53 ある男
「信じらんねえ」
男は、商業ギルドでいつも通り屋台の場所を予約するために訪れていた。
誰もが、いつも通りにカウンターに並んでいた。
それが、ある男が現れたことで中断することになった。男とリリア嬢のやり取りを眺めているとギルマスがやってきて一喝した。その後、3人の会話を注意深く見守る。
それは、並んでいる客だけではなかった。カウンターの流れが止まってしまうと、普段なら怒号が飛び始める。
それにも関わらず、カウンターにいるギルド職員も同様で誰もが声も出さずに見守っていた。
屋台の予約も商売も放り出して、男は商業ギルドの特別カウンターに並んだ。
通常は、採取物の買い取り査定を行う場所だ。
最近では使われることはほぼなくなっていた。
商業ギルドなので、昔は珍しい品の持ち込みなどがあったのだ。
男は、なんとか手に入れた物を抱えて家へと戻った。
「ただいま。食べ物を手に入れたぞ。」
家の中は、薄暗い。
まだ日は出ているけれど、木戸を開けることはここ最近さぼり気味だった。
男は、手に入れた物を包んでいる薄い布のままテーブルに置くと、木戸を開けて空気を入れ替えた。
1つしかないベッドには妻が横になっていて、子供たちが部屋の隅へと転がっていた。そこには、自分が使っている木枕も転がっている。妻は起き上がることもできなくなってしまい、夫婦のベッドに眠らせていた。男は子供たちと一緒に部屋の隅で寝ていることが続いていた。
なけなしの薪に火を熾して、鍋に水を入れて沸かした。
それから、カップを洗い、テーブルを拭いた。いつから拭いていなかっただろうか?
ここ数日、塩水しか飲んでいないのでテーブルに座ることさえなかった。
男は、慎重にナイフを滑らして紅茶のパックを開けた。
売っていた男は無造作に手で切っていたが、これほど美しい絵の描かれているものを破るなんてもったいない。庶民がこれほどに細かな絵を描かれた物をてにする機会は多くない。
柔らかいパンも紅茶の袋もとても美しい物だと思った。
中のティーバックを取り出すと、カップ4つに沸かした湯を入れた。売っていた男を真似てお茶の袋を揺らした。
ロールパンを4つに切り分けていると、部屋の端に寝ていた子供たちがふらふらと立ち上がった。
「おとう、いい香りがする。」
「そうだろう?お茶っていうらしい。それと白パンもあるぞ。」
「おちゃ?パン?」
「そうか、パンも知らないよな。ふわふわしている食べ物だ。」
男は、皿にカップとパンを乗せて子供へ渡した。
「ほら、食べよう。」
男は、子供たちとテーブルに向かった。
お茶を飲むと花のような香りが鼻をくすぐる。
「わぁいいにおいがする!」
「これお花みたいな匂いがする!」
「おにいちゃ、おはなしっているの?」
「ったりめえだろ?」
「いいなぁ」
「そのうちお前にも見せてやるよ。」
「うん」
「ほら、二人ともパンも食べなさい。」
「うん」
「うわぁ、あまい。」
「ふわふわで雲を食べているみたい…」
子供たちの声を聞いて、男も食べてみる。
パンは焦げた香りのするもう少し歯ごたえのある物しか知らない。こんなに柔らかい物は生まれて初めてだった。もちろん、とてつもなく美味しかった。
久しぶりの食事だ。子供たちもこれが貴重な物だと分かるようで、小さくちぎってゆっくりと食べていた。
「お前たちはゆっくり食べなさい。」
それから、同じものを持ってベッドに寝ている妻の元へ向かう。
「アメリア、食べ物だよ。少しだが食べてくれ。」
男の声に、妻は目を開けた。
男は、スプーンですくって茶を数口飲ませると、小さくちぎったパンを食べさせる。かなりの時間をかけて、食べさせた。
子供たちを見ると、食べた食器を転がしたまま眠っていた。腹が膨れて眠ってしまったのか?
そう思いつつ食器を集める。盥に汲んできた水で食器を洗うと男も眠くなってしまった。それも仕方がないことだ。久しぶりの食事で体は回復しようとした影響だった。
この時の紅茶の袋は、この家の食器棚に長い時間飾られることになった。
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