待ち人には、雪傘をさして。
本作品はなろう作者白狼さんの『約束は、時計の針が何周しても。』を読んでより、成り立っています。未読の方は、そちらから読んで頂くといっそう楽しめると思います。
腕時計の針の位置を横目で確認しながら、彼女はいつも赤い手袋を口もとに当てて、寂しい息を吐く。
かたかたと震える小さな肩。つい漏れ出る溜め息。そのどちらも、雑踏を行き交う人の波に紛れていってしまう。
駅前の白い恋人達の鮮やかなイルミネーションも、はらはら舞う粉雪も、彼女の胸の隙間を埋めてはくれない。
それでも彼女は今週もあの場所で待っている。
どれだけ待っても来ない誰かを、時計の針が何周しても。
そんな話をうっかり親友の前でこぼしてしまったら。
「お前もそうとうだぜ」
なんて、全てを見透かしたような目で、にやにや笑われた。
クリスマスの日の、ゲーセンからの帰り道。特定の誰かとの予定なんて当然なくて。数人のダチとあてもなく出歩いて、くだらねぇことで笑って、騒いで。それで終わりにするはずだったのに。
胸でつかえたままの言葉が、強く心臓を締め付けて痛い。
イベントのバイトで、駅前のショーウインドーに豆電球の装飾を取り付けていた、あの日。俺は彼女を見つけた。その日から毎週、あの場所に立つことを知った。待つ誰かが来ないことも。
この痛みに名前があるのなら、もしかしたら恋ってやつかもしれない。けど俺はもう苦しいのは嫌なんだ。
「いいからさっさと帰ろうぜ。気になるなら、カサぐらい貸してやってくりゃいいだろ」
東北地方の天気は崩れやすい。しんしんと降る雪が、ふとした拍子には雨に変わり、アスファルトを濡らす。
「でも傘がねぇんだよ」と白状すると、いよいよ腹を抱えて笑い出した。ふん、男の友情なんてこんなもんさ。
だからもう、待つのなんてやめろよ。隙間から吹く風は冷たいし、凍えるほどの想いをして待つ道理なんてないだろ。
そう、言ってやりたいのに。
「私折りたたみのカサ持ってるよ。これ、貸してあげなよ。何ならあげちゃってもいいよん」
「いいんすか、アカネさん。どうもっす」
俺もいつかアカネさんが自分に傾いてくれるのを待っているだけだから、踏み出せない。
「代わりに今度新しいの買ってよ。ねえ、マサシ」
ポケットに突っ込まれていた親友の腕に、アカネさんの腕が絡まる。温かい。
でも、残酷だ。
「なんで俺なんだよ。もうお前、いいから行ってこい。置いてくぞ」
「ああ、すぐ戻る」
想いの置き場所に困って、ただ日常を消化していく。
でもきっと、これでいい。黒のダウンに舞い降りた白い雪が溶けていくように。
借りたカサを片手に俺が走り出すのと、彼女がいつもの場所から一歩歩き出したのは同時だった。
目を凝らしていても、瞬く間に彼女は人の波と白い世界に吸い込まれていく。
また来週も待っているかどうかなんて、分からない。だから今手を伸ばす。
「待って!」
掛け声と突然掴まれた腕に驚いて、振り向いた彼女。
喉が酸素を求めて熱をもつ。
「なんですか」
まるで不審者を見るような鋭い視線を浴びる俺。でもいつも彼女の肩が次第に落ちていく様も知っているから。
「いや、あの。コレ……ずっと待つのって、つらいだろ。だからさ」
差し出したカサは薄い水色。晴れた空と同じ優しい色。彼女の毛糸の手袋には合わない。
「余計なお世話だったら、捨ててくれていいんだ。でも俺、あんたを応援したくて。来週も、待つんだろ」
流れる沈黙。
こうしている今も白い粒が大きくなっていく。
足元を見つめ考え込んでいた彼女が、赤い毛糸を一度口元にやった時だった。
「ありがとう」
赤い手袋がカサを受け取った。微笑んでいた。
その表情はまだ寂しそうで睫毛も震えていたけど、ほんの少しだけ安心した顔で。
明日も待てるんだ。
「それ、返さなくていいから。それじゃ」
踵を返してまた走り出す。でも足音はどこか軽快だった。
ダチは俺を待っていてくれたらしく、小言を言いつつ迎えてくれた。
そして誰かが「帰るか」と振り返った時。彼女の赤い手袋はもう見つけられなかった。
代わりに、交差点を渡る人の群れの中に水色のカサが小さくなって消えていくのが見えた。
END
私は待つよりも、待たせてしまうタチです。でも待つのは嫌いじゃないです。根気よく待て、とは言いません。ただ待っている時間に、意味や価値がないなんて思わないで。そんな思いで書きました。 ここまで読んでくださった貴方と、執筆するきっかけとなった白狼さんに感謝を込めて。ありがとうございましたっ。