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断念

 屋敷の壁を打つ雨音が響く。

 カミルは客間のベッドに寝転び、天井をぼんやりした瞳で見つめていた。


 まだ朝だというのに身体が重い。ベッドで上体を起こし、両脚を床につけることさえも億劫に感じられる。あらゆる気力が枯渇していた。


「ま、それでも困ることはもうないんだけど……」


 カミルは投げやりに呟く。

 無気力でも、いまは何も問題なかった。なぜなら、フィーネと関わろうとすることはもうやめたからだ。


『私に友人など不要です。孤独も苦痛ではありません』


 目蓋を閉じれば、フィーネの声が蘇ってきた。


 境界線を引き、近寄らせないなんて次元を超えている。あれは明確な拒絶だった。

 あんな拒絶をされては、フィーネを知ることはおろか、友達になることなんて到底不可能だろう。それでも音を上げないほど、カミルの心は強くなかった。

 だから、断念した。となれば、コルネリウスの屋敷に留まっている意味も消える。


 ただ、いまは自宅に帰りたくても帰れなかった。


 外に視線を向ける。地面を抉るような豪雨が降っているが、それだけではない。猛烈な風が屋敷を揺らし、雷が耳を劈くような音を時折響かせていた。


 年に一度、レオノーレには〝嵐期らんき〟という季節が訪れる。

 文字通り、嵐期とは嵐が訪れる時期を指していた。雨や雷を伴った風が一週間ほど吹き荒れ、レオノーレでは毎年、建物の損壊や市民の負傷など、大なり小なり被害が確認されている。


 この時期は生活必需品を買い溜めし、嵐期が収まるまで巣ごもりすることが慣例となっていた。

 帰れないのは、そんな嵐期ゆえだ。


 もうしばらく、フィーネとの共同生活は続く。食堂や廊下で顔を合わせたりしたら気まずいが、そこは腹を括るしかないだろう。

 カミルは長めの息を吐く。客間の扉がノックされたのは、その直後だった。


「──レーヴェニッヒ様」


「あ、えっと、どうぞ」


 物思いに耽っていたため、反応が遅れる。扉からはグレータが現れた。


「あ……」


 思わず、弱々しい声が洩れる。


『レーヴェニッヒ様に想いを託させていただきたい』


 グレータがそう語っていたときの顔が脳裏によぎった。

 諦めたことは伝えていない。伝えれば、グレータはきっと悲しい気持ちになるだろう。カミルはその気持ちを想像し、胸が締めつけられるような感覚を味わった。


「すみません、急にお訪ねをしてしまって、その、フィーネ様の件ですが」


 グレータはすぐ核心に迫ってくる。

 カーペットに両脚を下ろし、カミルは目を合わせないまま告げる。


「グレータ、それについてなんだけど……悪い、もう難しそうだ……」


「そうです、よね……」


 グレータは視線を逸らしていった。憂いを含んだ声だったが、表情は意外にも変わらない。カミルの決断を予想していたのかもしれない。

 気まずい空気が客間を満たす。それから、長い沈黙が訪れた。


 だが、その沈黙は唐突に破られる。


「──レーヴェニッヒ様、すみません」


 グレータが意を決したように拳を握る。そのまま、射貫くような視線を浴びせてきた。


「最後に、少しだけお時間をいただけないでしょうか?」



 †



 夜の帳が下り、屋敷を叩く豪雨が激しさを増すなか、廊下に立つカミルは目を泳がせていた。


「お、おい……本当にこんなことしていいのかよ……?」


「しっ、大きなお声を出されますと気付かれてしまいます。どうかお静かに……」


 グレータと重なるように身を寄せ、カミルはとある部屋を扉の隙間から覗き見ている。その部屋は、バルコニーから転がり込んだ際に見回したものだった。

 記憶は鮮明。見間違えるはずもない。フィーネの部屋だ。


「こんなの、やっぱマズいだろ……」


「そうですね、よろしくはありません」


 グレータは珍しく毅然とした様子で言う。


「でも、私は最後に知ってほしかったんです。レーヴェニッヒ様には、フィーネ様を誤解されたまま屋敷を去ってほしくなかったから」


「誤解?」


「フィーネ様に申し訳ない気持ちはあります。ただ、お部屋を覗いていれば、きっともうすぐ──」


 言葉尻が弱々しくなっていき、最後は黙る。

 カミルは怪訝な表情を浮かべながらも、扉の隙間へ同じように右眼を寄せた。


 フィーネはベッドの縁に腰掛けていた。可愛らしい欠伸を一つ洩らすと、彼女はすくりと立ち上がり、壁沿いのワードローブへ向かう。そのワードローブからは、藤紫色のナイトウェアが取り出された。

 次の瞬間、カミルは動揺を強いられる。


「──い⁉」


 フィーネはファスナーを下ろし、ワンピースを床にすとんと落とす。下着姿が露わになったのだった。


 カミルの視界には、ブラとショーツのみに隠された肢体がありありと映っていた。

 ロスヴィータのように、綺麗な曲線を描いた身体を有しているわけではない。しかし代わりに、フィーネは一流の芸術家が手がけた彫像がごとく美しさを誇っていた。


 穏やかな波のようなすらりとしたライン、触れれば抵抗なく指が流れていきそうな柔肌──それらがある種の儚さを演出している。そんな儚さは、抱き締めてあげたくなるような衝動を駆り立ててきた。


 カミルは目を奪われる。あうあうと口を開閉させ、視線をグレータに落とした。


「知ってほしかったって、フィーネの裸のことだったのか……⁉ え、ぬ、脱いだらすごい的なことを教えてくれるために……⁉」

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