第17話 星暦1211年8月17日
それでは、どうぞ。
星暦1211年8月17日
エヴァンは現在、この王都で最も物騒極まりない悟りの境地に達していた。
曰く、『最後に殺すんだから悪足掻きにしか見えない』である。
八月の中間考査も終わった。
当然だが、エヴァンの順位は変わらなかったし、ロニもエヴァンを超える事は出来なかった。
レオンやアンジェも同様で、今回は順位が変わる事無く終わったのだが、エヴァンにとっては面倒な事極まりない事件は相変わらず続いていた。
嫌がらせ、否、イジメである。
とはいえ、直接的な接触はない。
主犯格の連中はエヴァンが魔法で机や椅子にばら撒かれていたゴミを風属性の魔法で無詠唱という熟練の魔法使い顔負けの魔法でゴミ箱に叩きこむ、という腕前を見せたのである。
おかげで主犯格達は近づいて来ようともしない。
当然だがエヴァンはその連中の事をすでに調べ上げており、いつでも報復することが出来る。
むしろエヴァンはこのイジメがどこまでエスカレートするのか興味が沸いたのだ。
当初ゴミを捨てられていたのが落書きとなり、絵の具で独創的な絵で中傷し、現在は動物―――ペットの死体、しかも腐敗していて大変グロイし臭いもキツイ―――を前述の行為と共に行っていた。
実に熱心なことに、どんな下劣な事でもやろうと思えばこれだけ出来るのだという例が毎朝エヴァンの前に現れていたのである。
当然だが視界や匂いが強烈で、いつものように登校ギリギリでは片付けるのに時間がかかるため朝一番で―――興味が沸いている所為なのか、最近では早起きになっていた―――誰もいない教室で片付けをしていた。
二番手の生徒がきたときにはすでに何事も無く、換気もされてむしろ昨日より綺麗な教室が出迎えてくれて、エヴァンの何事もなかったかのような顔で席に座っており、エヴァンの反応を楽しみにしている生徒達の笑いを誘う事はなかった。
当初エヴァンの机に悪質な行為が行われているのを見たレオンやアンジェ、それにロニ達は主犯に対して制裁を加えるべきだといったのだが、エヴァンに『興味があるから』という頓珍漢な理由で止められてやきもきしていたのだが、本人が気にしていないので納得はしないものの飲み込んでいた。
むしろその反応を見たエヴァンが、『本当におめでたい連中だなあ』と思っているなど露とも思っていなかった事に嗤ってしまったが。
しかしそんな事を思われているとも思っていないレオン達はエヴァンの気分転換に何か良い案がないかと思い立ったのが『お茶会』というものだった。
実に王侯貴族らしい考えなのだが、グレードは最上級に高い主催地にエヴァンは思わず手を叩いて喜びたくなったほどである。
『王宮で…え、ちょっと、どうして?』
『いやほら、エヴァは気にしないとかいってるけどさ、やっぱつらいもんがあるだろ?
俺らの友好関係を深めるのと、気分転換も兼ねて俺達の王宮でお茶会しようぜ?』
『王族の人間が許したものだけが入ることの出来るロイヤルガーデンにご招待するわね?
外国の人だとはじめてじゃないかしら、快挙ねエヴァ君』
『当然、私も行くからねっ!!』
拒否権などなかったのだが、この後アンジェがエヴァンに王宮を案内してくれるという出来事もあってか、俄然行く気になったエヴァンである。
中間考査も終わったという事もあり、その日の内に引っ張られるような形でエヴァンは王宮へと連行されていった。
この時ばかりはエヴァンも都合が良過ぎる状況に疑ったのだが、疑われる要素がない事を思い出し素直にレオン達の後をついて行くのだった。
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湖畔に佇む王宮を眺め、エヴァンは何度目かの溜息をついた。
「……綺麗だねぇ。
確か、こういう所から描いた絵ってかなりあるんだよね?
確か学院にも何枚かあった気がする」
どんな時間帯から見ても湖に佇む王宮の姿は一種の異世界に見えてしまうほどに幻想的であった。
しかしエヴァンは綺麗だといったものの、王宮や湖が綺麗だとも思わなかったし、興味など一切湧かなかった。
内部構造さえ分かればいいという酷く無感動なのが本音な所であったのだ。
「ああ、特に二百年前にはすごい宮廷画家がここの絵を描いて、今じゃ国宝になってるんだ」
宮廷画家の名前を言わない辺り、レオンがその人物の名前を忘れているのが分かるような説明であったので、ロニとアンジェの冷たい視線を受けていた。
「……それじゃあ、いらっしゃいエヴァ君。
ここが王宮、ヴァルフォルよ」
アンジェが歓迎するかのように軽く手を広げて見せ、エヴァンは外観と中の光景ががらりと変わった事に驚いた。
物々しくも美しさを忘れない気品のバランスが取れた王宮の佇まいはもはや芸術の域だ。
「………」
エヴァンが無言になったのを見て三人とも悪戯が成功したといった表情をしていた。
はじめて王宮へと入ったものの殆どはこうした反応をするのだと教えてもらうと、エヴァンは自分の中にもまだそんな芸術を見て何かを感じるという感受性が残っているのだとぼんやりとだが考えたのだった。
王宮の内部は静かな場所だと思っていたエヴァンも完全に予想が外れ、慌しく走る文官や賓客を案内するメイド達、それに巡回する近衛騎士達が目まぐるしく回っていて、エヴァンがぼんやりと考えている余裕などないくらいだ。
「もうすぐ建国祭があるから、王宮も忙しいのよ。
早くから来られている国賓の方々もいらっしゃるしね」
建国祭というのはこのアナハイム王国が現在の名前となった事の記念祭で内戦を繰り返し、建国されてから千年近くなる。
エヴァンは廊下を走るメイドや執事達と擦れ違いながら王宮を案内されていった。
壁にかけられているのは歴代の王達やどこかの風景が、それにいかつい全身鎧が立て掛けられており、よほど材質の良い金属を使っているのか、腐食一つ無い見事なものである。
赤い絨毯が敷き詰められた王宮を抜け、王宮の外延部へと行くとエヴァンはついに出会った。
幽閉塔である。
「…これは?
何か他と違ってボロボロ…というか、今にも倒れそうな気がするんだけど」
エヴァンが疑問を口にすると、アンジェがその疑問に答えた。
「…ここは、確か幽閉塔ね。
今ではもう使われていない建物の一つで、立ち入り禁止区域になっているの」
アニマの言っていた通りの情報に、エヴァンは間違いが無かったのだと再確認出来ると、内心でほくそ笑んでいた。
「昔は悪い事した王族とかを処断することも出来ずに一生幽閉するとかいう時に使ったりしてたんだ。
そういえば、ずいぶん昔忍び込もうとか思ったんだけどよくわかんねえ結界魔法で扉塞がれていて入れなかったんだよなぁ」
「私、この塔嫌いなのよね。
何か強い魔力感じるし…ずっといると体に悪そうだもの」
「幽閉された王族様の怨念でも籠もっているのかもね」
ロニの意見にエヴァンは茶化すように返したのだが、内心では疑問だらけで混乱している。
(ロニの言うとおり、この魔力は異常だ…この密度、通りがかっただけでも魔力感知の無い人間でも気分を悪くするよ。
冗談で怨念云々は言っちゃったけど、本当にそうなんじゃ?)
エヴァンの混乱をよそに、アンジェが苦々しそうな顔をしてある事を話し始めた。
「お父様が『絶対に人を近付けてはならない、ここは禁域だ』って言っていたのを思い出したわ。
確かに、これだけ魔力がきついと体調を崩すでしょうし、当然よね?」
(ああ、あの愚王がそういっていたのなら、まず確定だね。
ありがとうアンジェ、最後の最後で気が抜けちゃったのかな?
それともこれくらいの情報何の役にも立たないって思っちゃったのかな?
けどおかげで、僕は計画を進める為に必要な情報を更に手に入れれたよ。
アニマはどうもその辺り頭使わないからね、やっぱ心読んでるとそうなっちゃうのかなあ)
後半がアニマの愚痴なのだが、エヴァンはアンジェの証言によりこの幽閉塔が計画の要、この塔の内部のどこかに【星神の贈物】がある事を確信した。
エヴァンはアンジェに感謝しながら話題も無くなった為幽閉塔から離れ、当初の目的だったロイヤルガーデンへと着いた。
途中文官や貴族官吏達からエヴァンを珍獣を見るかのような目で見ていたのだが、エヴァンは気付かない振りをして対応していた。
一種の悟り状態なエヴァンにとって、この程度の悪意など蚊ほど効きもしないのだから。
大理石造りの備え付けのテーブルに座るとメイド達がどこからかやってきて紅茶の準備や菓子などを手馴れた様子でエヴァン達に配っていく。
おそらくはアンジェのチョイスなのだろう―――レオンにそこまでの配慮があるとはエヴァンも思っていない―――色彩ある焼き菓子が皿に乗せられていて、見ただけでも楽しめる菓子である。
「やっぱり王宮の料理ってすごいね、お菓子まで芸術的だなんて。
平民の僕からしたら食事なんて不味く無ければいいって感じだったから」
アニマの買い食いに付き合っているぐらいで、エヴァンは組織に所属してから食事に楽しみを覚えた事が無かった。
全てにおいて鍛錬、任務、研究、そして復讐の為に牙を研いできたのだから。
それ以外については最低限で良い事で、エヴァンは間違ったとも思っていない。
その結果が今なのだから、否定する必要性など感じていなかったのだ。
「そういえば、エヴァってミスラ公国にいた時ってどんな事してたんだ?
やっぱ今みたいに錬金術で生計立てたりしてたのか?」
ふと思ったのか、レオンがエヴァンにそう尋ねた。
今更ではあるのだが、レオン達はエヴァンにそういった事を聞いたりはしなかった。
休学の件でもそうだったが、エヴァンがこれまで苦労しているのは話の端々で予想できていたからで、込み入った事まで聞く気は無かったのである。
エヴァンはどう話せばいいのかと悩み、適当な作り話で煙に巻くことにした。
「ううん、錬金術は僕が義父さんの養子になってからだよ。
昔…七年前だけど、僕本当のお母さん殺されちゃってね…スラムで暮らしていた事があるんだよ」
重い話ならば同情を引けると言うのもあったのだろう、所々真実も交えて話していくエヴァンに三人の表情が固まった。
「まぁ本当の父親も生まれた時からいなかったし、一人で生きていくしか無くてさ。
幸い小さい頃から風の魔法が使えていたから、何とか生きていけるようにしないとって思って色々やった訳だね。
ああ、もちろん犯罪行為だけはしなかったよ?
襲い掛かってきた所を返り討ちにして、慰謝料ふんだくったりはしてたけどね」
お茶を濁すようなエヴァンにレオンも苦々しく笑いながらエヴァらしいとぼやいた。
「五歳でそれとか、なんていうかもう色々規格外すぎるな。
ていうことは、エヴァの魔法使い歴って七年以上なのかよ?」
「そうなるのかな、まぁ最初は息吐いている方がましっていう位の魔法だったけど、今じゃ魔獣も倒せるくらいにはなったし、あんまり気にしていないよ?」
「…大変、だったのね」
適当な嘘をついたエヴァンなのだが、三人とも気まずい空気を出して黙ってしまったのだが、エヴァンは気にしないような、判りやすい演技をしながら紅茶を飲んだ。
「もう昔の事だから、もう気にしていないよ。
まぁ、今は楽しく過ごせてるから、昔の事は最近思い出さないんだけどね」
「そうね、それじゃあエヴァ君には私からこのお菓子を上げるわね。
王宮でしか作られていない、とってもおいしいケーキよ」
切り替えの早いアンジェがエヴァンにケーキを取り分けるとエヴァンの目の前のテーブルに置いて、一口大にすると口に運んだ。
ふわふわとした食感にチーズの濃厚さを残した幸せ色のケーキを頬張りながら、エヴァンは今後をどう行動しようか思案した。
(なんか子供扱いされている気が…まあいいや、糖分補給は大切だからね。
さてと、もうここに用はないし、アニマを理由に退散しようかな)
夕方にもなったということでアニマを迎えに行くという理由を持ち出し、エヴァンはお茶会を切り上げて王宮を去ることにした。
王侯貴族である三人にとっては夕食までは自由にしていられるが、エヴァンのような平民には色々あるのだと雰囲気を醸し出すと誰も引き止めようとはしなかった。
今頃アニマは先程までいた王宮の中で仕事をしながら情報収集をしているのだろうと考えながら、エヴァンはベルモンド紹介へと向かいルッケンスに報告をした。
ルッケンスは情報がより正確になったとだけいうとある物を受け取って借家へと帰っていく。
大切に学院の鞄へと入れると、明日からの工作に胸を弾ませながらエヴァンは眠りについたのだった。
読了いただき、ありがとうございました。




