第四話 魔王様、下僕を手に入れる
予定通りにいったことに満足して、サナトは目を細めた。
無事に魔剣は取り戻したし、人間の協力を得ることも出来たし、指輪も渡した。
指輪を手に入れて、ほくほく顔になっている男の名はベスというそうだ。先ほど聞いた。
農家の倅で未婚。ギャンブルが飯よりも好き。上機嫌で気が弛んでいるのか、サナトが聞かなくてもぺらぺらと並べたてた。
「なぁ、この赤い石って宝石か? これって今度こそ高く売れるよな。へへへ」
にまにまとしまりのない顔で、ベスが指輪をこねくり回している。
「ああ。正真正銘、価値のある石だ。ただし宝石ではないがな」
宝石というものは美しく硬度があり、希少なものほど価値があると聞く。人間界の貨幣には疎いが、宝石という意味では、この指輪に価値はあまりない。赤い石そのものは、少し掘ればどこからでも出てくるようなものだからだ。
「はぁ? 宝石じゃないのに価値あんの? なんで?」
指輪を人差し指と親指でつまみ、下から透かしてみたり横から眺めたりしていたベスが、訝しそうに動きを止める。
「着けてみれば分かる。せっかくくれてやったのだ。指にはめてみたらどうだ」
首を捻るベスへ、サナトは提案してやった。
先ほど魔剣が売れなかったと言っていたし、見たところ町はのどかなままで騒ぎにもなっていない。ここは田舎町のようであるから、店の者は鑑定の能力も持っていないとみた。
それどころかベスの態度からして、魔法具を見たこともないのだろう。
「着けるっつってもなんかでかそうだしなぁ。それにすぐ売り払うしなぁ……」
摘まんだ指輪の穴を、ベスがサナトへ見せてきた。
確かにベスの親指よりもさらに大きい。だがそんなことは些細なこと。
サナトは口元を小さく弛ませた。やはりこの人間は、魔法具についての知識などないらしい。
「使用者のサイズに変化するから問題ない。そいつは魔法を封じた魔法具だ。売るにしても効力を知っていた方がいいだろう。説明するよりも実際に体験した方が早いぞ」
魔法具と告げると、ベスの目が輝いた。
魔法具というものはとても数が少なく、それ故に価値が高い。魔界でもおいそれと出回っていないのだから、人間界でも同じようなものだろう。
ベスの喜びようからして、サナトの考えは合っていたようだ。
「なるほど。そういうことなら」
何の疑いもなく、ベスが左手の人差し指へはめた。
サナトの口角がにぃっと上がる。
まあ、たとえはめなくてもサナトが渡し、それをベスが受け取った。それだけで十分ではあるのだが。はめた方が効果が上がる、というだけのことである。
「なんだ? 別に何にも起こらねぇぞ」
人差し指の根元にはめた、ぶかぶかの指輪をクルクル回していると、しばらくして輪がきゅっと閉まった。
「うぉっ、すげぇ。勝手にサイズが合った」
たったそれだけのことに子供のようにはしゃいでいるベスへ、サナトは一言命令した。
「ひれ伏せ」
「へ?」
ぽかんとこちらへ目線をやったベスの顔が、次の瞬間下を向く。そのまま体が勢いよく下へ沈み、地面に伏せた。
「ちょっ、待て待て待て待てっ! なんだこれ。体が勝手に。しかも動けねぇ」
わめくベスを無視して、今度は許可を出す。
「構わぬ。面を上げよ」
がばっと平伏したまま、ベスの顔だけがこちらを向いた。信じられないという風に、目が見開かれている。
「効力は分かったか?」
「さっぱり分からねぇよ。なんなんだよ、一体。あんた、何もん……」
まだ状況が飲み込めてないらしいベスに、サナトは歯を出して笑いかけてやった。
「……あれ、随分と鋭い歯して……るんっすね」
ベスの語尾がみるみる弱々しくなり、妙な敬語が付け足された。やっと何かが可笑しいと気が付いたのか、面白いほど分かりやすく、さーっと血の気が引いていく。
「それは渡した相手を支配下に置ける隷属の指輪。ベスとか言ったな。お前は私の支配下だ」
サナトは腰に差し直した剣を鞘から抜き、手近にあった拳大の石へ刀身を落とした。石が音も抵抗もなく、綺麗な断面を晒す。
「なっ、そんな、確かになまくらだったはず……ええと、その、頭の角って飾りっすよねぇ?」
青くなった顔面に引きつった愛想笑いと少しの涙をこびりつかせて、ベスが疑問に願望を混ぜてきた。
この反応からして、サナトの容姿だと魔物らしいところは歯の形状の違いと、角が生えていることしかないようだ。これから人間界でひっそりと畑をやるには好都合だと、サナトは笑みを深くした。
「角はもちろん自前だ。ああ、そうだ。配下に名乗りくらいしてやらねばな。私はサナト・クマーラ。魔王をやっている」
「まっままままままままっ」
ベスが声を裏返らせて、壊れたおもちゃのように一文字を繰り返した。
「まっ魔王……魔王様がなんでこんな田舎町に……?」
ぶるぶると体を震わせながら、恐る恐る尋ねてくる。
「言ったであろう。畑をやりたいのだと。ああ、他言無用ぞ。知られると面倒なやつらが押し寄せてくるからな」
ただ魔剣を返してもらうのではなく、人間の協力者を手に入れてしまえばいい、というのがオセの提案だった。
なにせ魔王というのは様々なものに狙われる。その最たるものが勇者だが、各国の騎士団やら連合軍、冒険者連合などが押し寄せてしまうと畑どころではない。
サナトが求めているのは癒し。癒しなのだ。
「そういうことで、よろしくな。下僕」
そう言って手を差し出し、かなり優しく微笑んでやったというのに、ベスが小便を漏らした。
あの後ベスを小川に放り込み、小便を流してから炎と風の魔法で温風を作って乾かしてやった。まったく、世話のかかる下僕である。
「なぁ、本当に畑が目的なだけなんだよな? この町をどうにかしようとか、俺らを食糧にしようとか、そんなんじゃないんだよな?」
ベスが何度も何度も確認したことを、さらに念を押してくる。
ちなみに言葉遣いも元の砕けたものに戻すように言い含めておいた。
そもそもこの男は敬語が絶望的に下手くそであったし、城の魔物どももオセを除けば似たようなものだから、サナトは敬語にこだわりはない。
それならば不自然な敬語で話されるよりも、普段通りにサナトに接しさせたほうが怪しまれないというものだ。
「案ずるな。それはない。こんな田舎町を手に入れたところで何の益もないし、人間など美味くない」
ベスの後ろについて歩きながら、サナトは何度目かの答えを返した。
「人間など美味くないって、なんで味知ってんだ? まさか食べたことあんのかぁ? そ、そういうこと?」
「些細なことを気にするな」
「するわ! 些細じゃねぇし!」
前を行くベスが立ち止まってしまったので、サナトはやれやれとため息を吐いた。
「私は人間を食わんがな、勇者との戦いのおり、ヤツの腕を噛み千切ってやったことがある。あれは不味かった」
「エピソードが怖えぇぇ!」
ベスが震えながら自分の腕を擦る。安心させてやろうと、人間を食わないと正直に教えてやったというのに怯えるとは情けない下僕だ。
しかし、この下僕の人間としての常識は役に立つ。サナトはベスに言われた通り、つなぎに着替えて農帽をかぶっている。農帽の中へは手ぬぐいを詰めて、頭に生える角の形が出ないようにしていた。
もともと着ていた服と魔剣は、マントの亜空間収納に入れた。マントそのものは、くるくると巻いてリュックに入れ、背負っている。
普段サナトが着ている服は、仕立ても生地もいいから目立つらしい。剣を腰に差しているのも、マントを羽織っているのも、普通の人間はしないのだそうだ。
指輪のほかにオセが用意してくれていた無難な品を店に持っていき、換金もした。ベスが言うには畑を土地ごと買える値段らしい。
だがサナトの目的はあくまで畑を借りること。
ベスから聞き出した必要になる金額を抜いて、後は報酬として与えてやった。途端にベスの目に光が戻り、蒼白だった顔色も元に戻った。態度もすっかり最初と同じになっている。
つくづく、現金な男である。
「ここだ、ここ」
ベスが振り返って道端に広がる畑を指差した。
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