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1.妄想学園農林畜産科  作者: 卯堂 成隆
10/12

妄想学園農林畜産科10

「さて、準備はよいか?」

 夏の課題が過ぎて、初日。

 いきなり部屋を訪ねてきた姫は、開口一番にそう言った。


「ずいぶんなご挨拶だな。 ちなみに何の準備だ?」

「むろん、秘宝を見に行く準備に決まっておろうが」

 言外に、何を言ってるこのタコスケが! といわれているような気がするが、おそらく空耳ではなくただの事実だろう。


「そういえば、試験の前にそんな話を一度だけしていたな」

 ちなみに試験の方は、怪盗としての能力を駆使し、問題なく好成績で完了している。

 ……何をどうしたかは聞かないお約束だ。

 良い子は決して真似をしないように。


「思い出したか。 では行くぞ」

 そのままなし崩しに連れ出そうとする姫。 だが――

「まて、興味はあると言ったが、それだけだ」

 別にこのまま同行しても良いのだが、それでは姫の言いなりになっているようで気分が悪い。

 単につまらないプライドが邪魔をしているだけに過ぎないのだが、怪盗などプライドが服を着て歩いているような人種である。

 某頭痛薬の半分が優しさで出来ているなら、怪盗の半分はきっと見栄と道楽で出来ているに違いない。


「やれやれ、あきらめの悪い。 ほかの者はすでに用意が出来ているというに」

 溜息をつく姫の格好は、いつもと変わらない黒のセーラー服だ。

 その手にはいつもと違う杖のようなものが布でぐるぐる巻きになっている状態で握られているだけで、用意も何もあったものではない。


 ジト目でこちらを見据え、梃子でも動く気が無い様子を見て取った姫は、鼻から息を吐き出しながら特大の餌を吊り下げた。

「もし、この農林畜産科から出る方法の手がかりがそこにあると言ったらどうする?」

 要の耳がピクリと動く。

「聞いているのであろ。 この学園の敷地から外には出ることが出来ないことを」

「その口ぶりからすると何か知っているようだな」

 そう告げながら、要は髪の長い女物のカツラを手に取った。

「知っておるとも。 その原因こそがこの学園の宝に起因するからな」

 出かける事に同意したとみなした姫は、どこか遠い目をしながら要の言葉を肯定する。

「……いったい何なんだ? この学園の秘宝と言うのは」

 姫の目に、怒りとも羨望とも、憧憬ともつかぬ複雑な感情が揺れ動く。

 なぜに彼女はこんな顔をするのか?

 

「見ねば信じぬよ。 故に語ろうとは思わぬ」

 その言葉には、何かあきらめのような色があった。

 ――わからない。

 この女、本当に何を考えているんだ?


「あと、心せよ。 おそらく邪魔が入るぞ」

 そう、夏休みとなったからには連中の襲撃を妨げる盟約もすでに無効。

 隙を見せれば夜でなくとも攻めてくるだろう。

 ならば、護衛として言うべき事は決まっている。


「……でしょうね。 ならば、護衛として申し上げる事はただ一つ。 お部屋で大人しくなさりませ、姫君」

 そのにべも無い言葉に、姫はその細い柳眉に皺を寄せて鼻を鳴らした。


「なんとも浪漫の無い。 それが怪盗の申す台詞かや? 一命に賭けてもお守りしますとでもいえぬのかえ?」

「ならば先にヒロインらしい台詞の一つも賜りたいものですな」

 まさに売り言葉に買い言葉。

 お互いを傷つけ合っているような会話のやり取りだが、なぜか不思議と漂う雰囲気は甘い。

 だが、同時に必要とあらば相手を切り捨てるだけの冷酷さもにじみ出ていた。

 とても高校生同士とは思えぬほど腹黒く、それはまるで毒蛇の交わり。 人として欠けた何かを互いの毒で埋め合わせて結ばれた奇妙な関係。

 

「意地悪なことを言うな。 余はそちに甘えてみたいだけじゃというのに。 それとも余の我侭を聞くのは嫌か?」

「嫌ではありませんよ、我が姫。 あなたが全てを打ち明けてくださるのならば」

 そう、この二人が決して互いの好意を認められぬ理由は、姫と呼ばれるこの少女の目的が知れないせいだ。

 敵を殲滅せよと言うならまだわかる。

 だが、この少女はけっして自ら攻めに転じようとはしなかった。

 とてもじゃないが、守勢に回ることをよしとする正確ではないにも関わらずだ。

 そして今も、要の不信の視線を一身に浴びながら、さも愉快そうに笑みを浮かべている。

「くくく……それは無理な相談というものじゃ。 なにせ、余は今からお主を利用して、とてもとても悪いことをしようとしている女じゃからな」

「それでこそ我が姫君ですな。 正直、先ほどの台詞は気持ち悪くて鳥肌が立ちました」

「では、満足したところで大人しく騙されてたもれ。 代わりにそなたをこの魔窟から元の場所に戻してやろう。 どうじゃ?」

「騙すといった口でそれを言いますか」

 それはまさに聖者を誘惑する悪魔の如き語り口。

 信じれば地獄の蓋が口を開ける。

 だが、信じてみたくなるような甘い言葉。


「信じるかどうかはそなた次第。 だが、このまま何もせずにここで骨を埋めるつもりもなかろう」

「いいでしょう。 毒を喰らわば皿まで。 で、どのような悪事をお望みですか?」

「余は毒か?」

「違うのですか?」

「違いないな。 ならば要、耳をかせ。 余の希を教えてやろう」

 怪訝に思う要が、眉に皺を寄せながら屈みこむと、姫はその吐息が耳にかかる近さでこう囁いた。


「単刀直入に言おう。 余の望みはたった一つ」


 ――この地に眠る秘宝を台無しにしたいのじゃよ。 完膚なきまでにな。



「……姫。 やはり貴女は不可解だ」

「ふむ。 要なら理解すると思ったのじゃがな」

 その目に浮かぶのは、失望ではなく挑発。

 どうやらこの姫には人を怒らせて、その反応を楽しむ悪癖があるらしい。


「なぜです? なぜ秘宝をこの世から消す必要があるのです?」

 怪盗にとって、宝とは手に入れて愛でるもの。

 ましてやそれをこの世から消すなど、言語道断の台詞である。


「余のさらなる望みの邪魔になるからじゃ」

 だが、姫の答えは酷くアッサリとしたものだった。

「もしかすると、貴女が狙われている理由とは――」

「言うまでも無かろう。 一族の秘宝を守ろうとしている輩じゃよ」

 なんてことだ……

 よりによって、要は最悪の相手の下についてしまったらしい。

「怪盗が宝の破壊に協力するとでも?」

 場合によっては、姫の手から宝を奪って逃げなければならない。

 だが、ここは農林畜産科だ。

 宝を奪ったところで、逃げる場所が思いつかない。

 さらに、姫の話が本当ならば、どうあがいたところで農林畜産科の敷地から逃げることも適わないのだ。


「協力せざるを得ない状況にしてやれば問題ない」

「……いったい何をした!?」

「秘宝に近づくことの出来るのは、伴侶を得た入里谷の直系の長女とその相手のみ。 言っておくが、伴侶として認められたからには死別するまで別かれる事はできぬぞよ。 おぬしが実は男だと言う事は最初から向こうにわかるようにしておいたし、そろそろ誤解と言う毒が回りきる頃よな」

 つまり、要はすっかり表舞台に引きずり出されていたのだ。

 よりにもよって姫の策謀によって。


「おぬしもまた、秘宝に近づく鍵とみなされたのじゃ。 連中は、余ともども生涯お主をこの世界に閉じ込めるようとするであろう」

 さも嬉しそうに、くっくっと腹黒い笑みを浮かべる姫。

 それはひどく無邪気で残酷な表情。

 要は何故か顔が火照るのを感じ、所在なさげに視線を反らした。

 ――この姫はこのようなときほど美しいのだから困る。

「俺を利用しようとしたのか」

「最初からそう言うておろうに。 だが、誰でも良かったわけではないぞ? 叔父上にめぼしい男をピックアップしてもらい、その中からお主を選んだのじゃ。 余とて、誰でもよかったわけではないぞよ」

 傷ついた要の様子に、姫はまるで心の篭っていない慰めの言葉を押し当てる。

「不愉快か?」

「当たり前だ」

 誰でも良かったといわれるよりはマシだろう。

 だが、姫の本当に望んでいるのは自分ではない。

 どれだけ言葉を連ねても変わらない事実、それがこの上もなく要の心を傷つけていた。

 そして傷つくことで、とても厄介な事に気付いてしまった。


「だが、おぬしがよかったのだ。 我が目的の伴侶として、お主がほしかった。 それでも不満かえ?」

「大いに不満だ。 それに、まだ本当の目的を聞いていない」

 どれだけ必要とされていたとしても、姫にとっての一番が自分でなければ意味が無い。

 嫉妬? いいや、それはおそらく恋というもの。

 愛とは違う、とても自分本位で我侭な感情。

 自分はいつからこんな面倒な感情を姫に抱くようになったのか?


「おぬしの不満は聞かぬこととして……余の真の目的か。 それはな。 この閉ざされた世界の外を旅してみたいのじゃよ。 何も、この地に閉じ込められているのは、お主だけではないという話じゃ」


 だから、一緒に行こう。

 そう呟いた姫の手を、要は不機嫌な顔のまま握り締めた。

 そしてそのまま姫の体を抱き寄せ、その激情の赴くままに小柄な体を抱き寄せる。

 ――ふざけるな。

「嫌だね。 俺は怪盗だ。 お前も秘宝も、この閉ざされた世界からの自由も、全て手に入れてみせる」

 他人の思うがままに動くのは我慢ならない。

 不適な笑みを浮かべると、要は再び覆い隠すようにして姫の唇を奪う。

 柔らかい感触と、南国の花にも似た甘い香り。

 全身をザワザワと音を立てて血が巡り、胸が痛く苦しいほどに鼓動が高鳴る。

 まるで噛み付くような要の欲望を、姫はただ笑いながら受け入れた。









 なんだよ、その態度。 少しはうろたえろよ!

 姫の余裕のある表情に、要の脳裏が怒りに染まる。

 このまま全て奪い去りたい。

 その余裕をぐちゃぐちゃに踏みにじって、泣き顔を拝んでやりたい。

 やがて歪んだ劣情を帯び始めた要の体を、姫はやんわりと押しのけた。

「ほんに面白い事を申す。 さすが余の伴侶に選んだ男じゃ。 だが、怪盗としては無作法が過ぎぬかえ?」

 そして告げられた姫の言葉に、要は冷水を浴びせられたような気分に陥る。

 さすがにこれ以上自分の劣情を解き放つわけには行かない。

「……少し顔を洗ってくる」

 そう告げると、要は下着と着替えを抱えてシャワールームに駆け込んでいった。



 そして要のいなくなった部屋。

 その床の上で、姫は真っ赤な表情のまま、力なくしゃがみこんでいた。

「ふぅ……さすがに今のはまずかった。 しかし、あのような獣じみた顔も出来るのだな。 ほんに男というのは怖い生き物だこと」

 いま思い返しても、心臓がドキドキと高鳴る。

 気を抜けば、全てを委ねてしまいそうだ。

 要からみれば余裕の表情だったかもしれないが、何のことは無い。

 実は姫も限界だったのである。


「まだじゃ。 まだ、余は悪女であり続けなければならぬ。 この悪夢のような世界から早う逃げ出さなくては、余はまともな恋の一つすら出来ぬただの人形じゃ」

 周囲から押し付けられるままに、好きでもない男と婚姻し、次代の人間に自分と同じ罪を強制し続ける……そんな未来は我慢できない。

「ふふふ……まだ未熟な余の怪盗。 はやくこの悪夢のような場所から余を攫ってたもれ」

 曇りガラスの向こうを眺めるその顔は、支配者の顔でも悪女の顔でもなく、ただの恋する乙女のようだった。

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