第01話 星暦1211年11月11日
―――ようやくここまで来れた、とアリエッタは思った。
現皇帝、ウィレス・ドミネア・ヴル・モスコの子である第三皇女アリエッタ・グルシア・ヴル・モスコは予てから連絡を受けていた猟兵団の長が帰ってきた為、交渉の席に着く事になったのである。
誠意と覚悟を見せる為、アリエッタは少数―――メイドと執事を入れて6人という人数で指定されたリンドブルム山へと着いた。
かつて古竜が支配したといわれる山とあって生息している魔獣の強さも他と比べならないほどに強く、ここを根城にするほどの強さを持つ猟兵団ならば交渉次第できっと力強い仲間になってくれる、そうアリエッタは期待した。
何より『星杯の騎士ヒカル』という存在が切り札である以上、怖いものなど何もない、そう思っていたのだ。
「……結構登ってきたな、周囲の魔獣も強いし、本当にこんな所にその連中がいるのか…ですか、姫様?」
下手な敬語を使う青年、ヒカルは疲れたのか深く深呼吸しながらアリエッタに尋ねた。
大国の皇女であるアリエッタにそのような言葉を使ってもいいかといわれると、間違いなく駄目だろう。
同じ馬車に乗っている執事とメイドの2人が不審な目でヒカルを睨むが、アリエッタが顔を向けると恭しく頭を下げた。
ヒカルという青年にはそれが許されていた。
―――特別な存在、そう、ヒカルという存在は世界でも希少な存在であった。
アリエッタが世界に数えるしかないとされる【星神の贈物】を使い、【星杯の騎士】という存在を召喚したからだ。
帝国の古くからある御伽噺に、【星杯の騎士】という話がある。
まだ帝国と呼ばれる遥か前の群雄割拠の時代、地に血が満ち河が赤く染まり屍の山が何千と出来た狂乱の時代があった。
大地に憎しみと悲しみが満ち溢れる事を憂いた【星神アスター】は1人の若者に自らの【杯】を与えた。
その杯は地に満ちた憎しみや悲しみを汲み取り浄化する力を持ち、その力を使って若者は大陸を渡り歩いたのだ。
いつしか若者の隣には若者を護衛する【騎士】がおり、若者が王となった時まで片時も離れなかったという。
後に【星杯の騎士】と呼ばれた彼は若者が死ぬまで片時まで離れなかったという。
そして時代を超え、アリエッタはその【星神の贈物】の所有者となり、それを媒介した召喚術を行った。
アリエッタは、この【星神の贈物】が【星杯の騎士】を召喚するための鍵だと推測したのである。
そしてその推測は的中し、見事ヒカルという強力な存在を召喚したのだ。
アリエッタはヒカルに丁寧にお願いをし、彼を味方にする事が出来た。
この山にいる魔獣も、ランスロット1人だけでは危ないだろうが、ヒカルがいれば苦戦しても問題ないほどの強さを持っていた。
「大丈夫ですヒカル、地図は確かにこのリンドブルム山の頂上を指しています。
わたくし達はなんとしても、彼らと契約を結ばねばなりません。
その為には、相手側の要求をある程度呑まなければならないのです」
馬に乗っているヒカルはアリエッタの言葉を正面から受け止めた。
このリンドブルム山に僅か6人という極少人数―――しかも内2人には戦闘能力はないとされる―――で登っているのである。
―――相手側、猟兵団と呼ばれる彼らが秘密裏にアリエッタ達に接触したのは、今から2ヶ月ほど前の事である。
『この内戦に勝利したくば、その覚悟を以って来られたし。
日時はこちらから指定する』
という置手紙が誰にも気付かれずにアリエッタの部屋にあったのだ。
現在このモスコ帝国では、現皇帝ウィレスが病に倒れ、次期皇帝を指名する前に床に伏してしまった。
それを理由に、皇子、皇女達の5人が次の皇帝になろうと内戦を始めてしまったのである。
最大勢力は正妃マルガレーテの娘である第一皇女ディアーナ、二番手に息子第一皇子シュライバン、それに協力する第二皇女アーデルハイトで、三番手が第二皇子シュバルツ、そして四番手がこのアリエッタなのである。
最も次期皇帝から程遠いとされるアリエッタに、何故このような手紙が来たのか。
全員の証言を聞いた限りでは、その時間帯にアリエッタの部屋に近付いた者はいなかったとあり、この猟兵団が秘密裏にアリエッタの今いる伯爵家の屋敷に侵入し、かつ誰にも気付かれる事無くアリエッタの部屋にまで侵入せしめたという訳だ。
それだけでも、かなり優秀な斥候を持っている証拠でもあったし、何よりアリエッタは自分に賛同してくれる者に報いようと必死だったのである。
向かってくる魔獣の壁をランスロットが切り開いていく。
ランスロットはアリエッタが幼い頃から使えてくれている近衛騎士であり、この内戦の中、近衛騎士の殆どは第一皇子であるシュライバンに味方したのにも関わらず、騎士見習いと共にアリエッタの元へ馳せ参じてくれたのだ。
その気になれば第一皇子の陣営でかなりの地位に昇れたのにも関わらず、アリエッタを次代の皇帝とする為に賛同してくれたのである。
アリエッタが最も信頼する騎士であり、アリエッタの良き相談役でもあった。
「姫様、もうすぐ山頂です。
何が待ち構えているかわかりません、ご注意ください。
騎士殿とお話しするのは結構ですが、身を乗り出さぬよう」
「はい、ランスロット。
ありがとうございます」
「………」
ランスロットは190センチを越える高身長の騎士で、アリエッタに長年仕えているとあってか、彼女に対する接し方に慣れていた。
そしてランスロットはヒカルの事を『騎士殿』と呼んで言外にヒカルの事を認めていなかったのだ。
ヒカルの戦闘能力についてランスロットは心配していない、しかし、ヒカルには決定的に足りないものがあった。
それを意識的に避けている事に気付いているのか、ヒカルはランスロットと目を合わしたり、自分に関わる話題となると目を離したり会話を逸らしたりとするのだ。
しばらく無言の時間が続き、山頂にと辿り着こうとしたその時。
―――ランスロットは止まった。
「……なんだ、あれは。
エクター、馬車を止めろ」
「はっ!!」
エクターと呼ばれた騎士がすぐに馬車を止め、それを不審に思ったアリエッタが身を乗り出そうとするが、あわてて執事とメイドが止めた。
ヒカルもランスロットの隣へと馬を並べると、目の前の存在に息を呑んだ。
「なんだよ…あれ、ステータスが見えねえ!?」
―――ランスロット達が見たのは、今までこの山にいた魔獣がまるで赤子のような、格の違う存在だった。
その魔獣は異形だった。
翼を生やした魔獣―――怪物は猛禽の顔を嫌そうにして蛇の尻尾を揺らした。
猛禽の頭に胴は漆黒と黄色の縞柄模様、世界のどの魔鳥よりも大きい漆黒の羽に足は淡い茶色で尻尾は黒い双頭の蛇である。
しかもその巨体は優に3メートルは超えていて並みの魔獣では歯が立たないほどの気迫を感じさせる。
道を塞ぐ魔獣だが眠っているのか、目を閉じてしまっていて襲ってくる気配がない。
「……騎士殿、あの魔獣の戦闘能力はわからないのか?
ステータスという騎士殿の【魔眼】でも見えないのか?」
ランスロットが剣を抜くのすらも躊躇するほどに事態が切迫しているのだが、ヒカルはただ圧倒されてロクに答えられない。
「か、鑑定を使ってるのに、モジバケが、あの魔獣のステータスが読めない!?
なんだよあれ、どこの裏ボスだよっ、序盤からそんなバグキャラ出ていいのかよ!?」
ランスロットはヒカルの錯乱具合から、魔獣が想像を絶するほどの、6人程度ならば即座に抹殺出来る存在なのだと理解すると、アリエッタのいる馬車にと馬を寄せた。
「…姫様、緊急事態です」
「……なにがあったのですランスロット?
どうやらただならぬ事が起きたようですね?」
アリエッタはランスロットの険しい表情に何かあったのか悟ったのだろう。
その表情はアリエッタが以前帝都を抜け出す際に見せた、あの表情とそっくりだったのだ。
「強力な魔獣が行く手を塞いでいます。
幸い襲ってはきませんが、いつ襲ってくるかわかりません。
私が抑えているうちに、姫様は騎士殿達と一緒にお逃げを」
ランスロットはもはやヒカルに戦力として期待していない。
むしろいたとしても邪魔だろう。
それならば、ランスロット1人が時間稼ぎに賭けた方が良いと判断したのだが、アリエッタがその提案を打ち切った。
「―――この状況、どこか不自然です。
その魔獣、わたくしも見てもいいですか?」
「いけません、それは!!」
「そ、そうだぜ姫様っ!!」
ランスロットとヒカルが慌て止めるが、アリエッタは聞き入れない。
引き止める執事とメイドを振り切り、馬車から降りると魔獣と周囲を観察した。
「……やはりおかしいです。
これは、|彼らの仕業と見て間違いないでしょう」
『彼ら』という言葉にランスロットもすぐにそれが一体何を指すのか察した。
「で、では、猟兵団があの魔獣を従えていると?」
「はい、間違いありません」
アリエッタは断言すると、ある場所を指差した。
ランスロットとヒカルは指差された場所を見ると、魔獣の後方に何やら洞窟のようなものが見えたのである。
「あの魔獣は間違い無くあの洞窟を守っている門番と見ていいでしょう。
力尽くで押し通れば確実に全滅ですが、こちらの対応次第では通してくれるはずです」
そういうと、アリエッタは1人魔獣のいる場所へと歩いて行く。
「いけません姫様!!」
ランスロットが馬から降りてアリエッタを止めようとするが、今まで動き出さなかった魔獣の目が開いたのである。
『……』
「なっ!?」
「ひっ!!」
一瞥、たったそれだけでランスロットとヒカルは動きを封じられてしまった。
まるで蛇に睨まれた蛙の様に、全身が動かなくなったのである。
そうしているうちにアリエッタは魔獣の目の前にまで立ってしまった。
「攻撃する意思はありません。
道を通る以外何もしないと誓います、どうか通していただけませんか?」
アリエッタはこともあろうに、魔獣に対し下手に出て『お願い』に出たのである。
これにはランスロット達が泡を食ったが、今行った所で間に合う距離にはいない以上、見守ることしか出来ない。
『……』
魔獣は目を見開くと、アリエッタを見つめた。
アリエッタはその目をじっと見つめ返し、魔獣の次の行動を待った。
アリエッタを魔獣は観察し、アリエッタもまた魔獣を観察した。
目の前の存在が、無害なのか有害なのかを。
そしておもむろに魔獣が立ち上がると、口を開く。
『―――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!』
「……っ!!」
突然の行動にまさか咆哮を上げると予測していなかったのか、アリエッタの顔が引き攣った。
何か自分は恐ろしい勘違いをしたのかと、そう思ってしまったのだ。
吼え猛った魔獣は耳を劈く轟音を響かせると洞窟へと入って行く。
「…え?」
魔獣は悠然と、まるでアリエッタ達の事など忘れたかのような気軽さで洞窟の奥へと入ってしまったのである。
そしてようやく恐怖が追いついてきたのか、へたり込んでしまったアリエッタにランスロットとヒカルが駆け寄ってきた。
というより、詰め寄ってきた。
「姫様、何故あのような危険な事をしたのですか!?
一歩間違えれば、姫様があの魔獣の腹の中だったかもしれないのですよ!?」
「お願いだから姫様、危ないことはしないでくれ!!」
「け、けど、あの魔獣には理性があ、あったと思うのです。
だとしたら、話せばわかってくれるはず、そう思ったのですよ」
すべて推測だけで行動したアリエッタは当然だがランスロット達から大激怒を喰らう。
「…ヒヒヒヒヒ、なんじゃ、表に何が来ているのかと来て見れば、客人ではないか?
ひぃふぅみぃの…うむ、6人じゃな」
コロコロとした、鈴の音のような声が洞窟から響いてくる。
驚いたアリエッタ達は洞窟へと視線を向けると、そこから1人の少女が現れた。
黒を基調とした、レース、フリル、リボン、に飾られた華美な洋服を着た少女は何故かウサギの面を被っており、顔は口元を残して隠れてしまっていた。
地面に付くほど伸びた黒髪を片手で弄くりながら、少女はアリエッタ達の前に立ち止まった。
「貴女は…?」
アリエッタの疑問にウサギ面の少女は口角をゆっくりと上げた。
「ようこそお客人、《毒の群体》の牙城へ」
どこか芝居かかった、年寄染みた口調の少女は、そう答えた。
読了ありがとうございました。




