第1話 星暦1211年4月3日
前2話を経てようやく1話です。
よろしくおねがいします。
星暦1211年4月3日
エヴァン・ヴァーミリオンはその日、アナハイム王国王都ベルンへと到着する。
『湖の国』と呼ばれるアナハイム王国は王都の一部を巨大な湖に囲まれた都市である。
かつて穢れた大地に【星神】が哀れんで流した涙がこの湖に落ちて穢れを浄化したという伝説の湖でもある。
なつかしの故郷、と言いたい所ではあるのだが、エヴァンは生まれて始めてこの国の王都へときたので、感動して涙を流す、などと言うことはない。
素直に王都の規模に感嘆した。
「へぇ、すごいや。
これだけ大きいのに自然との一体感がある。
この中央通りを作った人とはいい趣味してるね」
どこか上から目線な発言であるのだが、エヴァンにとっては珍しく手放しで褒めているのだ。
むしろ残念な事に、この地に起こる事件を思えば、このような長閑な光景も将来的に見る影も無くなるのだろう、そう予感したエヴァンである。
「…おぉ、よく来たのう主よ。
待っておったぞ、入学式前日に着くなぞ、どれだけ時間にのんびりなんじゃ」
エヴァンに声を掛けたのは、年端もいかぬ少女であった。
黒髪を後頭部で纏めて伸ばしきっており、まるで尻尾のように見える。
シミ一つ無い艶やかな肌には、見る者を少女と忘れてしまいそうなほどだ。
形のよい眉も、整った目鼻もそこらの少女と比べれば天と地の差がある。
そんな少女の口調はどこか年寄り臭く、どこか見た目とちぐはぐであった。
「あ、アニマだ。
久しぶりアニマ、二ヶ月ぶりかな?
元気にしてた?」
そう、目の前にいる少女はエヴァンの使い魔と呼ばれる魔獣であり、エヴァンにアニマと呼ばれる少女である。
見た目に反してこの少女、否、魔獣は優に千年の時を生きた怪物であり、恐るべき人食いの化け物なのだ。
目の前の少女の姿もかつての犠牲者らしく、容姿が気に入ったということで化けているのである。
「応よ、久しぶりじゃのう。
まったく、ある時と二ヶ月も離れ離れになるとは、組織の連中も酷いもんじゃよ。
じゃがようやく一緒になれたのじゃ、これからまたよろしく頼むぞ主よ?」
歩幅の短いアニマがエヴァンと手を繋いだ。
傍から見れば見目麗しい兄妹の仲の良い光景と思われるだろうが、その実、この場にいる誰よりも凶悪な二人組なのは間違いないだろう。
「そうだアニマ、例の件、どうなってるの?
もう結果発表って終わっているんだよね?」
「おおそうじゃったそうじゃった。
ふふん、見るが良い主よ、この成績を!!」
歩きながらアニマはエヴァンに一枚の紙を渡した。
渡された紙の内容には、入試成績第一位、と書かれており、同時に特待生としての待遇で学院に受け入れるなどと記載されていたのだ。
そう、この二ヶ月、アニマが主人であるエヴァンと別れていたのは、これが理由であった。
アニマはエヴァンを通して命令を受け、その変身能力を以ってこのアナハイム王国にある王立学院の入試試験を受けていたのだ。
当初エヴァンは召喚されてから随分経つアニマにこれまで教えたこの世界の一般常識や歴史などをちゃんと覚えているのか、ちょうど良い時期に試験もある上にエヴァンと別れての任務に支障が無いのか、さまざまな試験を同時に行っていたのである。
そして結果は歴代成績第一位、と言う予想をはるかに超える結果であった。
返された答案を見るに、オールパーフェクト。
今後の任務の事を考えると、面倒極まり無い結果であった。
そしてエヴァンは用紙の一番上、誰宛なのかを再度見てしまう。
『エヴァン・ヴァーミリオン様』
そう、アニマは主人であるエヴァンに化けて試験に出ていたのである。
しかもこの二ヶ月間、ほとんどエヴァンの姿で行動をしており、問題は起こしていないものの、組織とは関係の無い人間とも交友関係を広げていた。
「…アニマぁ、面倒事の予感がするんだけど?」
「そうじゃのう、この姿じゃと色々と制限があってのう、酒も飲めんし色々と不便なんじゃよ」
ジト目で睨むエヴァンに、アニマはニタニタと笑いながら言い訳をした。
どう見ても本人(?)は反省をしていないのは明らかである。
「あのねぇアニマ…王立学院っていう事は、つまりこの王国一の最高学府って言うことでしょう?
国外の人間、しかも平民がこんな成績で入学したら、絶対に貴族とかに睨まれちゃうじゃない!!
僕我慢できる気しないんだけど!?」
まさか試験で良い結果を出したのに怒られたのが不服だったのだろう。
むすっとしながら、アニマは笑顔を崩す。
「そんな連中、むしろ殺したい放題じゃ無いのかの?
どうせ任務の為にいつもやっておることじゃろう、少し順序が変わっただけじゃよ」
アニマのいう通り、エヴァン達が所属している組織は必要とあれば虐殺も厭わない容赦の無さを持っているが、それでもエヴァンはそんな手間の掛かる事をしたくは無かった。
別に虐殺を嫌悪しているだとか、正義感からくる忌避感とか言うのは一切無いのだから。
むしろエヴァンは一時期その虐殺もとい、殲滅系の任務を率先して受けてきた身である。
どうして引き受けたのかといえば、趣味である錬金術で作った猛毒の処理や臨床データに困ったからで、ちょうど良く大規模な殲滅任務―――カルト教団殲滅というものだ―――があった。
なので任務もこなせ、猛毒の処理及び臨床データも手に入ると言う一石三鳥な事を良い事に、個人では殺人鬼でもここまで殺せるかというほどにエヴァンは人間を毒殺していたのだ。
その所為か、組織から言い渡されたコードネームは【毒嵐】という、なんともマッドなものとなったのだが。
それでもお蔭で数ヶ月の間に新作の毒薬が十七種類も出来たと小躍りした事を思い出したエヴァンであったが、すぐに現状を見つめ直した。
とにかく、面倒なのはごめんなのだ。
特にエヴァンは自分でも自覚しているがプライドが高い。
故郷の村をあの人に連れられて以来、組織で徹底的に鍛え上げられ、戦闘技術はもちろんの事、純粋な製作能力、潜入工作、尋問スキル等々等、数えればキリが無いほどの技術を習得しているのだ。
まだ12歳だというのに、エヴァンは組織内ではすでに上から数えた方が早いほどの階級と序列を上げていた。
その所為か、エヴァンは自身の能力に自信を持ち過ぎ、プライドを傷つけるような人間に対して容赦の無い事をしでかす事が多い。
例え同じ組織にいようと、恨みは絶対に忘れないし、機会があれば絶対に、徹底的に殺していた。
それを踏まえての【毒】なのだと自覚していたエヴァンは、今回の任務で自分の抑えが効かない事が嫌というほどに想像してしまったのだ。
このアナハイム王国の情勢は資料から知っていたエヴァンにとって、明日から通う学院が『平等』なんてモノを掲げている割に、まったく貴族生徒と平民生徒との扱いが平等ではないのだ。
学院の建前などそのようなもので、毎年何人もの平民生徒が退学させられていたのだと知ると、エヴァンはこんなことならアニマにもって適当に試験を受けておくように命じておけば良かったと後悔するのだった。
「…けど、今回の任務、責任者があの人なんだよなぁ」
エヴァンがぼやいた。
そう、エヴァンがぼやいたあの人という人物。
かつてエヴァンをこの道に引き釣り込み、ここまでの|怪物に仕立て上げた張本人。
【夜明けの軍団】序列第一位【中将】ルッケンス・クーガーであった。
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王都にベルモンド商会という商屋がある。
本店を錬金術の最高峰と呼ばれるミスラ公国に置き、ミスラ公国関連の商品、つまりは錬金術によって作られた品物を重点的に置いているのだ。
ポーションや解毒剤、錬金術の道具まで販売していたり、薬草等も本国から輸入していた。
アナハイム王国に店を構えて早七年、ちょうど戦争勃発時からあるその店は、現在では冒険者にとって頼りになる存在である。
しかしそれは表の顔であった。
本来はエヴァン達が所属する【夜明けの軍団】が表向き経営している商会の一つである。
裏の顔は【夜明けの軍団】のサポーター。
組織の本部からの情報を連絡したり、隠れ家を用意したり、計画の下準備など、多岐に渡りエヴァン達をサポートしているのだ。
そして今日、ベルモンド商会は一度として味わった事の無い威圧感を長時間受け続けていた。
待ち人が来ないのである。
【毒嵐】と呼ばれる少年は約束の時間になっても現れない。
そして、すでに着いていた人物、【夜明けの軍団】序列第一位【中将】ルッケンス・クーガー。
【千眼】と呼ばれる彼は穏やか表情で二階にある会議室で席に着いていた。
ここが今計画の作戦本部となり、前線基地であるのだ。
かれこれ二時間はそこで黙している彼は年齢を感じさせないほどに若々しかった。
理由としては彼の持つ莫大な魔力がその肉体に影響を与えており、他の人間と違い老化のスピードが遅いのである。
すでに老人と言えるだけの歳月を生きる彼は、その性格と能力から育成関連の任務が多かった。
彼の育てた者達は短期間で【尉官】クラス上位まで駆け上がっていき、現在の最高位は遅刻している【佐官】級最上位【大佐】。
しかも十三人いる内の二位である。
育てたルッケンスが一番驚いていた。
何しろあのときの死に掛けた子供が、二年と待たずに【佐官】クラスに入り込んだのだから、世の中面白い事もあるものだと。
「こんにちは~遅れちゃってすいません【中将】閣下。
近道しようと裏路地入ったらちょっと絡まれたんで、処理しておきました」
ようやく待ち人がやってきたのだが、初めて王都に来たのに近道しようとして裏路地に入るだなんて、アホの子なのかこの子は、とルッケンスは内心ため息をついた。
実際エヴァンの生活はかなり変わっていて、任務や趣味以外ではかなりルーズだったりする。
プライベートだからという理由からなのか、約束をした本人なのにも関わらず、相手より何十分も遅く着くなどざらにあるのだから。
任務や趣味以外に意識を張り巡らしていない証拠である。
とはいえ、そんなだらしない状態でも体は反応するもので、どれだけ不意打ちを掛けようとしてもエヴァンは瞬時に回避して見せるため、これまで問題視された事は無い。
遅刻癖以外は、何も問題はないのだ。
「…かまいませんよエヴァン・ヴァーミリオン【大佐】。
予想していた遅刻時間より早かったので、それほど気にしていないから」
待たされる側のルッケンスもエヴァンの遅刻癖には慣れたもので、今回はむしろ早かったとばかりに、笑顔を見せていた。
この場にはアニマはいない。
使い魔であるアニマにはこの会議室には入る資格が無いためだ。
そのため、扉の前で部外者が乱入して来ないよう佇んでいるのだ。
「ですか、良かったです。
…それでは」
エヴァンは右手を握り締め胸に当てると、そのまま勢い良く右手を伸ばして斜めに掲げる。
【夜明けの軍団】における敬礼である。
先程までの緩い空気はもはや一片も無く、キリリとした冷たい空気で会議室は満ちていた。
「ただいまをもちまして、エヴァン・ヴァーミリオン。
【星神の黄昏】計画に従い、これより任務を開始します!!」
「ようこそエヴァン・ヴァーミリオン【大佐】。
今計画において、優秀な君が参加してくれたのは我が組織にとって大変行幸だ。
コードネーム【毒嵐】の力、期待している」
「ご期待に沿えるよう、全力を尽くします」
模範的な礼をとったエヴァンに、ルッケンスは会話を続ける。
「明日から君が潜入する王立学院だが、新たな情報が入って入る。
…掛け給え、そしてその書類を読んで、感想を聞かせてくれ」
ルッケンスは着席を勧めると、エヴァンは軽く会釈して椅子に座ると、目の前に置かれていた報告書に手をとった。
この国で使われているどの用紙とも違う純白の用紙にはこれでもかとびっしりと情報が書き連ねていた。
「…なるほど、第一王女がいるのですね、実に面倒極まりない。
筆記テストの結果は三位ですか、優秀ですねこれは。
あとは…へぇ、ビスト侯爵家の次女、ですか?
自分の一つ下の二位、これまた優秀だ。
すでに二級魔法使いクラスの腕前ですか、【尉官】クラスでも少々梃子摺るかもしれませんね。
あとは…また王族?
こちらは第三王子で…なるほど、第一王女と同時期に生まれたのですか。
こちらは剣術の腕が目立っていますが、テストの結果は六位。
十分に優秀です。
…閣下、お勧めはどれでしょうか?」
ざっと見通すと、エヴァンがルッケンスに尋ねた。
ルッケンスは待っていましたとばかりに両手を組むと、まずは王子だねと答える。
「そこに書かれている通り、彼はすでに将来は臣籍降下し騎士となることを王に宣言している。
そのため彼に追従するものは少ない…のだが、彼の実家に注目したい」
「ビスト侯爵家とは、遠戚関係に当たっていますね、しかもその関係は良好と。
そしてビスト侯爵家の次女、ロニ嬢ですか、彼女と第一王女は幼い時からの友人…所謂、腐れ縁というやつですか」
「せめて幼馴染といってあげなさい」
即座にルッケンスからの突込みがエヴァンに向かった。
もちろんエヴァンもわざと口にしたので、それ以上何事も無く会話は続けられる。
「つまりだ、王子から順番に攻略すれば、最終的には上位貴族と王族との関係が持てるというわけだよ。
しかし、今計画の君の身分偽装ではエヴァン・ヴァーミリオンはミスラ公国からの留学生、という事になっている。
もちろんだが、平民という身分だ、それだけではまだ貴族や王族達と関係を作るには理由が浅い。
なので、私から君の使い魔であるアニマに、出来れば筆記テストを全て満点でとるように命じたのだ。
国外からやってきた留学生は超がつくほどの成績優良な生徒で、学院きっての天才児。
あとは何もしなくとも彼らから話し掛けてくるだろう。
君は彼らに不審がられない様に信頼を勝ち取り、王宮へと侵入し目的の場所周辺までのルート構築、及び情報収集を主な任務としてくれたまえ。
そのためには何を利用しても良い、私が許可する。
苦楽を共にするも良し、組織の人間を利用するも良し、全て許可しよう」
それだけの重要な任務がエヴァンに任されていた。
エヴァンはそれだけ組織から信頼されているのだと思うと、やはり全力で当たらねばと再度認識を一新させる。
プライドこそ高いが、エヴァンは慢心などしない。
一度の失敗が全てを台無しにするという事は、この七年で嫌というほど理解している。
この任務も同様、否、それ以上の覚悟をもって計画遂行のために従事しなければと気を張るのであった。
「過分なご配慮、感謝いたします。
それでは、後日計画書をお渡ししますので、万事その通りでお願い致します」
会話の中ですでに計画を立てたのか、エヴァンはルッケンスに伝えると、急がなくても良いと返された。
「今計画は【夜明けの軍団】にとって失敗は許されない任務だ。
計画立案において君の能力を疑っている訳ではないが、まずは実物を見てからのほうが良いだろう。
それからでも遅くは無い、時間はまだあるのだから」
「…失礼いたしました、気が急いていたようです、申し訳ありません」
緊張からなのか、寒気を覚えたエヴァンであったが、ルッケンスに諭されると寒気もどこかに去っていくように感じられた。
「構わないとも【大佐】、君の気持ちは大凡だが理解できる。
もうすぐこの国を、君を絶望の底に叩き落とした連中を同じ目に遭わせられるのだと思えば、力んでしまうのも無理は無い。
本来ならば復讐心から暴走するのではないかと一部の【将官】クラスが意見を述べていたが、全て私が押し切った」
「閣下……ありがとうございます」
「君ならば心配はいらない、君はこの厳しい任務を乗り越え、復讐と任務を両立させ遂行出来るだろう。
計画も重要だが、我が組織は君のような者達の為にあるといっても良い。
それだけの力を、我々は、いや、私は君に与えたつもりだ。
復讐心だけに囚われず、計画遂行の為に君が全力を尽くしてくれるのだと、私は確信している」
組織に所属しているもの達は大なり小なり”闇”を抱えている。
エヴァンはもちろんの事、目の前にいるルッケンスにも差はあれど抱えているのだ。
組織は一定以上の階級を持つ者に様々な特権がある。
最低でも【佐官】クラス、その中でもエヴァンの持つ階級である【大佐】クラス以上の階級であれば、大抵の事は望めば叶えられるのだ。
そしてエヴァンはその願いを叶えられるだけの権限を持つだけの人間となった。
世界から見ても、エヴァンの所属する組織は『悪』としか呼べないほどの、どうしようもない組織である。
だが、それでもそれにしか縋り付けられない者達にとっては、【夜明けの軍団】は救世主なのだ。
だからこそ、エヴァンは代償を払い続け、ここまでやってきた。
「…お任せください閣下。
自分が、エヴァン・ヴァーミリオンは今計画を持って悲願の半分を叶えてみせます」
「期待しているよ、エヴァン。
私の誇る弟子よ、見事、遂行してみせなさい」
かつて組織において師弟であった二人は、微かだが笑っていた。
読了ありがとうございました。