第二十二話 魔王様、鉄拳制裁する(※挿絵あり)
こやつ、殺す。
目の前で笑い転げるベスを前に、サナトは拳を固めた。
「ギャハハハハッ、サナト。普段偉そうな癖に、あんな虫が怖ぇのかよ」
苦手なジーに堪らず悲鳴を上げてリベラに抱きついてしまったのだが、そこへ肥料の配達中だったベスが悲鳴を聞きつけ、何事かとやってきたのだ。
おかげで今現在、大笑いされている。
サナトはジーという虫が苦手だ。どれくらいに苦手かというと、見かけた瞬間に手加減を忘れ、魔法をぶっ放して魔王城の調理場を跡形もなく吹き飛ばしたことがあるくらいに、苦手だ。
ちなみに、この男に馬鹿にされる出来事があったのは、数日前のことで。今日はムギーの農家に収穫後の藁をもらいに行く日である。
最初はリベラと二人で行く予定だったのだが、今のサナトにとって彼女と二人きりは気まずい。
何度思い出しても顔から火が出そうなほどの羞恥と後悔が押し寄せる。リベラにはますます頭が上がらない。そもそもあれからまともに顔を見られない。
そこで例のごとく転移先の川縁で、ぼーっとアホ面をさらしていたベスを小遣いで釣ったのだ。
丁度金欠……まあこの男が金に困っていない時などない気がするが、とにかくギャンブルの軍資金調達で意識を飛ばしていたベスの鼻先に金をぶら下げてやったら、ほいほいとついてきた。
「怖いのではない。苦手なだけだ」
怒りを押し殺した平坦な声で答えながら、腹を抱えて涙まで流しているベスにゆっくりと近寄る。
リベラは今ここにはいない。藁を積むでかい魔法具を出してくるからと言って倉庫に向かったので、サナトとベスはリベラの家の前で待っているのだ。
「苦手! 苦手なんて可愛いもんで、ぎゃあああ! なんて悲鳴上げるかぁ? ダーハハハハハッ」
サナトの握った拳とこめかみに、ぼこりと血管が浮かぶ。苦手なジーに悲鳴を上げてリベラに助けてもらったのは己の失態だ。少々のからかいには目をつぶろうと思っていたが。この男は数日たってもこの調子だ。よりによって馬鹿に、こうも馬鹿にされるのは、どうにもこうにも我慢がならない。
「ひーっ、腹痛ぇ」
「ならば本当の意味で痛くしてやろうではないか」
「グホォゥッ」
サナトの拳がベスの腹に突き刺さる。ベスの体が九の字に曲がり、腹を押さえてよろめいたあと、ばたりと倒れた。
「痛エエエエッ。死ぬ。死ぬ! やべぇ、もう駄目だぁ」
地面に突っ伏したまま片手で腹を押さえて、もう片方の手を伸ばし、わなわなと震わせた。
「大げさな奴め。手加減したのだ。そんなわけなかろう」
普通の魔物なら撫でられた程度のもの。いかに魔物よりも肉体的に弱い人間といえど、死にはしない筈だ。大体痛がり方が嘘臭い。
「魔物と一緒にすんなよ! あーっ、赤くなってるじゃねぇか。これ絶対青あざになるやつだろぉ。おい、サナト。魔法使えんだろ。魔法でちゃちゃっと治せよ」
案の定、痛そうな演技をやめたベスが服をまくって自分の腹を確認し、また大声を上げた。
「残念だったな。回復魔法は使えん」
「あん? お前、回復魔法使えねぇの? ダッセェ~」
ダサい、という一言でサナトの額にまた青筋が浮かぶ。
「使えんこともないが。今の私は瘴気を封じている状態だ。このワッペンに瘴気や魔法を防ぐ効果があるのだ。この恰好をしている限り魔法は一切使えん」
苦虫を噛み潰した顔で、サナトはつなぎの胸ポケットを摘まんでみせた。
そもそもこの男は、魔法を軽く考えすぎだ。魔法が使えるものが、全ての種類の魔法を使えるとは限らないというのに。
「んじゃ、ちょっと脱げ。脱いで回復魔法かけろ。それからもう一回着たらいいだろ」
ベスの手がサナトの農帽とつなぎのチャックをむんずと掴む。
「馬鹿を言うでない。そろそろリベラ殿が戻ってくるであろうが」
サナトは農帽とチャックを下ろそうとするベスの手を押さえ、半眼になった。
「嫌だね。今脱げ、今」
しかし調子に乗った馬鹿は止まらない。意地でも農帽とつなぎを剥ぎ取るべく、力をこめてくる。
「いい加減、やめんか。この馬鹿者」
ベスごときがいくら力をこめたところで脱がされはしないが、鬱陶しい。指輪に念を送ってやめさせようとしたその時、重たそうな金属の駆動音とともに、魔法具の独特な魔力が近づいてきた。どうやらリベラが戻ってきたらしい。
しっかりと農帽を押さえたまま、サナトは首だけを後ろに向けた。
でかい魔法具だ。もはや魔法具と言えないほどに。
全体的に金属で出来ている。前は人が乗る部分、後ろが荷台のようだ。重たい本体を走らせるためについた車輪は六つもあり、一つだけで一メートルはありそうだ。言わずもがな本体はもっと大きく、前部分と荷台を合わせて十メートル近い。
バン。と、前部分のドアが開き、リベラが顔を出した。背の高い魔法具からジャンプして下りると、つかつかとやってくる。サナトたちの前まで来るとおもむろに両手を振り上げた。
「サナトさんに何してるんですか!」
バコン。リベラが振り上げた両手を下ろすと、魔法で圧縮された空気がベスの頭にヒットした。
「酷ぇよ、リベラさん!! 一瞬、花畑でご先祖とこんにちはしちまったじゃねぇか」
魔法具の荷台でベスがぎゃあぎゃあとわめいた。この男がうるさいほど大声なのはいつものことではあるが、魔法具の荷台には屋根や壁がなく最低限の囲いのみ。結構な速度で移動中なので風をもろに受ける。怒鳴るように会話をしないと、窓を開けているとはいえ壁に囲まれた運転席側に届かないのだ。
「ごめんなさい! ベスさんがサナトさんのつなぎを脱がそうとしてるものだから、てっきり襲われているのかと」
「気持ち悪い勘違いしないでくれよ!」
「いや、それは色々な意味で有り得ん」
ベスが怒鳴って不貞腐れ、運転席の横でガタゴトと揺られながら、サナトは額に手を当てた。
それにしてもリベラの言動からして、人間界でも男同士の番が成立するのか。
魔界では繁殖という意味で番、人間界でいう伴侶を必要としない。パートナーとして力を分け合い高め合う存在であるため、時に性別も関係なく番になることがある。しかしそれは少数派で、やはり異性を番に選ぶことが圧倒的に多いし、サナトも同性はごめんだ。
「あ、そろそろ着きますよ」
ハンドルを握ったリベラが、話題を変えられて嬉しそうに前方を指さした。サナトとベスもリベラの指先を追う。
草原の中、行き来する人が踏み固めて出来た道が伸びている。その先にリベラたちと同じような町があった。ムギー畑が多い隣町である。
町といってもリベラたちの住んでいる町と同じように、建物は少ない。四角く整備された田んぼがほとんどだ。収穫前は全てが黄金の穂で埋め尽くされ、それはそれは美しいのだと聞いている。が、今は収穫後。刈った後の株だけが綺麗に並んでいた。
その田んぼにムギーの藁が干してある。まだ距離があるので小さくしか見えないが、ばつの字に組んだ木に藁をかけているようだ。
「んあ? なんか変なのがいねぇか?」
「む?」
「本当ですね」
ムギーの田んぼの側には小屋がある。その小屋に何やら影が蠢いているのだが、どうも人間よりも小さい。影は小屋から袋のようなものを担ぎ、運び出しているようだ。
サナトの目が細くなった。
「おいおい、あれ、魔物じゃねぇか」
「運んでいるの、ムギーの袋ですよ」
そこへ別の小屋から出てきた人間が、魔物に気付き叫んだ。魔物がはっと人間の方を向く。
「リベラ殿。先に行っている」
「え? 先にって、サナトさん!?」
サナトは魔法具のドアを開けた。飛び出すついでにドアを閉める。軽い浮遊感と風を感じたのは少しの間で、すぐに地面がやってくる。
普通に着地すれば大けが必須だが、元々の身体能力に強化をかけ、魔法具の移動速度を上回る速さで地面を蹴った。そのままスピードに乗って駆ける。
瘴気を外に出すことは出来ないが、内側には余りあるほどの瘴気と瘴気を変換した魔力がある。外向きの魔法が使えなくても身体強化はかけ放題だった。
あっという間に数百メートルの距離を潰し、人間ともみ合っている魔物に近付いた。
「くそっ、このムギー泥棒めっ……って誰だあんた!」
「ま、魔おっグボヘォアアアアッ」
驚く男の横をすり抜け、魔王と言いかけた魔物の顔面に鉄拳をめり込ませる。その勢いのまま拳を振りぬくと、魔物の体が吹っ飛び隣の隣の田んぼに頭から突き刺さった。
「何をやっておるか、この」
片足で土を抉りながら制動をかけると、それを軸足にして他の魔物の方に体を向けた。
「ひぃいいい」
「すんませんっ」
ムギーの袋を取り落とし、慌てふためいて逃げようとする魔物たちだが、遅い。
「たわけどもが!」
ドドドドッ。
サナトの鉄拳が全ての魔物を捉え、田んぼに刺さった足が五組になった。