導いた結論
レオノーレの街に夕陽が差す。
市は終わりの時間を迎え、商売に勤しんでいた者たちは片付けの準備を始めていた。
フィーネとは、しんどくなったら屋敷に帰ってくるという約束をしていた。だから、フィーネの様子を逐一窺い、いつでも帰れる準備は整えていた。だが、意外にもここまで帰りたいと申し出てくることはなかった。
フィーネは、お土産に買った菓子を詰めた袋を抱きながら歩いている。そんなフィーネの横顔を眺めながら、カミルは考えていた。
いま、フィーネはどんな思いでいるのだろう。
待ち合わせをしたときは、顔に恐怖や不安が滲んでいた。だが市に訪れてからは緊張が和らぎ、恐怖や不安を拭えていたようにも見えた。市に終わりまでいたことも、フィーネが心配を忘れるほど堪能してくれた証拠のように思えた。
だが、それらはすべて主観だ。フィーネは気丈に振る舞いながらも、人知れず恐怖や不安と戦っていたかもしれない。そんな苦悩を知らず、呑気な評価を下しているだけかもしれない。
カミルが借りられた時間は一日だけ。やはり友達など作れないという判断を下されたら、次の機会はない。誕生日プレゼントを贈る約束も果たすことはできないだろう。
逸る鼓動を聞きながら、カミルは無言で待つ。
そんななか、フィーネはふいに一言呟いた。
「──びっくりしました」
「フィーネ?」
一体、フィーネは何にびっくりしたというのか。
「レーヴェニッヒさん、私──」
瞳を薄く閉じながら、フィーネは言う。
「朝方、やっぱり無理かなと諦めかけていたんです。レーヴェニッヒさんを傷付けたらどうしよう。命を奪ってしまったらどうしよう。そんな不安が、両親を傷つけた記憶と一緒に頭によぎったんです。結果、手足の震えが止まらなくなって……だから、待ち合わせにも遅れてしまって……」
ここで知る。フィーネが待ち合わせに遅れたのは、不安が足を重くしていたからだったのか。
「カミルさんを前にしても、手足の震えは止まらなくて。市を楽しむのは無理だって悟ったんです。だから罪悪感はあったけど、今日の約束は取り消せないか相談しかけて……」
フィーネはつらそうに唇を結んでいた。
「──でも」
その声がふいに穏やかさを取り戻す。
「レーヴェニッヒさんが手を握ってくれたとき、心に巣食う恐怖や不安が息を潜めていったんです。代わりに温かいものが溢れて、震えも止まって、それからはずっとそのままでいられて、だから私はびっくりして──」
「それって──」
カミルは続きを促す。
「はい、今日はとても楽しかったです」
フィーネは立ち止まり、春の陽気のような温かさを含んだ声で告げた。カミルは心臓がとくんと跳ねるのを感じる。
「レーヴェニッヒさんのおかげです。隣に立っていてくれた人がレーヴェニッヒさんだったから。心に寄り添ってくれた人がレーヴェニッヒさんだったから。私は今日こんなにも楽になれたんです。だから、その、私は──」
フィーネは語りながら、じわじわと頬を紅潮させていった。
「レ、レーヴェニッヒさんともっとお話がしたい。レーヴェニッヒさんともっと遊んでみたい。いま、私はそんな感情に駆られて……でも、だからこそ悩んで……」
「悩む? それは……」
「私は、友達が分からない。何をどうすれば、友達になれるのかが分からない。カミルさんの友達になるためには、私はどうすればいいのでしょうか?」
どうやらフィーネは、友達になるためには特別な行動が必要だと考えているようだ。
面食らったように沈黙してから、カミルは返す。
「難しく考えすぎだよ。友達の定義だなんて意識しなくてもいい。そんなのに囚われてたら肩が凝ってしょうがないだろ。ただ、あえて言うなら──」
とある人物を脳裏に思い浮かべた。オイゲンだ。
「命を懸けても守るとか、一生切り離せない絆があるとか、そんなのはいらないと思う。会えないなら寂しい。困ってるなら助けたい。そんな気持ちが芽生えるなら、それはもう友達ってことなんだと……俺は思うけどな」
「だったら──」
フィーネは手をぐっと握り、拳を作った。
「わ、私はカミルさんともう会えないのは嫌です。あと、カミルさんがつらい思いをしているなら助けたい。それは、つまり──」
続きを補ってほしそうな顔が向けられる。
カミルは、片側の口角をすこしだけ上げた。
その続きを口にするのはひどく照れ臭い。
だが、昂揚もあった。カミルを拒絶してきたフィーネが心を開いた上で、それを望んでくれているからだ。気付けば、勝手に口は開いている。
「なら、友達、なんじゃないか?」
カミルはぼそぼそと答えた。
フィーネは目を見開いてから、晴れやかな笑みを浮かべる。
「はいっ、レーヴェニッヒさん」
言われるなり、カミルの胸には花開くような喜びが溢れた。だが、そこにはわずかに違和感が混じっている。
「てか、せっかく友達になったなら、もうレーヴェニッヒさん呼びはやめてくれ。カミルでいいよ。ラストネームで呼ばれる機会なんてなかったから、ずっと違和感があったんだ。俺は勝手にフィーネって呼んでるわけだし」
「でも、よろしいのですか?」
「友達なら、名前で呼び合うのが普通だろ?」
「わ、わかりました。じゃあ、カミル、さん……」
フィーネが上目遣いで呼んでくる。
名前呼びは想像よりも破壊力が大きかった。顔が熱くなる。胸の奥でなにかが弾けるような感覚が広がっていた。
しばらくして、カミルは今日を振り返る。
素顔を垣間見られただけじゃない。心の壁を壊せた。フィーネの温かく、柔らかい心に触れられた。
カミルはそんな実感を味わうようにして、そっと目を閉じたのだった。




