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償いきれない罪

過去回想③となります。

「ぇ、あ………」


 少年は振り返り、餌に群がる魚のように口を開閉させる。そして時間差で状況を理解したか、顔全体を強張らせていった。

 息が大きく吸い込まれる。悲鳴が上がる気配を感じた。


 だが、それはただの気配に留まる。

 突如として、少年は何者かの腕によって腹を背中から貫かれた。


「──ぅぷ」


 悲鳴ではなく、水に溺れたような声がこぼれる。

 少年の背後に立っていた者、少年の腹を貫いた者の正体──それは、ディートフリートの父親だった。


「何を呆けている」


 父親は不可解そうな顔をしている。


「周りの救済士は片付けたのだろう? ならば、あとは元首を始末するだけだったはず。子どもに同情心でも抱いたのか? ならば、それは不要な感情だ。捨て置け」


 無感情に言ってから、父親は真紅に染まる腕を引き抜いた。

 杯をひっくり返したような鮮血を溢し、少年は地面に横たわる。


「おとうさん、おとう、さん……」


 風に消えそうな声が洩れた。

 光を瞳から消し、目蓋を開いたまま、少年は絶命する。

 ディートフリートは、その亡骸を呆然と見下ろしていた。


 少年の最期が脳裏から離れない。命の灯火が消える寸前まで、少年はみずからの父親を呼んでいた。それは、少年が父親に深い愛を捧げていた証明に他ならない。

 そんな少年の命を奪った。地獄に問答無用で叩き落とした。


 ディートフリートは自問する。もはや自問せざるをえなかった。

 正しいのはどっちだ。愚かで、傲慢で、無価値な生き物はどっちだ。


 思い返せば、ずっと前に答えは出ていた。だが、その答えを出すことが自己喪失を招きそうで怖かった。過去を全否定するようで身が竦んでしまったのだ。

 だが、もうそんなことは言っていられない。


 ディートフリートは呻くように声を洩らす。


「お前、たちだ……」


「ディートフリート……?」


 父親が目を眇める。


「愚かで、傲慢で、無価値なのは、お前たちだっ!」


 ディートフリートは、瘴気を絡みつかせた腕で父親の腹を貫いた。


「ぐぶ……き、さまっ……」


 吐血した父親は、やがて白目を剥き、地面に倒れ込む。

 父親の絶命が契機となったか、ディートフリートはそこから味わったことのない激情に苛まれていった。

 その激情の正体は、後悔だ。


 ディートフリートは善だと信じて、正義だと信じて、人間の虐殺を重ねてきた。たくさんの人間の未来を剥奪してきた。


 だが、それらはすべて間違いだった。紛れもなく、悪はディートフリートだった。

 顎が震え、喉が締まり、胸が針で刺されたように痛み出す。

 何かが崩れるような音を聞いたのは、そのときだった。


 ディートフリートは思い出す。叛逆の徒の構成員は、いまも首都フェルナンを陥落させるために破壊と殺戮をくり返している最中なのだ。


 途端、使命感に駆られる。

 首都フェルナンの陥落は阻止しなければならない。くわえて、叛逆の徒をもう野放しにはしていられない。誰かが片をつける必要があった。


「──っ」


 ディートフリートは瞳に覚悟を滲ませる。

 次の瞬間、肺に酸素を取り込み、地を蹴りつけた。邸宅の壁を突き破り、激しい風を浴びながら、首都フェルナンの広大な空に舞う。そして、フェルナンを駆ける仲間の姿を一人ずつ目で捉えていった。


 そのうちの一人を目掛け、ディートフリートは急降下。着地するなり、刹那のうちに首を刎ねた。当人は死を理解する暇もなかっただろう。


 その後、ディートフリートは使命の続きに奔走した。

 頭を貫き、髪を毟り、眼球を抉り、唇を裂き、肋を砕き、心臓を潰し、腕を削ぎ、腸を刻み、脚をもぎ、一心不乱に、無我夢中に、かつて仲間だった者たちを殺し続ける。


 こうして、ディートフリートは叛逆の徒を壊滅させたのだった。



 †



 首都フェルナンから離れた森を歩く。


「うぅっ、あぁ……」


 ディートフリートは涙を流し、洟を垂らしながら、顔を悲壮に歪めていた。

 目指す場所はない。だが、立ち止まることが怖かった。だから、進み続ける。


 熊でも背負っているかのように身体が重かった。

 その理由は明白だろう。罪の自覚を得たからだ。


 父親や大人たちに促されるまま、ディートフリートは殺戮を重ねてきた。

 それは、正気の沙汰ではなかった。許される所業ではなかった。


 後悔だけではなく、罪悪感と自己嫌悪が濁流のような勢いで押し寄せてくる。

 負の感情は幻覚や幻聴に姿を変えた。いままでに命を奪ってきた人間が亡霊のように現れ、囁いてくる。


『どうして、私のことを殺したの?』


『死にたくなかった。もっと生きていたかった』


『お前が憎くてたまらない。まともな死を選べると思うな』


 背筋が粟立ち、両脚から力が抜けた。

 前から倒れ込むように膝を突き、ディートフリートは拳を土に押し当てる。

 気が狂いそうだ。一刻も早く苦痛から解放されたかった。


 ディートフリートは死に場所を求め出す。

 だが、両脚は動かない。だから肘と膝を地につけ、四つん這いで道を進んだ。


 そんなとき、前方に人影が現れる。

 鮮やかなローズレッドの髪を持つ女だった。髪の色彩、そして光を抱き締める女性が描かれた正方形のバッジから思い至る。彼女は、ゲルデ公国で名を馳せている紅薔薇という冥王星級救済士だろう。


 ディートフリートは反射的に警戒する。

 だが、遅れて気付いた。警戒する必要などない。ディートフリートはいま死を望んでいる。紅薔薇と呼ばれた救済士に身を委ねれば、望みは叶えることができるのだ。


「殺して、ください」


 ディートフリートは声を絞り出す。


「僕は、許されないことをしました。罪もない人たちに、たくさんのひどいことを、してしまいました。だから、罰を与えてください。楽に、させてください。ごめんなさい、ごめんなさい……」


 思考する必要などなかった。言葉は自然と出てきた。


「お父様が、叛逆の徒のみんなが、褒めてくれたから。人間を殺したら、たくさん褒めてくれたから。正しいことだと信じてました。人間を殺すことは正義だと信じてました……けど、それは勘違いでした……とんでもない罪を重ねてたと気付きました。僕は罪を償わなければなりません……だから殺して、殺してください……」


 女は目を見開いてから、顔を憐憫の色に染める。


「お前も、先祖のツケを払わせられた人間ってことか……」


 そして確認するように、女は訊いてきた。


「楽になりたいんだな?」


「は、い」


「……分かった」


 女は頷くなり、小声で何かを唱える。すると純白の光が発散し、森を覆い隠さんとする勢いで膨張していった。


 これは聖術だろう。紅薔薇は、ディートフリートを殺す気になってくれたようだ。

 ディートフリートは緊張を解く。安堵と幸福に包まれながら、純白の光に身を預ける。心が浄化されるような感覚を味わうなか、意識は途切れた。

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