妄想学園農林畜産科7
いったい何から解決するべきだろうか?
与えられた自室に戻り、食事を終えた後。 群青からすでに漆黒へと変わりはてた空を見上げ、要は一人呟いた。
このわけの解らない世界に放り込まれた瞬間からというもの、要の疑問は尽きることがない。
「そもそもだ。 なぜ姫に護衛が必要なんだ? とかもわざわざ俺を外から呼び込む必要がわからない」
怪盗である要は、戦闘力と言うよりも潜入や隠密行動に向いている人材だ。
そんな人材が警備に必要な理由はそう多くは無い。
考えられるのは、同じく潜入や隠密行動を伴う危険性がある場合――すなわち、拉致。 もしくは暗殺……
いずれにせよ、テロリストじみた敵を想定しているのは間違いないだろう。
「だからこそおかしい。 いくら見た目が異常とは言え、ここは学園だぞ?」
大抵の人間は、たった3年間で通り過ぎてしまう場所だ。
そんなところでテロに狙われるなど、どう考えても無理がある。
よしんばこの場所にそれだけの価値があるとしても、外の連中がこの地でテロ活動を行うのは無理だ。
なにせここは、怪盗部が血眼になっても入り口すら探すことの出来なかった秘境の中なのだから。
――そう、内部の権力者が手引きでもしない限りはな。
外からの脅威に対して、ここは完璧な防御力を誇っている。
……そのわりにはコンビニとかあるけどな。
となると、少なくとも黒崎が話していた内部勢力同士のトラブルというのは本当だろう。
だが、こうまで無茶な自体を引き起こす根本的な理由は何だ?
そう、それが解らないのだ。
なぜここまでしてこの学園の、しかも農林畜産科の姫に執着する理由が。
ここで悶々と思索にふけっていても仕方が無い。
要は何かを吹っ切るように自室の扉を開くと、この独立治安維持区域たる農林畜産科で唯一の話しの通じる相手を探し始めた。
余談ではあるが、この農林畜産科の生徒は100%敷地内で寝泊りしており、その8割が学園から提供された格安の賃貸の借家を利用しているらしい。
なんでも、家賃の平均が一月たった2000円である上に、ほとんどが一戸建てだと聞いたときは思わず耳を疑ったものだ。
ちなみに要が滞在しているのは、姫が御付の女子生徒30人と共に寝泊りするお屋敷。
代々の入里家の女子が住まう屋敷であり、男子禁制である。
要が女装を強制されたのは、そんな背景があってのことだ。
……いた。
「聞きたいことがあるんだ。 時間はあるか?」
要が探していた相手は、まだ下働きらしき女子生徒が食器の片付けを行っているこの屋敷のホールで、戸締りのチェックを行っているところだった。
「問題ございません。 話せる範囲のことならご随意に」
無表情なまま頷いたのは、いつもの執事服に身を包んだ女性――黒崎だった。
つまり、話せないようなことがあると言うことか。
一人心の中で溜息をつきながら、要は勧められもせずに近くの椅子に腰をかける。
「長々と離す気は無い」
「それは好都合です」
木製の椅子に深く腰をかけた要は、ある意味拒絶にもにたその冷淡さに苛立ち、言葉遊びをすることなく一気に切り込んだ。
「単刀直入に聞くが、姫は誰から狙われている?」
「それならば、最初に袖にされた婚約者からと申し上げませんでしたか?」
傍らのポットにまだ中身が残っていることを確認すると、まるで腹の探り合いを楽しむように、黒崎は要に温い紅茶の入ったカップを差し出す。
続けて視線だけで砂糖の量を尋ねられたが、要は無言で掌を突き出し不要の意を示した。
「建前はいい。 たかが色恋沙汰でここまでする理由がわからない。 姫とその身内とやらは、そこまで馬鹿なヤツなのか?」
「おそらくそうなのでしょうね」
実にアッサリとした答えだが、その無関心な受け答えが返って裏を感じさせる。
まぁ、この程度は予想の範囲内だ。
……だけだった弱みは見せたくないだろうからな。
外からの圧力には強い農林畜産科だが、それは内部が一枚岩であればの話。
内側で問題が発生するならば、それはやがてこの王国の崩壊の引き金になるであろう事は、少し考えれば誰にもわかることだ。
例えるなら、ネズミを毒ガスで殺すなら閉じた容器の中が最も適しているように、この閉鎖社会はわずかな毒でも死の檻と化す。
そう、内部に亀裂が入ってさえしまえば、外部からの圧力にも用意に影響を受ける。
わざわざ外部の人間を引き入れた理由、それは彼らの知らぬ外部からの圧力に対抗するため。
要はそう推理していたが、結論とするにはまだ理論に大きな穴があった。
「俺が何も考えないとでも思ったか?」
「何をおっしゃいたいのかは存じませんが、姫が狙われていて、貴方がその悪の手先を挫く。 それでいいではありませんか」
「不満だね。 何故かといわれたら、理由は俺が"怪盗"だからだ」
誤魔化すように作り笑いを浮かべた黒崎を、要はただじっと見つめる。
待つこと数分。
たまりかねた要が口を開いた。
「答えろ。 ……連中はなぜそこまでして姫を求めているんだ?」
「お答え致しかねます」
だが、対する黒崎はあいも変らぬ涼しい顔だ。
ざわり……
要の苛立ちに反応し、周囲の空気がにわかにささくれ立つ。
「それには余が答えてやろう」
だが、要の疑問に対し、別の場所から答えを返すものがいた。
「……姫?」
意外な人物の登場に、要の眉がピクリと動く。
だが、その登場よりも要が驚いたのは、その直前まで彼女の気配がそこになかったことだ。
――いったい彼女はどうやってここに?
見れば、この部屋のドアが開いた形跡も無い。
「なぜ奴らが余の身柄を押さえようとするのか」
3匹の大蛇を従えた姫は、黒崎が引いた椅子に裾を捌いて腰掛けると、いつもの闇が笑っているような顔のまま要の向かいで肘を付いた。
「――なぜなら、余はこの農林畜産科に代々伝わる秘宝の鍵だからだ」
「よろしいのですか、姫? その者は盗賊ですよ?」
姫の口から飛び出した言葉に、黒崎の顔が一瞬曇る。
――盗賊か。
要の顔もまた、不快に歪んだ。
「ずいぶんな言い草だが、間違ってはいないな。 そんなことをバラして、俺に狙われるとは思わないのか?」
怪盗を盗賊呼ばわりとは、なんと言う侮辱!
女の演技をやめた要が、わざと低い声で挑発的な台詞を放ったものの、姫はむしろ上機嫌でその言葉を受け止めた。
「ふふふ……やはり男か。 繊細な外見だが、主にはその凛々しい表情の方が似合いおるわ」
その不敵な笑顔を浮かべるだけで、周囲の気温がぐっと低くなったような錯覚を覚える。
いったいどんな育て方をすれば、こんな魔物が育つのやら。
「主は怪盗であろう? 盗賊とは違う。 叔父上から聞いたが、怪盗たるものは乙女に狼藉を働いてはならぬそうじゃな」
「……いかにも。 それがヒロインに相応しい乙女であればな」
まるで黒崎の台詞をフォローするかのような言動だが、計算ではあるまい。
いや、むしろこの台詞を予想して黒崎がわざと盗賊呼ばわりをしたに違いない。
あざといやり方に鼻白む要を他所に、姫は鷹揚に頷く。
「なら問題ない。 余ほどヒロインに相応しい女はおるまいて」
「言うだけなら自由ですな、姫君。 あなたにはむしろ悪女の称号の方がお似合いだ」
「くくく……悪女か。 まさにそうよな。 なにせ、余はお主を騙して利用しようとしておるからの」
女性に返す言葉に棘があるのは、怪盗としてあるまじき振る舞いだが、この化け物のことだ……きっと歯牙にもかけまい。
要は象の尻を爪楊枝で撫でている自分を妄想し、げんなりとしながらその幻を頭の中から追い払った。
「――して、宝がほしいか? 盗人よ」
「あぁ、ほしいね。 それが現実に存在するならば」
即答だった。
最初から怪盗と知れているのだから、ここで偽りを言っても仕方があるまい。
その反応に満足すると、姫はその声色から笑みを消し、獲物を狙う猫のような眼差しで要を見上げた。
「秘宝はある。 だが、力ずくでは無理だ。 余を屈服させねば、誰も秘宝を手に入れる事はできないと言ったらどうする?」
「人を屈服させるには、なにも力ずくばかりとは限らないと言っておこうか」
「脅迫か、色恋沙汰か? 怪盗ならば前者はあるまい。 面白いぞ、怪盗。 実に面白い! ならば、余の心を奪って見せよ。 其の方なら、少なくとも退屈しのぎにはなりそうじゃ」
この女、退屈しのぎに自分で遊ぶつもりか?
要を見る姫の目は、オモチャを見つけた子供のソレである。
――ふざけるな。
「退屈などさせませんよ。 ただ、覚悟なされよ。 心を奪われるのは喜びと同じだけの苦痛があるとだけは申し上げる」
「心得た。 だがな、まず無いとは思うが、くれぐれも回りに本当の性別を知られぬように。 入里谷の姫君が、周囲に男を侍らせているなど外聞が悪すぎる故」
「仰せのままに、我が姫君」
お互いの言葉に棘を潜ませたまま、姫と怪盗による二度目の邂逅は収束を迎えた。
そう、招かれざる闖入者、さらなる登場人物の出番によって。
「では、まず一仕事してまいりましょう」
「仕事とな?」
椅子から立ち上がった要に、姫は好奇心を剥き出しにしたまま首をかしげる。
「ええ。 この屋敷にハエが一匹紛れ込んだようです」
その手には、独自に改造を施したスマートフォン。
その液晶の画面には、防犯センサーが反応したことを示す赤い警告ランプが瞬いていた。