妄想学園農林畜産科9
……ここは一体どうなっているのだろう?
農林畜産科で目覚める朝は、いつもこの台詞から始まる。
目覚めた時間は6時半。
だが、明らかに明るすぎる空。
やはりここは日本じゃないのか?
疑問だらけでスタートしたこの生活もすでに2週間。
あれからアントニオの襲撃も無く、要は夏休みを前にしてひたすら期末テストの準備に追われていた。
――何にしても入ってきた時期が悪すぎる。
いくらなんでも、無理やり放り込まれてすぐ試験では、討ち死にしろと言われているに等しい。
幸い専門的な科目に関してはテストが免除されるとのことだが、
姫への刺客としてこの学園に入り込んでいたアントニオは、すでにここに来てから一ヶ月も経っており、試験の準備は万全らしい。
見るからに体育会系のアントニオだが、歴史研究部は『埋蔵金を見つける』という不順な目的のために、歴史はおろか化学や物理にいたるまでの高度な知識を求められる識者の巣窟である。
『最強の文系部』の二つ名を奇術部と取り合う超人の集団の一員なのだ。
昼間は普通の学園生活――とはちょっと違うが、一人の生徒としてアントニオとも話しをするので色々とわかったことがある。
一つはアントニオの依頼人が、姫の親族にしてこの畜産科の生徒代表であると言うこと。
別にこれは説明が無かっただけのことで、公然の秘密であるらしい。
何でも、姫との約定で昼間の授業を受けている間はお互いただの一生徒として振舞う事になっているのだそうだ。
これに関しては姫や黒崎にも確認をとっているので間違いない。
「――でさ、俺が海に行こうって言ったらあいつ」
「うるさい、だまれアントニオ。 お前は一人で小笠原諸島にでも篭ってアカグツかオジサンでも釣ってろ」
そして情報収集のために近寄れば、要の妹との中を認めてもらうためにと必死の懐柔作戦。
その暑苦しいトークをこうやってバッサリと笑顔で切り捨てるのが最近の日課になっている。
いつの間にかノロケに発展するあたりヤツが本気で好きなのはわかるのだが、コレばっかりは認める気にはなれない。
「ウガァッ!」
奇声と共に割り込んできたのは、全裸イケメンことオリオ。
今ではパンツを履くということを覚えて見事パンツマンに進化した彼は、ことあるごとに要の周囲にまとわりつき、アントニオと会話しているとこうやって割り込んでくる。
どうやら、アントニオと楽しげに話しているのがお気に召さないらしい。
耳を澄ませば、押し殺した声で笑っている気配が二つ。
一つはライオン男こと、番長である。
本名は知らない。
――とりあえず貴様はとっとと世紀末覇王伝説に帰れ。
どうやらオリオの恋を面白がっているらしく、ことあるごとにオリオをけしかけて見物をしているようだ。
そして、もう一人は姫。
お前はなぜそこにいる!? この授業は選択してないだろ!?
農林畜産科は大学のように単位制になっているため、昼間警備の必要ない姫とは別々の授業のことが多いのだが、一度この"嫌な意味で薔薇色な光景"を目にしてから、なぜか食いつきが激しい。
今では関係の無い授業にまでこうして顔を出して、なにやらメモを取っている有様だ。
「お前ら、授業の邪魔だからどっか行ってろ!!」
ついに堪忍袋の緒が切れた教師がチョークをへし折りながら叫ぶ。
「すいません! 授業の邪魔をする気は……」
「菫野は残ってよし! 他のものは全員退去せよ。 さもなくば、天狗さまより罰が下ると思え!」
要達の頭上で、ざわりと何かが動く気配。
見上げると、珍獣テングザルが天罰投下の準備をするべくお尻に力を入れていた。
――このままで単位など取得できるのだろうか?
教室から逃げてゆく闖入者を見送りながら、要はひとり心の中で呟くのだった。
「……見てないで助けてくれてもいいだろ!」
授業が終わった後で姫と合流した要は、開口一番不満を漏らす。
だが、姫はそれをさも面白そうに笑い飛ばすと、乱れた御髪を指でサラリとかきあげた。
「まさか。 あのようなおいしい光景、邪魔をしたら馬に蹴られるわ」
「そんな訳があるかっ!」
「それに、守る側が守られてどうする? そちはその程度の存在かえ?」
「昼間は護衛じゃなくてただの生徒だ!」
なぜこの女は、こうも言うことが扇情的に聞こえるのだろう。
憎まれ口すら魅力にしかならない人間がこの世には存在する事に、要はいささか混乱していた。
だが残念な事に、それが何故かという理由について要が理解するのはまだずっと先の話だ。
「まぁ、それはさておき。 勝負はテスト期間が終わってからじゃぞ」
「あぁ、わかってる。 夏休みになれば、全ての時間が授業外になる。 連中も今はその時期に備えて力を蓄えているのだろう」
やってくるのは生徒代表の配下数名と、自分と同じように外から招かれたアントニオを足した、おおよそ6名。
それにしても、アントニオはなぜこの農林畜産科に招かれたんだ?
色々なことがようやく判り始めてはいたが、この点については納得できない。
「――見たくは無いか? お主としても興味はあるだろう」
「え、なにを?」
そんな思索に囚われ、姫の言葉を聞き逃していたらしい。
「だから、宝を見たくはないのか? と言っておる」
宝というのは、むろん今回の騒動の原因になっている農林畜産科の秘宝の事だろう。
「……いいのか?」
「よい。 減るものではなし。 ましてや、あれは盗めるようなものでもないしな」
「盗めないって……それは聞いてないぞ」
「そうであろうな。 なにせ言わなかったのだから」
だが、盗めないといって素直に頷けるものではない。
しかし、盗めないような秘宝とは何だ?
もしかして、景色とか歴史とか言う概念的なものだとでも言うのか?
「夏休みになったら見に行こう。 楽しみにしておれ」
そう言って笑う姫の顔は、何か企んでいるとしか思えないほど腹黒かったが、それでも要はその顔をただじっと見ていた。
「どうした? 余の顔をじろじろと。 何かついておるかや?」
「い、いいや。 何もついてはいない」
慌てて目を反らすものの、その頬が火に触れたかのように熱い。
どうしてこいつはこんな後ろ暗いことを考えている時に限って目をキラキラとさせるのだろう?
傍から見ればわかりきった疑問。
だが、要に対して真実を告げるものは誰もいなかった。
「――そいつは恋だな」
「うわぁ!」
昼休みに訪れたコンビニで急に後ろから声をかけられ、要の口から思わぬ叫びが洩れる。
怪盗にはあるまじき失態だ。
「らしくないな、お兄さん」
「誰がお前のお兄さんだ!」
最後のシーチキンマヨネーズ味のオニギリを手放し、顔を真っ赤にしながら振り向くと、面長な顔にニヤニヤとした笑みを浮かべたアントニオが腕を組んで立っていた。
「おっと、人前だぜ? 演技忘れてるぞ」
「くっ、何の用だアントニオ。 昼休みはまだ休戦中のはずだぞ?」
「いや、目を潤ませたまま溜息をついているからつい……な」
くくく……と人の悪い笑みを浮かべるアントニオから目を反らし、要は唇を尖らせる。
「ほっといてくれ」
こんなやり取りをしていると本来の立ち位置を忘れそうになるが、この二人はいわゆる敵同士の関係だ。
時がくれば、殺し合いとは言わないものの、叩きのめさなければならない相手である。
「悪い悪い。 からかいに来たわけじゃねぅんだ。 ひとつ俺も気になっている点があってな。 それをお前にも確認しにきた」
「俺が答えるとでも思うか?」
口角を吊り上げ、威嚇するかのように白い歯を見せて笑う要を片手でいなすと、アントニオは苦笑を浮かべながら思いも寄らぬことを口にしだした。
「まぁ、聞け。 周りには前人未到といわれているこの農林畜産科なんだが、実は毎年一人だけ我らが歴史研究部から訪問が許されている」
「ほう……それは初耳だな」
「あぁ。 これは部の最高秘密だからな。 いくらお前でも知っているはずは無いと思ったよ」
この言葉が真実ならば、アントニオがここにいる理由は理解できる。
だが、なぜそれをわざわざ自分に話す?
その真意を探るべくアントニオの顔をじっと観察すると、その表情に暗い陰りがちらついた。
「で、この訪問は二年生の中で最も優秀な部員にまかされる名誉ある役目なんだが……俺が知る限り誰一人農林畜産科から帰ってきた者はいない。 俺もここに辿りついてから知ったことだがな」
「どういうことだ?」
「帰り道が見つからないんだ」
「そんな馬鹿な!?」
そんな話は要も全く聞いてない。
もし、要がもとの学園生活に戻ることが出来なかったら、残された家族はどうなるのだ!?
アントニオにしても、このままでは恋人と二度と会うことが出来ない事になる。
「去年この役目に選ばれた先輩と昨日あってきたよ。 ここは入る事はできるが帰る事は出来ない帰らずの聖域らしい。 事実、俺も外に出ようと何度か道を探したが、いつの間にかここに戻ってきてしまう」
「……そんな事は聞いてないぞ。 それじゃ、まるで」
結論を避けるように言葉が途切れる。
磁場が狂っているのか、人の方向感覚を狂わせる特殊な地形なのか、いずれにせよ普通ではない。
要の脳裏に浮かんだのは、砂地に居を構えるアリ地獄。
自分たちはけっして脚を踏み入れてはならない場所に入ってしまったのではないのか?
「そう、まるで人身御供だな。 農林畜産科に関わって人が行方不明になるとは聞いていたが、まさかこういうことだとはなぁ」
いつもテンションの高いアントニオが珍しく溜息をつく。
まだ完全に諦めた訳ではないのか、その目を見ればまだ力強さが残っているようだ。
だが、何をどうすれば良いのか途方にくれている。
……もしかして、護衛とか襲撃とか言う前に、自分たちはここから脱出するために全力を尽くすべきではないのか?
そこまで考えたとき、要の脳裏に疑問がわきあがる。
「じゃあ、コンビニの仕入れとかどうしているんだよ?」
荷物を運び入れる経路がわかれば、脱出の手がかりがつかめるかもしれない。
そう思った要だが、帰ってきたのは至極残念そうな視線とため息だった。
「いつのまにか荷物だけが置かれているらしい。 俺も色々と調べたが完全に謎だ。 コンビニでバイトしている同級生からオヤヤヤオヤニなんとかって言う謎の言葉がかろうじて手がかりとして聞き取れたが、その後そいつはガヴガウと獣の言葉しか話すことが出来なくなっていた。 怖くて筆談は試す気にならなかったよ」
「なんて事……だ……」
その手のガウガウしかしゃべらない相手なら、つい先日遭遇したばかりだ。
あれは呪いか何かの類だったのか?
そもそも呪いなどという非科学的なものを認める気は無いが、こうも不可解な空間に放り込まれると、うっかり信じてしまいそうになる。
「それよりも不可解なことがある」
「まだ何かあるのか?」
いい加減驚くことにも疲れてきた要の前で、アントニオはさらに不吉な台詞を口にした。
「この農林畜産科を卒業したやつは、いったいどこに行くんだ?」
その瞬間、要の思考が凍りついた。
少なくとも要は、この農林畜産科の卒業生と言うものを見たことも聞いたことも無い。
いったい、ここに来た生徒はどうなるんだ? ここは何のために存在しているんだ!?
「……俺にとっても、ここはわからない事ばかりだ。 たぶん、姫の身柄を取り合って終わりって話にはならないと思う」
おぞましさのあまり口を開けたまま言葉をつむぐことの出来ない要を横目で見据え、アントニオは肩をすくめて首を横に振ると、背中を向けて外に歩き出した。
「つまり、ここから脱出するまでが俺たちの冒険ってわけか?」
店の出口に差し掛かったアントニオに、後ろからそう声をかけると、アントニオはニヤリと笑って振り返る。
「その点については、たぶん協力しあえると思う。 だから、何かわかったら教えてくれ。 鍵は、姫の握っているこの学園の秘宝だと思う。 ただの勘だがな」
そしてそのまま外に出ると、待たせていた相方……巨大なアフリカ象に跨った。
「……考えておく」
今の要には、そう答えるのが精一杯。
アントニオの話が本当であるとは限らないし、もし事実だとしても、そう簡単にこの仇敵と手を取り合う事は出来ないだろう。
「ぜひ、そうしてくれ。 俺も早く本物の羚にあいたい」
「……一生布団の中で夢見てろ、ゴミ虫が」
要の悪態を背に、アントニオはコンビニを後にした。
一人残された要は、強すぎる日差しと濃厚すぎる森の香にウンザリしながら、昼ごはんを買うためにコンビニへと入りなおす。
だが、彼の楽しみにしていたシーチキン味のオニギリは、すでに誰かに買われていた後だった。
――上手く行かないときは、どうしてこうも不幸が続くのか。
その全ての原因が、この農林畜産科にあるような気がして、要は一人拳を握り締めた。
それを振るう場所も無いままに。