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ヘルミーネ咽頭炎

 カミルは廊下の壁に背中を預けながら、顔を陰鬱な色に染めている。

 カーペットに視線を落としていると、フィーネの部屋の扉が開いた。水が溜まった盆を抱えたグレータが現れる。


「ど、どうだった……?」


 カミルは食い入るように問いかけた。

 顔に影を差しながら、グレータは答える。


「発熱、咳、喉の痛み、関節痛などの症状があるようです。断定はできませんが、〝ヘルミーネ咽頭炎〟でほぼ間違いないかと思われます」

「そうか……」


 カミルは目を細めながら、扉の隙間を覗く。そこには顔を真っ赤にさせ、苦しみ喘ぐフィーネの姿があった。


 ヘルミーネ咽頭炎は、喉の炎症を引き起こす風邪の一種である。

 これは聖邪大戦にて〈恐怖〉を司る邪人のヘルミーネが、イリス打倒のために世界中へばら撒いた細菌が原因だとされている。過去、ヘルミーネ咽頭炎は大陸中で猛威を振るい、大勢の人間を死に至らしめたそうだ。


 ただ現在は特効薬が開発されているため、致死性のある病気ではなくなった。その特効薬が手に入れられれば、フィーネは助けることができるだろう。


 だが、いまは手に入らない。

 それは嵐期ゆえだった。とてもではないが、街を出歩くことなんてできない。よって、いまできることは十分な栄養を摂り、体力を温存することだけだった。


 そのとき、廊下の奥に人影を捉える。白い口髭を蓄えた老年の男性だ。

 コルネリウスの屋敷で雇われている、シェフのエーゴンである。エーゴンはワゴンを押しながらやってきた。グレータは、元気のない笑みを浮かべながら迎える。


「エーゴンさんっ……わざわざ運んできてくださり、ありがとうございます……」


「いえ、構いませんよ。消化に良い料理とのことだったので、じっくり煮た野菜のスープをお作りしました。こちらでよろしかったでしょうか?」


「ありがとうございます! こちらで大丈夫です!」


「水分補給も必要でしょうか。レモン果汁と蜂蜜を混ぜたジュースであれば、さっぱりして飲みやすいかと存じますが、いかがいたしましょう?」


「ぜひ、お作りいただけると嬉しいです!」


 グレータは頭を深々と下げた。エーゴンもお辞儀をし、廊下の奥に去っていく。グレータは身を翻し、ワゴンと一緒に部屋へ入った。カミルは隙間から覗く。


「フィーネ様、お食事をお作りいただきましたよ。食欲はございますか?」


 グレータが語りかけると、フィーネは目蓋を開いた。


「ありがとう、ございます。いただいても、よろしいでしょうか……?」


 フィーネは歯切れ悪く返事し、グレータから皿を受け取る。スープを匙で一掬いし、震える腕で唇に寄せた。だがスープを喉に通した直後、フィーネは手から匙を離してしまう。


「い、た……」


 フィーネは苦悶するように喉を押さえた。


 咽頭炎は喉の炎症を発生させる風邪だ。おそらく喉を通る野菜が炎症部に触れ、痛みを引き起こしたのだろう。じっくり煮た野菜さえも喉を通らないというのか。どうやら症状は想像しているより重篤かもしれない。


「フィーネ様……⁉」


 グレータが蒼白な顔で立ち上がった。


「そんな、お食べになることは……難しそうですか……?」


「い、いえ、大丈夫です、喉の痛みが落ち着いたら、いただきますので……」


 聞きながら、カミルは身に悪寒を走らせた。

 薬を服用できないだけじゃない。食事も十分に取れないのか。だとすると、間違いなく衰弱は進む一方だ。


 不安が湧く。

 ふと、最悪の想像が脳裏に過ってしまった。それは、すべてが間に合わなかった想像。フィーネが眠ったまま目を覚まさず、コルネリウスやグレータが涙を流している想像だった。


 それは単なる想像だ。

 現実もそうなるとは限らない。傍観していても、数日後にフィーネは元気な姿を見せているかもしれない。だが、そんな想像が現実になってしまう可能性が砂粒ほどでもあるならば、黙っていることはできなかった。


「──そんなのダメだ」


 カミルは表情を引き締め、言う。


「俺はまだ伝え直せてないんだからっ!」


 そのとき、グレータが部屋から廊下に戻ってきた。依然として顔の血色は悪い。そんなグレータを癒やすように、柔らかい声で告げる。


「グレータ、安心してくれ」


「え?」


「ヘルミーネ咽頭炎の薬は……俺が取ってくるっ!」


 言うなり、カミルはカーペットを蹴った。


「レーヴェニッヒ様っ⁉」


 グレータは呼び止めるように叫ぶが、カミルは振り返らない。

 廊下を駆け、階段を駆け降り、エントランスホールの扉を開け放った。


 次の瞬間、顔をしかめる。身体を吹き飛ばすような烈風と豪雨が襲ってきたからだった。立っているだけでも体力を消耗する。宙を舞う木の枝や瓦礫が見え、身は竦んだ。

 だが、カミルは己を奮い立たせる。


「待ってろ、よ……」


 フィーネには必ず元気になってもらう。元気になって、もう一度話をさせてもらう。

 カミルは想いを脚に乗せ、一歩、また一歩と、嵐が吹き荒れる街を進んでいった。

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