を広げると、火の玉がいくつも浮かび上がった。
狙われている丸腰の奏を守りながら戦わなければならないというのが痛く、加えて里緒と伊緒も戻ってこない。
退こうとしない私と董麻に、彼はちっと舌打ちした。
「どかないなら、君たちから殺すまでだね。」
彗星のように飛来する火の玉を、董麻が風をまき散らして消し、私もより強い力を込めて矢を放ち、一度で複数の火を消した。
消しても消しても止むことのない火の雨。
いくら私たちが神の魂を持っていると言っても、私の悪を打ち消す力も董麻の風の力も、無限に使えるわけではない。
これでは両方ともガス欠になるのがオチだ。
それを董麻も感じていたのか、彼が大胆に前へ躍り出る。
「海優! 俺が全部防御する、渾身の一撃を打て!」
私たちがやらなければ、奏も村もすべて炎の餌食になってしまう。
これ以上、自分勝手な奴らのせいで縁起のいい日に影を落とすわけにはいかない。
私はめいいっぱい弓を引いて、彼の背後の神に焦点を合わせた。
この一撃で終わらせる。そんな思いを込めていた。
だが、そうはいかなかった。
突如火の雨が止んだかと思うと、白い紙きれのようなものが風を切って飛んできて、私の手に触れた。
その瞬間、雷に打たれたようなすさまじい衝撃と、身体がバラバラに切り裂かれるような激しいに痛みに襲われて、口から悲鳴がこぼれ出た。辛うじて意識は手放さなかったものの、弓矢が手から落ち、身体が前のめりに倒れるのがはっきりと分かった。
「海優!」
地面の硬い感触がする前に、董麻が抱き留めてくれたようだった。
何か起きたのかわからない。
身体を少し動かすだけで激痛が走り、私は浅い息を繰り返すことしかできなかった。そして、董麻の腕に力がこもった。
「貴様……海優に何をした!」
あまり感情を表に出さない彼が、激怒していた。
「さすがに太陽神様と海原神様の相手をするのは、僕らでも厳しいからね。奥の手を使わせてもらっただけだよ。」
白々しい言い方に、彼が折れそうなほどに歯ぎしりする。
「……もう、やめろよ。」
背後で息を潜めていた奏が、ぽつりと言った。
その場にいた全員の視線が彼に集中する。
「誰かを傷つけて、誰かに復讐するために生きて、何が楽しい? それで死んだ家族は喜ぶのか? あんたは神に利用されてい……。」
「お前に何がわかる!? 僕の一族は皆殺された! 大火事に僕らは何もしてなかったんだ! それなのに、それなのに、僕らを皆殺しにした村が、許せないんだよ!!」
彼が癇癪とともに、大きな炎の球を放った。
それは董麻が刀を振るった風で、辛うじて海へ逸れた。
『もういい、小僧。本当のことを言おう。』
やり取りを聞くのが面倒くさくなったのか、背後にいた加具土命の炎が勢いよく燃え上がった。
『九〇年前村に大火事を起こしたのは、この私だ。私が一族の炎を操って、家事を起こさせた。』
それは衝撃のカミングアウトだった。
天狼焔は絶句したまま、彫刻のように動かなかった。
『魔物に身を落とした私は、天界へ戻って父に復讐する機会を窺っていた。それには門を通る必要があった。異能を持つ村人の相手は少々厄介でな、同じ炎を司る一族を操って火を起こしたが、うまくいかなかった。小僧、貴様を助けたのは利用価値があったからだ。』
村の結界は魔物の侵入を防ぐ効果はないものの、村人に侵入を知らせるセンサーのような役割がある。それに引っかからないために、村人であった天狼焔を助けた、というところだろう。
「ひどい、ひどすぎる……。」
私の口から思わずこぼれた言葉。
彼の本当の復讐を果たす相手は、くしくも自分を助けた神だった。
彼の瞳がかっと見開かれた。
「憎い、憎い! 我ら一族の運命を変えたお前を、僕は許さない!」
無謀にも炎の姿をした加具土命に掴みかかろうとした彼は、燃え上がった炎の熱気に吹っ飛ばされて、なすすべもなく私と董麻の前に転がった。
身体の痛みはまだ治まっていなかったが、私は無理に上体を起こして彼に駆け寄る。その顔には、脂汗がにじみ出ていた。
「はっ、罰が当たったのかな。死に逆らって復讐なんか企てて。何もわかっていなかったのは、僕のほうだったみたいだ。」
力なく笑った彼の顔に、影が差す。
そこには奏が悲しそうな面持ちで佇んでいた。
「怖い思いをさせてごめん。君にも、君の妹にも。」
奏は一瞬驚いたような顔で固まったが、すぐにいつもの顔に戻る。
「僕だって、同じ立場だったら君と同じことをしていたかもしれない。心許ないことを言って、悪かったよ。」
そう言った奏を見てケラケラと笑った彼であったが、目元からは涙がにじみ出ていた。そして深い息を一つする。
「なんか悔しいな、結局僕は何もできず仕舞いだ。」
流れ落ちる涙が乾いた砂を濡らしていく。
元々彼は、加具土命に命をつなぎ留められ力を与えられていた。
それにも裏切られた彼に残っているものは、もう何もなかった。
「……だめなのか?」
消えようとしている命のともしびに、すがるような奏の声。
『ふん、小僧の命は我が好意で拾ってやったようなもの。元々これっぽっちも残っていなかったんだな。』
どれだけ非情なのか、ざまあみろと言わんばかりに加具土命は豪快に笑い飛ばす。徐々に暗くなってきた天の浦の浜辺に、加具土命の赤い炎がより一層存在感を増しているようだった。
我慢できないほどに怒りが蓄積していた私と董麻であったが、それより先に激怒したのは、奏だった。
「ふざけるな! 散々人のことを弄んでおいて! 僕は、僕はお前みたいなやつが、一番大っ嫌いなんだよ!」
奏は顔を真っ赤にして怒っていた。その怒りの叫びが、あたりに響き渡る。
『じゃあなんだ、お前は我を倒せるのか。力の持たない出来損ないめが、神の我に勝てると思っているのか。』
小馬鹿にするかのように炎の顔をゆがめた加具土命の身体から、無数の火の玉が宵闇に包まれつつある空中に浮かび上がった。
事実丸腰の奏ではあったが、一向に引く気はなく、前を向いていた。
私の前でぐったりしたまま動かなかった焔が、小さくつぶやいたのが聞こえた。
大丈夫。僕らの青いともしびは、ちゃんと君の中にあるよ。
誰にも消せない、温かいともしびが。
すると突然、暗かったあたりがほのかな青白い光に染まった。
奏の掌から、青い炎が空高く上がっている。
『何!? そんなことは!』
意表を突かれた加具土命が、続けざまに火の玉を放った。
しかしそれは、奏が灯す炎に阻まれ、消えた。
『なぜだ、なぜだ!』
何度も何度も加具土命は火の玉をぶつけるが、同じこと。
天に昇りそうな炎を見上げる奏の姿は、美しかった。
私はふらつく足に力を込めて立ち上がると、砂浜に転がっていた弓と矢を拾う。
そんな私を支えるように、董麻も腰を上げた。
『なぜだ、なぜ何もうまくいかない! 』
「ぬかったわね、加具土命。人の心を利用したあなたにも、罰が当たったのよ。」
今度こそ、矢をつがえた私は弦を力いっぱい引いて、正面の加具土命に焦点を定める。
「父上を恨む気持ちもわからないでもない。だが、人の気持ちも命も粗末に扱うお前に、勝ち目はないぞ。」
彼の握る刀に唸るような風が収束する。
『身内のよしみで手加減していたが、もういい。大姉上、大兄上もろとも燃やし尽くしてやる。容赦はせぬぞ!』
いつになく加具土命の炎が燃え上がり、彼自体が巨大な火の玉のように膨れ上がった。
「消えろ、加具土命!」
奏がゆらゆらと揺れる青白い炎を放った。
私が矢を放ち、それを後押しするかのように董麻が強風を放つ。
加具土命の赤い炎はそれこそ神という名にふさわしい強大なものだったが、多勢に無勢、衆力功あり。
三つ巴の総攻撃に押され、加具土命は天の浦を揺るがす断末魔を上げて跡形もなく消え去った。
まもなく太陽が地平線に沈み、空には星々が姿を現していた。
加具土命の断末魔を、天狼焔は薄れゆく意識の中で聞いていた。
どうやら新たな天狼の名を継ぐ青年と、太陽神の魂を持つ少女、そして天界から来た海原神の力に、奴は屈したようだ。
自分は何もできなかったが、一族を陥れた奴は消え去った。
これで一族の汚名は晴れるかもしれない。
もう、何も未練はなかった。
彼は最後に力いっぱい笑った。
そしてゆっくりと永遠の眠りに身を落としていったのだった。
激闘を終えた天の浦に、静かな静寂が戻ってきた。
暗い砂浜に横たわる天狼焔は、既にこと切れた後だった。
私たちは彼に、そっと手を合わせる。
「奏くん、海優、董麻! 大丈夫だったー?」
騒がしい声が聞こえたかと思うと、大人たちを引き連れて腕に白い包帯を巻いた里緒が駆け寄ってきた、というより飛びついてきた。
里緒はどうやら手に火傷を負ったせいで加勢できなかったようだ。
そして大人たちの中には、車いすに乗った鷲谷のババ様もいた。
ババ様は何も言わなかったが、亡き許嫁の安らかな姿に手を合わせ、大人たちに亡骸を運ぶよう指示を出していた。彼は村の近くのお寺で丁寧に弔われ、天狼家の墓に納められることになるだろう。
「そういえば奏くん、いい加減海優にアタックしないの?」
この期に及んでいささか空気を読んでないような里緒の発言に、私と奏は遠慮なく白々しい目を向けたが、案外その話題に噛みついたのは誰でもなく、董麻だった。
「おい、奏。海優に手出すなら……。」
「ちょっと董麻、やめなよ!」
今にも掴みかかりそうな彼の剣幕に、私は割って入ろうとしたが疲労感に足がもつれて倒れかかる。
「っと大丈夫か。まだ本調子じゃないみたいだし、気をつけなよ。」
彼氏より先に受け止めた奏の端正な顔が間近に迫って、私は思わず息が詰まりそうになる。
だが彼はすぐに董麻に私の身を預けると、呆れた顔でこう言った。
「そもそもアタックも何も、僕は海優に同性として(・・・・・)彼氏がいるのか聞きたかっただけだよ。実は女の子同士の恋バナって、一度やってみたかったんだ。」
あははと笑う彼をよそに、私たち三人開いた口が塞がらなかった。
「え、あの、奏くん? 今、なんて言った?」
里緒が思いっきり顔を引きつらせながら、恐る恐る口を開く。
私と董麻も、意を決して生唾を飲み込んだ。
「何って、僕は一人の女の子として(・・・・・・)海優の彼氏を聞き……。」
「ストップストーーーップ! 奏くんって女の子だったの!?」
本当に目玉が飛び出しそうなほどオーバーリアクションの里緒の隣で、私と彼はそろって絶句したまま顔を見合わせた。
なんだか、背中に冷たいものが流れたような気がする。
その様子を、奏はやれやれと首をかしげながら見ていた。
「大体君たちが早とちりしたのが悪いんじゃないか。僕は母のせいで口調はこうだけど、れっきとした女の子だよ。」
ある意味すさまじい里緒の断末魔が天の浦に響き渡る。
そして私を腕に抱く彼も、別の意味で意気消沈していた。
それもそのはず。董麻は、女の子の奏に嫉妬をしていたのだから。
とうとうこらえきれなかった私は、吹きだして盛大に笑ってしまった。ツボに入ったらしく、笑いが止まらない。
「ちょっと笑うなんてひどくない!? てか、私の初恋ーー!」
初恋だったのかと董麻が真顔でツッコんだのも加えて、奏も大笑いし始める。
「かわいいな。僕が彼女にしたいくらいだよ。」
冗談でもそう言われた里緒は一瞬赤くなったが、風船のように口を膨らませて拗ねてみせる。
「奏くんに言われても説得力なし! こうなったら笑うしかない! 笑う門には恋来る! がぁはっはっは!」
喜怒哀楽忙しいようで、いきなり女の子らしからぬ大口を開けて笑い出した里緒。
奏は何か言いたげな顔をしていたが、結局口を開くことなく私たちに交じって再度笑い始めた。
村人たちが、灯篭を持って浜辺に集まり始めた。
激闘はあったといえど今日は菊の節句であり、また村にとっては九〇年前、そして今日と暗い出来事があった日に変わりはない。
そのことを忘れないために、毎年灯篭を天の浦の海に流す。
奏は炎の力を持つ天狼家として、皆の持つ灯篭に一つ一つ火をつけて回った。
そして次々と流れていく、青いともしび。
私たちはそのほのかな明かりを、ずっと見送っていた。
すると海の上に十数人の人たちが佇んでいるのが見えた。
よく目を凝らすと、中央にはあの天狼焔が立っている。
彼らがそろって口を動かした。
「ともしびを、ありがとう。」
声は聞こえなかったが、そう言っているような気がした。
瞬きをすると、天の浦の海に小さくなっていく灯篭の明かりと、暗がりに立つ大鳥居が映っているだけだった。
みんなで空を見あげる。
そこには秋の星々が、私たちと青いともしびの行く末を静かに見守っているようだった。




