第二十六話 魔王様、嫌な予感に見舞われる
「?」
己を見つめる勇者の青い目に浮かぶ光の意味を測りかね、サナトは眉をひそめる。嵌められたと悔しそうに言いながらも、勇者の瞳に宿っている光は剣呑なものではなかった。
今までの勇者は正義と敵意を剥き出しの目しか向けてこなかったものだが、一体どういうことだ。
サナトが和平を持ちかけたからだろうか。たったそれだけで簡単に信用するのなら苦労しないのだが。
真意を探ろうと注意を向けた途端に、さっさと視線を外されてしまう。
食えない男だ。
これ以上は叩いても埃一つ出しそうにないと判断し、探るのをやめた。
「まぁ、この場で勇者が魔王を殺すのは不可能だが。心配するなよ、国王様。魔王は自分の体に爆弾をぶちこんだ。女神に誓った誓約を破れば魔王は死ぬ」
勇者がサナトの方へ顎をしゃくる。
勇者の言葉は事実である。女神に誓いを立てた瞬間、サナトの中に女神の楔が打ち込まれた。
「そういうことだ。今後もしも誓いを破り、境界線を広げようと人間界を侵略すれば私は死ぬ。安心されよ。裏切りたくとも裏切れぬ」
ラーイ国王の瞳に複雑な色が浮かぶが、消えた。また元の深海のような藍色に戻し、重々しく頷く。
「分かった。和平と食料供給を承諾しよう」
サナトは大きく息を吐いた。
ひとまずは、魔界と人間界の表面上の和解は成された。目的は達成だ。
書状にしたためた内容は概要でしかない。後々細かく詰めていかなければならないだろう。
書状のやり取りと側近同士の会談、場合によってはもう一度サナトと人間の王たちとの会談も設けること。それらをざっと取り決め、結界の外へ出た。
肌にぴりぴりと来るような、女神の気配が消えて体が少し楽になる。
結界の外には、執事服をぴしりと着こんだスケルトンが佇んでいた。
「よくぞご無事で戻られました」
綺麗に腰を折ったスケルトンの白い頭蓋を見つめる。
結界の外と中は、目に見える壁に隔てられているわけではない。距離も見えないほど遠くはなく、オセがずっと立っていれば十分視認できる。しかし交渉の間、オセの姿はなかったから、終わったタイミングで転移してきたのだろう。
どうやってそのタイミングを知ったのかは分からないが、昔からこのスケルトンは見越したかのように先回りして行動する。
「うむ。ご苦労」
オセの後ろには魔法陣が展開されていた。労いの言葉だけをかけて、サナトは魔法陣を踏んだ。ぐにゃりと空間が歪み、次の瞬間には見慣れた玉座が現れる。その玉座に倒れるようにして身を投げ出した。
やせ我慢をして平気な顔をしていたが、かなり消耗している。
つなぎを着ている間、サナトは転移魔法が使えない。いつもの手ぬぐいに仕込んだものは魔王城と畑のある田舎町直通なので、迎えにきてもらえて助かった。
同じように転移してきたオセが、サイドテーブルに用意していた茶を淹れる。透明な器に入れた茶は冷えていて、飲むと少し瘴気が回復した。
全くもって、用意がいい。
「魔王様が出かけられていた間の事でございますが」
「ああ」
適当に続きを促し、茶をもう一口含む。ゆっくりと染み渡らせていった。
「マーヤー様がおいでになりました」
「またか」
面倒くさい名前を聞き、サナトはうんざりと呟いた。
「まさか私の帰りを待っているということはあるまいな」
普段でも面倒なのに今マーヤーの相手をするのは厳しい。
「それが今回はいささかいつもと違いまして……」
時は少し遡る。
魔王の間で『初心者でも作れるやさしい野菜の作り方』を発見したマーヤーたちは。
サナトと魔物たちの話し合いに参加していなかったため、まさか魔王が本気で農業をしているとも思わず、人間界攻略の戦略か何かだろうと勘違いしていた。
「調べるといっても、さっぱり分からないわ」
魔王の間から本をそのまま持ってきてはサナトに気付かれてしまう。バレないように戻しておき、マーヤーは本の題名と著者を覚えて人間の本屋で同じ本を買い求めた。
中身を見てみたが、野菜の育て方や注意点が載っているだけ。
サナトがなにを企んでいるのか。それを調べようにも頼りになるのが本しかない。しかしこの本。適当な人間に聞いてみたところ、広く流通するありふれたもののようだ。
数人の農家の人間に、この本について知っていることを言えと聞いたが、初心者用の農業の指南書としか知らないようだった。
「ええい、このままじゃ埒が明かないわね」
「どうします~」
イライラと爪を噛むマーヤーに、側近の男が間延びした声で指示を仰いだ。
「ふん。分からないことを悩んでいても意味がないわ。だったら」
噛んでいた爪から歯を離し、赤い舌でぺろりと唇を舐めた。
「ふふ。分かるやつに聞いてやろうじゃないの」
「まさか本人に、じゃないですよねぇ~?」
「当り前よ。サナトの弱点を知りたいのに本人に聞いてどうするの」
長いまつ毛に縁どられた目で、マーヤーは冷たく腹心をみやった。
「聞くのはオセよ。サナトのことならあのスケルトンが知らない筈がないわ」
何百年と魔王に仕えている側近のスケルトンなら、必ず知っているだろう。マーヤーは側近を伴い、数日ぶりの魔王城へ足を踏み入れた。
「はい。勿論知っております」
いつも通り、しわ一つない執事服を着こんだスケルトンが、魔王城の広間で出迎えた。聞けば好都合なことにサナトは留守にしているという。これ幸いと問い詰めれば、あっさりと答えが返ってきた。
「企むも何もこの本は見ての通りのものでございますよ」
「……私をからかっているの?」
どうやら真実を語る気はないらしい。やはり何か企んでいるようだ。
「まさか。からかってなどおりません。何の含みもございませんよ」
カタカタと小さく骨が鳴る。骸骨だけであるため表情というものは読めないが、笑ったようだ。
「長らく続く人間界との戦に疲れた魔王様は、息抜きに農業を始められたのです」
「はあっ?」
「農業ぅっ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げたマーヤーたちに、続いてオセがした説明は信じられないものだった。
サナトが趣味で農業を始めたこと。
農業にどっぷりとはまり、続けるために人間界と和平交渉を進めていること。
「なんてこと……!」
どうやら自分たちが本のことを探っている間に、とんでもないことになっていたしたらしい。
「こうしてはいられないわ。行くわよ!」
オセの説明を受け、わなわなと震えていたマーヤーはキッと顔を虚空を睨みつけた。何もない空間にサナトの顔を思い浮かべ、怒りを燃やす。
「何処へ?」
「サナトがやっているという畑よ!」
尻と尻尾を大きく振りながら魔王城の窓を飛び出し、マーヤーは背中の翼を広げた。
「と、まあ、マーヤー様は魔王様が農業をなされると知って大層驚いておられました」
「そういえばあやつらは、あの殴り合いの場にいなかったな」
オセの報告を聞いたサナトは、疲れと嫌な予感に眉間を揉んだ。
「特に人間界との和平の方針には、激しくお怒りになり出て行ってしまわれました」
「ということは、そのうちまたここにやってくるのであろうな」
マーヤーは魔力も大きく、魔王候補にも成り得る実力者であるが、直情的で短絡的だ。それは魔力の使い方にも顕著に出るものだから、せっかく幻影という厄介な能力があるにも関わらず、使いこなせていない。
まあ、要するに実力があって頭も悪くないが、馬鹿である。
どうせまた頭に血を上らせて、何も考えずに魔王城を飛び出したのだろうが。冷静になればサナトの畑が何処なのか知らないことに行き当たるだろう。そうすれば場所を聞きにまたここに戻ってくるはずだ。
マーヤーが来るまでに少しでも回復しておかなければ。
重い体を椅子から引きはがし、奥の寝所に行こうとサナトは立ち上がった。
「いえ。しばらくはこちらにはいらっしゃらないかと思います」
「? 何故そう……」
思う、と言いかけて、サナトは口をつぐんだ。
「いかがなされました?」
オセの言葉を片手で遮り、集中する。この感覚は。
「転移魔法陣を用意しろ。至急、人間界に向かう」
ベスに渡していた隷属の指輪は、つけた相手を支配下に置くだけではない。指輪を付けた相手に何かがあれば、サナトに報せが来るのだ。
サナトの胸は、ざわざわと嫌な予感が這いまわっていた。
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