第二十四話 魔王様、和平交渉に挑む
ゴォオオオオオッ。ピカッ。ドガシャアアアン。
空が低く唸り、稲光の後、轟音が響く。魔界名物の雷が、魔王の間の王座に腰かけたサナトと、目の前に控えるオセを白く染めた。
「人間界との交渉のことだが、どこまで進んでいる」
稲妻の光が去ると、足を組み、悠然と背もたれに体を預けたサナトを照らすのは、松明の灯りのみとなった。
「和平を結びたいというこちらの意向と条件を記した書状を、わたくし手ずから各国の王に届けましてございます」
ゆらゆらと揺れる灯りは、オセの白い骨格だけを浮かばせ、黒々とした眼窩を虚ろに沈める。
魔界と人間界の外交は前代未聞のことである。下手な使者を立てても警戒され、門前払いを受けたり、騎士に排除されてしまうだろう。
かといって騎士をものともしないような魔族が強引に押し入れば、和平どころか宣戦布告と取られる可能性がある。
そこで転移魔法の使えるオセを、各国の王宮へ直接使者として送り込んだのだ。
「ご苦労。して、反応は如何様であったか」
「おおむね、どの国も魔王様の予想通りでございました」
骨だけのオセの表情は変わらない。
「和平そのものは前向きなようですが、これまでの歴史を鑑みるに魔王様を信用できない、といった様子でございました。しかし」
魔物たちが人間との和平に難色を示した以上に、人間たちの方が魔物との交流に嫌悪感と恐怖、強い警戒心を抱くだろう。
「魔王様本人が単身で出向くこと。人間の王たちは供を何人連れてきてもよいこと。人間たちは武装を許可するが、魔王様は武装を禁じること。魔王様は瘴気を封じた状態で会談に臨むこと。会談の場は、人間たちの指定したところでいいこと。場には女神アストライアの聖結界を使用して構わないこと。これらの条件を提示したところ、反応は様々でした」
和平を持ち出したところで信用されない。それを前提に置き、サナトは全てが人間側に都合のいい条件を並べておいた。
和平にかこつけて攻め込んだりしないという意思表示として、サナトだけで会談に臨む。
人間たちには護衛と武器の持ち込みを許し、サナトは丸腰、魔法を使えない状態にして、会談の場で人間の王に危害を加えない、加えられないのだとアピールする。
罠などを警戒されないよう、会談の場を向こうに用意させる。
極めつけに、女神の聖結界の使用まで認めたのだ。
女神アストライアの聖結界とは、聖女だけが使える聖魔法で、結界内にいる者は瘴気による魔力変換を一切行えなくなる。
「本当にあの条件でよろしかったので? あれでは向こうがその気になれば、簡単に魔王様を弑することが出来るのですよ」
「構わん」
サナトは人間界のことに疎い。政治的なことも残念ながら今までしてこなかった。
そこでベスに聞いてみた。
人間界と魔界が和平を結ぶとして、どうすれば成り立つと思う? と。
「はあ? そんなの俺に分かるわけねーだろ。聞く相手間違ってんぞ」
「私もそう思うがな。他に聞ける人間を知らんのだから仕方あるまい」
「なんだそりゃ。うー、和平。和平ねぇ」
ガシガシと頭をかいて、うんうんと唸り始めたベスにサナトはふっと息を吐いた。
「別に正解を言う必要もない。お前の意見を聞いておきたいだけだ。期待などしておらんから安心しろ」
最初から馬鹿に、人間代表として意見をもらおうなどと思っていない。参考までに聞いただけのことだ。
「ったく、俺は魔界がどうのとか人間界がどうのとか、難しいことは分かんねぇ。そこ、くれぐれも忘れんなよ」
ビシッと意味もなくサナトを指さし、ベスが胸を反らした。
「いいか。俺は金を借りる時、嘘でも何でもなりふり構わねぇ! ギャンブルのためなら、使えるものは何でも使うし、なんなら地べたに額こすりつけてでも金を借りてやるね!」
得意気などや顔を、しばし見つめる。全く、この男は。
「ぶっ、くくく。なんだそれは……くくく」
実にベスらしい回答に、サナトは思わず噴き出した。それから肩を震わせ、我慢出来ずに大口を開けて笑った。
ゴロゴロと魔界の雲が唸っている。ひっきりなしに稲妻が雲の中を駆け、蒼白い光をまき散らしていた。
――ベスには、久々に大笑いさせてもらった。当のベスといえば、笑いこけるサナトにドン引きしていたが。
「下僕のお陰で吹っ切れた。私も奴にならい、打てる手は全て打つことにしよう」
組んでいた足をほどき、サナトは立ち上がった。オセが転移魔法陣を展開する。
「いってらっしゃいませ」
「うむ」
足が転移魔法陣を踏むと、黒い光を放ってサナトを飲み込んだ。
空間と感覚がぐにゃりと歪み、また元通りになる。サナトの靴が石造りの魔王の間から、乾いた荒野の土を踏んだ。
人間側が指定した会談の場所は、王都の南に位置する平野だ。砂漠ではないが草木の類はなく、見渡す限り赤茶けた土が広がっている。
そこには、人間の軍勢が荒野の一部を埋めていた。甲冑を着込んだ騎士、ローブを纏った魔法使いなどがぐるりと会場を囲んでいる。否、彼らが囲むことで会場が出来ている。
その中央にはテーブルと椅子が設置されていて、幾人かが席に着いていた。
サナトはゆっくりと彼らの方に歩みを進めた。ほどなくして、空気が変わる。
聖結界の中に入ったのだ。
興味、憎悪、畏怖、好奇の視線がサナトに突き刺さる。
「私は魔王サナト・クマーラ。まずはこの場を設けてくれたことに感謝する」
「私はラーイ国王。この場をまとめさせてもらう」
形式上ではあるが、サナトの名乗りと感謝に対し、ラーイ国王は国名のみに止め、感謝の意について触れなかった。
ラーイ国王の藍色の目は、海底のような深さの色合いを湛えている。
感情を沈めたような目に、サナトは思わず口の端を弛めた。
聞いていた通り、人間の王は腹芸が得意らしい。
それから人間の王や護衛の者たちの視線の中に気になるものを感じ、サナトはそちらを見やる。
ラーイ国王の後ろには、中年の男が控えていた。
はちみつ色の短い金髪、青い瞳。年齢を感じさせない引き締まった体に、精悍だがどこか人好きのする顔立ちで、サナトのことを興味深そうに眺めている。
あの男が今代の勇者か。
名乗りも面識もないが、そう確信した。
それにしても、覚えのある視線だ。今代の勇者に会うのはこれが初めての筈だが。
サナトと目が合うと、勇者らしき男がにっと笑った。何百年、何度も目にした勇者たちと同じ、人の懐にすっと入ってくるような、それでいて油断のならない目だ。忌々しい。
「さて。人間の王たちよ。我らに挨拶も歓談も要らぬであろう。単刀直入に行こう」
サナトは勇者から目線を切り、国王を見据えた。
「まずは人間界と魔界の境界線を現在に据え置き、互いに不可侵を提案する。境界線を越えて人間界を害さないことを誓おう。ただし」
目の前のラーイ国王に変化はない。相も変わらず、光を通さぬほどの深さの瞳をサナトに向けている。
「すでに人間界に住み着いている魔物。彼らは魔界の食料で暮らせぬ。そこで彼らも人間界で人間と同様に労働し、金を稼いで暮らす権利を貰いたい。他、サキュバス、インキュバス、ヴァンパイアといった人間そのものから食料をもらわなければならない種族の食料供給を要求する」
ラーイ国王以外の王たちにも、動揺や混乱の色は見られない。時前に書状で伝えていた内容だからだ。
「今の境界線を維持か。その約定を違えぬという保障はなんとする。人間界での魔物の就労もだ。魔物が人間に危害を加えないという保障がなければ受け入れられない。それと人間そのものからの食料供給への見返りは」
感情の乗らないラーイ国王の淡々とした質問に、サナトは用意していた答えを返す。
「食料供給の報酬は、魔界にのみ生育する魔草やドラゴンの爪などのアイテム」
魔草は魔法薬の材料、ドラゴンの爪や鱗は硬く様々な効果が付与されるため、高値で取引されている。報酬としては悪くない筈だ。
さて。ここまでは単なる確認事項。
「魔物の就労については、辺境の町カナンでゴブリンと人間との共存を進めている。そこをモデルケースと考えてもらいたい」
カナンはムギーの藁を貰いに行った町の名だ。あれからゴブリンたちは農業の手伝いなどをして、代わりに作物を分けてもらっている。
今のところ大きなトラブルもなく、仲良くとはいかずともそれなりに上手くやっているようだ。
ざわっ。ここで初めて、人間の王たちに動揺が走った。
「境界線の維持は、魔王の私が死守する。……女神アストライアに誓って」
使えるものは何でも使う。
今まで敵だった女神というカードですら。
ガタガタと鳴る椅子と、甲冑が擦れる金属音が、一斉に不協和音を奏でる。
今度のざわめきは王だけに止まらず、己の責務をわきまえて後ろに控える軍勢にも広がった。
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