最悪の出会い
急降下。
風が挟まり、歯茎を剥き出しにさせながら、カミルは真っ逆さまに落ちていった。
なぜ、今日はこんなにも落下を強いられるのか。
レオノーレの街並みが瞳に映る。街並みは家々に灯された明かりにより、宝石箱に似た絶景を作っていた。だが、それに目を奪われている余裕は微塵もない。
「あーわるいわるい、座標間違えた」
呑気な声が横で響く。
そこには、胡座をかくような体勢で落下するロスヴィータがいた。
「やっぱ見よう見真似じゃ難しいなー。錫杖呼び寄せるのはできんだけどな」
「いや、難しいとかじゃねえよ! てか、なんでそんな余裕なわけ⁉ 死ぬっ! 冗談抜きで死ぬから!」
「よし、じゃー内容伝えるぞ」
「この状態で⁉」
カミルは狼狽えながら言う。ロスヴィータは構わず続けた。
「お前には、今からとある女と会ってもらう。名前はフィーネ。歳はお前とそう変わらないはずだ。キレーな銀の髪持つヤツだぞ。いいかカミル、お前はそいつと────」
言葉が溜められる。
「────〝友達〟になるんだ」
「は……?」
カミルがきょとんとした直後だった。ロスヴィータに蹴飛ばされ、無理やり方向転換させられる。
「んじゃー、行ってこい!」
邸宅のような建物のバルコニーを目がけ、カミルは突っ込ませられたのだった。
「だああああああああもうなんなんだよおおおおおおおおおっ⁉」
カミルが絶叫を撒き散らしていると、落下速度は緩まっていく。ロスヴィータの聖術だろうか。さすがに衝突は阻止しようとしてくれているようだ。
だが、重力の削ぎ方が甘い。着地までに勢いを殺すことは無理そうだった。
「ぶがっ!」
カミルは手すりに顔を打ちつけ、無様な声を洩らす。
そして、これも聖術によるものか、バルコニーの窓が待っていたかのように開いた。カミルは身体を逆回転させながら、部屋に転がり込んでいく。
「痛てて……」
顔は痛みに包まれていた。だが、手で触ってみた感覚としてはなんともない。骨折や流血はなさそうだ。
カミルは顔を手で押さえたまま、立ち上がる。
その直後、透き通るような声を耳にしたのだった。
「な、なんですか、あなたは……」
瞳の焦点を合わせるなり、カミルは石像のように固まってしまう。
鮮やかな銀髪を持つ少女がいた。
一瞬で思わされる。その少女は華奢で、可憐。だからこそ、吸い込まれるように観察してしまった。
澄んだ海を連想させるような色合いの膝丈ワンピースを着て、細身の太ももは白のハイソックスに覆われ、小ぶりな足は胡桃色のローファーに包まれている。ガラスで作られた蝶の髪飾り、控えめに輝く指輪なども目に入った。
ふいにロスヴィータから告げられた言葉が蘇る。
カミルは観察しながら、ごくりと唾を吞んだ。それから反芻するように、己に問いかけるようにして、少女には聞こえないような声で呟く。
「俺がこの子と、友達に……?」
頭は疑問で埋め尽くされていた。
なぜ、この少女と友達にならなければならないのか。ロスヴィータとこの少女の関係はなんなのか。まったく事情を汲み取ることができない。
そんななか、カミルはふと我に返った。自分が置かれている状況を俯瞰し、気づく。
一体、カミルはいま少女の瞳からどのように映っているのか。それは思考を巡らせるまでもなかった。
窓から部屋に侵入してきた不審者──それ以外にありえない。すくなくとも、今から友達になろうと思っている人間には見えないだろう。
「なんなんですか、あなたは……」
フィーネは顔に恐怖と敵意を滲ませる。
「不審者っ……」
やはり、その言葉が口にされた。予想通りすぎて、思わず笑ってしまいそうになる。
だが、笑っている場合ではない。呆けていたら本当に不審者として連行されてしまう。救済士が救済士に身柄を拘束されるわけにはいかない。
「──ま、待ってくれっ!」
ひとまず、仕事のことは忘れる。カミルは、この場をやり過ごすことに全神経を注ごうとした。
「えっと、その、俺はカミル・レーヴェニッヒって名前で、救済士協会レオノーレ支部で救済士をやってる人間だ! 断じて怪しい者じゃない!」
「救済士?」
フィーネの顔に疑惑の色が混ざった。恐怖と敵意の色が薄まる。
やはり、救済士と名乗ったことは有効だったか。断じて怪しい者じゃない──などと不審者の常套句を口走ってしまったが、そこには意識が向いてないようだ。僥倖だった。
だが、安堵するにはまだ早かったらしい。ふたたび、フィーネは警戒するような顔で睨んでくる。刺すような視線は胸元に向けられた。
「救済士の称号であるバッジがないようですが」
「──っ⁉」
カミルは背筋を伸ばす。
鋭い。カミルは救済士と胸を張って言えない気持ちから、バッジを外しているのだ。
焦りから汗が噴き出た。もう手段を選んでいられる余裕はなさそうだ。
「て、敵が攻めてきたんだっ!」
もちろん、これは真っ赤な嘘である。
「俺は敵と応戦してたんだよっ! でも、攻撃を食らって吹き飛ばされちゃって……バッジはそのときに落としちゃったみたいなんだ! 危険だ! 君も逃げたほうがいい!」
自分でも何を喋っているのか分からなかった。我ながら、馬鹿げた嘘に眩暈がしそうになる。
「敵……?」
フィーネは目を細めた。
「その敵はどちらに?」
窓の外に視線が向けられる。つられて、カミルも外に視線を遣った。そこには葉が擦れる音だけが響く、静寂に満ちた中庭の景観があった。敵の気配はまったくない。
カミルは苦笑を洩らしてしまう。さすがに無理がありすぎる嘘だった。
「──軽蔑します。そんなすぐ明らかになる嘘をつくなんて」
フィーネがばっと動く。机に近寄り、そこに置かれていた本を手に取った。鈍器かと見紛うほどの分厚い本だ。それを細腕で掲げながら、フィーネは距離を詰めてくる。
「いや、ちょ……待て……」
カミルは後退った。フィーネはカミルを撃退しようとしているようだ。
こうなれば、穏便に事を済ませることも諦めるしかない。取るべき選択は逃走だった。
カミルは窓の外に樹木を捉える。そのまま飛び降りれば負傷は免れないが、木の枝に飛び移れれば無傷で済むかもしれない。
カミルは心で雄叫びを上げ、決死の覚悟で跳躍をした。
だが、見立てが甘かったらしい。
「あ」
気の抜けた声が洩れた。
足りない。飛距離が圧倒的に足りなかったのだ。
カミルは枝を掴み損ね、地面へ無様に落下する。身体を捻り、体勢を変えようとしたが、それは裏目に出てしまった。後頭部を勢いよく打ちつける形となり、中庭に鈍い音が響く。
直後、視界が揺らぐ。意識が朦朧となる。
「一体、なん、なんだ……」
カミルはぶつぶつとぼやきながら、気絶した。
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