妄想学園農林畜産科4
「おぬしが護衛か? と仰せられています」
戻ってきた要を出迎えたのは、部屋を真っ二つに仕切るような大きなカーテンと、まるで大奥の奥座敷のような雰囲気をたたえたセーラー服の群れだった。
そして軍隊よろしく横に整列した女子高生の一人から前置きもなしに投げられた台詞がコレである。
……そういえば、セーラー服は元々は水兵の制服だったな。
益体も無いことを考えていた要に向かい、さらに女子高生のリーダーらしき女が語気を強めて台詞を叩きつけた。
「答えよ、平民!」
だが、その問いかけに要は答えない。
なぜなら……
返事も無く跪きもしない要を、女子生徒たちが無言で睨みつける。
やがて痺れを切らした一人が怒鳴りつけるために口を大きく開けたとき。
「よい。 下がれ」
カーテンの向こうから、鈴を鳴らすような声が為政者の傲慢を伴って響き渡る。
「姫様! このような下賤なものに直接お声をかけ……」
「このままでは拉致があかぬわ。 そもそも、お前ら如きでは話す価値も無いと思っておるぞ、そ奴は」
周囲の女子高生の台詞を、姫と呼ばれた人物は楽しげに遮る。
「「――なッ!?」」
あまりの侮辱に、周囲の女子高生が一気に色めき立つ。
この様を例えるなら、あたかもスズメバチの巣にロケット花火を打ち込むが如し。
「今の内に謝っておいた方がいいと思いますよ? 菫野さん」
「お笑い種ですね」
黒崎が顔色一つ変えず心無い忠告をするが、要はそれを鼻で笑う。
むしろ胸を張りながら怒れる女子高生を睥睨すると、女の声色を使いながら、目の前の姫にも引けを取らぬ傲慢さでこう告げた。
「怪盗たるもの、決して権力に媚びへつらわない。 常識ですが何か?」
その瞬間、空気が生温いまま凍りつく。
はたして、この傲慢な態度に怒りを覚えればいいのか、怪盗を名乗る非日常的に存在から全力で逃げたほうがよいのか、おそらく関わらないのが一番賢いのはわかりきっているが、姫の傍を離れることもできず……
「ほう、そなたは女怪盗か。 実に珍妙な存在じゃな」
「この民主制度の世に姫と呼ばれる貴方もなかなかに珍妙だと思いますが?」
周りの空気を他所に、当人同士は穏やかに礼儀知らずな会話を交わす。
「……この野良猫が! 言わせておけばっ!!」
女子高生たちは、スカートの下から鈍器や刃物を取り出して構えた。
だが、
「うろたえるな! 端女共が!!」
それを黒崎が一喝で遮る。
「し、しかし黒埼殿……」
「姫が楽しんでおられる。 余計な真似は慎むがよい」
耳を澄ませると、カーテンの向こうからクックッと、人の悪い笑みが忍び洩れていた。
「……姫様。 そもそも、なぜここにいらっしゃるのですか?」
「寛大にも慈悲深い志乃様は、黒崎殿が新しく護衛を外から招いたという事で、わざわざ忠告を与えに参られたのです!」
答えたのは姫自身ではなく、お付きの女の一人。
その出すぎたマネに黒崎が鋭い一瞥をくれてやると、発現の主はヒッと短い悲鳴を上げて人垣の向こうに隠れて消えた。
どうやら、志乃というのが姫の名前らしい。
「して、そこの平民。 名乗りぐらい上げてはいかがかな?」
名を尋ねるならまず自らが名乗りを上げる……そんな習慣は、本当に高貴な方々には存在しない。
なぜなら、彼ら彼女らにとって、自分の名前を知っているのは当然のことだからである。
そうでなければ、他の誰かの口によってお互いの名が告げられるのが彼らの慣わしだ。
――この、ブルジョワが。
「菫野 羚と申します。 このたび、姫の護衛を黒崎殿から拝命いたしました」
とっさに妹の名前を名乗るその言葉に、尊敬の響きは欠片すらない。
文字通りの慇懃無礼だ。
だが、その態度に誰かが反応するより早く、要は言葉を紡いでニヤリと笑う。
「ただ、一つ不満がありましてね。 守るべき方の尊顔を拝見できないのは誠に残念だと思いませんか?」
その言葉の意味を誰かが理解するより早く、要の服の袖から金属製のカードが飛び出し、目にも留まらぬ速さで前に投げつけられる。
燕が舞い飛ぶような速さで投げられたソレは、狙いを過たずカーテンを繋ぎとめる金具を打ち抜いた。
あまりにも突然の事で、誰もが声を上げることすら出来ない。
いや、一人黒崎だけはそれを黙認するかのように無表情で見守っていた。
……バサリ
部屋を隔てていた薄絹が風にあおられ、姫の頭上に舞い降りる。
「ひ……姫様!?」
「よい。 取り乱すでない。 無様であるぞ」
穏やかな声と同時に、誰が触れたのでもなく薄絹がめくりあがる。
その下から出てきたのは、まだ中学生ぐらいに見える美しい少女だった。
黒絹と称するのも陳腐な髪は床まで届き、精緻な人形のように怜悧な顔にはなんとも艶かしくも傲慢なアルカイックスマイル。
ただのセーラー服を纏っただけの姿でありながら、明らかに他とは違う存在感をまとうソレは、まさに"姫"と呼ぶほかは無い少女だった。
ただし、頭に「闇の」とか「夜の」と付くほうだ。
少なくとも、ここまで腹黒くて傲慢な笑みの似合う存在を見たのは要にとっても初めてである。
その"姫"の視線が要を射抜く。
――落ち着け。
油断すれば一瞬で飲み込まれるぞ。
それは人の心など一瞬で麻痺させる"魅惑"と言うなの毒。
平静を装いながら、要はゴクリと唾を飲み込んだ。
乾いた喉にズキリと痛みが走り、気が付くと掌が微かに汗ばんでいる。
「羚と申したな」
鈴を振るような、いや訂正しよう。
闇の中で愛を囁く小夜啼鳥のような声で彼女は要の名を囁いた。
それだけでゾワゾワと背筋に何かが這い回る。
「――今すぐ荷物を纏めて帰るがよかろう」
だが、放たれた台詞は色香のカケラも無いものだった。
「いきなりな挨拶でございますね、姫君」
「予言してやる。 お互い不幸になるだけだぞ」
「未来など曖昧なものではありませんか? それに……定まっている未来があるなら、壊したくなるのが人の性というものでしょう」
要の答えに、姫は口を隠しながらクックッとくぐもった笑みを漏らし、
「好きにするがよかろう。 余をせいぜい楽しませてたもれ。 ――帰るぞ」
スカートを捌いて立ち上がると、慌てふためく女子高生を引き連れて姫は部屋を出てゆく。
ヌッ
音も無く地面に落ちた薄絹が持ち上がり、そこから這い出したのは数匹の大蛇。
なるほど、先ほど姫を覆った薄絹を跳ね上げたのはこいつらか。
まさに種も仕掛けもありませんと言ったところだ。
それぞれが10mを超えるような斑模様の怪物の群れは、まるで姫の身を守る従者のごとく彼女のあとから部屋を出て行った。
「――なるほど、これが農林畜産科か」
「ええ、これが農林畜産科です」
男に戻った要の独り言に、黒崎が笑うような声を重ねる。
その会話の音は、外から聞こえる南国の鳥のざわめきの中に消えていった。