妄想学園農林畜産科5
それは、ジャングルの中に町があるのか、町の中にジャングルがあるのか。
幾千の蛇を束ねたように捻じ曲がった樹木の群れと、まるで共生するように立ち並ぶ石造りの建築様式。
頭上には色鮮やかな鳥が舞い、遠くから響くホエザルの声が鼓膜を震わす。
「見れば見るほどデタラメだな」
まるで一生分の溜息を吐き出した後のような声で呟くと、要は舗装の悪い石畳を一人歩く。
そう、地面はアスファルトですらない。
ほとんどが剥き出しの土と、質の荒い石畳である。
当然、車など一台も走っていない。
ざざっ……
その要の足元を、巨大なネズミ――カピバラの群れがあわただしく通り過ぎた。
いや、あれはヌートリアだったか?
その巨大ネズミの後ろをピンクのパンダが眼を血走らせて二足歩行で追いかけてゆく様は、まさに混沌。
……まて、今あのパンダ人の言葉で叫ばなかったか?
しかも関西弁で。
「幻覚……いや、白昼夢か? というより、いまさらだが、俺、何してるんだろ」
彼が何をしているかといえば、何の事は無い。
ただ農林畜産科の敷地を探索しているだけなのだが、三歩あるくたびに何かしらの驚きがあり、まったく息をつく暇も無いとはこのことだ。
今では当初の目的を完全に忘れてしまい、ただ呆然と足の向くままにうろついているだけである。
早い話が、軽い現実逃避だ。
どうやら農林畜産科の敷地はそれ自体が一つの街として機能しているらしく、半分ジャングルに同化しているような建物の中には、コンビニやブティック、スーパー銭湯やマンションまである。
当然、全て動物同伴可能な店だ。
ついでに全て生徒が運営している。
ここに入ってから、要は大人というものを一切見ていない。
あの黒崎でさえ、実は高校三年生だというのだから徹底している。
「あ、またナイン・イレブン。 これで三件目だな」
表の世界でも見慣れたコンビニの名前に、思わず店の中を覗くと、働いているのはやはり学生らしき少年少女ばかり。
いったい何時勉強をしているのか最初から気になっていたが、少し前に学内のパンフレットを開いたときにその謎は解決していた。
早い話が、この学部には夜学が存在し、夜行性の動物と暮らす生徒が昼間こうして働いている。
恐ろしい事に、普通科と同じタイムスケジュールで通う生徒はここでは少数派だ。
余談だが、夜明けと黄昏にしか活動しない二光性の生き物と暮らす生徒のために、二光学と言うスケジュールまで存在するらしい。
なんとも動物中心の野生の王国らしい話だ。
なにはともあれ、この場所がどうなっているか知らなくては何も出来ない。
要はさらに街の奥へと足を進める。
それにしても広い。
下手をすれば一つの市町村がスッポリと入ってしまうほどの敷地と、さらにその外周に広がる熱帯雨林。
物理的にもここが日本だとは考えにくいのだが、もしかしてここはサイパンあたりの近くに浮かぶ南国の島なのだろうか?
首を捻ったところで答えはおろかヒントすらない。
町並みを観察すると、基本はインドや東南アジアっぽい雰囲気なのか、街のあちこちに仏像らしきものが建立されている。
向こう見えるのはたしかカーリー像だったか?
しかもインド風では無いタイプだ。
以前チベットの寺院の資料としてみたことがあるが、老婆を形取った鬼女が目を剥く姿は、悪鬼でなくとも近寄りがたい。
……まて、東南アジアのど真ん中にヒマラヤのど真ん中の文化遺産とはどういう趣味だ?
心の中の突っ込みに応えるものなど誰も無く、要は再び溜息を吐いた。
――このままでは体の中の全てが溜息になって抜け落ちそうだ。
彼の仕草がいつもより年寄りじみて見えるのは、きっと目の錯覚ではないだろう。
歩いているうちに喉が渇いたのか、要は見慣れたコンビニの看板を目指して歩き出した。
だが……
――見られている。
背中に感じるチリチリとした感覚に、その顔はみるみるいつもの鋭さを取り戻していった。
口元を引き締め、横目で周囲の状況を探り始める。
どこからか感じる視線は、どちらかと言えばあまり友好的な感じはしない。
こんなところで誰に狙われているのだろう?
姫の侍女にでも頼まれた刺客か?
いや、こいつはもっと俗世的で乾いた視線だ。
刺客の持つ凍りつくような気配とはまた違う感覚。
そう、しいて例えるならば下世話な子悪党に財布の中身を狙われているときと同じ感覚だ。
言うなればひたすら鬱陶しい。
まるで蝿が周囲を飛んでいるかのような不快感とでも言うべきか。
――どこのどいつか知らないが、その面を確認させてもらおうか。
心の中で呟きながら、要は馴染みのあるロゴを潜り抜けてコンビニへと入っていった。
通路が狭くて遮蔽物の多い環境は、尾行をするにも適しているが尾行している相手を陥れるのにも向いている。
だが、要はこのコンビニに入って3秒でこの選択を深く深く後悔した。
「がぅうぅぅぅぅ」
店に入った要の目の前で可愛く吼えたのは、バイトの可愛い女子高生。
小柄な体は、リスやハムスターのように華奢で愛らしく、顎の上で切りそろえたキュートな内巻きのショートボブと、クリクリとしたつぶらな瞳が見るものの庇護欲を刺激する。
化粧っ気は全く無いのに、その小さな唇は真珠のように艶やかな桜色だった。
思わず見つめてしまうほど、実に要の好みストライクど真ん中。
……ただし、全裸で無ければ。
上も下もまるで隠すことなく、少女に恥らう様子も見られない。
大きすぎない胸のつぼみは桜色、白いお尻は桃のよう。
ここまで当たり前のように出されると官能の欠片すらなく、むしろ健康的すぎて空しさを感じる。
そんな彼女の肩の上では、コンビニの制服を身に着けた数匹のリスが器用にお辞儀をして愛らしい顔を斜めに傾けていた。
おそらく彼女の共生している動物はリスなのだろう。
――だが、服を着るべきキャラが逆だろ!
せめてお前が制服を着ろよ、バイト店員!
ニッコリと笑う少女とリスの姿はすごぶる愛らしいが、何かが根本的に間違っていた。
あまりのインパクトに言葉も出ない要をよそに、少女はおいしそうな香を放つ『からあげたん(ゆずこしょう味)』を示してガウガウと吼える。
いや、リスと共生ならそこは「がうがう」じゃなくて「きゅー」とかだろ。
そこまで贅沢は言わないから、せめて人の言葉で対応してくれ……要は心の中で滂沱の涙を流していた。
動物と共生を目指すのはいいが、これは境界線越えて向こう側に行っちゃってるだろ!
人類社会に帰ってこーい!!
……はっ、こんなことをしている場合ではない。
当初の目的を果たさなくては。
我にかえった要が店内を見渡せば、先ほどからのネチッこい視線は追ってきていない。
どうやら店内にまでは入ってこないつもりのようだ。
なら、別に無理に相手を特定する必要も無いだろう。
店員に事情を説明して裏口から逃がしてもらうか。
全裸少女は論外なので、他の店員の姿を探して飲み物売り場に足を伸ばすと、エプロン姿の男子高校生の店員が飲み物の詰め替えを行っていた。
ただし――
今度は裸エプロンかよ!
要の気配に振り返ったバイトの店員は、整った顔立ちと体育会系のガッチリした体つきの、実に爽やかな空気をまとう美少年だった。
ただし、裸エプロン。
チャームポイントは広い背中と尻えくぼ。
色々と台無しである。
「……が、がうっ!?」
しかも開口一番、青年の口にした台詞がこれである。
……どうやら、この店には人語を操る店員が存在しないらしい。
おまけにこの細マッチョな裸族イケメン、なぜか要の顔を見るなり見る見る顔が赤くなってゆく。
――なぜに!?
って、そういえば!!
要は今の自分がセーラー服を着た美少女にしか見えない事に思い当たる。
待て、待つんだ、そこのイケメン!
ダメだから! それはいろいろとまずいから!!
要の心の叫びも空しく、裸族少年の目がトロンと潤んでなんともいえない色気が漂う。
そしてゆっくりと近づいて要の手を握ろうとしたその瞬間……
ぱこん
マヌケな音とともに、裸族少年の頭がスリッパで殴られた。
「がうっ!」
気がつくと、いつの間には隣に来ていた全裸美少女が、スリッパを片手にプリプリと怒りの表情を向けている。
「がうっ、がうがうっ」
「がうぅ、がうぅうーっ!」
ただの唸り声にしか聞こえない声で、なにやら会話しているバイト二人。
お前ら、それで意思が通じるんかい……
これで何度目になるかわからないが、要は自分がとんでもない所に来たことを噛み締めつつも、店を後にする事にした。
こんな場所に長時間滞在したら、アイデンティティが崩壊してしまう。
喉の渇きを覚えながらも、要は何も買わずじまいだ。
でも、あの店員の女の子可愛かったな。
……全裸だけど。
どうやら、要も急速にこの世界に感化されつつあるようだが、それはまだ本人の預かり知らぬところであった。