第十三話 魔王様、子守りを押し付けられる
毎朝の日課である人間界への転移魔法を使うと、いつも通り川原にベスがいた……のだが。
ベスの背中には小さな人間の赤子、足にベスのズボンの裾をしっかりと握った少女、ベスの前で川に石を投げ入れている少年、ベスの腕にぶら下がっている少年がいた。
人間は女が子を産んで増えるらしく、同じ両親から生まれた子は皆、血縁という繋がりがあるのだそうだ。この子供たちはその血縁関係にあるのか、皆、顔立ちが似ている。
「ようっ、サナト。待ってたぜ」
転移してきたサナトを目にした途端、ベスが嬉しそうに相好を崩した。
「実はな、今月分の給料すっちまったもんでよぉ。ちょっと子守りやって稼いでるわけよ」
お世辞にも爽やかとは言い難い笑顔が胡散臭い。
「そうか。頑張れ」
ベスなど放っておいて早く畑に行くに限る。サナトはさっさと畑の方向へと足を向けた。
「まぁまぁ、待て待て。話は最後まで聞けよ」
「何だ。お前の話など、ろくなことなどなさそうだが」
仕方なく足を止め、胡乱な目つきをくれてやる。明らかに迷惑だと目と態度で言っているのだが、ベスにそんなものは通じない。
「ちっ、ちっ、ちっ。決めつけは良くねぇぜ」
立てた人差し指を三回振ってから、ベスが子供を引き連れてこっちに寄ってきた。
「子守り程度じゃ、こいつをあまり貰うわけにもいかねぇだろ?」
こいつ、と言いながら、人差し指と親指で丸い輪を作り、軽く振った。この男に教えてもらったことだが、あの丸は金を意味しているらしい。
「そんで、だ。ちょっくら畦道の草刈りと屋根の修繕も頼まれてんだわ」
サナトの目の前に来たベスが、腕にぶら下げていた少年を下ろす。それから何故か背負った赤子を支える紐をほどき始めた。
「おい? 何をやって……?」
「奥さんが風邪気味でよ、家事代行と子守りを引き受けてるんだよぉ。この子は一番上のカイル。八歳だ。一番しっかり者だな。カイル、この兄ちゃんの言う事をよく聞くんだぞ」
サナトの疑問など何処吹く風で、ベスが子供たちの紹介を始める。
カイルと呼ばれた少年が、少し緊張した面持ちでサナトを見上げてきた。最初に石を投げていた少年だ。
「次はこっちの恥ずかしがり屋さんのルアナ。年は六歳な」
足にくっついている少女の手をベスが取り、サナトに差し出してくる。
「こら、サナト。なにボサッとしてんだよぉ。レディが手を出してるんだから、エスコートするのが男だろ」
「そうなのか?」
魔族に女をエスコートする習慣はないが、人間はするのか。
サナトは少しかがんで差し出された少女の手に、自身の手を重ねた。ぎこちなく、ルアナが小さな手で握り返してくる。
これはどれくらいの力を込めればよいのだろうか。全く分からない。
ルアナの手の、予想以上の小ささと柔らかさに、サナトは固まった。
「んで、こいつは弟のゲイル。三歳。わんぱくでよ、目が離せねぇから気ぃつけろよ」
「お、おい。気をつけろとは、何をどう気をつけろと?」
すでにルアナの扱いにも困っているというのに、これ以上何を気をつけろというのか。
助けを求めてベスへ視線を送るが、無視された。
かがんだ姿勢のサナトの視界に、横から幼子が割り込んだ。にかっと笑いかけてくる、この子がゲイルらしい。
「最後にこの子は末っ子のイルダ。8か月だ。可愛いだろぉ? 将来は美人さんだぜ」
ベスが背中の赤子を前に移動させた。ベスに抱かれたイルダが、じぃっとサナトを見つめてくる。
「あ、この子、人見知りもねぇし、首も腰もすわってるから安心なぁ」
「は? 首と腰が座る? なんだそれは」
首と腰が座るとはどういうことだろう。腰が座るのはなんとなく分かるが、首は座るものではないだろうに。
首を捻っていると、ベスがずいっとイルダをサナトの鼻先に押し出した。
「ほい。抱っこのコツは、腰と尻を支えることな」
そのままサナトの胸に押しつける。
「っと、お、おい!」
サナトは慌てて、反射的にルアナに握られている手と反対の腕で、言われた通りに腰と尻を支えた。
なんだ、これは。赤子とはこんなに小さくて頼りなさそうな生き物なのか。
「おしめと乳はこの鞄の中に入ってるからな。やり方はカイルが知ってるぜ。じゃ、そういうことで。子守りは任せた!」
「何っ!」
冗談ではない。調子に乗りおってと、サナトの額に青筋が浮かぶ。鉄槌を食らわせてやろうと、指輪に念じようとしたのだが。
「兄ちゃん、おしっこ」
ぐい、とつなぎを引っ張られた。ゲイルだ。
「その辺ですればよかろう!」
ゲイルに向かって怒鳴ると、腕の中のイルダが泣き始めた。
「へ、ふえええぇぇっ!」
「兄ちゃん、怖いぃ」
しかも、手を繋いでいたルアナまで涙目になっている。
「あぁぁ、すまん。謝る。謝るから泣き止め」
「へあああぁぁぁあっ。あああああっ!」
「ふぇ……」
「兄ちゃん、ズボン下ろしてー」
必死にイルダに話しかけてみるが、泣き止まない。ルアナの涙もぽろぽろと落ち始めた。一人で出来ないのか、ゲイルが催促してくる。
一体、何をどうしていいのか、何をどうしろというのか。
泣きたいのはこっちだ。
「兄ちゃん、サナト兄ちゃん。おしっこなら川のとこでしたらいいよー」
途方に暮れていると、くいくい、とつなぎが引かれた。一番年上のカイルだ。
ああ、そうだった、ゲイルはズボンを下ろしてほしいのだった。
でかした、カイル。
とりあえず、股間を押さえて足踏みしているゲイルを川べりに連れて行き、ズボンを下ろしてやる。
「ベスめ。覚えておれよ」
またまたカイルに教えられたように、腕の中のイルダを揺らしながら、サナトは呪詛の言葉を吐いた。
「おはようございます。……あら? どうしたんですか、サナトさん」
ほうほうの体で畑にたどり着いたサナトを見て、リベラが首を傾げた。
さもありなん。今のサナトは、片手にぐずる赤子を抱き、背中にはしゃぐゲイルを負い、ぐすぐすと鼻をすする幼女と手を繋いで、カイル少年に先導されている状態だった。
「リベラ殿! 助けてくれ!」
リベラが気付いて声をかけてくれた途端、思わずサナトは悲鳴のような声で助けを求めた。
冗談ではなく、リベラが救いの神か天使に見えた。
普段からリベラは、陽光の似合う女性ではあるが、この時のリベラはいっそう煌いて見えた。もっとも、魔王であるサナトは神も天使も信仰していないし、有難くもなんともないのだが。
「それで、ベスさんに子守りを押し付けられたんですか?」
「そうなのだ」
一部始終を聞いたリベラが、くすくすと笑った。
ルアナはリベラにひっついて、カイルと共にコロッコリーの収穫を手伝っていた。ゲイルはサナトと一緒にジョウロを持って、ニージンとレンホウソのうねに水やりをしている。イルダはサナトの背中だ。
あれからリベラにおしめを替えてもらい、紐を使っておんぶした。この紐は赤子を負う時に使う紐で、しっかりと赤子を固定できる優れものだった。おかげでおんぶをしていても、両手が使える。
「兄ちゃん、遊んでー」
一通りの畑仕事が終わると、ゲイルがサナトのつなぎを引っ張った。
「遊びか。何をするのだ」
「川行きたい! 川!」
「川でカニ捕まえる!」
結局、最初にいた川に行くことになった。
サナトは長靴を脱いでつなぎをまくり、ゲイルとカイルの二人と一緒になってカニや魚を追いかけたし、リベラはルアナと花摘みをしたり、摘んだ花で色々と作った。
しっかり遊んでからリベラの小屋に戻り、昼食を取ったりおしめを替えたり、乳を飲ませたり。その後もまた畑仕事をやったり、散歩したり。
それも全てが順調というわけではなかった。ゲイルが転んで泣いたかと思えば、イルダがおしめを濡らすわ、カイルとルアナが喧嘩になったり、その間にゲイルがどこかへ行ってしまったり。
「子供というものがこんなに手がかかるとは」
日差しに赤色が混じる頃、サナトはげんなりと呟いた。
「ふふふっ、子供ってそういうのものですよ。私も小さい頃はそうでしたし、サナトさんだって」
「……」
魔族は生まれた時から独りだ。両親というものを持たず、瘴気から発生する。
サナトは黙って、リベラの腕の中で眠るイルダを眺めた。サナトの背中には小さな温もりと重みがある。眠ってしまったゲイルだ。左手には、サナトの手を握るルアナの小さな手がある。
やがて、子供たちの家の前にたどり着いた。オレンジ色に染まった家の前に、二つの影が立っている。
「お母さん! お父さん!」
左手から、小さな手が離れた。ほんの僅かな、小さな面積。ルアナの手のひらの形に夕刻の空気が流れてきて、すうすうとした。
背中にかかっていた重みが変化する。ゲイルが起きて、足をばたつかせたのだ。下ろしてやると、駆けだした。
「今日は本当にありがとうございました。お陰でよく休めました。お帰り、あんたたち」
父親が眠っているイルダを受け取り、カイルがその腰に抱きついた。手を広げた母親の胸に、ルアナとゲイルが飛び込む。
やれやれ。やっと終わった。
サナトはぐっと唇を結び、リベラと両親たちが話をしているのに加わらずに背を向けた。
「お兄ちゃん」
ぐい、とつなぎが引っ張られる。振り向くと、子供たちがいた。
「今日はありがとう、また遊んでね!」
満面の笑顔の子供たちが。
「ああ、またな」
数回、瞬きをしてから、サナトは子供たちの頭を順番に撫でた。あまり力を入れていなかったが、子供たちの小さな体がサナトの撫でる動きに揺れて、きゃあきゃあと歓声を上げる。
たまには、こういう日も悪くない。そう思った。
翌朝。
「いやぁ、もう一日子守りを頼まれちまってよぉ」
そう言ってサナトを待ち受けていたベスはぶん殴っておいた。
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