プロローグ2 星暦1211年2月13日
某国山岳地帯にてそれは起きていた。
目を覆いたくなるほどの爆発である。
小規模ながら一帯を焼き尽くす炎が小さくはあるが、木製の要塞もどきを焼き尽くしていた。
丸太で防壁も、頑丈な岩の扉も、今は炭となりドロドロに溶けている。
この要塞もどきを建造したのは、一つの盗賊団だ。
【赤い牙】と呼ばれるそのその盗賊団は普段は盗賊として街道の商隊を襲い、戦争となれば周辺の盗賊達を纏め上げ傭兵団として戦場を巡る。
着々と勢力を伸ばしてきたその盗賊であった。
いくつもの隠れ家を持っており、この要塞もどきは中でも一番の防衛力を誇っていた。
しかし、その防衛力をも上回る暴威が、盗賊達を襲う。
十人にも満たない黒服の集団が、突然襲いかかってきたのである。
真昼間であるにも拘らず、上級魔法らしき火炎魔法を放ち丸太の壁を焼き尽くし、岩の扉を何らかの魔法を以って溶かし侵入して来たその者達は、まるで死神の様であった。
盗賊達は一人ずつ切り刻まれ、何人も一瞬で穴だらけにされ、何十人も纏めて焼き払われ、惨たらしく殺されていく。
それも一方的に。
まるで屠殺場のような光景だ。
惨殺されていく部下たちを見て、【赤い牙】の団長である男はすぐにこの隠れ場所から出ない事にした。
これだけ広い場所の、しかも何の変哲の無い岩肌と同化したこの場所ならば逃げ切れると思ったのだ。
しかもこれだけ殺してしまえば、誰が誰だか判らないだろうと言う希望的観測があった。
そして恐怖を胸に無理やり押し込めながら、男は当たりを小さな穴から観察していく。
明らかに戦力差があった。
実力が違いすぎる。
領主の軍とも戦って何度も勝ってきた、地の利を生かして伏兵を隠して背後から奇襲したりと数々の戦果を上げてきた。
だが目の前の黒服たちは違いすぎた。
一人一人が強力すぎた。
見たことも無い武器を持って盗賊達を蹂躙し虐殺していった。
信じられないほどの強力な魔法で盗賊達を焼却し焼殺していった。
「な、なんだよ、これはぁよぉ」
そして逃げようとした団長も、どうやって逃げようかと思案したものの、逃げ場なんて一つしかない。
あの溶かされた扉しかないのだ。
しかし、そこには黒服たちの主人らしき小柄の人物が構えており、通り抜けようとした盗賊達は全て溶かされた。
素顔は片眼鏡を付けた白い仮面に阻まれて分からないのである。
扉を溶かしたのはこの人物なのだろう、どういう魔法かは団長の男には理解出来なかったが、おぞましい魔法である事は認識出来た。
要塞は今や外敵から盗賊達を守る頼もしき盾ではなく、逃げ場の無い恐るべき牢獄であった。
そして思案するうちに百人を超えていた盗賊達は残すところ団長の男のみとなる。
だがしかし、団長はこの場所から出ようとはしない。
黒服たちは最後に居住区だった場所を念入りに燃やしていく。
そして盗賊たちの寝泊りしていた場所は焼け落ちるまで確認していく。
念には念を入れすぎているようで、焼き殺したもの以外の、五体満足の状態で死んでいると思わしき死体の心臓と頭をそれぞれの武器で潰していった。
一人も生存者を出す気の無い、執拗さを感じさせる行動である。
そして作業とも言える恐るべき行為も終わり、黒服達が小柄な人物の元へと集っていく。
おそらくは報告をしているのだろう、団長の男は祈った。
―――頼むからここに気付かないでくれ。
すると小柄な人物がここにきて歩き出した。
しかも真っ直ぐに、団長の男がいるこの隠れ家へと。
『…まったく、見られているのが分かっているんだから、気配を探れと何度もいっているでしょう?
あと一歩なんだから気を抜くなといっているのに…これが終わったら訓練第四十八号を三セット繰り返しなよ?』
『了解いたしました、【大佐】殿。
この任務が終了次第、訓練第四十八号を三セット繰り返します』
会話をしながら小柄な人物は黒服を引き連れ隠れ家の目の前へとやってきた。
団長の男にとっては絶体絶命である。
『…ここ、ここに盗賊団の団長がいるよ。
アンワー、炙り出しなさい』
『了解しました!!』
アンワーと呼ばれた黒服は呪文を唱えると、隠れ家に向かって火炎魔法を放った。
隠れ家といっても快適な空間ではない。
長時間いると酸欠気味になり、意識が朦朧としてくるのだ。
それに拍車を掛けようとするのがこの火炎だ。
段々と意識が薄れていく感覚に団長は耐え切れなくなり、岩の扉から飛び出してきた。
次の瞬間火炎魔法が止み、黒服達が男を拘束し武器を突きつけて【大佐】と呼ばれた小柄な人物の元へと引っ立てて行く。
「…盗賊団【赤い牙】の団長ドラッグですね?
僕はこの度お前達クソの様な盗賊団を殲滅する任務を受けた者です。
ここ以外の隠れ家はここに来るまでに殲滅しておいたんだ。
貴方が最後の一人なので、さっさとくたばって」
大小十を越える隠れ家が全てたったこれだけの少人数に蹂躙されたと聞き、ドラッグは戦慄する。
仮面からでも分かるくらいに、若い声だとドラッグは感じ取った。
だがその声からは温かみなんて一欠けらも無い、寒気のするほどの冷酷さでドラッグ達を罵倒している。
「な、なああんた、頼む、このとおりだ!!
俺たちが溜め込んでいた金を全部やる、だから―――っ!?」
男の肩にナイフが突き立てられた。
柄尻の部分には細い糸が括り付けられており、その先にはドラッグを罵倒した人物から放たれている。
「何を勘違いしているか全く理解出来ないんだけど?
この状況下において、お前のようなクズが交渉なんて事が出来る訳ないでしょ?
立場理解しなよ、僕達は上、お前は下だよ。
下の立場にいるお前が、上の立場にいる僕達に交渉?
金は貰うし、お前も殺す。
それ以上話すことは何もないし、交渉する余地なんて無い」
命乞いなど無意味だと言わんばかりに、ナイフで抉られ、苦悶するドラッグは畜生と呻いた。
「…くっそぅ。
なんだよ、なんなんだよぉお前らは!?」
ドラッグは最後の力を振り絞って暴れようとするが、すぐさまドラッグを直接拘束していた黒服がドラッグの脇下、膝裏を切り裂き両手の甲を貫いた。
悲鳴を上げるドラッグをよそに、小柄な人物がおもむろに仮面に手を掛けた。
それから先の行動は見なくても分かるだろう。
仮面が取り外されると、そこに現れたのは少年の顔だった。
まだ幼さの残る少年には、一切の感情が見受けられない。
まるで人形の様な容姿をした少年だが、その目にはある感情が発露していた。
憤怒、憎悪といった強い感情が狂ったように吹き荒れている。
「僕達のこと?
名乗るほどの者じゃないけど…そうだね、冥土の土産に自己紹介くらいはしようか」
ツカツカと少年がドラッグの元へと歩いてくると、革靴でドラッグに突き立てていたナイフの柄を踏みつけた。
ナイフは更に奥へと刺さると、ドラッグが更に呻いた。
「僕の名前はエヴァン、エヴァン・ヴァーミリオン。
アナハイム王国出身で七年前のモスコ帝国との戦争終結直後、お前達に焼き尽くされたシマック村最後の生き残りだよ。
……最もお前達は僕達の村を襲ってからもいくつかの村々を焼いていたみたいだし、どこのことだか分からないだろうけどね」
エヴァンと名乗った少年の告白に、ドラッグはアナハイム王国からの復讐かと思った。
確かに七年前、ドラッグたち【赤い牙】は傭兵団は戦争終結直後、モスコ帝国のとある貴族から依頼を受け、アナハイム王国国境付近に在る村々を襲った記憶はあった。
だが、一つ一つの村の名前なんて今更覚えている訳も無く、依頼してきた貴族とももう関係を絶っている。
その時の生き残りがこの少年ならば、他の黒服達もその時の生き残りなのか、そうドラックは思ったのだ。
「ああ、勘違いをしないでね?
別に僕達はアナハイム王国の人間じゃないから。
僕達は王国とは別の組織に所属していて、お前達【赤い牙】が邪魔だから殲滅するよう任務を受けただけなの。
これでも僕達職業軍人でね、復讐なんて二の次じゃないといけないんだ。
…まぁこの任務を聞いた時から立候補していたから、正直復讐の方が本音に近いんだけどさ?
けど僕って今所属している組織じゃあ結構出世していて、任務達成率もただの一度として失敗した事が無いのが自慢なんだ。
だからこれだけの大所帯の殲滅任務、他の下っ端だけじゃ取り零したら心配なんで監督役として上司に頼み込んだんだ。
良かったよ監督役で、お前のようなクソの様なクズを取り逃がすなんて恥ずかしい失態を部下たちの前でしなくて。
…さて、言いたい事も終わったし、お別れだ。
来世なんてものがあるのなら…次はもっと善良な人間になる事を心掛けるんだね」
優しい口調ではあるが一切の言い訳を許さない極寒の氷河の如き威圧感を持ってエヴァンはドラッグを睨み付けていた。
ドラッグはエヴァンをまるで化け物を見るかのような目で見上げる。
ナイフを引き抜くと、エヴァンはドラッグの眉間目掛けてナイフを突き立てる。
「う…ぐぁあ」
ドラッグはエヴァンに何一つ言えぬまま、全身を駆け巡る痛みに苛まれながら、その生を終わらせた。
■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲
「…任務完了。
これより帰投するよ、各自準備急げ」
溶けきったドラッグの死体だった物を冷たい目で眺めた。
もう何も無い、エヴァンの故郷を滅ぼした男は、この世から消えたのだ。
エヴァンが命じると、黒服達部下は一斉に準備に取り掛かった。
とはいっても、すぐやる事など武器の汚れを落とす位で大急ぎでする様な事は無い。
順に準備が完了したと報告が上がると、迎えの馬車がやってきた。
迎えの馬車から降りてきた黒服がエヴァンの元へと駆け寄ってくる。
「任務お疲れ様であります【大佐】殿。
自分はセルバー【伍長】と申します。
本部から新たな任務が下りましたので、辞令書を持参しました。
こちらをどうぞ」
「…御苦労、受け取るよ」
エヴァンはセルバーと名乗った黒服からその命令書を受け取ると、次の命令と任地が書かれていた。
「次の任務は…アナハイム王国?
へぇ、なるほど……ついに始まるんだ、あの計画が。
だからアニマにあんな任務をねぇ…」
これから起きるだろう事件にエヴァンはクツクツと笑みを零した。
現在エヴァンの使い魔たるアニマはエヴァンと離れ、現在はアナハイム王国にいた。
命令書を見たとき、一体どういう意味があるのか理解出来なかったが、これでようやく繋がった。
全てはこの計画のための布石だったのだろうと。
「…【大佐】殿。
如何しましょう、任務を引き受けられますか?
今ならまだ拒否権が有効です」
エヴァンが所属している組織は変わっていて、辞令はあるものの、下された本人に拒否権があるのだ。
その代わり、その辞令に了承すれば任務が終了するまで拒否権は一切発生しないが。
もちろんエヴァンの答えは、簡潔だった。
「ああごめんね【伍長】。
この任務受けよう、サインするから紙ちょうだいな」
軽い調子で承諾すると、セルバーの渡した辞令承諾用紙にサラサラとペンでエヴァンは署名した。
「はい【伍長】これ用紙ね。
あーさっき部下達に帰投してから訓練するように言ったけど、ダメになった事言わないと。
【伍長】、悪いんだけど帰投の準備が終わったら部下呼んできてくれない?」
「了解しました」
セルバーが去って行くのを確認したエヴァンは、ある方向を見つめた。
辺りが山岳地帯なためどこになるのか分からないが、エヴァンが見ているのは山ではなく、もっと先にあるものだ。
その先にあるものは―――、
「待っていなよアナハイム王国。
この僕が、【夜明けの軍団】序列第二位【大佐】であるエヴァン・ヴァーミリオンが、【星神の黄昏】計画を見事に遂行してあげるから。
ふっふふ、はは、はは、あははははははっ!!」
エヴァンの哄笑が山々に響く。
これが後にカードラ大陸を未曾有の混沌に叩き落す事になる、その前触れであった。
読了して頂き、誠にありがとうございました。