第11話 星暦1211年4月30日
星暦1211年4月30日
結局、エヴァンはロニと研修をする日を期末考査を終えてからにしようという話になった。
考査が終わればすぐに帰れるのは学級委員長も同じで、午前で考査は終わりである。
ロニはいつも以上の集中力でテストを終え、エヴァンより早くテストを終わらせたと自慢していたのだが、エヴァンはその有り余る元気をよそに回してほしいと本心から思っていた。
ロニが父であるビスト侯爵からの外出許可、学院長からの許可、そして魔術ギルドからの許可をすべてを用意して見せたその姿に、エヴァンはついていないとホトホト思った。
それでも表情には出さずに黙々と検問に立ち会う。
途中ロニが仰々しい杖を見られどういった意図で使うのか聞かれたのだが、経験を積む為に森で狩りをするのだとエヴァンが助け舟を出すといった事があったのだが、概ね順調である。
露払いを全てエヴァンに任せ、ぼんやりと歩くロニに『僕はお前の従者じゃないぞふふふ』と沸々と怒りが湧き上がり始めていたが、それを相殺するかのように魔獣を細切れにしていった。
それ涼しい顔でやってのけるエヴァンにロニも何か思ったのだろう、森に着くと突然声を上げる。
「エヴァ、期末考査の結果もそうだけど、二回戦よっ!!
この森にいる魔獣をどちらが多く狩れるか勝負なさい!?」
「……はい、構いません。
全力でいかせてもらいますね」
とはいっても、エヴァンは手抜きする気満々だった。
今頃王宮までの地図を製作中の部下達や計画の段取りをしているだろうルッケンスが羨ましくて仕方ないとさえ思っているエヴァンである。
アニマは今日は教会で遊ぶといっていたあたり、自由行動日だ。
任務でなければロニのような少女に近付きもしないのだから、その毛嫌いぶりが態度や雰囲気にすら出ないほどの演技力で完全に騙し切っていた。
そしてエヴァンとロニは分かれたのだが、エヴァンの方は魔法を使ってロニの位置を常に把握していた。
この森に仰々しい名前などないし規模が大きい訳でもない。
強い魔物など一割以下の確率で遭遇するかも怪しいのである。
しかしその確率がゼロでない限りエヴァンは計画の不安定要素に成り得る要素を全て排除する。
なるべく離れ過ぎず、近過ぎず、エヴァンがすぐに応援に駆けつけられ、かつ把握しやすい位置でゴブリンを狩っているロニを魔法で確認しながら、エヴァンは目の前のトレントを風属性魔法【風神之刃】を使い核を破壊した上でトレントを無数の薪にした。
元々は何百年も生きた樹木が魔力の影響で力を持ったとされるトレントもエヴァンにかかれば雑魚同然である。
比較的大きな個体で大きな屋敷の一ヶ月分に相当する薪が出来てエヴァンは空間圧縮道具鞄に全て入れた。
一般に出回っているこの魔道具はミスラ公国発祥の画期的発明だ。
一度に大量の道具を大きさ、重さを無視して入れる事が可能で持ち主の魔力に比例して持ち運べる量も変化する。
非生物しか入れることしか出来ないが、入れれば外界とは完全に時空間から切り離されて中に入った物は劣化することはない。
しかも持ち主の魔力を登録することで盗難防止にも役に立ち、冒険者に限らずいつか手に入れたいと思う者が多くいる魔道具であった。
そしてその金額は金貨500枚。
分割は出来ず一律の値段な為、持っているのは各国の上級貴族や資産家、そして上級冒険者の一部だけだ。
そしてエヴァンは組織が作り出した専用の空間圧縮道具鞄を持っており、その性能は同一かそれ以上とされている。
エヴァンはロニの様子を確認しようと意識を魔法に傾ける。
(…うん、ロニの方はまぁ問題なさそうだね。
あれで2級魔法使いクラスねぇ。
……レオンよりは強そうだけど、うちのフォーマ程器用じゃないみたいだ。
…けど二人がかりだとフォーマじゃちょっと苦しいかもなぁ。)
音から来る情報は十分にエヴァンに有用な情報を送り続けていた。
ロニは水属性の魔法でゴブリンやフォレストラビットといった魔獣を難無く倒しているが、エヴァンからしたら杖の性能便りな無駄の多い魔力の運用振りを見ていつでも対処可能だと早々に評価を下す。
それから順調に狩りを続けていたのだが、ふとエヴァンの目に留まった物があった。
薬草である。
「…あ、シビュラ草だ。
魔薬の材料になる…この国じゃ違法なやつだったっけ?」
魔薬というのは一時的に魔力を高める事の出来るポーションの一種だ。
しかもその力は凄まじく、純度が高ければ高いほど効能は増す。
初歩的な魔法しか使えない者でも、数に限りはあるが上級とも言える強力な魔法を最低でも十発は使えるのだ。
しかし、どんな薬にも副作用という物は存在する。
一般的なポーションが傷を回復させる為に多く体力を消耗するように。
解毒ポーションが暫くの間、倦怠感や体力の低下を起こすのも副作用である。
だが、それでもまだ中毒性が比較的低いものだが、この魔薬は一線を画していた。
まず一つに中毒性が高い。
材料の所為でもあるのだが、シビュラ草と呼ばれる薬草には非常に強い中毒性があった。
加えて幻覚症状を引き起こし、使用者が人を化け物だと錯覚を起こし魔法を放つ者までいる始末である。
しかも最悪な事に、服用を続けなければ次第に肉体を動かす事が困難になるというのだ。
一度服用すれば死までの道筋が確定してしまう。
それなのに、副作用があるにもかかわらず、つい最近まで製造されていたのは単に『戦争』が起きていたからだ。
魔薬の齎す効能を権力者達は『強くなる薬』だと末端の魔法使い達に配布し戦争を有利に動かそうとした。
七年前の戦争でも、王国と帝国が互いこの魔薬を使い戦争を長引かせたといわれており、戦争が終結した今では精製が禁止されている危険な薬物である。
しかしエヴァンは知っている。
このシビュラ草には知られていないある効能がある事に。
「…へぇ、組織でもストックが少なくなってきていたからちょうどいいや。
誰にも監視はされていないし、ここは狩りをするより有意義な事が出来そうだ。
やったね僕、博士に喜ばれること間違いなしだ!!
…あ、けど僕も欲しいしやっぱあげるのはちょっとにしよう」
そう独り言をしながらシビュラ草を根から採取してエヴァンは群生地となっていたシビュラ草を残らず採取しつくした。
「うんうん、これだけあれば暫くは大丈夫かな?
一応栽培もしておきたいし、組織に帰ったらいっぱい実験しよっと」
『きゃあああああっ!!』
新たな野望を練っていたところ、ロニの周囲に放っていた魔法が悲鳴を感知した。
エヴァンはすぐに気を引き締めどういう状況なのか把握に努めた。
(……なるほど、この森の奥深くにいるアーマーボアを狩ろうとして火力不足で逃亡中か。
…あの杖ってかなり増幅機能の高そうな奴な気がしたけど…もしかして亜種か何かなのかな?
となると討伐難易度は二ランクアップのCランクか。
うーん、倒したら学生的にありえないかな?
けどアーマーボアの亜種だったら臓器とかが良い薬の材料になるし…どうしようか?)
魔獣にも突然変異でその力を変化させる個体がいる。
いわゆる亜種や上位種と呼ばれている個体なのだが、総じて能力も高くたとえ元の個体の討伐難易度が低かろうと亜種以上となれば難易度は跳ね上がる。
考えている内にロニの魔力に限界が近付いているのか、牽制していた水弾の数が著しく減ってきていた。
どうやらロニはアーマーボアに有効な一撃を加える事も出来ず、ただ怒らせているようで、エヴァンはどうしたものかと考えた。
「…助けないといけないんだよなぁ……やだなぁ」
たとえ不幸な事にロニを助けられなかった場合、エヴァンは学院を退学し王都から追放され最終的には侯爵家からの暗殺者にでも襲われて命を落とすというシナリオが瞬時に浮かんだ。
退けたとしても、ロニの親友であるアンジェは絶対にエヴァンの事を許さずに何がしかの行動を起こすのは間違いない。
とはいえそれは相手側が思い浮かべるシナリオだ。
エヴァンの実力ならば暗殺者を返り討ちにする事も可能だろう。
だが計画に大きな障害となるのは間違いない。
見捨てるというのは当然だが却下するしかない。
となれば、エヴァンの取る選択は一つしかない。
「… ……ホンと、ついてないや」
今日でもう数え切れないほどの溜息をつくと、エヴァンは頭に段取りを叩き込みながら走っていく。
打算だらけの救出劇が、幕を上げようとしていた。
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ロニ・フォン・ビストにとって、エヴァン・ヴァーミリオンというのは目の上のたんこぶのような存在だった。
時間にルーズで協調性に欠ける性格が。
自分にだけ壁を作ったような口調も。
面倒事を自分に押し付ける強かさも。
自分より頭が良いのも。
他にも多々あるが、どれもロニにとってはこの一ヶ月がイライラが募り続けていた。
そして今日の午前にあった期末考査でも、自分は負けてしまっているのではという不安でいっぱいだった。
約束していた狩りにしても二手に分かれるまでロニはエヴァンのあのわざとらしい笑顔に腹を立てていた。
ロニは貴族という仮面社会で嫌というほどに理解していた。
エヴァンのような笑みを浮かべた者が一体腹の底で何を思っているのかを。
あの人形めいた容姿をした少年が、自分達に何かよからぬ事を企んでいるのではないか、そう考えてしまうのだ。
そのイライラを腹に据えながらゴブリンやフォレストラビットを狩っていたのだが、ここに来て思わぬ客が招き寄せられた。
鈍色の剛毛を身にまとい、獰猛な両眼で敵を睨み付ける魔獣。
アーマーボアである。
「ひっ!!」
先程まで狩っていたゴブリンとは格が違うのがすぐにわかったのか、ロニはすぐに逃走する為に牽制の魔法を放つ。
「水の力よ収縮し敵を穿て 【穿水弾】」
ビスト侯爵家が所有している魔道具の中でもトップクラスの杖で増幅した魔法がアーマーボアに直撃する。
ロニは放ったと同時にその場から逃げ出し、エヴァンと別れた森の入り口まで走り出す。
運が良ければ、あの鈍重な魔獣が驚き距離を空ける事が出来る筈、そう考えて行動したロニの作戦は成功したといえよう。
あくまで一時凌ぎにしか過ぎなかったが。
「ブモオオオオオオオオオッ!!」
「は、早すぎるでしょうっ!?」
不意打ちの衝撃でアーマーボアは驚いて叫び声を上げたのだが、明らかにロニの放った魔法に対して意に介していないほどの頑強さである。
これが通常のアーマーボアならばあの直撃に吹き飛ばされて、多少のダメージは負わせられたかもしれない。
しかし、ロニを襲おうとしているのは通常種ではなく亜種である。
通常の鎧より更に頑強な鎧は、通常の物理攻撃同様、魔法防御にも強い耐性を持ち、増幅したロニの魔法すらもほとんどダメージを負わす事は出来なかった。
「ああっ、もうっ!!
身体強化魔法は得意じゃないのにっ!!」
無属性魔法にあたる身体強化には詠唱という物をほとんど必要としない。
普段から魔力を操る魔法使いならば、魔力を循環させる事で即座に身体能力を向上させる事が可能だからである。
とはいえ、肉体に最も作用するといわれる水属性魔法と、無属性ではあるが身体強化魔法は相性が良い筈なのだが、どうしてかロニはその身体強化魔法が苦手だった。
元々体を動かすのが苦手で、水属性魔法ばかりにかまけていたのが理由なのだが、そこまで考えている余裕がロニにはない。
とにかく全速力であの四足のイノシシから逃げなければならないのだ。
そして逃げながらロニは牽制の他にある方向へと魔法を数度放った。
そう、エヴァンのいるだろう方向へ。
「―――ああっ、もうっ!!
予想外の魔獣は出るし、強いし、走るの疲れるし!!
これじゃあ余計にストレスが溜まるじゃないのよっ!!
もう、エヴァ、早く助けに来なさいよっ!!」
―――だからロニ様、僕の事を従者と思ってませんか?
とん、という軽い音と共に、ロニに語りかけるような声が聞こえてきた。
振り返った瞬間、ロニはありえない物を見てしまった。
ロニに突進してこようとしているアーマーボアの背中に気付かれず、人が乗っていたのである。
もちろんそれは―――、
「エヴァっ!!」
「はい、お待たせしましたロニ様。
何か切羽詰っているようなので―――」
―――この魔獣、殺しますね?
その暢気な宣言と共に、エヴァンは右手のナイフ、そして左手には高圧縮した風弾を未だ気付いていないアーマーボアの煮え滾った赤い瞳に叩き込んだ。
「―――――――――――――――っ!?」
アーマーボアは突然の不意打ちと眼球を焼き尽くすような痛みに襲われ絶叫を上げる。
盛り全体にでも響いているのかと思わせるほどの大音量で、この声に反応して他の魔獣が呼び寄せられるのではないかとエヴァンは危惧したのだが、むしろ魔獣はアーマーボアを中心に離れていった。
―――肉体の構造上、筋肉というのは鍛えれば鍛えるだけ強くする事が出来る。
もちろん、その肉体の限界というのも存在する為、数値化する事は出来ない上に上限は存在するだろうが。
しかし、一点だけ、どんな達人でも鍛える事の出来ない場所がある。
―――すなわち眼球、
「あぁ、煩いなこのイノシシ。
…うん、ロニ様も離れているし、安全確保は大丈夫だね。
ロデオはきついけど、がんばろっと。
大いなる大気よ 集い逆巻き剛風と為し貫け 【大剛旋風】」
エヴァンはナイフを仕舞いながら詠唱をすると、両手に巨大な小型の高圧縮した風を暴れ回っているアーマーボアの背骨の中心、心臓のある部分を貫いて見せた。
高圧縮した風のドリルが鈍色の鎧を破壊し背骨を貫きしその真下にある心臓を粉微塵にして貫いたのである。
声を上げることも出来ず、アーマーボアの亜種は倒れた。
呆気ない幕切れである。
亜種であるにもかかわらず、その頑強な鎧を破壊した魔法にロニは驚いたのだが、エヴァンは気にした様子もない。
エヴァンが短くはあるがアーマーボアと戦闘を始めていたのにも拘らず、見捨てるかのように逃走を続けていたロニは遠く離れた場所でアーマーボアが倒れたのを確認すると、息切れした体でエヴァンの元へ帰ってきた。
「危ない所でしたね、どこか怪我をしていませんか?」
ロニにとって命がけの逃走劇も、エヴァンにとってはまるで何でもない様子で片付けてしまえるのに対して、得も知れない不安に襲われた。
―――もしかして、自分がエヴァンの事をライバルだと思っているのは一方的で、対するエヴァンは自分の事など歯牙にも掛けていないのではないか?
そう考えてしまうと、ロニの脳裏には更に嫌な妄想ばかり駆け巡っていく。
ロニが一方的にエヴァンに対して理不尽な事を言っても怒らないのは何故か。
まるで手足の事のように扱っても何一つ文句も言わないのは何故か。
自分にだけ馬鹿丁寧な口調でいて必要最低限の会話しかしないのは何故か。
全部が全部、エヴァンにとってロニという存在が『どうでもいい人間』と思われているからなのではないか、そう結論付けてしまった。
事実エヴァンは以前にも『任務で無ければロニのような存在には関わらない』と断言するほどに毛嫌いしていた。
しかし、それを露骨に表情に出すような事など一切無かったし、そう演技していた以上、余程の観察眼のある者でも無ければ気づかれる事など本来ならば有り得なかった。
事実アンジェすら怪しんでいたが、後に可能性が低いと最低限の監視しか残さ無くなるほどに信憑性の低いものだったのだから。
そう、これはすべてロニの妄想の域も出ない推測に過ぎなかったのだが、ここにきて嫌な偶然が重なってしまった。
ロニの妄想が、事実エヴァンの感じている通りの『どうでもいい人間』なのだと完全に一致してしまった。
そして目の前にいるこの人形めいた顔をしたエヴァンがロニの事を何でも無いような目で見ているのだと、そう気づいてしまったのだ。
ロニは自分のこの妄想めいた推測が間違い無く当たっていると、エヴァンの目を見て気づいた。
「…ないで」
「はい?」
ロニの声が聞き取れなかったのか、エヴァンはロニに何と言ったのかもう一度尋ねる。
「私を、そんな目で見ないでっ!!」
その言葉を掛けられ、エヴァンは思わず驚いたような目でロニを見た。
(…これは、僕の内面に少しだけど気付いた?
むむ、触りだけでも僕がロニのこと嫌っているのはすぐに感付くだろうし…あーやばい、任務に支障が…何か良い手はないかなぁ。)
エヴァンの驚いた表情が更にロニの妄想がより真実なのだと理解させられ、顔を真っ赤にして声を張り上げた。
「どうしてエヴァはいつも私のことをそんな目で見るのよっ!!
私が何かおかしな事した?
私が何かおかしな事言った?
何で私だけそんな馬鹿丁寧な口調で、何でレオンとアンジェだけがあんなに楽しそうに話すのよ!?
なんで…なんであの二人は認めて、なんで私だけを認めないのよっ!?」
(………なるほど、だから気付いたんだ、心の内で僕がロニを嫌っていることに。
けど、その理由に気付けていないと…まぁ、今のロニじゃあそれまでだよね。
正直ロニの役目って最初の段階でもう必要なくなっていたし、あくまでレオンとアンジェの方にちょっと寄っていたから…それも原因かなぁ?
やっぱ子供って感受性が強いもんだなぁ、うまく演技していたんだけど。
まぁ、ある意味一番近かったが故に気付けたって事なのかな。
となるとどう対処すれば良いか…)
エヴァン自身も子供といってもいい年だが、すでに精神面においては同年代よりはるかに経験を積んでいる成果、見た目にそぐわぬ精神構造となっているエヴァンは素直に感心した。
ロニのその感受性の高さに。
エヴァンの言う所のロニの役目というのはあくまで王族と言う立場であるレオンとアンジェの二人と顔を繋ぐ為にいればよかったのだ、ロニ自身にエヴァンが価値を見出すとすれば、そこしかなかったのだ。
だからエヴァンはロニに対してからかう様でいて実際のところロニの妄想どおり『どうでもいい人間』扱いをしていたのだが、ロニの様子からしてそこまで気付いたのだろう。
さすがにエヴァンがこのアナハイム王国を憎んでいるとまでは想像していないだろうが、それでもエヴァンにとって小さな傷になるのではないか、そう考えてしまった。
しかし、
「…気付けないのなら、そういうことなんですよロニ様。
大体の人はそこまで気付いていたらどう対処すれば良いか理解するんですよ。
分からなければ…レオン様やアンジェ様に聞いてみるといいでしょう。
答えてくれるかは分かりませんが、最低でもヒントくらいはくれるでしょう」
あえてエヴァンはそう突き放した。
一貫して『どうでもいい人間』扱いをする事を決めているエヴァンとしては、ここまで言ってあげているロニが目頭に涙を溜めている様子に気にした様子もなく、そう言い捨てる。
そう、エヴァンとしては今言ってしまってもいいのだ。
『その人を見下した物言いが気に入らない。
平民の自分を使用人の様に扱うのが気に入らない。
何より貴族という立場にいながら貴族以外を同じ人間とも見ていない事が気に入らない』
そこまで言ってしまえばロニが間違いなく傷つくのも理解した上でエヴァンは問題の答えを先延ばしにした。
エヴァン自身が伝えるより、親友でもあるアンジェやレオンに伝えてもらった方が幾分かはましなのだろうから。
それがエヴァンにできる最低限の誠意であった。
エヴァンはロニの手首を掴むと、まっすぐ森の出口へと向かい出す。
もはや最初の狩りの約束や勝負も出来る状況ではない。
「………」
もう睨む事しか出来なくなったのか、自分の質問に答えないエヴァンにロニは無言で背を向けて歩き出した。
ロニにとってエヴァンという人物の本性―――とはいっても表層程度だが―――が見えてしまった以上、一緒にいたくなくなったのだろう。
エヴァンはロニがおそらく明日にでもアンジェかレオンに今日の事を伝えて答えを聞こうとするのが容易に想像が出来たし、明日からエヴァンと話をする事も無いだろうと安堵した。
しかし、エヴァンはこれが最後だからという理由でロニに声をかける。
アーマーボアの叫び声や大量に流した血で魔獣が寄ってくる可能性がある、一緒に行動したほうが安全だからという理由で強引にだが一緒に森を出ることにしたのである。
「…好きになさいよ」
ロニはエヴァンが付いてくることに一瞬だが睨んだが、すぐにそっぽを向いて歩き出す。
(…あーあ、閣下になんて報告しようか。
ロニとの関係が悪くなった…修復するより他のアクションを起こした方が良いというメリットを考えないと…)
そんなことを考えながら、エヴァンは行きと同様、近づいてくる魔獣を最低限の魔法、しかも無詠唱で倒していく。
そして森を出てしばらくして、エヴァンとロニは王都へと辿り着いた。
門番は交代していて違っていたのだが、エヴァンとロニの様子から何か仲違いでもしたのかと気付いて何もいわずに身分証の提示を求めた。
エヴァンとロニは先と同様に厳重に審査をされ、当然だが何も見つからずに王都へと入る事が出来た。
「…それではロニ様、僕はこれで失礼します」
「……」
王都に入ってすぐエヴァンはロニに伝えると、反応も聞かずにベルモンド商会のある商業区画へと向かっていく。
ロニはいまだ悩んでいるのか、どこか迷った目をしながらエヴァンを見つめ、見えなくなってようやく動き出した。
■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲ ■ ▲
「失礼します……閣下、今大丈夫ですか?」
「表向きの仕事は終わっている、構わないが…何か仕出かしたのかね?」
「あ…あはは、バレバレですね」
借家に戻ってきたエヴァンに紅茶を飲んでいたルッケンスがエヴァンの顔を見た瞬間溜息をついた。
判り易いくらいに落ち込んだ―――初見ではまず気付けないほど巧妙に隠しているが、長年の付き合いからすぐに察した―――エヴァンを見て、何かやったのだと気付いたのである。
「任務に関わる事なのかね?」
「…差し支えはしませんが、後々面倒になるやも知れないんです」
「……説明し給え」
煮え切らないエヴァンにルッケンスは話すように促した。
とつとつと話し始めるエヴァンに、ルッケンスはすぐに答えを返した。
問題無いと。
「ロニ・フォン・ビスト侯爵令嬢に現状利用価値は無い。
確かに今後必要になるかもしれないが…使えないのなら別に手はある。
エヴァン【大佐】はレオンハルト王子との関係が良好なのだ、そちらを重点的に攻略すればいい。
あの手の子供は友情とやらを育めば勝手に勘違いして掌を晒していくだろう。
前回の任務が不完全燃焼で終わっている以上、楽観視は出来ないがね。
エヴァン【大佐】、まだ次の任務は立案途中でな、構想は練ってはいるがいまいち決め手にかけるのだよ。
………申し訳なく思っている君の事だ、ここにくるまでに何か策の一つや二つ考えてきたのだろう?」
当初の目的であった三人の攻略予定者の一人を捨て置き、レオンを重点的に攻めるように指示すると、次の予定をなんとなしに尋ねた。
エヴァンは自分の行動パターンが完全に読まれていると引き攣った笑みを浮かべながら口を開いた。
「…次の任務地は…王都の以外を推奨します。
前回の任務で自分達は目立ち過ぎました。
よって、一度この王都に集中した『目』を逸らす必要があります」
「もっともな意見だ、あの愚か者の所為で夜間警備も正直いって以前の倍以上の数を割いている。
憲兵以外の騎士団の姿も確認出来ている以上、王都での活動がやり難くなっている。
……で、任務地をあえて王都以外にする理由とは?」
エヴァンはルッケンスに同意を得られ再度意見を促されると、自分の考えを発していく。
「今後の計画の為、このアナハイム王国全体を弱体化させるのです。
どの国もそうですが、貴族の中にも悪い貴族とマシな貴族の二種類があります」
「良い貴族はいないのだな」
「いませんよそんなの……失礼しました、続けます。
ここでターゲットにするのは、主にマシな貴族を狩る事です。
理由はこの計画終了後、どうあっても王国は【星神の贈物】を奪い返そうと躍起となるでしょう。
そんな時、王国にそのような余力を温存させておくなど面倒なだけです。
そして都合のいい事に、現在この国には非常に優秀な後継者がいるのですから」
現在アナハイム王国には四人の王位継承者達がいる。
第一王子である、アルコル・マリフォ・ヴァン・アナハイム。
現在は十九歳であるのだが、王という立場、そして温和な性格から王宮の泥沼劇ならぬ毒沼劇に辟易して恋人のいる公爵家に婿となる事を宣言した人物だ。
本来ならば公爵家の令嬢を妃として召抱えれば良い話なのだが、公爵家には現在後継者がおらず、第一後継者であるアルコルを婿に出すなど有り得ないはずだった。
国王アルバートも当初アルコルの『婿発言』に仰天し反対していたのだが、アルコルは二年かけてアルバートを熱心に説得し、ついにアルバートが折れる形で婿に成ったのである。
近日中に結婚する事が発布されており、国内外から結婚パレードを見ようとこの血の雨の降り頻る王都には現在観光客が増加していた。
第二王子であるガイスト・ライフ・ヴァン・アナハイム。
彼は継承権はあるものの、病弱で王家の所有する保有地でずっと暮らしていて、滅多にその保有地から出る事が無い。
原因ははっきりしていて、膨大な魔力が体についていかず、肉体をロクに動かせないほどに衰弱しているのだという。
現在十七歳だが、年始にある祝賀会で彼を見たものは皆驚いた。
そこにいたのは七歳の頃から殆ど成長をしていない青白い顔をした少年だったのだから。
その膨大な魔力と【異能】を使った召喚魔法を得意としていて、王都にいれば間違いなく今計画の中で最も危険な人物であったのは間違いない。
性格は理知的で王に最も近いとされていたが、その病弱振りに宮廷医師が『長く生きることは難しい』と断言し、継承権はあっても彼を支持する派閥が形成されていないのだ。
第三王子であるレオンはすでに臣籍降下する事をすでに宣言している為、その言葉を撤回する事があるかは不明であるが、王族がレオン以外にでもならない限り無いだろう。
そしてアナハイム王国唯一の王女であるアンジェ、彼女はこの四人の仲で最も支持をされていた。
何しろ、アンジェの母は王妃でいて辺境伯アイム公の血縁なのである。
王国最南であるアイムは巨大な鉱床があり、王国でも公爵家と引けを取らないほどの権力を持つ古参の貴族だ。
王国の屋台骨であるアイム辺境伯は実力主義を信条とする人物で、庶子でしかない他の三人の王子と孫であるアンジェを見比べた上で次代の王をアンジェとする事を決めたのだ。
とはいえ、女王となるのは初代を含めても過去六人という少なさで、一部の貴族からは反対意見もあったが、そういった貴族はすべてアイム辺境伯はその一部の貴族の『ホコリ』を叩く事で黙らせた。
本人も相当優秀な人物で、七年前の戦争では『鉄人』と帝国から畏怖されていてその手際はエヴァンから見ても鮮やかで鮮烈だと感じさせた。
最大派閥にして際王手であるアンジェ本人の意思を無視した形で、このアナハイム王国はゆっくりとだが揺れ始めていた。
「もちろん悪い貴族も減らしますが…割合としてはマシな貴族を三減らすとして、こちらは一程度ですね。
国内のパワーバランスを崩壊させ、内乱を誘発させてるのです。
元々燻っている火種もあるのです、連鎖していけばこの国に大きな火が上がるでしょう」
―――内乱という大きな火が。
ルッケンスはエヴァンの話を聞いた上で、計画の今後を予想し『どういう結果』が出来上がるのか、そしてエヴァンの提案した『内戦誘発』をどうしようかと考えた。
そして―――、
「決めたぞエヴァン【大佐】。
次の任務は王都周辺、そして辺境の貴族を狩る。
私もその意見を鑑みた上で修正案を考えてみた、聞いてみるかね?」
「ええ、是非ともお聞きしたいです!!
正直ここに帰ってくるまでに考えていた案なんで、穴が多くて不安だったんです!!」
採用されたことに喜んだのか、エヴァンはルッケンスの隣の席にと座った。
こうして夜も更けていく中、狂気の計画は天才的な脚本家達の手によってより鮮血と混乱を王国全土を舞台にしようと執筆を始めた。
そして二週間後、エヴァンは中間考査を終えすぐに休学届けを出した。
読了頂き、ありがとうございました。




