第14話 星暦1211年7月3日
やはり復讐回と比べ、日常回はあまり筆が…いえ、なんでもないです。
では、どうぞ。
星暦1211年7月3日
エヴァンが商隊―――一ヶ月を越すデスレースは現在ルッケンスが引き継いでいる―――から王都に帰ってきた。
すでに中間考査を終えた時期だった為受ける事は出来なかったが、六月の期末考査には間に合ったので、エヴァンはワザと手を抜いてテストに挑んだ。
いくらエヴァンでも学院から一ヶ月以上休学してすぐの期末考査でオールパーフェクトという成績を打ち立てれば面倒になると配慮したのだ。
エヴァンなら本来ならばミスをしないだろう計算式をワザと間違え、スペルミスや地理の名称を間違えたりと、満遍なく減点させていった。
そして結果は在籍した頃は常にトップ―――実際試験は二度しかしていないが―――だったエヴァンは予定通り二位に転落していた。
一位になったのは僅差でロニであり、それを見た本人は驚いていた。
僅差とはいえ念願の一位になったのである、もっと喜んでもいいはずなのに、ロニは何故か釈然としない気持ちでいたのか、一瞬だがエヴァンを見てすぐに視線をそらした。
エヴァンが学院に復学してから、ロニはエヴァンに声をかけなかった。
復学した頃はエヴァンに貴族殺しが各地で起きていて危ない事はなかったか、危ない集団に襲われなかったかと心配する言葉をかけてきたのだが、『貴族ではないですし、何も危ない事はなかったです』と痛烈な皮肉を返してしまったのだ。
さすがにワザとらしい位に言い過ぎたこの皮肉にレオンとアンジェもいい顔をしなかったが、ロニはしおらしく項垂れ、それからエヴァンに話しかけることはなかった。
エヴァンもこれ幸いとばかりにレオンやアンジェに対して何も聞かず、数日後の期末考査へと至ったのである。
おめでとう、とは絶対に口にしないエヴァンは順位の上がったレオンだけにその言葉を贈り、ロニには一言も贈る事はなかった。
『休学していなかったら今でも一位だった』なんて言い訳を態々言う気にもなれなかったし、そもそも問題に関してはワザと間違えなければいつもと変わらずオールパーフェクトになったのは間違いなかったからだ。
教室へと入ると、落書きされたエヴァンの机と椅子が待っており、軽く机と椅子に触れてみて手が汚れなかったのを確認して席に座った。
復学してからすぐにこの手の嫌がらせが起きていて、エヴァンはその度に消していたのだが、懲りずに落書きを繰り返す犯人側―――ロニの兄とその取り巻き立ちなのはすぐに分かった―――が喜ぶ様を想像したくもなかったので、現在は放置したままである。
担任の貴族講師は何も言わない、厄介者が帰ってきて面倒を起こさないのか不安には思っているだろうが、相変わらずエヴァンに対してゴミを見るかのような目で睨むだけで実害などなかったので放置した。
そして犯人側であるロニの兄、もうエヴァンは名前も忘れてしまったこの男子生徒があきもせずエヴァン達のいる教室へと入ってきた。
「見たぞ平民、ついに一位から落ちたそうではないか。
やはりまぐれも早々続かないという事だ。
然るに―――」
自分にでも酔っているのか、やや薄目になり身振り手振りを交えて演説を始めたのをエヴァンは右から左へと―――聞いているように演技することはもちろん忘れずに―――聞き流した。
「―――自分の分際を弁えて行動をするのだな、行くぞ」
取り巻き達を率いて去っていったのを確認してから再びエヴァンは予習をした。
不快な音を垂れ流していた元凶が去って、漸く教室に活気が戻り始めた。
レオン達は先程まであった事に気付かず教室に入ってきて、少し浮ついているように感じたのか『何かあったのか』エヴァンに尋ねたが『なんでもないよ』と返すエヴァンを疑った様な目で見ながら机に鞄を置いて声をかけた。
「なぁエヴァ、今日暇か?」
「うん、商会からのお仕事ももう納入済みだし、暇な時間はあるよ」
ルッケンスが帰ってくるまでは一時的にエヴァンがこの計画の責任者となる。
とはいえルッケンスはやる事をすべてやってからエヴァンとバトンタッチしていた為、やる事などなかったので長い休暇となったのだ。
上官の居ない間に各地を巡っていた際に見つけた薬草や霊薬、その他の材料を使って新薬の精製を試みたりと、有意義な日を過ごしていた。
任務の際に消費したポーション類も補充を済ませ、研究以外は手持ち部沙汰な状態であった。
「なら店回らないか?
この時期だとうまい果物がたくさんあるんだ」
「…レオン様、さすがに王族が買い食いってまずいんじゃない?」
「大丈夫だって、今はあの貴族殺しは辺境の方にいるんだろ?
俺も大通り以外には行くつもりはねえから。
安全性についてはエヴァもかなりやるし、よっぽどな奴でもない限り大丈夫だろ?」
どうやら護衛の近衛騎士は同行させないつもりらしく、さらっとエヴァンを護衛代わりにすると伝えたレオンに苦笑するしかないエヴァンである。
「友達を盾にしようだなんて、レオン様は酷いなあ」
「建て前だっつーの、分かってるのにそんなこと言うなよな」
「別に今日だけ護衛になってもいいよ?
王族の護衛だなんて、ある意味名誉な事なんだよね。
ちょっとやってみたかったんだ」
「…エヴァ、思いっきり名誉だなんて思ってねえだろ?」
「建て前っていう奴だよね?」
悪びれもせずに笑うエヴァンにレオンがお手上げだとばかりに降参のサインをした。
レオンとの仲は相変わらず、どころか復学してからはさらに交友関係が深くなったとエヴァンは感じていた。
『任務の為』だからという後ろめたさなど最初からない、罪悪感もない。
ただ計画遂行の為の過程を丁寧に忠実に完璧に遂行しようとするエヴァンにとって、レオンとの関係を深める事は急務であり絶対なのだから。
ただ徹頭徹尾レオンにとって自分は味方なのだと、最高の友人なのだと錯覚させるほどの演技力を以って、エヴァンはレオンと笑い合い楽しんだ。
そしてエヴァンの中にある悪意がいつものように囁く。
『全ての真実をレオンに話せばきっとあの友情に満ちた目が憎悪と絶望に早代わりするだろう』と悪意に満ちた言葉を囁くのだ。
そんな悪意など知った事かと振り払ったエヴァンは自答する。
(前提からして偽りなんだ、偽りから積み上げた友情なんて、最初から無いのと同じ。
幻想を見ていたレオンがどうなろうと、僕の知った事じゃない)
エヴァンの憎しみの対象はこの国にいる者全てだ。
特にレオンやアンジェといった王族など最たるもので、任務や計画遂行という『軍人』としての立場が無ければそっ首叩き落としている所である。
だからこそエヴァンは笑みを浮かべながら再確認を怠らないのだ。
何もしなかった王国を、気付かなかった王族を、何も知らずに平和を享受していた王国にいる全ての者を憎み、恨み、呪い、殺意を傾ける。
それが『猛毒』となり王国全土に吹き荒れる『嵐』へと巻き起こそうとする、エヴァン・ヴァーミリオンの切なる願いであり、渇望である。
■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲
エヴァンとレオンが学院を出てすぐ大通りに向かった。
アンジェはエヴァンに何も言わず―――視線で『ロニをどうにかしなさいよ』と訴えているが知らない振りをした―――ロニと共に送り出した。
やはり何か思う所があるのだろう、エヴァンと会話をしなくても距離だけは維持するロニは何か言いたげであったが、エヴァンは気付かない振りを忘れない。
「……エヴァ、いい加減ロニと仲直りとか出来ねえか?
あいつかなり反省しているみたいだし、なんつーか…な?」
「やだ」
即答してその会話を打ち切ったエヴァンに、レオンはもう何も言わなかった。
レオンもさすがにロニの仕出かしていた事に腹を立てていたのだから。
建て前とはいえ、学院では平等を謳っているのにも拘らず平民生徒をまるで使用人のような扱いをし、さらには理不尽な言葉をかけて傷つけた。
王族として、友人として見過ごす事は出来ないとレオンは思っていたからだ。
エヴァンがからかいロニが騒ぎレオンが悪乗りしアンジェが嗜め見守る。
この構図が最も心地よく、元の状態に戻したいとレオンは思った。
とはいえ、そう事が進まないのが世の中というもの。
レオンの頑張りは当人同士を余計に意固地にさせているのに気付かないでいるのであった。
「あ、お兄ちゃんだ!!」
「あらアニマちゃんのお兄さん、お久しぶりです」
大通りへと立ち寄る前に教会を通る為、エヴァンとレオンは教会前に年相応に見える言動をしているアニマが声をかけた。
教会からくる匂いに炊き出しをしており、孤児院の子供達が大きな鍋の前で並んでいた。
アニマの隣には以前迎えにいった際に出会ったシスターがいて、どうやらアニマと彼女の関係は良好のようである。
少女然とした舌足らずな口調にエヴァンは相変わらず胸焼けのする思いをする羽目になるのだが、アニマの無邪気な、本当に無邪気な笑みで返してきて何もいえなくなった。
レオンはアニマを見て固まっているのだが、見た目完全な美少女なアニマに思う所があったのだろう、アニマがレオンを見て邪悪な笑みを一瞬だが浮かべた。
女性より少女を見て固まったのを見て、エヴァンはレオンが犯罪者予備軍だったのかという目で見たのだが、レオンは視線に気付いて慌てて首を振った。
「ち、ちがうぞ!?
俺はただエヴァの妹があんまり可愛かったんで驚いただけで、何もちっともエヴァと似てないなとか頭撫でたいなとか思っていないんだからな!?」
「レオン様、必死過ぎて逆に怪しいんだけど。
ていうか、アニマのこといった事あったっけ?」
アニマの、妹となっている事はエヴァンは学院では一切口にした事はない。
聞かれたとしても必要最低限の情報しか出すつもりはないし、会わせろといった所で適当に病気で寝込んでいるとでもいえばいい。
勝手に勘違いして諦めるのを待てばいいのだから。
固まっていて答えないため、エヴァはレオンを放置してシスターに声をかけた。
「シスター、いつもアニマのことありがとうございます。
元気過ぎて困らせていませんか?」
相変わらず豊かな宝玉を二つも主張したおっとりしたシスターはニコニコとしながらアニマの頭を優しく撫でた。
「いいえ、そんな事はないですよ?
アニマちゃん良い子ですから。
今日も炊き出し手伝ってくれたんですよ?」
「……へぇ、普段家じゃ何もしないのに、教会の方じゃするんだぁ。
アニマ、今日の夕食手伝ってくれる?」
「やだ」
にぱっと笑いながら明確な拒否を示したアニマにエヴァンはうなだれた。
これのどこが良い子なのかと、中身腹黒な人喰の化け物なのにと。
控えめに笑うシスターに楽しそうにエヴァンとアニマのやり取りを見ていたレオンがようやく復帰した。
「はは、仲が良いじゃないか。
どうする、妹ちゃんも一緒に行くか?」
「お兄ちゃん、この人誰?」
初対面―――情報としてはアニマは既に知っているが―――の二人にアニマがレオンが誰なのかと尋ねた。
エヴァンは迷った末、正直にこの国の王子だと伝えると、これまた年相応な表情を―――相変わらず知る者が見れば卒倒するような笑みで―――して驚いた。
「お兄ちゃん、あたしまだ教会にいるから、一人で帰れるよ?」
「そっか、じゃあ遅くならない内に帰ってきておいてね。
暗くなる前に帰るんだよ?」
「はーい!!」
「いいのか?
別に俺は一緒でもかまわないぜ?」
「だからなんでレオン様そんなに必死なの?」
不審者を見る目でレオンを見るのだが、レオンがその度にしどろもどろになるので、知りたくもなかったレオンの一面を知ってしまったと後悔したエヴァンであった。
「じゃあすいませんシスター、アニマのことお願いします」
「はい分かりました。
あと、わたしはカンナといいます。
カンナ・アルヴィオンっていうんです。
覚えておいてくださいね、エヴァンさん」
カンナと名乗ったシスターにエヴァンは若干だが目を細めた。
(…なるほど、彼女が…道理でアニマがべったり付く訳だ。)
一人納得するエヴァンだが、もちろんアニマ以外には気付かれずに軽く笑って返した。
「分かりました、シスターアルヴィオン。
それじゃあ」
「じゃあなアニマちゃん」
妙に御機嫌なレオンをよそに、エヴァンは若干引き気味な様子で見ながら大通りへと向かった。
「…それでレオン様、いつからアニマの事知ってたの?」
「あーまぁ、なんというか、結構前からかな。
俺はあんまりこういうの好きくなくてな、迷ってる内にアンジェが少し前になって俺に教えてくれたんだ。
ちょうどエヴァが帰ってきた辺りで教えてもらったから…ごめんな?」
エヴァンはアンジェが秘密裏にこちらの動向を近衛騎士たちに探らせていたことに気付いていたが、まさかレオンが関わっていないとまでは思ってもいなかった。
どうやらアンジェが独断でこの調査は行っていたようで、最近になってようやく知ったのだと知れると、どうやらアンジェにとってレオンという存在は兄妹の中でも特別に大切な存在らしいと分かると、エヴァンは内心ほくそ笑んだ。
悪い事をしたと謝罪するレオンにエヴァンは気にしないと気負った様子もなく口を開いた。
「悪い事なんてないよ。
王族なんだもん、付き合う相手の素性を調べるのは必要なことだよ。
僕は別にそういうの気にしない…とまではいかないけど、大丈夫だから。
ていうかレオン様、好きくないとかいっちゃダメだよ?
もし僕が悪い奴で、裏でレオン様とかアンジェ様の命を狙う計画してたらどうするのさ?
自分が王族なんだっていう事をもっと自覚したほうが良いよ?」
あくまでレオンの為に気にしなくても良い、心配するような表情でレオンを諭すエヴァンに頭を掻きながら分かったと呑み込んだ。
「う、わ、悪かったよ。
エヴァってホンと良い奴だよな、貴族のバカ子弟に爪のアカ飲ませてやりたい位だぜ」
「うーん、まずそんな汚いもの飲みたくないってごねそうだね」
「例えだからな!?」
「あれ、でもその例えって実際にアカ飲ませたいっていう奴じゃなかったっけ?」
「あ、あれ、そうだったか?」
「そうだよ。
……レオン様、もっと勉強しないとね。
いくら騎士様に将来なるっていっても、学が無いと軍隊は率いていけないと思うよ?」
「わ、分かったよ、もっと勉強するって。
ちぇっ、せっかく期末考査も終わって順位上がったっていうのに、また勉強だなんてよ」
「分からない事があったらたまになら聞いてもいいからね」
エヴァンはまだ会って間もないばかりのレオンに甘く厳しく、『猛毒』を染み込ませていく。
毒が全身を回るまでレオンが気付くのか、それとも―――。
(ふふ、もっとだ、もっと染み込め。
手遅れになるくらい、絶望的なほど僕の達成感は天井知らずの幸福感で溢れるんだから。)
エヴァンの悪意を知らず、レオンは見えない底無しの毒沼に一歩、また一歩と足を踏み入れて行く。
偽りの友情の中で、レオンはエヴァンの見えざる糸で踊り始めていた。
読了頂き、ありがとうございました。




