第十一話 魔王様、ガジャ芋を植える
昼よりも白い陽光と小鳥のさえずり。
サナトが人間界に転移すると、爽やかな朝の空気の中、ベスがぬぼーっと間抜け面をさらしていた。
ベスが座っているのは、小さな川に沿った土手だ。
オセが用意したタオルの転移魔方陣は、最初に転移した場所に設定されているらしく、毎度この川原に出る。そしてベスにも、毎度ここで出会う。どうやらこの男、よくここにいるらしい。
きらきらと光を反射する川面を、ベスが口を開けて眺めていた。
ぽかんと半開きでしまりのない口、水面を見ているようで見ていない、焦点の合っていない目、しまりのない頬。魂の抜けたような顔だ。
まったく。朝からこの男の阿呆面で気分を害した。
「おい」
「どわぁっ」
ドカッ。
サナトは無造作にベスの背中を蹴った。
ベスが見事につんのめり、土手を転がる。ごろごろと転げ落ち、川にはまった。
「ぶはっ。ってサナトかよ! 何しやがる」
ざばぁっと水しぶきを上げてベスが立ち上がり、サナトへ怒鳴った。
「洗濯だ。お前の間抜け面なんぞさらしていたら、朝の空気が汚れる」
「酷ぇ言い草だなっ」
「お前など間抜けの阿呆面でも生温いわ」
無駄な時間を過ごしてしまった。
足を戻したサナトは、さっさと畑に行こうと踵を返した。
「ちょっと待ったぁ」
「なんだ」
渋々足を止め、肩越しに振り返った。
ずぶ濡れのベスが、こちらを止めるような格好で、上げた手から水を滴らせながら愛想笑いを浮かべる。それから気色の悪い猫なで声を出した。
「それがよぉ。この前貰った報酬なんだけどよぉ、全部すっちまってよ。俺らってほら、友達だろぉ? ちょこっと貸してくれねぇか? 倍にして返すから、な?」
真の阿呆か、こいつは。
サナトは瞼を半分下ろし、ベスを冷たく見やった。
「ひれ伏せ」
「どぅわっ、ゴボガボッブボボ」
指輪の効力でベスがひれ伏す。ただし、ベスの足元は川である。ひれ伏すのは当然川底で、ベスが水中に没した。
バシャバシャと川の中のベスが、手足をばたつかせる。サナトが指輪の効力を解かない限り、ひれ伏した体勢から起き上がれないのだ。
しばらくすると、ゴボゴボと泡立っていた水面が、だんだんと静かになっていった。
「……ふむ」
サナトはあごに手を当てて考えた。
このままだとせっかくの下僕……もとい、友人が窒息死する。また新しい友人を手に入れるのも面倒だ。仕方がない。解いてやろうではないか。
「ブハァッ! ゲホゲホッ、ゲハッ、ゴホッ。し、死ぬかと思ったぁっ」
派手な水音を立てて、ベスがばたばたと岸に上がった。ぜぇぜぇと肩で息をしながら、草の生えた川原にへたりこむ。
それを尻目に、今度こそ畑に向かおうとしたサナトの足首を何かが掴んだ。
視線を下ろしてみると、ベスだ。
「待て! 本題だ! リベラのとこで畑をやるのはいいが、肥料。あれを用意していたのは何を隠そう、この俺だ」
「嘘をつけ。肥料はリベラ殿の小屋に仕舞ってあったものだったぞ」
「おうよ。俺が配達したからな」
「む。そうだったのか」
なにせ俺は農具屋の息子だからな、とベスが自身の張った胸に立てた親指を当てる。
それは胸を張るようなことだろうか。
そう思ってから、サナトは己の思考に待ったをかける。
農具屋とは畑で使う農具を売っている店だ。畑仕事をするにあたり、これほど重要な店があるだろうか。いや、ないに違いない。
ならばベスが今、なにやら誇らしげにしているのも納得である。
「それは大儀だったな」
一応、ベスなりに働いていたのだから、労ってやった。これでもう用はないだろう。
「おお。ってちょっと待て待て」
「今度は何だ」
サナトは声を一段と低くした。
労ってやったというのに、いまだに足を離さないベスがいい加減うっとおしい。
「ちっちっち。分かってねぇなぁ。肥料も種も金がいるんだよ、金が。この間の分はツケなの。だからレンタルした畑で使った肥料と、これから植える種の金くれ」
「ツケとは何だ」
「借金みたいなもんだな。後からもらう金のこった」
なるほど、金か。魔界なら力ずくで奪えば済むものを。
人間界では何かにつけて金がいるらしい。
「しかしベスよ。金なら報酬として渡していたであろうが」
「ばっか、報酬は報酬。発生した経費は経費。これ常識な」
「む。そういうものか」
人間界の常識というのなら従わねばならないだろう。しかし以前換金した金は必要分は使い、残りはベスに渡したので今はない。
「仕方あるまい。換金に行くか」
「おっしゃ。これでばあちゃんに殺されずにすむぜ」
笑顔のベスがすっくと立ちあがった。何かと丸め込まれている気もするが、サナトはよしとしてやることにした。
ベスとのやり取りを経て、またいくつかの品を換金し、サナトは畑に向かっていた。
ベスとは別れて一人だ。片手に野菜の種が入った袋を下げ、反対の手には肥料の入った袋を担いでいる。
「おはようございます、サナトさん」
背を向けて座っていたリベラが、サナトに気付いてぶんぶんと手を振った。リベラの前にはシートが敷かれ、その上にガジャ芋の種芋が転がっている。
「おはよう、リベラ殿。これが種か?」
サナトはリベラに近寄り、手元を覗きこんだ。ガジャ芋は半分に切られていて、切り口は乾いていた。
「切ったものを植えるのか」
「ええ。種芋が小さければそのままですが、この大きさだと切って植えます。切り口が湿っていると腐っちゃいますから、三日前から干して乾かしておきました」
「ふむ。色々と下準備がいるのだな」
土づくりといい、種芋の準備といい、畑仕事は奥が深い。
「サナトさんは何を持ってるんですか」
「ああ、これか。この間はリベラ殿の肥料を使わせてもらったからな。ベスが持っていけと言って持たされた」
リベラに問われてサナトは持っていた袋を地面に置き、袋の口を開けて中身を見せた。
「まあ。ニージンとレンホウソの種ですね。ベスさんのお勧めですか?」
「うむ。ガジャ芋と同じ時期に蒔くならこれがいいと言ってな」
サナトが借りた畑はかなり広く、全てガジャ芋を植えると大量のガジャ芋がとれる。農家としてやっていくならそれでもいいかもしれないが、サナトの目的は単なる癒し。趣味である。
その旨を伝えると、ベスが一つの野菜を大量に作るのではなく様々な種類の野菜を育てればいいと、ニージンとレンホウソの種を勧められたのだ。
「いいと思いますよ。ベスさんのお勧めに間違いないです。ああ見えて畑のことには精通していますから。あの人、お金にはルーズですけど仕事は確かなんですよね」
「む。そうなのか」
下僕……もとい、友人が意外に優秀だったことが判明した。
「では、ガジャ芋から植えていきましょう」
「いよいよだな!」
待ちに待った植え付けだ。サナトはうきうきとガジャ芋の種芋が入ったカゴを手に取った。小脇に抱え、リベラの後に続く。
「大体30セーチほどの間隔を開けて、深さ10セーチくらいの穴を掘って下さい」
「これくらいか」
掘った穴をリベラに見せる。それくらいだと、リベラが頷いた。
「逆さ植えといって、断面を上にする植え方もあるんですけど、今回は普通の植え方で行きましょう。切った断面を下にして穴の中に置いて土を被せて下さい」
「逆さ植えとは何だ」
「逆さまに植えると病気に強いガジャ芋が出来るんです。出る芽の数は少なくなりますけど、大きなガジャ芋がとれるんですよ」
なるほど。植え方にも色々と方法があるらしい。
「あとはキャベッツから離して植えること。なぜか育ちが悪くなっちゃうんです」
言われてみれば、今ガジャ芋を植えているうねは、キャベッツが植わっているうねから遠い場所だ。
「他にも、同じ場所で同じ野菜を続けて植えると病気になりやすかったり、虫がきやすくなります。同じ野菜じゃなくても、同じ仲間だとやっぱりよくないです」
「同じ仲間とな」
どの野菜と野菜が同じ仲間なのだろう。ガジャ芋を植えながら、サナトは首を捻った。
「ガジャ芋の場合、トマトマやナスビーとかですね。あ、ピーマもですよ」
「何っ!? あれが仲間なのか。まったく違うではないか」
ごろごろとしたガジャ芋と、真っ赤なトマトマの実、黒紫のずんぐりしたナスビー、緑でつやつやとしたピーマ。
どれもが色も大きさも違う。ついでに言えばガジャ芋は土の中だし他の野菜は普通に実を付ける。それらが仲間だとは到底思えなかった。
「それが同じ仲間なんです。花とか見るとよく似てますよ」
「むう。野菜は奥が深いな」
だからこそ面白い。喉の奥で唸りながら、サナトはいっそう畑仕事が好きになった。
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