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友達

 木の爽やかな香りが漂う食堂。


「だあああああああああああああああああああああぁ…………」


 机に頬をつけながら、カミルは呻き声を洩らしていた。


 市民から捜索依頼があった猫は、ユリアから難癖をつけられている間に姿を消していた。

 カミルは、日が暮れるまで街を捜索する。だが結局、飼い猫を見つけることはできなかった。


「あ、足が棒を超越してもう枝だぞ……」


 カミルは、老婆のように掠れた声でぼそぼそ呟く。すると、向かい側の席から気怠げな声が飛んできた。


「おーい、しっかりしろ。口から抜け出る魂見えるくらい顔死んでんぞ」


 眼球を動かすと、チュニックやブレという庶民的な衣服から、腕や腿だけ鎧で覆った、深緑の髪を持つ青年が映る。


 オイゲン・メルツァー。

 ユリア同様、彼は救済士協会レオノーレ支部の同期だった。


 カミル唯一の友人でもある。ユリアは極端な例だとしても、聖術を使えない無能という理由からカミルを敬遠してくる同期は多い。だが、オイゲンは気さくに接してくれる例外的な人物だった。


「あーもう、魂抜けたっていい。天国に召されたあと、俺の給金じゃ到底手が届かない料理たらふく食って、雲のふわふわベッドで三百年くらい眠りたい」


「おいおい、なんで天国なら自堕落な生活が送れると思ってんだよ。無条件で養ってくれるほど、神様も寛容じゃねーだろ。働け。毎日ちゃんと働け」


「俺は天国でも労働から逃れることができないのか……?」


「あー? 働きたくないなら不労所得じゃねーか? ギルドの親方になって、徒弟たくさん雇って、たくさん働かせて、自分は簡単な管理だけしてがっぽがっぽとか……あーでも、天国ってどんなギルドがあるんだろうな?」


「ダメだ、この話やめよう。俺はまだ天国に夢を見てたい……」


 カミルは顔全面を机に押し当て、くぐもった声を洩らした。


「ま、それは冗談として」


 オイゲンは手のひらに頬を乗せ、ふっと鼻を鳴らす。


「疲れてる時は食うのが一番だ。あ、お姉さんすいませーん。鹿肉のロースト一つお願いしまーす」


「おい、オイゲン……」


 カミルはやや狼狽した様子を見せた。今日は手持ちが寂しかったためだ。

 しかし、その心配は要らないと言わんばかりに、オイゲンは手を振る。


「いーっていーって。今日は特別な? たらふく食えよ」


「オイゲン……」


 カミルは口を半開きにさせ、硬直した。だが、すぐに身体の力を抜く。

 再認識した。やはり、オイゲンは気立ての良い男だ。


 表情や声の変化は乏しい。だが、長く一緒にいれば尊敬の気持ちを持って接してくれていることが伝わってくる。さらに言うなら、顔も悪くない。清潔感もあった。女性なら好意を寄せる者も少なくはないだろう。


 だからこそ、肩を落としたくなる。なぜこんなに捻じ曲がってしまったんだろう、と。


「────いや、違ったな」


 オイゲンは神妙な面持ちで呟く。


「前言撤回するぜ、カミル。疲れを癒やす一番の方法は別にあった」


「……」


 カミルは嫌な予感を覚える。このまま語らせることには抵抗があったが、鹿肉のローストをご馳走してもらった恩義から仕方なく訊いてしまった。


「それは?」


「そう、それはな────〝聖母〟と触れ合うことだ!」


 オイゲンは翼のように両腕を広げながら、高らかに叫ぶ。


「包容力がたまらないよな、人生経験を重ねてきたがための余裕というか、その余裕に優しく受け止めてもらいてえんだよな……あと聖母は女性としての賞味期限が切れてしまったんじゃないかという不安を抱えていてな……その不安を抱えているからこそ、好意を寄せられた瞬間に滲む恥じらいみたいなものがあるんだよ、それもたまらなくてさ……」


 突如、オイゲンは饒舌になった。


 聖母とはなんなのか。

 それは、人格の優れた尊崇される人の母──といった一般的な意味ではない。


 聖母とは、年配の女性を指していた。言葉を選ばなくていいなら熟女である。オイゲンは生粋の熟女好きなのだ。聖母について語っている時間だけは、顔に恍惚の色が滲み、声のトーンは数段階跳ね上がる。


「はっ、そうだ」


 オイゲンがふいに息を呑んだ。


「カミル……お前サン・アルバン修道院の依頼引き受けてなかったか?」


「サン・アルバン修道院? あー先週くらいの話か。確かに引き受けたぞ。裏庭にできてた蜂の巣を駆除したっけな」


「しゅ、修道院長のフリーダさんとは話したか?」


「話したぞ。物腰柔らかくて話しやすい人だったな。今度、修道院の家財を一新するらしくて、その手伝いをする約束もしたけど」


「んな、それは本当か⁉」


 オイゲンは両手で机を叩き、立ち上がる。


「な、なんだよ急に……」


「た、頼む、頼むカミル……」


 その様子はさながら、おあずけされた犬だった。


「今度の任務、俺も同行させてくれっ!」


「は、はぁ⁉」


 カミルは頓狂な声を出してしまう。


 オイゲンは人並みに聖術が扱えた。だから、市民のお悩みレベルの任務を引き受ける必要なんてまったくないのだ。にもかかわらず、なぜそんな申し出をしてきたのか。

 カミルは疑問を覚えたが、これまでの会話からその思惑を察する。


「フリーダさんとお近づきになりたいって魂胆か……」


「そうだよそう! 話が早くて助かるぜ。だから、その修道院の家財を一新する任務ってやつに俺も混ぜてくれっ!」


 オイゲンは合掌し、懇願してきた。もちろん、カミルの返事はこうだ。


「断る」


「なんで⁉」


「いや、なんでじゃないだろ……そんな邪な目的を隠してるヤツを連れていけるか。俺はただでさえ引き受けられる任務が少ないんだぞ? 市民からの評価を下げる可能性があることはぜんぶNGだ」


「ちょ、待て待て! なんか誤解してるだろ。そ、そう! 俺はただフリーダさんと含蓄に富んだ会話を楽しみたいだけなんだよ。会話から年長者の徳みたいなものを吸収してさ。人間として成長を遂げたいだけなんだってば!」


「そうか、それは立派な気構えだな。救済士は腕っ節が強いだけじゃ務まらないもんな? 教養と崇高な精神を身に付けてこそ、立派な救済士だもんな? ────で、本当は?」


「旋毛から爪先まで舐めるように見回したい」


「ああああああああああやっぱ邪な目的じゃねえか! 却下だ却下! お前は死んでも連れていかん!」


「ミスったっ! 頼む、カミル頼むよっ! 頼むから、さっきのやり取りをやり直しさせてくれええええええええええええええええええええええええっ!」


 オイゲンは縋るような勢いで抱き着いてきた。

 カミルは振り解こうとするが、オイゲンは不屈の精神で食い下がる。このオイゲンは食堂の閉店間際まで時間をかけ、なんとか諦めさせることができたのだった。

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