2 宣戦布告?
「ところで、冬は恋人たちの季節だと思わないかい? ユウちゃん」
昼休み――弁当を食べていると、机を挟んで座る悪友の敬が急にそんな話題を振ってきた。
思わず摘んでいた玉子焼きを弁当箱に戻し、箸を置く。
「なにアホなことを言ってんだ」
「いや、真面目な話だよ」
コンビニで買ったのだろうパンを頬張りながら、アホがキリッと真剣な眼差しを返してくる。
正直うざい。
しかし、こうして昼食を共にしている以上、食い終わらなければ席を立つこともできなかった。
「で、冬が何だって?」
仕方なく聞き直すと、「へへっ」と何故か得意顔となった敬は身を乗り出してきた。
やはりうざい。
「おいおい、しっかりしてくれよ。もう十二月なんだぜ」
「知ってるよ。だから、それがどうしたんだって話だろ」
「はは、まったく、惚けちゃって。これだからクールを装ったムッツリ大臣は困るよ」
「てめえ、ぶっ飛ばされてえのか」
「いや、ごめん。冗談です、はい」
眉間に皺を寄せて思い切り睨むと、いとも簡単に奴は折れた。
それじゃあ、俺がイジメてるみたいだろうがよ。
「だから、冬は恋人たちの季節なんだって」
「その心はなんだ?」
「ちょっとは真面目に考えてくれよ。冬と言えばなんだい? シンキングタイムだよ。はい、考えて」
怒られた。聞くからに不真面目そうな話題を振る奴に真面目にやれと言われても無理しかないが、一応考えてはみた。
「冬ねえ、クリスマスとかか?」
「そう! あとはその手のイベントで何かないか?」
「イベント……、正月、バレンタイン?」
あとはホワイトデー……いや、これは春か。
「そうそう! なんだよ、分かってんじゃないか、ユウちゃん」
「恋人だのなんだの言われれば、まあそれくらいは想像できるだろ」
気を取り直して玉子焼きを口に運ぶ。うむうむ、我ながら今日も上々の出来だな。
「その態度は相変わらずだね。というわけで、これを見てくれよ」
「なんだ?」
そう言って敬が制服のズボンから取り出したのは、スマホだった。突き付けるように俺の前に差し出されたその画面には、チャット用のアプリが起動されている。
「んん?」
そして、会話らしきログが映し出されているのだが、そこで発言されている内容は、見ただけでは何の事かさっぱり分からなかった。
――90人。
――いやいや、100人は超えるだろう。
――大台に乗って200人だな!
などなど、もっと細かい数値の発言はあるが、何かの予想だろうか。しかも、結構な人数が発言を繰り返して盛り上がっているみたいだ。
スマホから視線を戻して敬を見ると、奴は笑いながら「わかったか?」と目で問いかけてきた。
もちろん分かる訳がない。
「なんだよ、これは?」
訊ねると、敬は片手を口に添え、声を潜めて言った。
「そりゃ、決まってるっしょ。緒林眞子が卒業までに、何人斬りを達成するかって予想だよ」
「…………」
眉間の皺をほじくりながら、しばし考えた。そして、ようやく理解する。
斬るとは、つまり振るということで……あいつ――魔王が何人告白してきた異性を振るのかということだろう。
魔王はもてる。
そりゃまあ、容姿端麗、眉目秀麗、美少女を絵に描いたようなお嬢様であることは認めよう。
だが、それはあくまで見た目の上のことである。
口を開けばオレ様なあいつのどこがいいというのだ?
まったく、あいつに告白してきた連中には悪いが、神経を疑うぜ。
「はっ、くだらねえ遊びをやってんだな」
「ちなみにこれ、男だけじゃなくて女も数に入れてるんだぜ……」
「……マジか」
あいつ、どんだけなんだよ。
「今は50人以上というデータがある。あ、ちょうど今、隣のクラスの山田君が玉砕したと言う情報が」
軽快な通知音とともに敬が実況を始める。情報がリアルタイムで恐ろしい。
「というか……とうの本人はあそこにいるみたいだが」
窓の外に向けて顎をしゃくる。二階の教室から見下ろすグラウンドでは、男子がサッカーをしていた。
その中に、スカートの下にジャージを履いた魔王が一人混じっている。
元気はつらつ、今シュートを決めやがった。周りにはちょっとしたギャラリーまでいる始末である。
「ああいうところだね。彼女が人気なのは」
魔王はチームメイトとハイタッチを交わし、満面の笑みで声援に答えて手を振っていた。敬はその光景を面白そうに見つめながら笑い、俺にちらりと視線を投げてくる。
まあ、分からないでもない。有体に言えば、あいつは男女の垣根なく付き合いがよく、人気がある。
気安いと言うか……そういうところが受けるのだろう。よくある、あいつは俺に惚れていると勘違いさせやすい奴なのだ。
オレ様だけどな。
「で、話を戻すけどさ、ユウちゃんは何人ぐらいになると思う?」
「あいつに振られる哀れな子羊の数か? くだらねえって言ってんだろ。興味ねえよ」
「ふうん、そっか。残念だな。じゃあさ、それとは別に大穴レースもあるんだけど」
「レース?」
「そそ。何人斬られるかじゃなくって、その逆ね」
何故か挑発的な目で、敬は不敵な笑みを浮かべていた。不気味に思いながら睨み返すと、こいつはやはりと言うべきか、にやついた口から碌でもことを言い出した。
「今年の冬に、緒林眞子を攻略する勇者は現れるのか」
何人もの告白者を返り討ちにしてきたこの女を、落とせる者が現れるのか。
既にクリスマスに向けて、そわそわと浮足立っている者たちは多くいる。その空気に当てられて、魔王に告白しようとする子羊たちも増えることだろう。
それは、去年にも実績がある。その顛末は、全て当たって砕け散ってしまうというお粗末なものだったということを付け加えておこう。
とはいえ、魔王は俺にそういった話をひけらかすような真似はしたことがない。あくまでこれは、学校の噂として聞いているだけの話だ。俺もわざわざ、あいつに真相を確かめたりするほど野暮ではない。
「ちなみに、ユウちゃんの名前も上がってるんだぜ」
「はあ?」
「幼馴染の二人の仲の良さは周知の事実だしな。俺は参謀として、ユウちゃんが彼女を攻略するのに、昼飯一週間分を賭けている。頼むぜ、勇者」
「……お前らの遊びに俺を巻き込むんじゃねえよ」
あの魔王を俺が攻略など、冗談ではない。
まったくもって馬鹿げている。
「いいや、それでも、ユウちゃんならやってくれる。俺は信じてるからな」
ぐっと親指を立てる敬を無視して、俺は弁当を食うのを再開した。正直、付き合ってられん。
しかし……、グラウンドを走り回っている魔王の姿を盗み見るようにしながら食べる弁当は、なんだか味気なかった。
◆
そして、その日の放課後。
昼休みに敬のアホから聞いた話のせいで、なんとなく胸がもやもやとし、午後の授業は身が入らなかった。
適当に身体を動かして、とっとと気を紛らわせたい。足早に部室へと向かうべく、俺は教室を出た。
「あ、あの」
が、出鼻を挫くようなタイミングで横合いから声を掛けられた。振り向くと、小柄な男子生徒が俺を見上げていた。
「……俺?」
周りには俺以外に誰もいなかった。しかし、見たことのない顔である。違うクラスの奴だろうか。
なんとなく、気弱そうな印象だった。俺が見返すと、おどおどと目を忙しなく動かし、組んだ指先をもじもじと擦り合わせ始めた。
「は、はい。あの、枇々木勇先輩……ですよね?」
「そうだけど、一年か?」
そう訊くと、下級生と思しき少年は頷いた。
「盛田渡です。い、一年A組です」
「はあ、そうかい。で、その盛田君が俺に何の用?」
「えっと、その……ここじゃ、あれなので、ついて来てもらってもいいですか?」
盛田君は人目を気にしているのか、きょろきょろと落ち着きがない。心配しなくても放課後なので他の生徒の影はまばらなのだが、どうにも安心できない様子だった。
「いや……俺、これから部活なんだけど。すぐ終わる話なのか?」
「だ、大丈夫です。お手間は取らせませんから!」
「……ほんとかよ。少しだけだぞ」
「はい! ありがとうございます!」
少年があまりにも必死で、捨てられた子犬のような目をしてくるものなので、同情心も手伝って付き合うことにした。
我ながらお人好しだとは思ったが、まあ後輩の面倒を見るのも先輩の務めだと思うことにしよう。
そして、盛田君は人気のない校舎裏へと俺を連れて行った。冬のため、屋外は寒い。
だが、彼の口から飛び出した衝撃発言により、そんな寒さは吹っ飛んだ。
「好きなんです!」
「………………え」
拳を握り締め、熱っぽい目で俺を見つめながら、決死の覚悟と言った感じで盛田君は告白してきた。
……いやいやいや!
何かがおかしい。落ち着け俺。
放課後、校舎裏で、下級生に呼び出され、告白される。
男ならば、誰しも少なからず憧れを抱くシチュエーション。
だが、相手は男だ。
よく見れば童顔(中学に上がったばかりなのだから当然だ)で、可愛げのある顔をしていなくもないが、彼は男だ。
彼なのだから、当然だ。
「……あ! その、いえ、違うんですよ! 枇々木先輩が好きっていうわけじゃなくて!」
「…………なに?」
唖然とした俺の顔を見たからだろうか。盛田君は慌てふためき両手をぶんぶんと振り出した。
なんだ、違うのか。いや、別に残念がっているわけじゃない。俺は心から安堵した。
ふう、危なかったぜ。『主語をはっきりさせろ』という国語の授業で教わったことの重要性を、まさかこんなところで体感するとは思わなかった。
「えと、そうじゃなくて、僕が好きなのは緒林眞子先輩なんです!」
「………………な」
しかし、主語が明確になった後輩君の発言に、今度は別の意味で絶句した。
聞き間違いでなければ、なんと、あの魔王に惚れているとな。
「そ、それで……お願いなんですが、僕を緒林先輩に紹介してもらえないでしょうか!?」
「ちょ、ちょっと待って。一旦落ち着け」
まくしたてるように要求を言ってくる盛田君を両手で制し、冷静になるよう促す。
辛うじて彼の話は理解できたが、いや、しかし……。
「なんで俺にそんなことを頼む? 本人に直接言えばいいじゃねえか」
「そ、それは恥ずかしくて……。先輩は、緒林先輩と幼馴染なんですよね。仲も良いって噂を聞いて、だから……」
「ふむ……」
さて、目の前の哀れな子羊をどうするべきか。
と、顎に手を当てて考える姿勢を見せてはみるものの、俺の中での答えは決まっていた。あんまり気を持たせるのも悪いから、手短にいくとしよう。
「悪いことは言わん。やめといた方がいい」
「え……な、なんでですか?」
「そりゃお前……あいつは誰の手にも負えないと言うか、制御不能と言うか……どう見ても、お前とは合いそうにないぞ」
学校では多少猫を被って人気者になっているようだが、あれの本性は俺が良く知っている。
それを鑑みれば、この気弱そうな彼にあいつの相手が務まるとは、とてもではないが思えなかった。
「なんでそんなことを言うんですか。合う合わないは、当人たちの問題でしょう! 先輩に決められることじゃありません!」
これでも親切心から言ったつもりだった。傷が浅い内に諦めた方が彼のためだと思ったのは嘘ではない。
しかし、強めに諭せば引き下がるだろうと思った予想に反して、盛田君はけっこうな勢いで噛み付いてきた。
「もしかして、枇々木先輩も緒林先輩のことを狙ってて、そんなことを言うんですか? ライバルを減らすために」
そして、更にとんでもない容疑を吹っ掛けてきやがった。
「そんなわけないだろ。あいつは、ただの幼馴染だ」
「じゃ、じゃあ、もし僕と緒林先輩が付き合うことになっても、問題はないわけですよね」
「お、おう……まあ、まだそれ以前の話だがな」
「なら、紹介してくれてもいいってことですよね」
いや、待て。何故そうなる。
ていうかこいつ、そこまで先輩に強気に出れるなら、やっぱり恥ずかしいだの言わずに直接言いに行けばいいじゃねえか。
もしかして、俺ってなめられてるんじゃなかろうか。そんな不安が鎌首をもたげ始める。
(いや……けど、まあ。そうまで言われると、断る理由も……)
何で俺がそんなことをしなけりゃならんのだとか、面倒くさいと理由をつけて断ることは、もちろんできる。
できるのだが、何やら胸の奥がざわつく。このまま、この後輩君を無視してしまえばそれで話は終わりなのに、なんだか逃げるみたいで癪に触った。
それは、盛田君に負けるというよりも、自分自身に負けるみたいな感覚だった。
「……わかったよ。そこまで言うなら、いいぜ」
「え?」
「話だけはしておいてやるよ。もちろん、結果は保証しないが、それでいいか?」
「は、はい! ありがとうございます! よろしくお願いします!」
自分でも、どうして盛田君のお願いを聞いてやったのか、はっきりと説明し辛い。
だが、彼も悪い奴ではなさそうだし、結果は見えているような気もするが、聞いてやる分にはいいだろうと思ったのだ。
そういうことに……しておこう。