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不死騎  作者: 槙原勇一郎
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兄弟

「ファン・バステン将軍!なぜこちらに・・・」


 五十騎ほどの騎馬隊の先頭にいた人物に向かってそう言ったのはシモンであった。ルワーズ公国において、将軍とは騎士団長の地位にある人物に与えられる称号である。国軍において最高位にあたるのは、軍務府の長ですべての騎士団と兵団に対する命令権を与えられた公国元帥であるが、護国騎士団の騎士団長はそれに次ぐ格式で、必要に応じて公国元帥代理の肩書きを持つ。事実上のナンバーツーである。


 ファン・バステンと呼ばれた人物は四十歳前後の偉丈夫で、形のよい口ひげを生やしていた。ウィレム・ファン・バステン。十年前の戦争時、護国騎士団第一部隊長の地位にあって、戦後の吸血病患者、吸血鬼の掃討作戦を指揮して功績を挙げた人物である。ファン・バステン家は公国でも有数の武門の家であった。


 そのファン・バステンがシモンの問いには答えずに、襲撃してきた吸血鬼の死体を見ながらヤンに話しかけた。


「腕は鈍っていないようだな。軍隊に入ることは嫌っていても鍛錬だけは続けているらしい」


そう問われてヤンは嫌な顔をした。シモンはさらに驚きの表情をしている。


「体を鍛えておかないと、いざと言う時に体力のない医者なんて役には立ちませんよ。他に体の動かし方を知らないだけです」

「そうか。軍略も錆付いてはいないと思いたいね。久々の兄弟の再会だ。そう嫌な顔はするな。別に無理やり騎士団に引き込んだりはしないさ。今回用があるのは、天才軍師ヤン・ファン・バステンではなく、伝染性吸血病の権威、ヤン・エッシャー医師の方だ」


わけがわからないシモンが思わず質問をした。


「将軍・・・失礼ですが、エッシャー先生のことをご存知なのですか?」

「ご存知も何も・・・腹違いだが俺の弟だ。母親の姓を名乗っているがね。そして、本来俺以上に護国騎士団長の地位にふさわしい男だ。十年前の吸血鬼掃討戦など、指揮を執ったのは俺だが、策を考え出したのはほとんどこいつなのだよ。見てのとおり、武技も騎士団で一、二を争うお前にも引けをとらない。余計な気を回して退転するようなことがなければ、今頃は俺がヤンの部下になっていたことだろう。俺はそれでかまわなかったんだがな」

「そんな面倒な仕事をしたくなかっただけですよ」


ヤンはむっつりと言った。


「まあ、今回もかなり面倒なことだがな。医者としても面倒は避けたくて田舎の診療所に引っ込んだだろう?だが、さすがにこれだけのことだ。逃げられては困るのでね。悪いが働いてもらうぞ。マウリッツもいなくなる前に、お前を呼ぶべきだと書状を送ってきた」


ウィレム・ファン・バステンとマウリッツ・スタンジェが同い年の親友であることは、護国騎士団内でも有名であった。


「実の兄も、兄弟子も二人して私に面倒を押し付けるんですね」

「違うだろう。お前が普段から兄と兄弟子に面倒を押し付けているから、こういう時だけは働いてもらわないと困るだけだ。普段ならともかく、緊急事態に才能の出し惜しみをするのは、怠慢としか言い様がないと思うがね」

「別に協力しないつもりはありませんよ。ここまで来ましたし、どうやら私しかいないようですからね。で、いつまでここにいるんですか?敵の援軍が来るかもしれない。理性の失った吸血鬼が待ち伏せなんて出来るわけないんだから、首謀者は近くに潜んでいたはずです。今度は大人数かもしれない」

「そうだな。そういう事態も想定してこれだけの人数を連れてきた。俺はしばらくザーンに対策本部を置いて直接指揮を執ることになったが、お前にはこのままアメルダムに向かってもらう。カイパー博士とマウリッツの残した資料を調べてもらわねばならん。先にカレルが行っている。シモンと二十名ほどの護衛をつけるが、今日はとりあえずザーンに泊まってもらおう。大したもてなしは出来んがね。そら、急ぐぞ!」


最後の一言はシモンと背後にいる騎士たちに向けたものだった。騎士たちのうち二名が未だに腰を抜かしたままの御者を馬車の客席に乗せ、一人が手綱を握った。空いた二頭の馬にシモンとヤンがまたがる。


吸血鬼の遺体はその場で油をかけて火がつけられた。遺族が生きていたとしても、返還できるような死体ではない。死体から感染することはないが、伝染性吸血病患者の死体は腐敗が早いし、事情を知らない者が見れば惨殺されたとしか思えない傷を負っている。放置しておいていいものでもないし、土中に埋める時間もないので致し方ない措置であった。


ウィレムを先頭に、ヤンとシモンがそれに続いて全員がそれに従った。程近いところにあるザーンに向う。






「ヤンの母親はファン・バステン家のメイドだった。死んだ親父殿は保安兵団長を務めた武人だったが、女にはだらしなくてね。俺のお袋がまだ元気なうちに、メイドをはらませちまってな。よくある話ではあるが、お袋がヒステリーを起こすのを恐れて、大金を握らせて出て行かせてしまったんだ」


ザーンにある、護国騎士団支部内の応接間。まだ日付が変わるまで数時間ある。騎士たちも鎧を脱ぎ、くつろいだ様子でワインを片手に雑談とも打ち合わせともつかない会話が始まっていた。遅い夕食を済ませた後である。国軍ナンバーツーとはいえ、ウィレム・ファン・バステンは気取った態度を取ることが嫌いだった。危険な状況でなければ、歓楽街の居酒屋で部下と共に乱痴気騒ぎをしていたことだろう。


部屋の中だけでなく、ザーンの街中にニンニクやハーブなどのキツイにおいが立ち込めている。十年前にヤンが考案した吸血鬼対策である。常人よりもはるかに嗅覚の敏感な吸血鬼にとって、強力な臭気を浴びることは大変な苦痛となる。理性の崩壊した彼らがこれに耐えながら侵入してくることは困難であった。他にも、甲高く常人であっても耳鳴りがするような大きな音を出すラッパや、ランプを改造し鏡やガラス製のレンズを用いて強力な光を浴びせる道具など、数多くの対吸血鬼用の武器が開発されたが、そのほとんどはヤンとマウリッツの考案である。


ウィレムは話を続けた。


「で、俺のお袋は俺が二十二、ヤンが十二の時に流行り病で逝った。親父は安心して、ヤンと元メイドを屋敷に迎えようとしたんだが、その時にはヤンは孤児院にいた。一、二年前にはヤンの母親も同じ病で亡くなっていたらしい。ヤンだけを屋敷に迎えて、親父は軍人にするつもりだったんだが、まあ、ひねくれるのは仕方ない。二年で屋敷を飛び出して、気づいたときにはマウリッツの弟弟子になっていたと言う訳だ」


実際にはウィレムはヤンが九歳で孤児になったときから、両親に隠れてひそかな援助をヤンと孤児院に送っていた。屋敷を飛び出して医師を志した時にも、カイパー博士の内弟子になれるよう、親友であるマウリッツに依頼したのは彼だった。ヤン自身もそのことには気づいている。態度とは裏腹に、ウィレムには感謝しているのだが、改めてそんなことを口にするのも妙な関係なので、ついそっけない態度で応じてしまうのだ。


「吸血鬼掃討戦の時は驚いたよ。医者としてはまだ経験不足だったが、それでも、十二分に診療も施術も行えた。伝染性吸血病の病理はカイパー博士とマウリッツが明らかにしたことだが、対抗手段を考え出したのは、ほとんどヤンだ。俺はその提案にしたがって軍を動かしただけでね。まあ、軍隊に入りたがらないのは致し方ない。せめて中央医局の吸血鬼対策室長ぐらいにはついてほしかったんだがね。マウリッツも医局長との兼任でてんてこ舞いだった」

「今回は十年前のようにはいかないかもしれませんよ」


やはり、むっつりとヤンが言った。


「確かに事情はだいぶ違うな。人為的に吸血病を流行させ、患者を使ってテロ行為に及んでいるのだからな。こちらの対策にも対抗手段が講じられている可能性がある。こうなると、カイパー博士とマウリッツの消息がつかめないのは不安だが、お前がいなければ、もっと絶望的な状況だったろうよ。お前さえいれば、新しい対抗手段もテロリストを壊滅させる軍略も、いずれは出てくるわけだからな」

「しかし、理性を失って獣のような吸血鬼を兵士として飼いならすことなど出来るのでしょうか?」


疑問を口にしたのは、護国騎士団第二部隊長のヘンドレック・ファン・オールトである。五十過ぎの歴戦の兵で、数々の武功をあげているのだが、短気が災いして騎士団長や兵団長への昇進を逃している男だ。


「はっきりとしたことは言えませんが、吸血鬼は感染した直後は、大量の血を失っているので、まさしく血に飢えた獣です。しかし、それを十分に満たすと急に大人しくなります。たちの悪い酔っ払いのようところがありまして、最初は乱暴で凶暴な態度をとりますが、十分以上に血を呑むと、大人しくなり、眠るように動かなくなったりします」

「俺のことじゃないだろうな」


ウィレムの言葉に全員が多少は遠慮がちに笑った。彼は酒豪としても有名なのだが、痛飲した際には暴れることがあるので、アメルダムのいくつかの酒場では軍務府に「護国騎士団員入店禁止」を願い出てきた店もあるのだ。


ヤンはさりげなく(とは言いがたいが)無視して話を続けた。


「が、もちろん人間には大人しくなったからといって彼らに命令することなど不可能です。大人しくなったといっても、人間が近づけば噛み付いてくることがあります」

「では、どうやって・・・」


これはシモンである。つい先ほどの襲撃は明らかに待ち伏せ、それも三名が打ち合わせたように連携していた。誰かの指示で動いているだけでなく、訓練されていることすら考えられるのだ。


「一つの可能性として・・・これはマウリッツが研究していたことですが、一部の吸血鬼の中には理性を失わない者が出ることがあります。先天的な何らかの因子を持つものだと考えられるのですが、血の飢えや他の吸血病の諸症状が出るものの、脳神経への作用が他の患者と違い、理性を奪うまでには至らない場合があるのです。十年前の戦場ではそうした患者は、そのまま死を選んだものがほとんどです。周囲が獣になっていくことを尻目に、自ら心臓に刃を立てた死体が稀に発見されました。筋肉量を見れば明らかに吸血鬼でした。まともな人間であればそのような状況は耐えられるものではないしょう」

「つまり、そうした理性の残った吸血鬼の中に、何か良からぬことを企んで今回のことを仕掛けてきた者がいるということか」


ウィレムは腕を組んで考えた。


「人為的に伝染性吸血病を流行させる目的があるとしたら、やはりテロ、というよりもこれはもう内乱と言えるレベルだろう。やつらは言うなれば吸血鬼の軍隊を編成しようとしているわけだ。にしても・・・兵士は村々を襲うことで増やすことは出来ても、指揮官になれるやつは早々現れることはないわけだろう?」


「そうですね。そういう吸血鬼のことをマウリッツは不死鬼と呼んでいました。通常の吸血鬼は理性がなく、適切な状況判断が出来ないので、三日と持ちません。日の光を浴びて気づきもしないうちに皮膚が垂れ下がり、四肢に癒着して身動きが取れなくなり、新たに血を得ることなく死んでいくことがほとんどです。しかし、不死鬼については、理性が働くので、自ら命を絶とうとしない限りは、どうにか生命をつなぐことができます。十年前もごく少数ですが、山中などに逃げ込み、長期に渡って周辺の村で浮浪児などを攫って命をつないでいた者がいました」

「意図的に、その不死鬼を増やす方法は?」

「それはマウリッツの研究が進展していればわかるかもしれません」


全員が軽いため息をついた。ウィレムは深刻ぶるのが嫌いな性質なので、出来るだけ、軽い口調で話をするが、内容はあまりにも重大すぎる。マウリッツ・スタンジェの失踪は大きな不安材料であった。


「なるほど。まずはヤンにその辺の状況を調査してもらうしかないな。とりあえず、ヤンが以前作成した緊急対策の手順に従って、ドルテレヒト、ゼーラント、クラーメルの三州のすべての都市、町、村でここと同じような臭い結界を張るように通達を出した」

「フリップ王国側の国境地帯については?」

「向こうが無視する可能性はあるが、一応対抗手段は知らせてやった」

「まあ、無視することもないでしょう。彼らも伝染性吸血病の恐ろしさは十分にわかっているはずですから」

「そうだな」


応じたあと、ウィレムはグラスに半分ほど残っていたワインを一気に飲み干した。


「当面、護国騎士団は第一、第二部隊がここザーンを拠点として、三州の主要街道を監視する。第三部隊はヤンに協力して、首謀者の特定と捜査をしてもらう」

「私に犯人探しをしろと?」

「この国をひっくり返そうって奴は、まあ、戦後十年程度ならいくらでもいるだろう。国内だけじゃなく、インテグラ王国の連中だってそうだ。だが、今回のような手段でやれるやつらはそうはいない。少なくとも伝染性吸血病について、カイパー博士やマウリッツと同等の知識を持っていないといけないわけだ。そんな奴との知恵比べができるのは、俺の知る限りヤン・エッシャーしかいないな。ヤン・ファン・バステンはやりたがらんだろうしな」


後半は厭味だった。


「ヤン・エッシャーだって本当はやりたくありませんよ。しかし、医者は患者を見殺しにはできません」

「そうさ。だから、面倒なこともやってもらおう。明日は早めにでて、夕方までにはアメルダムに着いて貰いたい。ご苦労だが、すぐにカイパー博士とマウリッツの研究室を調べてみてくれ。俺などでは、ああいうところにある資料だの実験道具など、いったい何なのか検討もつかないので、なんの手がかりにもならん」

「わかりました。いたし方ありません。早く終わらせて、元の田舎暮らしに戻りたいですしね」

「ああ、終わったなら勝手にしてかまわん」


ほとんどが兄弟の間で交わされた会話であった。周囲の部隊長級の騎士たちは呆れたように見守っていた。これだけ深刻な事態であるにもかかわらず、二人からは悲壮感も緊張感も感じられない。ウィレムはともかく、ヤンもなんと肝の据わっていることか。


若く、軍籍にすらない医者の指揮を受けることに反発を感じていた者も、感心せざる得ないだろう。確かに、軍に属していれば、騎士団長にまで上っていておかしくない人物だ。


「さあ、明日は早い。大暴れして、大人しくなる手前で酒はやめておくとしよう」


全員が残りのワインを一息に飲み干し、挨拶をして居室に引き取っていった。

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