妄想学園農林畜産科11
要を引き連れ、姫の向かった先は農林畜産科の校舎であった。
途中までつれてきていた護衛の女子高生たちは、入る権限が無いと言う理由で学校の入り口で置き去りにしていた。
要はなぜ入ってよいのかという反論はうけたものの、そこは事情を察した黒崎が睨みをきかせて黙らせている。
まったくもってよく出来た家令だ。
「今から、100年ほど前の話じゃ」
二人っきりになったのを見計らい、姫はぽつりと語りだした。
「この地がまだただの田園地帯であった頃、空から天の火が降りてきた。 当時の記録にはそう記されておる。 だが、それは今で言う隕石と呼ぶようなものではなかった」
姫が歩くのは、後者の裏にある裏山へと続く道。
一般の生徒は決して入ることの許されない、聖地の中の聖地と言った感じだ。
なんでも、資格の無いものが入り込めば方向感覚を失って山の外に出てしまうらしい。
例外は、入里谷家の人間が案内をしたときのみ。
「そうさな。 あえて言うならば、神とでも言うべきだろうか? 事実、あれの本来の世界では、神として崇め奉られていたらしいからな」
間違いなく余人の通るはずも無い石畳の上には、草一本どころか彼は一枚おちてはいない。
いったい誰が手入れをするのか? ……いや、誰も手入れなど出来ないのだ。
ここは完全な禁足地なのだから。
そんな明らかに異常な場所を歩みながら、姫の昔語りは続く。
「まて、姫。 今、神と言いわなかったか?」
「聞き間違いではない。 ここに落ちてきたのじゃ。 ――神とも呼べるような、不可解な存在がな」
緑のトンネルの向こうを見据えながら語るその声は、ガラスのように透明で、同時に鉛のように重かった。
緑のトンネルを抜けた先。
姫の言葉とほぼ同時に、二人は少し開けた場所に出た。
そこは中腹の小さなお堂のような場所であり、人がまるで通らないにも関わらずひどく小奇麗であるのが印象的だ。
その周囲には、件の神のシンボルなのであろうか、まるで東洋の龍のような長大で繊細な生き物の彫り物が左右に並んでいる。
「この地に降りた神。 それはひどく巨大で、しかも高度な知性を持ち、自らを異世界の神オルネッタと名乗った」
「まさか、秘宝というのは――」
言葉にしかけて、思わず息を飲み込む。
「そう、秘宝とは異界の神、オルネッタに他ならない。 伝え聞くところによると、オルネッタはこことは異なる世界で神として崇められていたが、神々の争いに敗れてこの世界に逃げてきたらしい」
「なんてこった。 ……さすがに神は盗めないな。 そいつは宗教家の範疇であって、怪盗の守備範囲外だ」
ある程度の規格外は予想していたが、まさかここまでとは。
姫が『現物を見るまで信じないだろう』といったのも頷ける。
いや、今でも信じられない気持ちで一杯だ。
だが、ここまで来て冗談と言うことは無いだろう。
なにせ、どう考えてもここは異常すぎる。
そう、異世界の神がいるといわれても納得してしまうほどには。
その時になって、要はこの山に入ってから一度も鳥の声を聞いていない事に気が付いた。
「当初はひどく混乱し、あと一歩で官憲を呼ぼうというところまで来たのだが、そうはならなかった」
「――なぜ?」
「一つはオルネッタがひどく温和な性格であったため、恐れを知らぬ村の子供たちがかの神に懐いてしまい、話し合いをする機会があった事」
しゃべりすぎたのかペットボトルのお茶で喉を潤しながら、姫の語りはさらに続く。
「そしてもう一つは……時期が時期だったからじゃ。 事件が起きたのは、1904年の冬。 日露戦争によって徴兵の影に怯えていた地元の村人たちは、この神と一つの盟約を結んだ」
そう、当時は大国ロシアとの戦争を控え、誰もが不安を抱えていた時期。
神に縋れるものなら縋りたいと思うだろう。
そして彼らの前に、神は降りた。
結果は語るまでも無い。
「その結果、オルネッタは自らを崇める民を得た代償として、獣と言葉を交わす力を民に与え、さらにこの地を自らの不可思議な力で閉ざして外界からの干渉を一切遮断してしまったのじゃ」
そこで言葉を区切ると、姫の顔に悲痛な表情が浮かぶ。
やがて口を開いて出てきたのは、過去より延々と続く農林畜産科の大罪であった。
「そして、その時に飲み込まれた村の長が入里谷家。 やがて、オルネッタに忠誠を誓い、外から生贄を引き寄せるために外の世界へ出ることを許された人類の裏切り者じゃ」
「生贄ってどういうことだよ」
姫の口から飛び出した言葉に、要はぎゅっと眉をしかめる。
およそまともな神経の持ち主ならば、同じ反応をすることだろう。
そう、アントニオのような歴史オタクなら話は別かもしれないが。
「生贄と言っても、別に命を奪うということではない。 ある意味ではさらに性質が悪いと思うがな」
要の反応に思うところがあったのか、姫は自らの言葉に注釈をつけた。
そしてしばし虚空を見つめた後、ポツリと話の続きを語り始める。
「そうさな、お主はこの農林畜産科を卒業したものがどこへ行くか知っておるか?」
「いいや……アントニオから全員行方不明になっているような話は聞いているが、はっきりとは知らない」
「そうであろうな。 彼らは皆、神々の争いで崩壊した異世界に赴き、開墾作業に勤しんでおる。 我らの祖先もまた、住む人のいなくなったかの異世界で開墾を行い、その地に骨を埋めたそうじゃ」
人死にが出なければ良い……というわけでもない。
むりやり異世界に放り込まれて開拓作業を強制されたのでは、苦しみが長い分だけ死よりも残酷というべきだろう。
「結局のところ、やっている事は拉致じゃねぇか」
「否定はしない。 だが、一応は選んでおるらしいぞ? 家族や身寄りのあるものは出来るだけ避けておるし、最も重要な要因は――自分の世界にひどく絶望していること。 つまるところ、自殺志願者であることじゃ。 入里谷の人間は、学校法人を隠れ蓑に仕立て上げ、自らの仲間となる人間を虎視眈々と狙っておるのじゃよ」
いまさらながら、ぞっとしない話だった。
たとえそれで本人が良かったとしても、残される人間はたまったものじゃないだろう。
「おい、だったら歴史研究部の連中はどうなる! あいつらは自殺はおろか殺しても死なないような連中だぞ!?」
「そやつらか。 なんでも、卒業と同時に現世に帰るか異世界に赴くかの選択があるらしいが、今まで現世を選んだ者は一人もいないと言う話じゃぞ。 向こうには、神々の戦争以前の遺跡が山ほど眠っているらしいからな」
何か反論しようとして口を開いたが、要はそのまま口をパクパクさせることしか出来なかった。
――あの連中ならありえる。
あぁ、そういえばあの自意識過剰の馬鹿もまた、妹より異世界での冒険を選ぶのだろうか?
兄としては、妹を選んで欲しいような、だが悪い虫にはいなくなってほしいような、なんとも複雑でいたたまれない気分だ。
「要約すると、つまりここは滅びた異世界を再開発するための人材育成施設じゃ。 ついでに異世界に渡った連中の子孫もこちらに来て色々と学んでいるらしいぞ。 ガウガウとしか言わぬ裸の連中がまさにそれに当たる」
なるほど。 どうりでこっちの常識が通じないわけだ。
連中はこの世の生き物ではなかったのか。
おそらく言語体系もまったく違うものになっているのだろう。
結局、アントニオに尋問されたヤツは呪いにかかったのではなく、それを説明するだけの言語能力がなかったのだろう。
「なぁ、姫」
「なんじゃ?」
ここまで話を聞いて、要には疑問に思うことがあった。
「なんでそのオルネッタって神様を始末したいんだ? 何か恨みでもあるのか?」
話からすると、むしろ姫の口調はオルネッタに同情的だ。
なら、なぜ秘宝をこの世から消してしまいたいなどと?
「恨みなど無い。 むしろ救いたいのだ」
「どういうことだ?」
会議は踊る――ではないが、どうにもこの事件は善と悪がダンスを踊るかのごとくくるくると入れ替わる。
真実というのは、なぜにこうもいくつもの仮面を被るのか。
まるで、目に見えぬ神がそう望んでいるかのように。
「オルネッタは、もう十分だと思っておるのじゃよ。 世界復興のための人材は十分に確保した」
「じゃあ、なんのためにこんな拉致まがいな事を続けているんだ?」
納得が行かない。
否。 うすうすは気付いているが、そうあってほしくない事実。
だが、姫は口を開き、要の希望をあっけなく打ち砕いた。
「わかっておるじゃろ。 神のためでは無く、入里家のためじゃよ」
「……わかるように説明してくれ」
姫にそう答えた要の声がややかすれていたのは、単に疲れただけなのか、それとも現実のおぞましさのためか。
「よかろう。 もしもオルネッタが目的を果たし、自分の世界に帰ってしまったら……入里家の人間はどうなるかえ? 農林畜産科の敷地も、どこにでもある普通の校舎になってしまうぞよ。 ついでに、行方不明になっていた人間が大量に見つかるわなぁ」
いま神を開放すれば、神は農林畜産科に在籍している人間などほっぽって、さっさと自分の世界に帰るだろう。
そうなれば、今ここで生活している連中は、軒並み現実世界に放り込まれる。
閉鎖されているからこそ成立するこの異常な世界の住人は、おそらくまともには生きてゆけまい。
現在の被害者を生かすために、さらなる被害者を求める悲劇。
その止め処も無い罪の連鎖に、要はひどい頭痛を覚えた。
「要するに、連中は自らの罪を断罪されるのが怖いのじゃよ。 故に、神が自分の世界に帰れないようにした」
くっくっと、いつものように薄暗い笑みを浮かべる姫。
だが、そのあざ笑う声が深い自嘲から来るものである事に、要はいまさらながら気付いた。
入里谷家の業、そしてその家に生まれたが故に課せられた罪。
その全てが愚かしく、その全てに憎しみを叩きつけるために笑うのだ。
「なぁ、あんたたち、いったいその神に何をしたんだ……」
「封じたのじゃよ。 かの神が異界から持ち込んだ神器を使ってな」
そう告げるなり、姫は手にしていた杖の布包みを解いた。
布の下から現れたのは、表面にビッシリと文字のようなものが刻まれた金属の塊。
それは儀礼用としては簡素すぎて、実用品としては無駄が多すぎると言う、用途の判別に困る代物だった。
「つまり、あんたの本当の望みとは……」
「そろそろこの世界から開放されるべきじゃ。 神も、人も、入里谷の亡者共もな。 おぬしもそう思わぬか?」
要もすでに気付いていた。
自分たちの行く先に、誰かが潜んでいる事に。
「この世界は永遠に続くよ。 続かなくてはならないんだ。 それが入里谷家の存在意義だから」
茂みの影から現れたのは、白皙と言う言葉が似つかわしい、無機質なまでに整った顔をした少年だった。
その後ろから、テンガロンハットを被った見慣れた顔も姿を表す。
「久しいな、王理。 やはりここで張っておったか」
「お前の目的からすれば、夏休みに入った途端にここに訪れると思ったよ」
目の前に現れた少年こそは、この農林畜産科の生徒代表にして、噂の姫の婚約者。
そして敵の黒幕と言うべき存在だった。
「おやおや、ここに招くことが許されるのは、家のものとその連れ一人のみと言う決まりではなかったのかえ? 家の伝統を守ろうという者が、率先して禁を破るとはのぉ」
アントニオの後ろからさらに現れた少年たちを見据え、姫がすっと目を細める。
「ご神体がなくなれば、禁など守ったところで意味がありませんから」
王理と呼ばれた少年は、姫の皮肉にも顔色一つ言葉を返した。
その背後から、シュルシュルと空気を擦り合わせるような音と共に大蛇が這い出す。
さらに連れてきた手下の共生動物なのか、豹や虎までもが足音を忍ばせながら姿を現した。
「大人しくつかまれなどとは言いません。 せいぜい足掻くがいい……捕らえろ」
その言葉と共に、大蛇や猛獣を従えた数人の少年たちが姫と要に殺到する。
だが、要は目の前に大きな布を取り出してかざすと、余裕のある声でこう告げた。
「さて、本日お見せするのは古来より多くのマジシャンが工夫に工夫を重ねてきたおなじみのイリュージョン。 ――ただ」
大仰に一礼した上で顔を上げ、不適にニヤリと笑いながら、その布で自分と姫の体を覆い隠す。
「タネも仕掛けもございません」
「させるかっ!」
要と姫がその布の内側に隠れるのとほぼ同時にアントニオの右手が翻り、神速で飛んできたロープがその大きな布を下から上へと弾き飛ばす。
だが……
「いない!?」
布の下から出てきたのは、大量の赤い薔薇。
甘く濃厚なダマスクの香が漂うその場所に、要と姫の姿はどこにもなかった。