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4 窮地を救うは

 敬の情報によると、二人は午前中に映画、それから軽く昼食――その後は繁華街をぶらぶらするというデートプランだそうだ。

 その筋書きをどちらが考えたのかは分からない。が、完全に気後れした盛田君を、魔王が引っ張るような形でデートは進められた。

 あえて事細かに内容を思い出す必要もないが、二行でまとめるとこうだ。


 映画は、バリバリのアクションものだった。

 昼食は、たこ焼きを買い食いしていた。


「あのやろう、見た目は変わっても中身はそのまんまじゃねえか!」


 寒空の下、繁華街で敬とたこ焼きを分け合いながら、俺は思わず心の声を外に出していた。


「完全に彼女の趣味だねえ。下手に店に入られるよりかは、尾行しやすいっちゃしやすいんだけど」

「……はぁ、なんかバカらしくなってきたな」


 不意に虚しくなり、俺は二人を追う足を止めていた。吐いた息が白くなり、目の前でふわりと消える。


「ん? やめるの?」

「……ああ。これ以上は、もう必要ねえわ」


 というか、勢いで尾行なんてしたものの、最初からそんなことをする必要などなかったのだ。

 おそらくこのデートの締めくくりに、盛田君は告白でもするのだろうが、その結末まで見届ける気にはなれなかった。

 結果はどうあれ、それを見たからといって、俺はどうすればいいんだっていう話だ。

 そもそも、見る権利もない。


 俺には見せたこともないような服を着て、楽しそうに年下の男と肩を並べて歩く幼馴染。

 そんなあいつを、こそこそと物陰から見ているだけの自分は、さぞかしダサく見えるだろう。


「なあ、敬。せっかくだから、ゲーセンにでも行って時間を潰そうぜ」


 尾行はもうやめて、そうしようと俺は提案して敬を見た。


「……いや、ユウちゃん。そうも言っていられない雰囲気だ」

「なに?」


 敬の顔が急に真剣な――何かを睨むような険しいものに変わっている。

 その理由は、前を向けばすぐに分かった。

 魔王と盛田君の前を塞ぐように、男が二人立っていたのだ。

 思わず近くの建物に身を隠すようにして、魔王たちの様子を覗き見る。

 一見して姉弟にも見えなくないアンバランスな二人だ。魔王がナンパにでも引っかかったのかと思ったが、どうも険悪な雰囲気が漂っている感じだ。

 男の一人は俺たちと同じく中学生に見えるが、もう一人の方は中学生の体格ではない。

 たぶんあれは、高校生か。


「あれ……もしかして、山田じゃ……」

「……敬?」


 俺と同じく身を隠した敬が、青ざめた顔をして呟いていた。

 何か様子がおかしい。そういえば山田って、つい最近聞いたことがあるような……。

 しかし、記憶を掘り当てる前に敬は立ち上がり、俺の肩に手を置いてきた。


「ゴメン、ユウちゃん。ちょっと確かめたいことがあるから、一瞬離れる。すぐ戻るから、あっちの様子は見ていてくれ!」

「は!? お、おい!」

「ほんとにゴメン! マジですぐに戻るから!」


 悲愴に顔を歪め、敬は俺の言葉を聞かずに走り去ってしまった。

 そして、しばし唖然としていた俺の耳に、短い悲鳴が届く。


「おいおい……マジかよ」


 見れば、背中を押された魔王が路地裏へ連れられようとしていた。盛田は尻餅をつき、完全に怖気づいてしまっているように見える。


(……何やってんだよ! くそ!)


 通行人はいるが、日曜の繁華街は子どもを含めて若い人たちが多い。ただの喧嘩程度にしか思われていないのか、ちらりと互いに視線を交わし合うくらいで積極的に関わろうとする人はいなかった。


「おい! 盛田!」


 もう我慢ならず、俺は盛田のところへ駆け寄っていた。魔王は既に奥まで連れていかれたのか、ここからでは姿が見えない。


「え? あ……枇々木先輩!」


 俺の顔を見て、盛田は真っ青を通り越して顔を白くしていた。

 なんで身体を張ってでも助けねえんだと、喉まで出かかったが堪えた。今はこいつを責めている場合ではない。


「説明はいい。警察でもなんでもいい。とにかく助けを呼べ。できるな?」


 手を引いて立たせ、俺は盛田の両肩を掴んだ。腰を落とし、目線を合わせて睨むように見据え、はっきりと言う。

 怯えたように目を震わせていたが、こっちにも気を遣う余裕などないことは盛田にも分かっているはずだ。こくこくと頷く盛田の肩を突き放すように解放すると、俺はもう振り返らずに路地裏へと急いだ。

 ビルとの隙間にできた路地は薄暗く。空気は薄っすらと冷えている。気持ちは逸るが、なるべく身を潜め、慎重に気配を殺しながら進んで行く。

 すると、魔王の甲高い声が、はっきりと聞こえてきた。


「お前ら、女相手に二人がかりとかダサい真似してんじゃねーよ!」


 ようやく追いつき様子を窺うと、袋小路に追い詰められた魔王が啖呵を切っているところだった。

 相手の二人は、どちらも俺に背中を向けている。

 あのバカ……怒鳴るにしても相手を選べ。喧嘩腰じゃ、火に油を注ぐようなもんだろうが。


「緒林、意地張ってないで俺と付き合えよ。さっきの頼りないガキなんかじゃなくてよ。俺の方がよっぽどいいってもんだろ?」


 と、小柄な方のもじゃもじゃ頭の男子が魔王に向けて何か言っている。

 なんだ? こいつら知り合いか?

 そう疑問に思うと、その答えは魔王の口から聞かされた。


「うっせーな、山田。だからお前のことは何とも思ってないって言っただろーがよ。好きでもない奴と付き合えるか!」


 あ……、思い出した。山田って確かこの間、魔王に振られたとか敬が言ってた奴だ。

 まったく興味もなかったので聞き流していたが、まさかこんなところで顔を見ることになるとは。


(ん? じゃあ……つまり、この状況はどういうことだ?)


 いまいちピンと来なかったが、何にせよ事態を落ち着かせなければ。

 今はまだ魔王の口の悪さがまさって手を出しかねているようだが、行き着く先は想像に難くない。山田は弱いものを見下す奴特有の、いやらしい笑いを浮かべていた。

 もう一方の坊主頭のでかい男は、黙って腕を組んで成り行きを見守っているみたいだった。それだけが不安要素だが、行くしかない。


 せめて魔王がこっちに気付いてくれればよいのだが、興奮したあいつはこっちに目もくれていない。

 無策になるが、このままだとあいつ、間違いなくやばいからな。

 最後のためらいを腹の底に押し込むように、唾を飲む。それで、覚悟は完了した。


「あのー、ちょっとすいません」


 なるべく軽い調子で、恐る恐るといった声を意識する。俺はわざと猫背気味に姿勢を悪くし、現場に踏み込んだ。


「ああ? って、お前は……枇々木!?」


 振り返った山田が俺の顔を見て、思いっきり指差してきやがった。なんだ、俺はお前のことは知らんぞ。

 魔王もやっとこさ俺に気付いたようで、目を見開く姿を視界の端に捉えたが、あえてそこはスルーする。


「なんだ、カズ。知り合いか?」

「同級生だよ、兄貴。緒林の幼馴染って言うのか? とにかくうざい金魚の糞みてえな奴だよ」

「…………」


 期せずして、二人の関係は会話から知ることができた。

 それにしても、山田から向けられたのは、あからさますぎる敵意を含んだ眼差しと罵りだった。面識もないというのに、なんだか知らんが俺は相当彼に嫌われているらしい。


「ってか、何の用だよお前? 緒林に助けでも呼ばれたのか!?」


 魔王にそんな暇がなかったことは少し考えれば分かりそうなものだが、山田は凄みながら詰問してきた。ちょっと頭が足りてなさそうだと、心の中で情報つけ足しておく。

 俺は山田に愛想笑いを浮かべて、初めて魔王へと一瞬目を向けた。

 さっきまでの勢いはどこへやら、明らかに動揺し、怯えたような目をしている。そんなあいつの顔は、今までに見たことがない。

 まったくもって、らしくねえな。

 今日は、初めての顔をよく見る日だと、内心で苦笑する。


「たまたま見てただけだよ。訳ありみたいだが、女の子に乱暴するのはよくないかなーと、義侠心を起こしただけだ」

「わけわかんねーこと言ってんじゃねーぞ! こらあ!」


 一応言ってはみたが、「はいそうですかと」素直に引き下がってくれるはずもなかった。低い脅しの声を上げて詰め寄った山田が、俺の胸倉を掴む。


「わ、わかったから落ち着けよ。なあ、おい」


 苦しそうに顔を歪め、ゆっくりと頷く。どうでもいいけど、息が臭いなこいつ。


「とりあえず、今日の所はこの辺で、な? やっぱ無理強いは――」


 言い終わる前に突き飛ばされ、危うく舌を噛みかけた。尻をしたたかに地面に打ち、思わず声が漏れる。


「ってぇ……」

「うるせえんだよバカが! お前、頭わりぃのかよ! 状況わかってんのか!?」


 睨み下ろされ、びびって目を逸らす振りをする。そして、俯き気味にして表情を見えにくくし、山田の背中越しに魔王へ視線を送った。


(……気づけよ、おい)


 念が通じたか、あいつは俺の視線に気付いた。今度は数秒、目でしっかりと言葉を交わす。俺の意図を察してくれたようで、奴は短く頷いてくれた。

 それじゃあ、いっちょやるかね。


「まーまー、山田よ。そう言わずに……」


 なるべくなめられるように、引きつった笑みを浮かべながら立ち上がる。


「穏便に……いこうぜ!」

「お――」


 背筋を伸ばして山田と目を合わせると、こちらをなめ切っていた顔色が変わる。その隙を逃さず山田の襟首を捩じるように掴み、足首を引っ掛けて地面に押し倒した。


「動くなッ!」


 一気に山田に馬乗りになった俺は、その顔面に拳を突き付けて声を張り上げる。


「動いたら、あんたの弟の顔面をぶん殴る」

「ひ――!」


 睨みを効かせると、身構えかけていた山田兄は眉を微かに持ち上げ、動きを止めた。

 そのほんの僅かな間があれば、魔王が逃げ出すには十分だった。一気に魔王は、俺たちの間をドリブルさながらに走り抜けて突破する。


「おい! お前も!!」

「足止めしてんのが分からんねえのか! いいからさっさと行け!」


 振り向いて呼びかけてくるが、即座に怒鳴り返した。何度か路地と俺の間で魔王は首を巡らした後、「すぐ戻るからな!」と言って駆けて行った。

 やれやれ……とりあえず、これであいつの安全は確保できたか。


「……。中々面白いことするな、お前。で、ここからどうする気だ?」


 そして、見た目通りの低い声で山田兄が訊ねてきた。口には余裕と言うか、疲れた感じの笑みを刻んでいる。


「な、なに言ってんだよ兄貴! 早く助けてくれよ!」

「……穏便に引き下がっては、くれませんかね?」


 唾を飛ばしながら叫ぶ山田を無視しながら、俺は山田兄に訊く。しかし、彼は肩を竦めると俺の方に近付いて来た。

 ああ、こりゃやっぱり、脅しだってことが最初からばれてたな。


「女を欲しがってのは弟だ。中々良い女らしいから、よけりゃものにしようとも思ったが、あれは対象外だな。それはもうどうでもいい」

「あ、兄貴?」

「……は、はあ。そうっすか。そりゃよかった」

「だが、やられっぱなしも性に合わんのでな」

「――が……っ!」


 俺が山田兄の回し蹴りをくらったのだと気付いたのは、横殴りの衝撃に吹っ飛んで壁にぶつかってからだった。


「ま、落とし前は一応つけとくぞ」

「は、はは! 流石兄貴! ざまあみやがれ!」


 息を吹き返したみたいにはしゃぐ山田の声がうっとうしかったが、正直そんなことを気にしている余裕はなかった。

 咄嗟に防御ガードに回した右腕が、マジで痛い。一気に脂汗が額から滲み出ていた。

 だが、それを顔に出すわけにはいかない。尻餅をついたまま俺は顔を上げ、山田兄弟に笑いかけた。


「……ボコるなら早めにした方がいいっすよ。一応、つれが警察呼んでますんで。ここは行き止まりだから、来てからじゃ、まず逃げられないっすから」

「んだと……!」


 立ち上がった山田が、これ以上にないくらいに赤い顔を不細工に歪めながら見下ろしてくる。山田兄も警察という単語に少なからず表情を変えていた。


「それに山田。お前、煙草やってんだろ。そんな口臭じゃ、女にもてんぞ」

「――! なめてんじゃねえぞッ!」


 怒鳴り散らす山田の爪先が脇腹に食い込み、続けざまに踏みつけるような蹴りが襲う。ちょっと煽り過ぎた気もするが、これくらいで丁度いいだろう。

 あとは嵐が過ぎ去るまで、大人しくやられるとしますかね。


「――おい、やめとけ。話を聞いてなかったのか。さっさと逃げるぞ」


 が、思わぬところで救いの手が入った。山田兄が弟の肩をぐいと引き、俺から引き離したのだ。


「こいつにお前は負けてんだろ。ダサい真似してんじゃねえ、ボケが」

「……!」


 その一言、一睨みだけで、山田は情けない程に縮み上がっていた。かくいう俺も、感じたこともない迫力に思わず身震いしてしまっていた。


「そんじゃあな、坊主」


 最後に一瞥をくれて、山田兄は弟を連れて路地を去って行った。

 よく分からんが、まあ……助かったってことか。


「はぁ~~……」


 緊張の糸が切れた俺は、そのままずるずると壁に背をあずけ、ゆるく長い安堵の溜息を吐き出した。

 しかし、ここでずっと座り込んでいるわけにもいかないため、休憩もそこそこに立ち上がる。

 あちこちに痛みはあったが、動かすことに支障はなさそうだ。


「行きますかね……」


 ひとまず皆と合流するため、俺も路地裏を抜け出すべく、歩き出した。

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