嘘も方言
掌を染め上げた真紅を、雨粒が洗い流してゆく。まるでその事実を忘却の淵へ追いやるかのように。
ところが今この瞬間に深く刻まれた、人間を突き刺した時の鈍い感触が薄れることは無かった。
「あ…ああッ……!!」
彼女の胸に突き刺した槍から無様にも手を放し、よろけながら二歩三歩と後退る。
「う…グッ!? …クハッ!!」
フラデリカはその場で跪き、苦痛に咽ぶ。更には信じられない量の吐血を幾度も繰り返す。
これを見た氷戈は二つの不安、いや、恐怖に駆られる。
-お、俺がやったのか…? 燈和を、俺が? …ッ違う!! コイツは燈和じゃない!! 気をしっかり持て!! …今大事なのは槍がフラデリカのどこを刺したかだろう!? …おい、待てよ? 俺は一体、どこを刺したんだ…?-
氷戈は惚ける。
リグレッドから告げられた『燈和を取り戻す方法』で提示された具体的な策。
それは『フラデリカを殺して、燈和だけを生かす』というものだった。
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「燈和ちゃんを取り戻す、最も確実な方法。…それは、燈和ちゃんを殺してまえばエエ。もちろん自分の手で、な?」」
「……は?」
「そないに困惑せんでも、そのままの意味やで? 燈和ちゃんの記憶を封じとる世界規模の欲と、『超然洗脳』によってその上に形成されとるフラデリカとしての人格。理論上、これらを取り除けば燈和ちゃんを取り戻せるやろ?」
「そ、それはそうだけどさ。現状『燈和=フラデリカ』なのにどうやってフラデリカだけを…その…殺すのさ?」
「記憶を封じとる方のカーマ、その核をぶっ壊せばエエんや」
「え、核? そんな都合のいいものがあるの!?」
「あるで、ここにな?」
「ここって…し、心臓?」
「まぁ胴の中心やからそうとも言えるが、せやからってちょっとでも左にズレでもしたらエラいことなるで? 幾ら『忘レ人』が丈夫とはいえ、心臓のど真ん中をブチ抜かれてもうたらトーラちゃんのカーマでも完治できるか分からんからな」
「で、でもさ……仮に核を破壊して燈和を取り戻せたとしても、胸を貫かれた状態は変わらないだろ…? そしたら燈和も直ぐに死んじゃうんじゃあ…」
「普通ならせやろうな?」
「え…?」
「氷戈、自分は過去にも一度、失血死しかけた女の子を助けとるやろ?」
「っ…もしかして、リベルテの事?」
「せや。核の破壊後、燈和ちゃんの人格が戻ったことが確認でき次第、あん時と同じように全身を凍らせてしまえばエエんや」
「ッ…!! でもそれじゃあ_」
「_リベルテちゃんみたく解凍出来なくなるかも、か?」
「……どうしてリベルテが今も凍ったままなのか、その理由すら分かって無いのにまた誰かを氷漬けにするなんて俺には…」
「確かに、理由は分かっとらん。せやけど、あの時と今じゃあ自分の『氷を扱う技術やそれに対する理解』は比べもんにならんほど上がっとる。それは当時『どうにかしてリベルテちゃんを元に戻してあげたい』ってリュミストリネに通い詰め、それからも努力や研究を惜しまんかった結果やとボクは思う。……それに、最近じゃあ仲間が負った浅傷を埋める為に氷を使っとるんやろ?ルカから聞いたで」
「そ、それはそうだけど…」
「これしか方法が無いんも事実やが、もうちょいだけ自信を持ってエエんとちゃうか?…今までに色んな人間や戦場を見て来たボクに言わせれば、こと源術の技術に於いては既に一級品のそれやと思っとる。まぁせいぜい頑張って来ぃや」
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そう_
氷戈の狙いは初めから『忘レ人を忘レ人たらしめている核』、それを『絶対防御』の力を宿した槍で貫き、破壊する事だったのだ。
そしてこの核に干渉できるのは『記憶を封じる世界規模の欲の優先度をも上回るカーマ』を持つ氷戈ただ一人という訳である。
リグレッド曰く、核さえ破壊できれば記憶を封じているカーマと燈和との繋がりが絶たれて元に戻るらしい。
すると当然、記憶を封じている膜も同時に消滅するので燈和は『燈和の記憶と自我を持った人間』となる。
ヴァイシャによる『超然洗脳』はあくまで『誰とも知れぬ忘レ人』を対象に発動しているはずだ。つまり燈和が記憶を取り戻した時点で『超然洗脳』は対象を見失い、その効果は破綻するのである。
このためには彼女の中にある核を正確に貫かなけらばならない。
だがその際に間違ってでも心臓を貫いてしまうと当然致命傷は免れず、ほぼ確実に死に至るとも告げられた。まるで手術のような、非常に繊細で失敗の許されない槍捌きが要求されるのだ。
これが氷戈の抱く二つ目の恐怖の真相であった。
故に氷戈は焦る。
フラデリカという人格を殺すために『燈和の身体へ槍を突き立てる』という、最も根底にある恐怖に駆られてしまい自分がどのようにしてフラデリカの胸に槍を刺したのかを覚えていなかったから。いや、正確には反射的に見るのを拒んでしまったのだろう。
「クッソ!! 刺さった場所によっては燈和が死ぬかもしれないんだぞッ!? こんな大事な時に何やってるんだ俺はッ!!」
自分の心と、何より信念の弱さに苛つきを隠せない氷戈は声を荒げた。
しかし起こってしまったからには後悔している暇などない。まずは状況を確認せねば万が一の事態かどうかも分かりかねる。動かねばならない。
自責の念に駆られながらも、重い一歩を踏みだす。
「…と、燈和?」
相も変わらず四つ這い状態の彼女に、恐る恐る声をかける。もしかしたらそれが燈和かもしれないという、淡い期待を寄せながら。
「クッ…ちがッ…! カハッ!?」
「ッ!?」
フラデリカは槍が刺さった状態にも関わらず、よろけながらゆっくりと立ち上がる。
それと当時に、槍がどこへ刺さっていたかが確認できた。
「…クソッ!!」
悔しがる氷戈の反応通り、槍は胸の中心から大きく右へ逸れた右肺のど真ん中に命中していた。
心臓を貫くかもしれないという計り知れない恐怖が、その矛先を右へと逸らさせたのだ。
肺を貫かれ、呼吸すらままならないフラデリカ。
満身創痍ながらも、自らに刺さった槍を力強く握るとまさかの行動に出るのだった。
「…グッ!! グアアアアァッ!!?!?!!!!」
「ッ!? お、おいッ!! そんなことしたら_」
カランッ…カラカラン……
一気に引き抜いてしまったのである。
噴き出る血を諸共せずに槍を地面へ投げ捨てると、流れで自身の首にかかるペンダントに付いていた赤い宝石を引きちぎる。
「な、何をして…」
「ガ、カハッ!! ねえ…さん、ごめん。力を…貸して!!」
パリンっ…!!
宝石を握りしめた右手を患部へ押し当てながらそう叫ぶと、そのまま力を込めて割ってみせたのだ。
ゴォオオオオオッ!!!!!!!
「ッ!?」
すると、彼女の右手から淡い色の炎が溢れ出す。その炎は次第に勢いを増してゆき、優しくフラデリカを包み込んだのである。
「な、なんだよ…? あの炎はッ!?」
-あんな状態でいったい何をするつもりなんだ? ……それにこの炎、どこかで-
「…ん?」
氷戈はそれに気付くよりも先に、フラデリカに生じた変化に気付くのだった。
彼女を覆うオレンジ色の穏やかな炎は次第に縮んでいき、フラデリカの負った傷の辺りに集中し始める。
炎は開いた孔より一回り小さなサイズになると同時に、灯った。
ボッ…
まるでそこを灯すのが使命かのように。
「ッ…血が、止まって…!?」
孔の中に炎が灯った瞬間、患部からの流血や吐血がパタリと止む。
「ありがとう…姉さん」
哀しそうな表情で呟くと、今度は冷たい目でこちらを捉えた。
「この私が、まさかこんなにも早くこれを使わされることになるとはな。…しかもだ、よりによって姉さんの仇相手に」
「ど、どういうこと…? 傷は、大丈夫なの?」
「なんだと? …ますます気色の悪い。何故貴様が私を案ずるような言葉をかける? …だが、そうだな。戒めの意も込めて教えておいてやる。…これは貴様が手にかけたフレイラルダ=レベッカのカーマの力だ」
「レベッカのカーマだって…? あ、そうかッ!!」
氷戈は思い出す。
先ほどフラデリカを包んだ淡い色の炎と、十ヶ月前にレベッカが見せた炎の色が同じだと言うことを。
「姉さんのカーマ『命火ノ縁』は『術者と繋がったものへ命を分け与える』というものだったらしい」
「命を、分け与える…」
氷戈は鸚鵡返しを繰り返す他なかった。




