伝染病
用意されたのは護国騎士団の仕官用の馬車だった。中央局の医官ならともかく、田舎の診療所の医者風情にはないことで、若干居心地の悪さを感じる。実を言えば、ヤンにはこうした待遇を受ける十分な理由があるのに、できるだけ避けてきたのだ。特権を行使することに対する嫌悪感は弟子のカスペルと共通したものである。
同乗しているのは、副隊長と紹介されたシモンである。おそらく自分と同年輩、三十歳前程度だろうとヤンは見ている。そもそも隊長と副隊長が二人で自分を訪ねてくること自体、過剰な待遇だが、目つきや振る舞いから、この同年輩の人物が相当な剣士であることは見て取れた。ヤン自身、医者ではあるが、武術についても目利きではある。自分の護衛を兼ねて同行しているのではないかと思われた。
しばしの沈黙の後、口を開いたのはシモンの方だった。
「エッシャー先生・・・」
「ヤンで結構。改まる必要もありませんよ」
「それではヤンさん、恥ずかしながら私は例の病については一般に知られている程度にしか詳しくありません。もしよろしければ、時間もあることですし、少し説明していただけないでしょうか?」
「いいでしょう。その後で、もう少し、今回の事件について説明してください」
好意を持つとまでは行かなくとも、シモンの印象はそれほど悪くない。
護国騎士団の副隊長クラスとなれば多くは高位の貴族の子弟だが、おそらくこの男は平民の出ではないかと思った。剣士として実力が認められてのことだろう。ルワーズ公国では近年、貴族の出身であっても姓の上に「ファン」をつけて名乗ることが減ってきてはいる。が、それも軍隊の内部においては、古い慣習に従う場合が多い。シモンにしろカレルにしろ「ファン」を省いて名乗っているところを見ると、平民かせいぜい位の低い騎士階級程度の家柄であろう。騎士階級以上の者が中心であっても、実力があれば、家名に関係なく重要な地位に着くことがあるのは、戦後の護国騎士団の特徴である。
「十年前の戦争が終結した切っ掛けが、伝染病の大流行であったことは御存知でしょう?」
十年前の戦争では、戦場のほとんどはルワーズ公国内であったが、戦っていたのはフリップ王国と逆側の隣国インテグラ王国の軍隊であった。そもそもがルワーズ公家は双方の国王から封ぜられており、両王家の血が入っている。戦争の原因は、以前から対立を濃くしていた両王家が妥協的に即位させた先代の国公の死に始まる、後継者を決める上での争いからであった。
「両国の遠征軍において、爆発的に病が伝染し、軍隊組織が瓦解したわけです。それによって、両軍は撤退せざるを得なくなりましたが、その後始末は我が国が自力で行わなければなりませんでした。ですが、この病気は季節性ものと言うわけではありません。大流行が起こった理由は戦争そのものにありました」
ヤンは他の医者に比べ、患者への説明を丁寧にする方である。日ごろから近隣の村人たちを診療しているため、世間話もよくしているが、治療内容についてよく納得してもらうことを信条としている。相手は患者ではないが、同年輩の騎士に対しても、わかりやすく説明をしようと言う気になっていた。
「昼間のお話にもでましたが、この病の病原はドルテレヒト蝙蝠になります。吸血種であるドルテレヒト蝙蝠にかまれることで感染するのですが、通常であれば決して感染率は高くありません。最初に感染したのは負傷して身動きが取れなくなった兵士でした。夜戦の結果、大量の出血を伴う重症を負った上に、その場に放置された兵士が最初の被害者になりました。ドルテレヒト州内で夜戦の舞台となった平原での出来事です。その症状は極めて特殊なものでした」
「特殊と言うと?」
このあたりのことは、おそらくはシモンも知らないわけではないだろう。だが、より深く理解するためには、よく知れていることもおさらいしておく必要があった。
「まず、皮膚が非常に弱くなり、日光の光を浴びるだけで大きなダメージを受けます。短時間でも火傷を負ったようなケロイド状になり、長時間強い日差し浴び続けた場合には、焼けただれ、蝋燭を溶かしたように皮膚が溶けて垂れ下がったような状態になります・・・っ」
馬車が石に乗り上げたのか、大きく揺れたために一度話を区切った。
「次に痛覚が鈍くなります。この病は神経に異常を起こします。その結果、痛覚が著しく鈍くなります。先ほどの皮膚へのダメージについても、本人はよほどの重症になるまで気付くことすら出来ないことがあります。ですが、このあたりの症状はこの病の本当の恐ろしさではありません」
「精神異常ですか・・・。」
「そうです。神経への侵食は脳にも及びます。ほとんどの患者は感染すると、理性を失い、まるで獣のような、あるいは十分にしつけを受けていない乱暴な子供のような行動を取ります」
シモンはいちいちうなずきながら話を聞いている。ほとんどはすでに知っている話であるだろうが、そうすることで、自分の中の知識を整理しているようであった。
「子供のようなと言いましたが、もちろんそのようにかわいいものではありません。もう一つの特質すべき症状として、すさまじい勢いで患者の筋力が異常発達します。牛や馬などの家畜に起こる疫病で良く似たものがありますが、筋肉が継続的に増大し続け、どんなにひ弱な体型だった患者も、僅かな期間に筋骨隆々というよりも、非人間的なレベルの筋力を得ることになります。そのため、患者が暴れれば、大人数人でも押さえつけることはかなり困難になりますし、何よりも、より恐ろしい行動を取るために、極めて危険が伴います」
「吸血行動ですね・・・」
「はい。患者はこの筋肉の肥大化に伴い、体内の栄養分を著しく消費します。それを補うために、獣の本能によってでしょうか、近くにいる人間の血液を奪おうとするわけです。多くは首筋などに噛み付いて吸血することになりますが、蝙蝠と同様、この吸血が感染の原因となります。そして、蝙蝠の場合と違い、血液を大量に失うことで、高い確率で感染するのです」
「伝染性吸血病と呼ばれる所以ですね」
シモンの適度な相打ちはヤンにとってもテンポよく話しやすい雰囲気を作り出していた。うまく情報を引き出すすべにも長けているのではないかと思われた。
「はい。吸血病と言う病はありますが、あくまで精神面の病です。タバコや酒に依存するのと同様に、心理的な要因で血液をすする異常行動を繰り返すものですが、伝染性吸血病の場合は、それが病原体によって感染していきます。そして、この病は医者としては苦しいことですが、決して治癒することはありません。感染後、短時間で病毒が全身に回り、言うなれば生物としてのあり方が変わってしまうのです。仮に体内の病毒をすべて取り除くことが出来たとしても、変わってしまった体質は治しようがありません。暴れる、と言うよりも血液を求めて襲い掛かってくる彼らを殺すことでしか感染を防ぐことができないのです。しかし、それも簡単なことではありませんので・・・」
「患者の持つ戦闘力の高さですか・・・」
「はい。増大した筋力は人間の範疇を超えたものです。また、痛覚が鈍くなっておりますので、多少の負傷ではひるむことはありません。何より、血液の成分に異常が発生し、例えば、腕を切り落としたとしても、患部は瞬く間に止血されます。確実に患者の行動を制するためには、首を切り落とすか、心臓を潰すか・・・武術の達人でもない限り難しいことです。また、痛覚とは逆に嗅覚、聴覚、視力は著しく向上します。例えば、闇にまぎれて隠れるなどしても、すぐに察知されてしまうのです。理性を失っているとは言いましたが、極めて動物的ではあるものの、血液を得るための行動には肉食獣のような知能を発揮します。二足歩行の獣と戦うと言うのが一番感覚に近いでしょう」
ゴクリ・・・とシモンが喉を鳴らした。ヤンの表現はそれほど独創性には富んでいないが、伝染性吸血病の恐ろしさを伝えるだけの迫力がこめられている。
「十年前の戦争では、戦場で倒れた兵士たちの中から、せいぜい一人か二人が蝙蝠による吸血によって感染し、その後は、周囲の兵士たちの血を奪うことで、次々と患者を増やしていったのだと思われます。瀕死であったはずの者が、動き回れるようにはなりますが、それは既に死んでいると考えるべきことでした。本当の意味で血に飢えた彼らが、両軍の本陣を襲い、軍組織が瓦解することで、戦争が終わったのです。詳しいところは一般には知られていない、国家機密の扱いではありますが、うわさはみな知っていることでしょう」
ヤンはここで一息ついてから、話を転じて続けた。
「今回の集団失踪事件が伝染性吸血病を原因とするものである可能性は高いと思います。しかし、村丸ごとという形で頻発し、なおかつその痕跡を残していない点と、発生している地域からすると、いくつかの疑問が出てきます。まるで、人為的に流行させたような、不自然な点があるのです」
言葉には出さず、シモンがうなずいた瞬間、突然馬がいななき、馬車が止まった。
外は既に暗くなっている。御者の前に吊り下げたランプの光に照らされて、数人の人影が見えた。
次の瞬間・・・御者は襟を引っ張られ、客室に引きずり込まれた。意外な腕力を見せたのはヤンである。
同時に、ダンッ!と言う音ともに、馬車が大きく揺れた。
御者がいた席の上に一人の男が立っていた。口を大きくあけ、歯をむき出しにしている。農夫の服装をしているが、目の光が常人のものではない。その男が尋常ではない勢いで客席の中にいるヤンにつかみかかろうと飛び掛かってきた。
ヤンは驚きも恐れもせず、冷静に構えていた。その眼前で男の咽下には剣の切っ先が刺さり、後頭部から突き抜けている。僅かに全身を痙攣させた後、絶命したようだった。とっさに剣を鞘走らせ、強烈な突きを見舞ったのはシモンだった。
シモンはこの事態よりもむしろヤンの冷静さに驚いている。この異常事態にあって、まったく取り乱すこともなく、それどころか、自分よりも早く事態に気付き、御者を救ったのである。
そのシモンもまるで決まりごとでもあったかのように、客席の後ろにたれていた紐を強く引っ張った。馬車の上部から空向けて、ヒューッっという音と共に火矢が放たれる。護国騎士団の仕官用の馬車であるため、非常時に備えた信号装置が仕込まれているのだ。アメルダムにはまだ遠いが、程近いところに護国騎士団の支部もあるドルテレヒト州の州都、ザーンがある。今日はそこで一泊する予定だった。
ヤンは無言で客席の上に掛かっていた短槍を手に取った。シモンが止める間もなく、馬車から駆け出す。
左右から同時に、先ほどの男と同じような表情の男たちが飛び掛る。異常な跳躍力であったが、二人とも目的を果たすことはなかった。馬車から降りた瞬間、彼らの意図に気付いたヤンは、右の男に向かって地を這うような低い姿勢で駆けていた。飛び上がった男の口の中に正確な槍先が送り込まれる。槍は頭蓋を貫いて、あたりに体液を撒き散らした。次の瞬間、左から飛び掛かり、ヤンが一瞬前までいた場所に着地した男の上に頭蓋を破壊された死体が降ってくる。なす術もなく転倒した次の瞬間にはシモンの剣によってを首を切断されていた。
戦いは一分以内の僅かな時間の間にあっけなく終結していた。
「どこでそのような武術を?」
呆れたようにシモンが聞いた。
「好きで覚えたんじゃありませんがね。この病気に関わるようになってからは、有意義には思えるようになりましたよ」
解答になってはいないが、シモンは話題を転じた。
「やはり、人為的なもののようですね」
「それしかありえませんね。我々を待ち伏せていたとしか思えませんし、相手側はあなた方が私と接触することを知っていたのでしょう。いや、あなた方もこうした事態は予測していたのではないですか?わざわざ腕利きの副隊長を私に同行させるくらいですから」
厭味のない笑みを浮かべながら、確認するようにシモンを見ている。
「お見通しですね。マウリッツ局長、カイパー博士のお二人が立て続けに行方を絶ったとなれば、次はあなたが襲われる番だと考えました。先の二人を除けば、この病と闘う知識を持つのはあなただけですからね」
「二人のどちらかが現れるまで、適当にやり過ごして、とっとと引き上げるつもりでしたが、こうなるとそうも行きませんね。最悪、二度と師匠と兄弟子には会うことができないかもしれない・・・」
そこまで言いかけて、ヤンは突然口をつぐんだ、前方から数十の馬蹄の音が聞こえてくる。血にぬれた武器を拭い、腰を抜かした御者を助け起こし、それが近づいてくるのを待ちながら口調を変えて、独り言のように呟いた。
「ま、そうそう簡単に死ぬような人ではありませんがね。二人とも」