第十四話 魔王様、悩む
サナトが畑生活を始めてから、一ケ月以上が過ぎた。畑では、ニージンとレンホウソが順調に育ち、さらにはトマトマやピーマ、ナスビーなどの夏野菜の苗も植えている。
どれもまだ小さいが、日に日に強くなる日差しをしっかりと受け、つやつやとした葉を広げていた。
ニージンとレンホウソは、幾度か間引きをして大きくなり、レンホウソは収穫の時期を迎えている。
「ううぬ」
最近は畑仕事をしていると、背中が汗ばむほどの陽気である。そんな初夏の、農帽やつなぎ越しにも感じるほどの日光を浴びながら、レンホウソのうねの前でサナトは腕を組んで唸っていた。
「おっ、サナトさん、休憩かい? 茶ぁでも飲むか?」
「精が出るねぇ」
畑の中に仁王立ちになって唸るサナトの背後から、近くの畑から帰る老夫婦が声をかけてきた。
「う、うむ。いつもすまんな」
あぜ道に近い場所にいたサナトは、振り向いて差し出されたコップを受け取った。
「はっはぁ! いいってことよ。そろそろ暑くなってきたからなぁ。しっかり水分とっときな」
「仕事した後は甘い物が欲しくなるでな、ほれ、飴でも舐めれ」
老婆が前掛けのポケットから瓶を取り出し、中の飴をくれた。
ころころと口の中で飴を転がす。甘い。
「わ、ありがとうございます。美味しい」
リベラも貰った飴を口に含み、頬をほころばせた。
「じゃあなぁ」
老夫婦は手を振って去っていった。サナトもリベラと共に手を振り返し、去っていく老夫婦の背中を眺めた。
畑を通しての付き合いで分かってきたことだが、人間は他人をやたらと気に掛ける傾向があるらしい。最初はそれも面白いと興味深く観察していたものだが、人間界に毎日通っていると、段々とサナトへも向けられるようになってきた。
近頃はベスとリベラ、ケレースに加えて、近所の老人や隣の畑の夫婦、散歩中の親子連れにも声をかけられ、世間話はもちろん、やれ差し入れだのなんだのと世話を焼かれることすらある。
サナトはそんな人間たちにどうにも戸惑うし、こう、胸の奥がむずむずするような感覚がして困るのだ。
だがまあ、それも仕方のないことだろう。人間と魔族では文化が違うのだ。色々と戸惑うのも当たり前。そのうちに慣れるだろう。
「サナトさん、どうしました?」
老夫婦を見送った姿勢でじっとしているサナトにリベラが声をかけてきた。
「まさかサナトさん。間引きの時みたいに、せっかく育てたレンホウソの収穫が辛いとか」
「ぬう、いかな私とて流石にそれはない」
とはいえ、リベラにそう言われてしまっても仕方がない。
サナトはニージンとレンホウソの種を植えて三日後、レンホウソの芽が出た時の感動。それゆえの、『間引き』をいうものを経験した時の辛さを思い出す。あの時は『間引き』たくないと、ごねてリベラを困らせてしまったのだ。
レンホウソの芽が出た時は、思わず感動と興奮で震えた。
ダイコの芽は小さくて丸い双葉だったが、レンホウソの芽はしゅんと細長い。それもまた、興味深かった。芽が出てから今度は次々と本葉が出てきて、すくすくと大きくなったある日。
「本葉が二、三枚になりましたね。じゃあ、間引きをしましょう」
そう、無慈悲にリベラが言ったのだ。
「間引き……」
間引きという言葉に、サナトは動きをぴたりと止めた。
『初心者でも作れるやさしい野菜の作り方』に載っていたので、間引きが何なのか知っている。知っているが故に、サナトは渋った。
「本当にやらねばならないのか? せっかく育っているのだぞ。抜いてしまうなど可哀想であろう。このまま全部育てればいいではないか」
そう。間引きとは、抜いて本数を減らす作業なのだ。
草を抜き、土を耕し、肥料を混ぜ込んでから二週間も待った。そこからうねを作り、種を蒔いてから毎日朝夕に水やりをしてきた。水やりの際、それはもう、発芽を楽しみにしていたのだ。
発芽した後は本葉が出てくる様子をわくわくして見守った。小さな本葉が出て株となったレンホウソはとても可愛らしい。
その株を抜かなければならないとは。辛い。辛すぎる。
「間引きは元気な野菜を育てるために必要なことなんです。間引いていないと狭くて大きくなれませんし、肥料不足になったり、病気になりやすかったり、虫も来やすいんです」
「ぬうう。しかしだなぁ……」
「そ、そんな泣きそうな顔しないで下さいよ。元気で美味しい野菜を育てるためには必要なんですよ。ね?」
あの時、サナトは散々渋ったがリベラに説得され、涙を飲みつつ間引いたのだ。その甲斐もあって、レンホウソは立派に育ってくれた。
そうして、今日はついに収穫である。
いざ収穫という時になって、うんうんと唸り始めたのだから、間引きの時のように収穫を渋っていると思われても仕方ないかもしれない。
「間引きはともかく、しっかり育ったレンホウソを収穫することに抵抗はない。むしろ楽しみで仕方がなかったくらいだ。そうではなく、少し違う考え事をしていただけだ」
サナトは収穫予定のレンホウソを眺めた。
春蒔きの野菜は早く収穫しないと花芽が出来て、とう立ちしてしまう。そうなると葉が固くなって美味しくなくなってしまうのだそうだ。せっかく丹精込めて育てたレンホウソ。美味しい時に収穫して食べたいので、収穫が辛いとは思っていない。
収穫したら魔界に持ち帰り、魔族たちに食べさせて、野菜の素晴らしさを教えてやろう。そうすればもっと大手を振って畑仕事をやれるというものだ。
しかしそうなると、畑のことを皆に打ち明けなければならない。その時の反応を考えると面倒なのだ。
「もしかして、サナトさんの本業のことですか。毎日来てくださっているのが普通になっていますけど、貴族さんですものね、もしかして家の方が大変なのでは」
リベラの細い眉が下がり、青い瞳が少し潤む。妙に悲しそうな表情に思えて、胸に小さな痛みが走った。
「いや、まあ。そうとも言えるが、そうでもない」
サナトは歯切れの悪い返事をして、リベラから目を逸らした。
こういう反応はどうも調子が狂う、とサナトは思う。
そもそもサナトが唸っていたのは、本業の悩みではない。
「本業のことなら朝晩くらい、私がおらずとも大事ないのだが。実を言えば、側近の者以外に打ち明けていなくてな。そろそろ不審に思われている」
事実、本業である魔王の方が大変かというと、そうでもない。魔王としての仕事は、数百年前から変わり映えしていない。魔界の領土を広げ、人間界の者たち、とくに勇者との戦いを推し進める。それだけのものだ。
かつては仕事に打ち込み、いかにして勇者を倒し、人間界を支配しようかと躍起になっていたものだが、今は違う。
もともと、世界の覇権の為、勇者と倒し倒されの日々に嫌気がさしての畑生活。魔王業の合間の癒しのつもりだったのだが、はっきりってこちらの方が面白い。畑を本業にしたいくらいだ。
だからといって畑を本業にしようと思うと、魔王を引退しなければならない。しかし魔王の引退とは、すなわち、サナトの消滅を意味する。
魔王を続けつつ、畑仕事もする。両立が必要だ。
さらに言えば、最近マーヤーの乱入がない。しかも愛読書である、『初心者でも作れるやさしい野菜の作り方』の仕舞っていた位置が変わっていた。
奴らの動向も気になる。
「どちらにしても、畑の事をそろそろ話さねばならん」
「そうですね。お家の方にきちんとお話した方がいいですよ」
腕組みをしての独り言に、リベラが呑気な相づちを打った。
「家の者に話か」
くっくっくと喉を鳴らす。人間の家族という概念に当てはめれば、確かに『お家の方』かもしれない。
「? 何が可笑しいんですか?」
頬を膨らませるリベラにサナトはひらひらと手を振った
「いや。すまぬ。私の魔界の者はな、『お話』が通じん連中ばかりなものでな」
「?」
リベラが首を傾げる。
さて、魔王だと悟らせないで説明するにはどうしたらいいものか。
「まあ、なんだ。うちの者は畑仕事をしているなどと言えば、おそらく反対する」
「まあ」
「だが心配ない。それは殴り合いで解決する」
魔族にとっての話し合いとは、殴り合いだ。魔族に話し合いなど成り立ちはしない。逆に言えば、力で黙らせればいいのだから単純明快だ。サナトの悩みはそこではなかった。
「要するに『説得』に時間がかかる。何日か畑に来れんかもしれんのだ」
「もしかして、それで悩んでたんですか」
「うむ」
そう。魔王のサナトが畑仕事に精を出し、このまま人間界で畑を続けたい、そのために人間と和平を結ぶとなれば、大反対の嵐だろう。魔族連中はいい理由が出来たと、ここぞとばかりにサナトに向かってくるに違いない。
サナトとて、魔族全員を相手取るとなると簡単にはいかない。そうなるとしばらく畑に来られない。
「私が畑に来られない間、世話が出来ぬ。かといってリベラ殿に負担をかけるわけにもいかん」
元々、母御殿と二人だけでは持て余したからサナトが畑をレンタル出来たのだ。サナトの畑の世話をリベラに頼めば負担になってしまう。
「あ、それなら大丈夫です。実はお父さんが休暇をもらえたらしくて、少しの間帰ってくるって連絡をもらったんですよ。明日帰ってくる予定なので、その間にサナトさんはお家の方を説得してください」
「そうなのか。それは僥倖」
タイミングの良さにサナトはほっと胸を撫で下ろした。父御が帰ってきて畑の面倒を見てくれるのなら安心である。
「そうとなれば収穫だ。家の者にこの素晴らしいレンホウソを食べさせれば説得もすんなりいくというものよ」
「ですね!」
胸のつかえも一つ取れ、心置きなくサナトはレンホウソの収穫に取り掛かった。
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