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1.妄想学園農林畜産科  作者: 卯堂 成隆
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妄想学園農林畜産科2

 再び目を覚ますと、そこは異世界だった。

 ある意味で言葉どおり、ある意味で概念的に。


「なに……これ」

 頬に触れる長い髪と、スースーと風通しのよい足元。

 腿に触れる幅の広い布地の感触。

 肌を撫でる湿り気を帯びた風と、嗅ぎなれない南国の甘い花の香り。

 見渡せば、黄色に近い淡い茶色の木目を基調にした異国情緒溢れる内装が周囲を彩り、明るい光の差し込む窓の向こうには鮮やかな緑の大きな葉が揺れる。


 ふと起き上がり、手近な壁に填められた鏡を見れば、妹そっくりな……いや、むしろ双子の妹より自分に良く似た、知らない女がそこにいた。

 彼は理解した。

 目を覚ますと自分が女になっていたことを。

 しかも、セーラー服姿の。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 慌てて大事なものを確認すると、

「……ある」

 おなじみの感触がそこにあることを知り、彼はホッと胸をなでおろす。


 訂正しよう。

 目を覚ますと、彼は女装させられていた。


「い、一体何がどうしたんだ?」

 独り言を口にしながら気味が悪いぐらい柔らかなベッドから起き上がる。

 その拍子に傍らのテーブルの上に封書が肘に弾かれて地面に落ちた。

 ……いやな予感がする。

 何か不吉な予感を憶えながらも、爆発物でも触るような仕草で封書に手を伸ばすと、少年は差出人の名前を確認し、思いっきり顔をしかめた。


 ――有働より

「なんだよ、勝利宣言でも書いてあるのか?」

 差出人の部分には、彼のミッションをまんまと潰した張本人、学園の用務員の名前が記されている。

 腹立ち紛れにバリバリと封を破り捨てると、中からはルーズリーフを折りたたんだ味も素っ気も無い手紙が一枚出てきた。


『お目覚めはいかがかな? 菫野 要(とうの かなめ)

 ミッションに失敗したペナルティーとして、怪盗部から君の身柄を一時的に貰い受けた。

 ミッションの失敗を不問にするかわりに、もう一つの自分からのミッションを受けてもらいたい。

 もしこの依頼を受けてもらえないならば……君の妹に森校長ご推薦のファッションブランドのカタログを送りつける。

 詳しい事は君の屋敷の家令に聞いてくれたまえ。

 では、健闘を祈る』


 読み終えるなり、少年――菫野 要の手がブルブルと震える。

「い、いかんっ!」

 あの妹にそんなものを与えたら、カタログの端から端まで注文しかねない。

 想像するだけで音を立てて血の気が引き、指先まで真っ青になった。


 その動揺に追い討ちをかけるがごとく、部屋のドアがガチャリと音を立て、心拍数が一気に跳ね上がる。

 手紙を握り締めたまま、慌てて窓際に飛び退る……このあたりは怪盗としての本能のようなものだ。


「なかなかよい反応ですね。 さすが有働氏のご推薦だけのことはあります」

 ドアを開けて入ってきたのは、執事のような黒服を着た20代前半と見られる女性だった。

 切れ長の細面は美人と称して差し支えなく、男性的な衣装を身に着けながらも、そのボディーラインはあくまでも女性的な柔らかさを帯びている。

 残念なことがあるとすれば、その身にまとう雰囲気が怜悧すぎて色気のカケラも無いことだろうか?

 今風に例えるなら、残念な美女といったところだ。


「当家の家令を勤めております、黒崎 里李(りり)と申します」

 執事服の麗人は、舞台役者のように滑らかな動きで一礼すると、

「まずはお話の前に、お座りになりませんか?」

 指を揃え、備え付けのソファーを示した。


 沈黙すること、3秒ほど。

「話を聞こうか。 そもそも当家って何だよ。 まずはここがどこか教えてほしいね」

 溜息と共にやる気の無い仕草で髪をかきあげると、要は仕方なしにソファーに腰を下ろした。

 その瞬間、カツラがずれてその下から真っ黒な短髪が顔を覗かせる。

 実はこちらが本来の髪の色。

 盗みに入るときの茶髪は、万が一にも盗みを目撃されたときのためのカモフラージュだ。

 なんとなく気に障るので指で位置を直し、鏡を見ながら不自然ではないか確認を取ってから、彼はようやく一息ついた。

 その間、黒崎と名乗る男装の麗人は、ただその顔に薄っすらとした笑みを貼り付けて要を見ている。

 ……なんとなく気に食わない。

 その値踏みをするような視線が、低く見られているようでどうにも気になって仕方がなかった。

 今すぐ窓から逃げるという選択肢もあったが、現在地がわからない以上、迂闊に逃げ回るのもリスクが大きい。

 なにより手紙にあった脅し文句が彼からその選択肢を奪っていた。


「で? 俺にこんな格好をさせて何が望みだ?」

 その声には隠しようの無い苛立ちが見て取れる。

 "怪盗たるもの、常に優雅であれ"そう教え諭す先輩方の教育によりそのたたずまいは完全に良家の子女ではあるものの、その目と気配は完全に猛禽のソレである。


「貴方にお願いしたいのは――」

 睨み付ける要をいなすように笑みを深めると、黒崎は前置きもなしに用件を切り出した。

「当家の主の護衛です」


 その言葉に、要はピクリと眉を跳ね上げる。

「悪いが、そいつは専門外だな。 なにせ、俺はこれでも怪盗なものでね。 身辺警護はSPにでも頼んでくれ」

 ――そんな地味な仕事やってられっか!

 言葉に出ない部分で、要は露骨に嫌悪を示す。


 怪盗の嗜みとして腕に覚えが無いわけではない。

 だが、ただの護衛という地味な仕事に手を染めるならば、それはもはや怪盗とは呼べないのである。

 華やかに生きてなんぼの世界。

 たとえ部活とはいえ、怪盗として名乗るならば、譲れない線というものがそこにある。

 それは、好きで怪盗になったわけではない要をしても同じ。

 怪盗とは、美学あっての生き物なのだ……それが怪盗部に入って一番最初に教えられる心得である。


 だが、その拒絶の意思すら計算のうちと言わんばかりの笑みを浮かべ、黒崎はその唇から挑発的な台詞を紡ぎ出した。

「相手が貴方と同類だと言ってもですか?」


「……その話、詳しく聞かせてもらおうか」

 それが本当ならば、今回の話は護衛だけではなく、『怪盗同士の対決』と言う要素が絡む事となるなら話は別だ。

 とかく派手好きでお祭り好きな彼ら怪盗部は、この手のイベントが発生すると俄然盛り上がる。

 勝利した暁には、部の予算から大量の報奨金が出るに違いない。

 用務員室のミッションに失敗した要にとって、これは名誉的にも経済的にも起死回生のチャンスである。

 まるで謀ったようにおあつらえな依頼。

 何もかもがうますぎて、何もかもが気に食わない。

 だが、これはチャンスなのだ。

 ワナにかけたつもりならば、食い破ってやろう。

「くくっ、くくくく……」

 ――うまくゆけば、諭吉さんを何十人も身受けできるぜ!

 むろん、怪盗としてのロマンに心惹かれないわけではないが、それよりも現実的なものに心引かれる要であった。


「ことの始まりは、当家の親同士の口約束でございました」

 不気味な笑みをもらす要を見て了承したとみなしたのか、黒崎は頼まれもしないのに事情を語りだす。


「主の父親と当家の親戚筋の親の間で、自分の子供同士を結婚させると言う、どこまで本気かわからない約束を酒の席で行ったらしいのですよ」

「まぁ、ありふれた話だな。 それで?」

 別に護衛対象の身の上話には興味が無い。

 大事なのは美学とロマンと諭吉さんだ。

 良家のドロドロした愛の無いドラマは政治屋にでも任せておけばいい。


「はい。 それを聞いた先方のご子息が、今になってその約束を持ち出し、私の主に婚約を迫ったのでございます」

「ふぅん。 あんた見たいな人がいる家だ。 その手の政略結婚なんて珍しくないんじゃないのか?」

 その素っ気無い返事に、黒崎は溜息をつく。

「まぁ、確かな珍しくもございませんが」

 そして一度言葉を区切ると、肩をすくめてこう吐き捨てた。

「いささか時代遅れでございましょう」

 言外に含まれる鋭い侮蔑の棘に、要もニヤリと笑みを返す。

 ――少し話が面白くなってきた。

「で、察するにあんたの主ってのはこの婚姻に納得が出来ないってことか」

「ええ。 そして困った事に、ウチのお姫様が先方に向かってこうおっしゃったのですよ」

 交わす笑みはさらに黒く、朝の光の下においてさえも夜のいかがわしい空気が部屋に満ちる。

「どうしてもというのなら、力づく出さらって見せろ……と」

 多少の物まねが入っているらしく、執事服の向こうに別の女の傲慢な気配がちらついた。


「なぁ、一つ聞いていいか?」

「なんなりと」

 頷く黒崎に、要は興味本位で質問を投げつけた。

「あんたの主、どういう人間なんだ? いささか変わった人物のようだが」

 意に染まぬ婚姻で拒絶の言葉を口にするまではいい。

 だが、その返事が力づくでこいとは、まるで男のような台詞だ。

 はたしてそれは本当に女なのか?

 口に出さないが、そんな疑問を口調の中に滲ませる。

「それはそれは気高くて、清らかな方でございます。 さらに同性の私から見てもお美しい方ですよ」

「つまり、高慢ちきで潔癖症ってことか。 俺にこんな格好をさせると言う事は、ついでに男嫌いとか言う難儀な設定までついてきそうだな」

 美人という部分にはあえて触れない。

 護衛対象に懸想するなんざ、三流のやることだ。

「ずいぶん聞こえの悪い言い方ですね」

「否定はしないのか」

 まるっきり侮蔑の言葉なのだが、黒崎は不快を示すどころか面白そうなものを見たとでせもいいたそうな顔で微笑む。

 いや、訂正しよう。

 これは、ネズミを見つけた猫の顔だ。

 黒崎から、初めて感情らしき顔を引き出す事はできたものの、その表情と同時に要の背筋をザワザワとしたものが通り過ぎた。


「そこにさらに情報を追加するなら……この学園の農林畜産科を統治する入里谷(いりりや)家の御息女でございます」

「の、農林畜産科だとぉっ!?」

 飛び出した言葉に、思わず要が目を見開く。


 農林畜産科――学園敷地内の別棟にあると言われているが、誰もその校舎はおろか入り口すら見たこともないと言う謎の領域。

 もはや存在自体が都市伝説と化しており、七不思議の筆頭とも呼ばれる学園最大の秘密にして、何人をも拒む禁断の領域だった。

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