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不死騎  作者: 槙原勇一郎
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攻勢と逆撃

カレル・パルケレンネは保安兵団から護国騎士団への応援の人員を中心とした千名をひいきて旧ファン・レオニー邸の制圧に向かった。シモンが護国騎士団第三部隊の千名を率いて向かったファン・ダルファー邸とは程近い位置にある。何事もなければすぐに応援に出向いて合流する手はずとなっていた。


だが、カレルとしては、何かいてくれないと困るのである。現在は使われてないとは言え、所有者は国務卿ベルト・ファン・レオニーのままの屋敷だ。何もなければ大問題となり強制捜査の言い訳のしようもない。ヤンとシルヴィアがファン・バステン家で全責任を負うといっても、そんなことをさせるわけにはいかなかった。いざとなれば、自分がすべてを被って、死を持って責任を取る覚悟を決めている。鎧の中には遺書が隠してあった。部隊を編成する一時間程度の作業の合間にひそかに書き記したものだ。


旧ファン・レオニー邸は不幸にも不死鬼となった亡霊(ファントム)ロビーことロビー・マルダーが手術を受けた場所である。先ほどの侵入者が女性であったとのシモンの証言を考えれば、ロビーに対してマウリッツ・スタンジェの研究成果を奪うことを指示した看護婦と同一人物である可能性が高い。不死鬼の女が護国騎士団本部から逃亡してからすでに二時間半が経っているから、この建物が拠点だったとしても、すでに引き払っている可能性もある。しかし、ヤンによれば不死鬼が長期的に都市部で生存するためには、多くの薬品や設備が必要で、それらすべてを処分している時間まではなかったはずであった。


建物はファン・ダルファー邸に比べればかなり小さい。ファン・レオニー伯爵家も公国の名門ではあるが、資産はそれほどでもなく、国務卿就任前にはそれほど大きな居館を維持する財力はなかった。建物の中には対吸血鬼装備で固めた精鋭三百名をカレル自らが率いて突入し、残りの人員は周辺を包囲させていた。


先行させていた二十人ほどの騎士たちが、対吸血鬼用のラッパを吹き鳴らす音が聞こえた時には、緊張するとともに幾分ほっとした。これで、少なくとも旧ファン・レオニー邸に関しては、制圧作戦を正当化できる。


対吸血鬼用のラッパは通常のものよりも高音で、すさまじいほど大きな音をだす。普通の人間でも苦痛が伴うもので、地位の高い者が多く住むこの地域で近所迷惑この上ないことではあるが、そんなことを考える余裕はないかった。


カレルは急いで先行していた騎士たちに追いついた。

そこには、五人ほどの吸血鬼の死体があった。


「突然、廊下脇のドアから現れてきましたが、動きが緩慢で、ラッパの一吹きで昏倒してしまいました。エッシャー先生の指示通り、首を落としてあります」


ロビーのように吸血鬼化の本格的な兆候が出る前ならともかく、完全に吸血鬼になってしまった者は今のところ治療の方法がない。首を落とすか心臓をつぶすかして、確実な死を与えることで、伝染性吸血病の蔓延を防ぐことしかできないのである。死体を良く見ると、ロビーと同じような手術痕があった。敵は吸血以外の方法で感染される方法をもっているということだ。体内の血液を大量に失った状態ではなく、十分にエネルギーを蓄えたままで人を吸血鬼化させることができるなら、血液を浪費する必要がなくなる。吸血鬼を兵士として使うためには有効な手立てであろう。


吸血鬼たちの動きが緩慢であったことは、彼らが血液を摂取したばかりで、十分すぎる栄養を得たばかりであったことを意味する。血液を十分にとった吸血鬼は半分眠ったような状態になり、場合によっては他人の指示に従順な態度を示す。敵はその状態を利用して、吸血鬼たちを制御しているものと思われた。


「不死鬼がいる可能性もある。気を引き締めて先を進め!」


だが、旧ファン・レオニー邸にはそれ以上の敵はいなかった。ロビー・マルダーを手術したと思われる部屋が発見され、そこには血液と思われる液体の入った小さな袋が多数遺棄されていた。ロビーの腹の中に入れられていたのと同じものだろう。先ほどの吸血鬼もここで手術を受けたのではなかろうか。


カレルは詳細な捜査を進めるために二百名の人員を残し、残り八百名を率いて、近くにあるファン・ダルファー邸に向かった。




シモンはヤンが自分をファン・ダルファー邸に向かわせた理由を理解していた。彼はシモンのことをカレル以上に信頼していたのである。不死鬼たちの拠点である可能性がある二箇所のうち、こちらの方を本命とヤンは考えていたに違いない。空き家である旧ファン・レオニー邸の方が都合が良いようにも思われるが、夜間の空き家から物音が聞こえれば近隣から不審に思われても当然である。ファン・ダルファー邸であれば、名門への遠慮から多少の不信感があっても誰もそれを口にすることはない。


ヤンは練武場でのカレルとのやり取りの中で、敵が護国騎士団本部に潜入するという大胆な工作に出てきたことから、テオ・ファン・ダルファーが関与している可能性が高いと確信したと言っていた。が、実際に確信を得たのは、侵入者が着ていたのが本当の護国騎士団の新しい鎧兜であったからだ。


護国騎士団の装備品は三日前に新しいデザインのものを導入する予定だった。それが、吸血鬼騒ぎの対応で支給が遅れていたのである。同じものは騎士団の外部で手に入れることはきわめて難しい。兵員の編成作業中に全ての在庫を確認したが、紛失したものは一つもなかった。この鎧兜の製造元が、テオ・ファン・ダルファーの出資で運営される武器職人組合だったのである。


何よりシモンの勘が、この建物に不死鬼が潜伏していることを告げていた。シモンは無骨な騎士で、たいした教養もないが、動物的とも言える勘の鋭さを持っている。護国騎士団でも随一と言われる剣技と共に、その鋭敏な危機察知能力はウィレム・ファン・バステン将軍にも認められ、若くして第三部隊副隊長に抜擢されたのである。兵士に扮装した不死鬼にいち早く気づき、すぐさま攻撃に出ることができたのもこの能力のおかげであった。


シモンは旧ファン・レオニー邸でのカレルよりもさらに慎重な作戦を取った。第三部隊の騎士たち千名のうち、五百名で邸宅の周囲を包囲し、三百名はあらゆる入り口と出入り可能と思われる窓の前に配備した。二百名がシモンの指揮で突入を行う。突入と同時に入り口と窓にいる騎士たちが、内部にニンニクと香草の臭気を送り込み、さらに対吸血鬼用ラッパを同時に吹き鳴らした。無防備な吸血鬼であればこれだけで、殺すことができる。


しかし、相手は理性と思考を維持したままの不死鬼である。臭気結界への対抗手段を持っていることはすでにわかっているし、ラッパでの攻撃もどこまで有効かはわからない。ただ、出発前にヤンは、仮に耳栓などをしていても、ある程度の効果は期待できると話していた。耳栓は鼓膜に空気の振動を伝えることを遮断するが、耳は空気の振動だけを感知するわけではない。全身、特に頭部の骨を伝わってくる振動も音として感知することができる。もちろん、耳栓がない場合と比べれば遥かに鈍感にではあるが、相手はずば抜けた聴覚神経を持つ吸血鬼である。音量以上に高音であることが吸血鬼のダメージを大きくすることも、シモンがガラスを引っかいた際の不死鬼の反応からもわかった。昏倒させたり、行動不能にすることはできなくとも、なんらかの影響はあるはずだった。


けたたましい音が鳴り響く中、邸内に突入したシモンと騎士たちはすぐに異常に気づいた。テム・ファン・ダルファーは七年前に妻を失い、十年前の戦争で息子も失っている。公爵家の名籍を残すために、親類から養子を取ることを公国政府からも薦められていた。だが、だからと言ってこの建物に彼が一人で住んでいるわけではない。使用人もいるし、ロビー・マルダーにトンマといわれた警備兵たちもいるはずである。それが、人の気配がまったくないのだ。使用人たちがいればこの音と煙に驚いて出てくるであろうし、警備兵はそもそも屋敷が包囲された時点で気づくはずである。


ファン・ダルファー邸は屋敷というよりも、やや小規模の城と言ってもいい建物で、中央部には屋根から突き出た高い見張り塔が付いている。実は地上から進入可能な窓も数えるほどしかない。筆頭公爵家たる格式から、私邸であっても、有事の際には出兵の拠点として、または篭城に耐えうるような設計になっている。多数の不死鬼たちがここに立てこもって応戦するようなことがあれば、制圧することは困難であったろう。


シモンは建物のほぼ全体の捜査を終えた時点で、初めてこの塔に上ることにした。螺旋階段は幅が狭く、大人数で上ることは難しいため、敵がいた場合には危険が伴う。十名の精鋭を選び出し、シモンが先頭になって階段を上り始めた。




ヤンが向かった公国中央医局本庁の場合は他の二箇所とは目的が違った。不死鬼たちの拠点であるというわけではないし、そもそも吸血鬼の専門家が多数在籍する建物内に、不死鬼が潜入すると言う危険を冒すとは思われなかった。いるとすれば、普通の人間の密偵である。


中央医局も護国騎士団同様、緊急体制をとっていたため、深夜であっても多くの職員が庁舎内にいた。医師や看護婦も多いが、役所であるので多数の事務員もいる。騎士団長親衛隊の騎士達を引き連れて乗り込んだヤンは、建物周辺を包囲した上で、庁舎内の全員を大講堂に集めた。数百名の職員全員の点呼と本人であることの確認を行う。出勤しているはずの事務員三名が出てこず、庁内を捜索したところ、二名が薬品庫で服毒自殺しているのが見つかり、一名は裏門から逃亡を図ったうえ、親衛隊の騎士に発見され、追い詰められたところで舌を噛んでやはり自殺した。


職員の調査と並行し、主に親衛隊の調査部のメンバーによって、資料室での調査が行われた。同行したシルヴィア、カリス、サスキアもこの作業に加わる。全員ロビーの脇腹の手術痕をデッサンした紙を手に持っている。中央医局では登録されている医師の行った手術の全記録を保管している。手術痕のデッサンはもっとも重要な資料であった。身元不明の死体が見つかったときなどにも使われる。


ロビーのものと同じ癖を持つ手術痕の絵を見つけたのはカリスであった。彼女はアメルダムで診療所を営んでいるが、同時に公国中央医局の非常勤参事官でもあり、マウリッツと知り合ったのもこの関係からであった。自身が医師であるので、手術痕から見て取れる執刀医の癖などはすぐに判別できる。


「執刀医は、フィンセント・ファン・クラッペ。38歳。手術をした時は、医局直轄の診療所の所長だったけど、今はたしか検死室長に異動していたはずだわ」


検死室は保安兵団や護国騎士団に協力して身元の不明の死体を鑑定したり、変死体の死因を確認するのが仕事の部署である。検死室長はあまりなりがたがる者のいない役職ではあるが、職務の性質上、優れた観察能力を持つ者でなければならず、解剖の技術も必要なことから、十分な経験が要する。ファン・クラッペはマウリッツと同年代だが、マウリッツに引けをとらない腕を持つと噂されるほどの男である。人事部の資料に含まれていた似顔絵も、ロビーの証言を元に護国騎士団で作成したものとよく似ており、この男がロビーの体に吸血鬼の血液を仕掛けたと見てほぼ間違いなかった。


「診療所の所長になる前は伝染性吸血病対策室の研究員だったから、吸血鬼には詳しいはずよ。個人的に研究も続けていたかもしれない。とっくに亡くなっているけど、両親はかなりの資産家だったはずだし、資金は十分にあったんじゃないかしら?ファン・ダルファー候がスポンサーなら、なおさらね。ああ、候とは遠縁だったかも・・・。ここまで大それたことをする人とは思わなかったけど、陰険な奴ではあったわね」

「カリスさんはこの男をご存知なんですか?」

「私がここの会議に出席したときにね。食事に行きませんかって誘われたことがあるのよ」

「はあ・・・、それで?」

「ちょうど、マウリッツと約束があったし、そもそもなんとなく気持ち悪い感じの男でね。マウリッツは滅多に時間を取れないし、こっちは丁重にお断りしたんだけど、ずいぶんとしつこくって・・・。面倒になって、マウリッツと約束があるってことを言ってやったのよ。そしたら・・・」

「なんて言われたんです?」

「そのうちあんな男より自分の方が優秀であることがわかるだろうって。気持ち悪い笑みを浮かべていたわ。しかも、その後、医局内に私とマウリッツのことを噂にして広めたりしてね。それも、私が参事官になっているのはマウリッツが公私混同の目的があってやったことだとか、大スキャンダルにされちゃったのよ。しばらく、こっそり会うことすら難しくなったわ」

「それはいつごろの話ですか?」

「半年ぐらい前かしら・・・まだ、付き合い始めて間も無くのころだったもの」


『婚約したのは二ヶ月前・・・付き合い始めて四ヶ月で婚約かよ・・・』


これは声には出さなかった。


少し経ってから、今度は人事部の資料を調べていたシルヴィアが声をかけてきた。


「ヤン、カリスが言う陰険でスケベなファン・クラッペってセクハラ医師だけど、ちょうど一月前から長期休暇を取っているわ。一月前と言うと、ちょうどフリップ王国との国境付近で集団失踪事件が始まったころよね」

「あれだけの規模の吸血鬼工作が医師の同行なしで成功するはずはないですね。間違いなく、首謀者の一人でしょう。無理をして急いだ甲斐がありました。時間をかければ、潜伏していた密偵たちに、資料を処分されていたかもしれない」

「そうね。いい判断だったわ」


シルヴィアは護国騎士団長の夫人であるというだけでなく、女性でありながら国務府と司法府の特別顧問を勤めている。稀代の才女であり、社交界でも名うての女性で、公国政府の要人や大貴族、さらには外国の王族などにも広い人脈を持ち、国公陛下も一目を置く実力者である。男に生まれていれば、今頃は国務卿に就任していたのではないかと言われ、実際、開明派の優勢なルワーズ公国でも初めての女性の国務卿に推す者も声もあった。こういう作業一つとっても、資料調査に慣れた騎士団長親衛隊調査部の連中よりも遥かに要領がいい。事実上、この資料室の中のリーダーは彼女であった。


サスキアもテキパキと資料をチェックしている。


「エッシャー先生!」


二人にしか聞こえない会話をする時以外は、相変わらず他人行儀なままであった。シモンが感じたとおり、人前ではケジメを付けなければと考えているようだが、実際にはただの照れ隠しかもしれない。


「おかしいですわ。その、ファン・クラッペという方。休暇中ですのに十三日前に出張辞令が出ています。行き先は・・・ドルテレヒト州ケテル村。唯一の診療所でそこの医師が不在になる間の代理として。診療所の医師は・・・・あら?ヤン・エッシャーって・・・」

「・・・つまり、エッシャー先生の代理にファン・クラッペ医師がケテル村に行っているってこと?いえ、そもそも休暇中で復帰届けもないのに、出張事例が出ていること自体おかしいわ。手続きとしてありえない。彼が吸血鬼事件の首謀者であるなら、休暇さえ取ればその後は余計な手続きをしなくても行動の自由は得られるはずよ・・・」


口を挟んだのはカリスである。中央医局内の手続きに精通しているのは彼女だけだった。


「サスキア、その辞令の写しをちょっと見せて。」

「あ、はい。どうぞ・・・」


ヤンとサスキアの会話はなんとなくぎこちない。二人それぞれの義姉たちは、密かに笑いをかみ殺した。


「この癖の悪い字・・・カリスさん!これはマウリッツの筆跡では?」


カリスは驚いてヤンから資料をひったくった。


「間違いないわ!十三日前って言ったら、マウリッツがちょうどいなくなったころよ。私たちには吸血鬼事件に対応するために姿を隠すとだけ事前に話してはいてくれたけれど・・・。」

「なるほど・・・マウリッツは私と入れ違いにケテル村に向かっていたんですね。それがわざわざわかるように、こんな手の込んだヒントを残してくれたわけだ・・・」

「でも・・・なぜケテル村に?」

「それは後で考えましょう。そろそろ夜が明けます。有益な情報は得ることができました。警備に二百名を残して、われわれは撤退しましょう。皆さんには百名の護衛をつけますので先に戻っていてください。私は念のため残りの兵力を連れて、ファン・ダルファー邸に向かいます。シモンさんからもカレルさんからも連絡がありません。様子が気になります」

「わかったわ。気をつけるのよ」


そう言って、資料室の騎士たちに撤収の準備の指示し始めたのはシルヴィアである。自分も目の前の資料をまとめて、資料棚に戻そうとしたところで、手が止まった。


「あの、エッシャー先生。お気を付けて・・・」

「あ、ああ、先に戻って休んでてくれ」

「いえ、朝食を用意してお待ちしますわ」

「わかった。よろしく頼む」


妙に硬い雰囲気のヤンとサスキアの会話を聞いて、カリスとシルヴィアは肩をすくめて首を振った。





ヤンはいやな予感がしていた。おそらくはカレルかシモンのどちらかはすでに作戦を終えている。先に終えたほうが、残った方の応援に向かう手はずになっていたのだ。心配なのはカレルである。事後承諾を前提に強引に進めたこの作戦について思いつめていたし、護国騎士団本部の地下牢の戦闘では明らかに不死鬼の動きに対応できていなかった。歴戦の騎士と言えど年齢には勝てない。若いヤンやシモンのように自体の急激な変化に判断力が追いついていないのだ。


二つの邸宅のうち、中央医局庁舎からの道順で先に着くのはファン・ダルファー邸であった。屋敷の前にはすでにカレルの率いていた部隊の騎士たちがいる。


「エッシャー先生!カレル隊長もシモン副隊長も中央の見張り塔に登って帰ってこないのです。階段が狭くて数名しか送り込めないところなのですが・・・」


ヤンは塔に急いで向かった。階段にたどり着き、螺旋階段を駆け上がる。手には短槍を握っていた。


塔の頂上には、やや広い部屋があった。そこにたどり着いた時、床には十名の騎士が転がっていた。シモンが率いて入った精鋭五名である。カレルは肩ひざを突いて動けなくなっていた。脇腹を抑えて苦悶の表情を浮かべている。アバラを折られたのだと思われた。


唯一シモンだけが剣を振るい戦っていた。不死鬼と思われる敵は三名。全員先刻の工作員と同様、色つきのメガネと奇妙なマスクをしている。おそらくは耳栓もしているものと思われた。階下で聞いたシモンの作戦からすれば、耳栓なしでは確実に昏倒しているはずである。


シモンが戦っているのは、長身の男であった。剣さばきにまったくの隙がない。不死鬼の筋力に頼った力任せの剣技ではないが、かといって、通常のものとも違う。それは、異常発達した筋力を前提として練り直された不死鬼独自の技術体系であった。シモンはよく善戦しているといえる。押され気味ではあるが、この状態ですでに数十分は戦っているはずであった。


シモンと戦っている男以外に、先刻護衛騎士団本部で潜入してきた女の不死鬼と、もう一人、ガッチリと鎧を着込んだ不死鬼もいた。二人はシモンと不死鬼の剣士が戦っているのを他人事のように見物していたが、ヤンを見つけた瞬間、女の不死鬼が襲い掛かって来る。


今度は女の不死鬼は武器を持っていた。鎖の先に分銅を付けたフレイルといわれる武器である。女の操る鎖がまるで蛇のようにヤンに襲い掛かる。だが、ヤンはその鎖を無視するかのように別の方向に向けて槍を構え、投擲した。もう一人の鎧を着た不死鬼に向けてである。


その瞬間、女の不死鬼はフレイルの動きを変化させ、標的に届く前にヤンの短槍を叩き落した。


「なかなか味なマネをしてくれるじゃないか。ヤン・エッシャー先生」

「見ればわかる。君はそこの男の部下だ。上司を守ることを優先するのはすぐわかったからな。ここで戦ったからといって、君らには大した意味がないはずだ。逃げる時間もあったろうに、何故残っていた?」


激烈な撃ち合いを演じていた、シモンと長身の男が離れた。勝負が付かないために仕切り直しである。絶大な筋力を誇る不死鬼と単独で互角に渡り合えるのは、護国騎士団の中でもシモンと、あとは、ウィレム・ファン・バステンぐらいのものだろう。シモンはかなり消耗しているが、相手の不死鬼の消耗はそれ以上だった。異常発達した筋肉はエネルギーを過剰に消費する。激しい戦いが長引けば普通の人間より先に体力がなくなるのは自明である。だがシモンと戦っていた不死鬼は消耗してはいるものの、力をセーブしていたのか、力尽きるほどろではない。戦いは激烈に見えて、お互い探りあいでしかなかったのかもしれない。


「不死鬼の強さをお前たちに見せ付けておこうと思ってな。そこのボウヤは別として、その辺の騎士などいくら集まったところで無力であることを思い知らせたかっただけよ」


ヤンの質問に答えたのは、鎧の男だった。シモンと戦っていた男は何もしゃべらない。


「この程度で護国騎士団の騎士たちが怯むとでも思うたか!」

「そんなことは知らん。われわれは自分たちの実力を見せたかっただけだ。そのうち戦場で合間見えよう」


三人は窓から飛び降りた。かなりの高さがあるが、不死鬼の異常発達した筋肉のバネは五階相当の高さから飛び降りても、その衝撃を吸収できた。屋敷の屋根に飛び降りた彼らは、さらに驚異的な跳躍力で包囲していた騎士たちの頭上を飛び越えて逃亡に成功した。


ヤンは倒れている十人の騎士たちを見た。不死鬼たちは無闇に吸血鬼を増やすつもりはないのか、手に持った武器で彼らを倒している。だが、全員すでに息を引き取っていた。


カレルの応急手当をしながら、シモンに話しかけた。


「よくご無事で」

「あの、長身の男。筋力の異常発達がなかったとしても相当な使い手でした。多少はラッパでの音響攻撃に効果があったのか、平衡感覚が多少狂っている様子で、それでどうにか戦えたのです。残り二人はずっと私と長身の男との戦いには手を出しませんでした、私の部下をこともなげに倒し、あとから応援に来たカレル隊長も女のフレイルの一撃を喰らいました」

「そうですか・・・。犠牲者が出たことは残念ですが、一味をアメルダムから追い出すことには成功したはずです。他にもアメルダムにアジトはあるかもしれませんが、こちら側の動向を知る手段を失ったはずですので、留まることはしないでしょう。今日のところはこちらが有利になったと考えていいはずです。奴等がここに残って、戦闘力を誇示してあのような発言をして見せたのは、こちら側の動揺を誘うためです。逆に彼らはこちらの強引な強攻策に狼狽していたのだと思います。精神的優位に立つためにこの戦闘が必要だったのです」


十人の死体を運び出し、二千五百名の騎士たちと共に本部に撤退を開始した。百名は警備と詳細な捜査のためにここに残る。


作戦は成功ではあったが、明るい気分にはなれない。不死鬼たちの恐ろしさを改めて知ってしまったのである。ヤンやシモンではなく、他の騎士たちがだ。特に第三部隊長カレルの負傷は部下たちの不安をあおるかもしれない。彼は歴戦のつわもので、負けたとなれば敵の手ごわさが十分に知れるからだ。鎧を着た不死鬼の目論見は十分成功したと言えた。

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