嫌いになったんでしょ
彼女は何かを考えるようにして一度俯たあと、スッと顔を上げた。
「さて、あなたを村長のところに案内しないといけないわ」
「村長?」
「そこであなたは村長に正式に依頼を受けてちょうだい」
「わかった」
「ありがとう」
彼女は再び可愛らしい笑顔をのぞかせた。
なだらかな下り坂を二人で歩く。
道の横幅は少し狭いがサクサクと坂道を下っていく。
士鏡は田舎を歩くのには慣れていた。
「なあ」
彼女に声をかける。
彼女は正面を向いたまま応答する。
「何?」
「君の名前は?」
「身千以」
「ミチイ?」
「うんそう。あなたは?」
「俺は深草志鏡」
「そう、シキョウ。覚えたわ」
覚えるのは下の名前なんだ。
別に嫌ではないけど。
と、照れそうになる。
そして、そもそも自分が異性に照れそうになること自体が珍しい経験であることに士鏡は気づいた。
士鏡は自惚れ屋ではないが、吸血鬼は皆容姿端麗であり自分もその一員であることを自覚していた。
吸血鬼は吸血対象を確保するために生まれつき容姿に恵まれていることが種としての生存戦略のようなものだった。
だから獲物から照れられることはあっても、吸血鬼自身が獲物に照れることは珍しい。
士鏡は勝手に自分でこの謎に結論を出した。
21世紀の吸血鬼は一部を除いて人を襲わない。47都道府県の専門店で血液を購入することができるからだ。狩りをしなくなった吸血鬼はその本能を薄れさせてきているということだろう。
戦闘能力は最強でもそうした所は甘くなってきている。
それに自分は幼稚園、小学校、中学校、高校と人間と同じところに通っていたのだし、異性に照れてしまっても別に不思議ではない。
うん。きっとそうだ。
一人で納得すると士鏡はこの可愛い女の子と色気のない話を再開させた。
「身千以、君はどうして村が『魔王の姫』の領地にされるのが嫌なんだ? 大人しく領地になった方が村が安定するかもしれないぞ?」
身千以はハタッと立ち止まった。
士鏡も足を止める。
身千以は俯き静かに告げる。
「私には滅ぼしたいたい国がある」
この子の発言はたまに怖いなと思う。
そしてシリアスな話を聞くには気分の切り替えが必要だ。
そう判断した士鏡は期末テストの終わったばかりの学生が期末テストの1週間前にタイムスリップさせられたときのような勢いでシリアスな話をするための頭に切り替える。
「それはかなりぶっ飛んだ考えだ。それで滅ぼしたい国があることと村を魔王の姫の領地にしたくないこととの間に一体何の関係があるんだ?」
「村が魔王の姫の領地になると、魔王の姫の許可なく自由に他国との争いができなくなる。そういう理由よ。単純でしょ?」
身千以は綺麗で冷たい笑みを浮かべた。
ちょっと待て。それはおかしい。
「じゃあ問題が解決して村が安定したあと、身千以は村の人々を戦争に巻き込むつもりなのか? 他国を滅ぼすために!」
「そうよ。人々を巻き込むわ。でも戦争はしない。それはこの村のやり方じゃないわ」
「ならどうやって国を滅ぼす?」
「国の一番の権力者を暗殺する。そしてその国の新しい後継者を私たちの操り人形にできる人物に挿げ替える。それが忍者のやり方よ」
「えげつないやり方だ。敵国の支配者と友好関係を結ぶという選択肢はないのか?」
「あの国の最高権力者は私の個人的な仇でもあるし、絶対に殺すわ」
士鏡はこぶしを握り締めた。
「そうか。俺は君が嫌いになったよ」
「えっ」
身千以の瞳孔が大きく開いた。
動揺しているのがわかる。
「君が『魔王の姫』との関係を『修復』したいというのも自分の望みを叶えるためか」
「それもあるわ。否定はしない。でも差し迫った村の危険を救いたいというのも本当よ。天使の襲来にも備えないといけないし」
「いずれにせよ君は忍者の村の人の協力を得てある国を滅ぼしたいんだろ」
「そうね」
「何故? どうして君はそこまでして他国を滅ぼしたいんだ。俺にはわからない」
「――」
身千以は黙ったままだ。
「まさか復讐とかの理由か?」
「そんな単純な話ではないわ」
身千以は真っすぐな瞳で士鏡に向き直る。
「復讐? そうね。感情的に言うのなら私は復讐したいわ。でも私の理性は告げている。それはきっととても虚しいものだと。だから私はそんなことを目的にはしない。私は暴君が支配するあの国にいる私の妹を救いたい。それが私があの国を滅ぼす最大の目的よ」
「どういうことだ?」
「私が滅ぼしたいその国は私の故郷『魔女の国』。私は忍者と魔女のハーフ。父と姉は魔女である母に殺され、妹は母に洗脳されて魔女にさせられた。私だけが逃げ延びた。だから成長した私はあの国のトップである母を殺して妹を救う」
身千以は悲しげな遠い目つきをした。
どういうわけか士鏡の胸の内には深い同情の念が沸き起こった。
「身千以?」
「何?」
身千以は元の凛とした目つきに戻る。
士鏡は身千以の両肩を自分の両手でギュッとつかんだ。
この子に何か優しいことをしてあげたいと思った。
それに吸血鬼の力を使えばこの子のためにできることがたくさんある。
「身千以、詳しく聞かせてくれ。君の過去を、その国のことを。俺は君の力になりたい」
「え、イヤよ」
無下に断られた。
ショックだった。泣きたい。
身千以はあさっての方向を向く。
「だってあなた、私のことを嫌いになったんでしょ!」
身千以の横顔はかすかに不満気な気配を漂わせている。
――俺がさっき彼女を嫌いになったと言ったことを根に持っていたのか。
身千以は照れたような、怒ったような、何とも言えない表情で士鏡の方に向き直った。
「私、別に、あなたの発言を根に持っているわけではないのよ」
なんだ。根に持っていないのか。
よかった。
それとも、まさかこれが有名なツンデレ――。
身千以は独りで先へスタスタと歩き始めた。
「あ、待ってくれ」
後を追いかける。
追いついた。
ふたりでそのまま5分ほど並んで歩いた。
しばらくして唐突に身千以が歩みを止める。
今度はなんだ?
平地はもうすぐ目の前に見えている。
村の外れの入り口の柵までここからあと六十メートルほど進めば到着する。
だからここは立ち止まるにしては中途半端な位置だ。
しかし知らない土地なので身千以に従って立ち止まる。
思えば出会ってからずっと彼女に振り回されているような気がする。
「こんなところで立ち止まってどうした?」
身千以は無言で周囲の気配に神経を張り巡らしていた。
真剣な表情だった。
さっと身千以は刀の柄に手を伸ばした。
小声で囁く。
「気をつけて」
身千以の全身から猛烈な勢いで殺気が漂い始めていた。