表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死騎  作者: 槙原勇一郎
30/34

決意

ウィレム・ファン・バステン率いるルワーズ騎士団が出立した日、アメルダムの護国騎士団本部には入れ替わりで、十数名の不死鬼が搬送されてきた。数名はマージン・ゼーリックら不死鬼軍に司令官として参加していた、小悪党たちで彼らは大した怪我もなく元気であった。それ以外の十名程度は護国騎士団第二部隊副隊長ヨハン・ノップラーらザーン防衛戦で伝染性吸血病に感染した騎士たちで、こちらは多くは大量の血液を失い、不死鬼化治療はうけたもののまだ体力は回復していなかった。


ヨハン・ノップラーは驚いていた。ザーンを出立する前日、シモンから護国騎士団本部で吸血鬼治療チームの中心人物二人、護国騎士団長代理兼公国中央医局長代理であるヤンの婚約者サスキア・ウテワールと、吸血鬼治療チームのリーダーでヨハンも既知の護国騎士団主任主計官ピーテル・ブルーナの婚約者マルガレータ・バレンツが拉致されたと聞いていたからだ。さらに、ピーテル・ブルーナ自身が重症を負ったことも耳にしている。


にもかかわらず、吸血鬼治療チームのメンバーの士気は極めて旺盛だった。吸血鬼治療チームだけではない。護国騎士団本部全体が程良い緊張感を保ちつつ、全員が整然と任務についていたのだ。


馬車から担架で病室に運ばれたヨハンは自分の担当の若い看護婦に疑問を口にした。


「サスキア婦長が言ってました。患者を目の前にしたらその力になることだけを考えろって。ご一緒したのは少しの間だけでしたが、素晴らしい看護婦でした。私もああなりたい。バレンツ主任研究員もそうです。患者のためにできることは何でもする。お二人がいなくなってもみんなそれにならって、目の前の仕事をしっかりとこなそうと思っているんです」


看護婦の目には静かに強い覚悟が籠められていた。この看護婦だけではない、吸血鬼治療チームのメンバー全員が、マルガレータとサスキアに変わって全力をつくすことをそれぞれに誓っていたのである。


「それに・・・ピーテル・ブルーナ主任主計官はかなうはずのない不死鬼を相手に最後まで戦い続けました。武人の方々はみなそのことに感動して、悲嘆にくれてなどいられないと口々におっしゃっています」


ヨハンはようやく理解できた。アメルダムの護国騎士団本部の幹部たちは、危機にあってもしっかりの自分の仕事をしてみせたのである。どんな状況であっても、士気だけは低下させない、そのために普段から、そして身を犠牲にしてでも、模範となる行動を取り続けていたのだ。



だが、急激に患者の増えた吸血鬼治療チーム、それもほとんどが新任の者という状態では、いかに士気が高くとも現場は混乱した。ほとんどが女性で構成されるこのチームを取り仕切れるのは、現在唯一正式な研究員であるルドガー・フリースのみである。研究者としては発想力と独創性に欠けるルドガーだが、医師としては地道で胆力の必要とする治療を淡々と進めることができ、長期に渡る不死鬼治療にはふさわしい人物であった。しかし、なにぶん人数が多い。彼を補佐する医師はエリートとは言え医学院の女学生たちであり、対応しきれるものではなかった。


それでも、クリステル財団総合診療所のベテラン女医たちの力を借りて、どうにか治療の体制は作れたのだが、不死鬼治療はほとんどが未知の領域に属する医療行為ばかりである。研究と並行しての治療ということになるのだが、どうしても臨床実験や観察にまでは手が回らない。何よりルドガーは上司の指示なしで研究をすることには向いていなかった。




「重要な時期に休暇をとってご迷惑をおかけいたしました。本日よりの復職のご許可をお願いいたします」


きょとんとした表情でカリスはフレデリック・ファン・ビーヘルを見つめていた。あのむやみにプライドの高い男がここまで殊勝な態度で復帰を願いでてくるとは考えていなかったのだ。


「休暇については私が許可したものです。謝罪など必要ありません。知っての通り、吸血鬼治療チームは急激に規模が膨らんだこのタイミングで、本来のリーダーであるバレンツ主任とサスキア・ウテワール婦長が不在となって、混乱しています。特に不死鬼治療に詳しい医師はルドガー・フリース研究員しかいない状態です。あなたは治療はフリース研究員に任せて研究の方に専念してください。医学院の女学生の中でも特に研究向きの三名をあなたの下に付けます。十数名も患者が来ましたが、それぞれに症状には微妙な違いがありますから、よく観察して治療の方針の検討に協力するように」


「承知いたしました」


きっちりと居住まいを質して礼をし、フレデリックはカリスの前から去っていった。


「ゆっくり反省して心を入れ替えたのかしら?それとも誰かに説教でもされたのか・・・ま、間違いなくいいことなんだけどね」


独り言は意外と大きな声で、少し離れたところで様子を見守っていたシルヴィアにも聞こえていた。


「この場にはいなくとも、サスキアさんとマルガレータさんの話が心に響いたのかもしれないわね。元々悪い人間ではないんだから、ちゃんと力を発揮してくれればいいわね」


シルヴィアはカレンから引き継いだ社会復帰プログラムの資料に再び目を落とし、作業に没頭し始めた。気丈なシルヴィアは強くなってきたつわりに耐えながら仕事をこなしている。カリスは無理はしないように注意しているが、それがウィレムが戦場に向かったことへの不安を忘れる唯一の方法であることも分かっていた。


妊娠中故に精神的に不安定になっているのだと自分に言い聞かせているが、今までにないほど、シルヴィアは不安を感じていた。理知的な女性であるシルヴィアは『なんとなく不安に思う』などとは決して口にはしないが、いわゆる女の勘が不吉な胸騒ぎを彼女に感じさせるのであった。





ファン・ビーヘルが復帰した翌日に事件が起きた。


きっかけは馬鹿らしいほど小さなことである。元不死鬼軍の指揮官であった不死鬼の一人が、戯れに医学生の尻を撫でたことから騒ぎが始まったのだ。思わず叫び声を上げた女子学生だが、気丈な娘で不死鬼をカッと睨みつけて啖呵を切った。


「不用意に医者の体に触れると手元が狂いますよっ!患者が医療ミスの原因を作るというのはどうですか?」


不死鬼の男は笑った。特に悪気があったわけではない。ケガをしているわけでも、具合がわるいわけでもないのに、病人兼囚人という扱いで暇を持て余しているので、冗談のつもりでしたことである。女子学生の小気味のよい反応にすっかり気に入ってしまったようで、悪い悪いと言いながら口説き始めた。


ここで終わればそれだけのことだったのだが、騒ぎを大きくした者がいた。伝染性吸血病に感染した護国騎士団第二部隊の騎士の一人である。


「貴様っ!不埒な真似をっ!」


騎士は吸血鬼に噛み付かれて伝染性吸血病に感染はしているが、比較的失った血液は少なかったため、騎士たちの中ではもっとも回復が早かった。彼自身も暇を持て余し、不死鬼となってしまった自分の将来への不安から苛立っていた。


騎士は療養中であるから武器などは手にしていなかった。不死鬼の男に素手で殴りかかる。しかし、同じ不死鬼と言っても、騎士は感染直後に不死鬼化治療を受け、筋力が異常発達する前にアンステロドの投与も行われている。不死鬼軍の指揮官は数カ月前に不死鬼となっているため、アンステロドを投与してもすぐに常任並みの筋力となったわけではない。殴りかかってきた騎士を力任せに突き飛ばしてしまった。


騎士は壁に強く頭を打ち付けられた。一瞬意識が飛んだ後は、完全に頭に血が登っていた。


「このっ!」


頭を打ったせいか多少ろれつが回らず、うまい言葉が継げないが、近くの机の上で消毒されていたメスを握り締め、襲いかかった。


「おやめくださいっ!」


二人の間に飛び出したのはルドガーだった。実質的な吸血鬼治療チームの責任者となった彼は、研究能力では他者に劣ることを自覚している分、チームの運営については強い責任感を感じていた。そのため、不死鬼同士の喧嘩に身を呈して仲裁に入るという危険を犯したのだ。


騎士は完全に我を失っていた。そのままルドガーに斬りつけようとしたのだ。不死鬼軍の指揮官もおめおめと切りつけられてやる気は毛頭ない。武器など持たなくとも以上発達した筋力自体が凶器となる。だが、次の瞬間、騎士はメスを持った腕を掴まれ後ろから羽交い締めにされた。不死鬼軍の指揮官は横っ面を強い力ひっぱたかれていた。


「この馬鹿者がっ!なにをやっているっ!」


騎士に叱責を加えたのはヨハン・ノップラーであった。まだ、血液を失って低下した体力は回復していないが、寝台の上で騒ぎに気づいた瞬間に飛び出してきたのである。


もう一人、不死鬼軍の指揮官を殴ったのはマージン・ゼーリックだった。


「真面目に治療を受けて社会復帰したい奴はちゃんとおとなしくしてろよ。そのつもりのない奴は名乗り出ろ。まあ、そいつの恩赦は取り消しだろうがな」


他の不死鬼軍出身の者にも聞こえる声であった。


この事件以来、ヨハンとマージンの協力の元、護国騎士団の騎士達と不死鬼軍の指揮官たちとの間では表面上の争いは起きなくなった。だが、両者の間にわだかまりがあることには変わらなかった。



さすがに女性ばかりの吸血鬼治療チームでは動揺が走った。徐々にアンステロドが効いてきているとはいえ、不死鬼たちの筋力は常人のレベルではない。そんな連中に暴れられたら命がいくつあっても足りないのだ。


だが、ルドガーの勇敢な行動には護国騎士団本部内の各所から賞賛の声が上がっていた。無能のレッテルを貼られた中年の男は、どうやら自分の向き不向きというものを遅まきながら理解した様子で、研究者ではなく医師として、治療チームを運営することに集中し始めた。医学院の女学生やクリステル財団総合診療所の女医や看護婦たちも、怯えながらもルドガーの指示の元で自分の仕事をこなすことができた。


その分、フレデリック・ファン・ビーヘルは研究に集中することにした。休暇中のことは誰にもしゃべってはいないが、アンステロドを無効にする薬の研究は、吸血鬼に対する理解をより深めていたため、ヤン・エッシャーに遅れを取った彼に様々な示唆を与えていた。


ファン・ビーヘルは不死鬼たちの精神の不安定さについて考察を加えていた。常人とは違う生態、人間とは別のものになる感覚からのストレスは確かに計り知れないのだが、一部の不死鬼たちの苛立方は常軌を逸しているように思われたのだ。原因は実はアンステロドの方にあったようで、一部の成分に習慣性があり、アンステロドの効果が弱まる度に、一種の禁断症状を覚えるということを解明した。


「他の病気であれば軽微な副作用と考えて差し支えないのですが、伝染性吸血病の場合はその精神的な不安定さが周囲の人間の危険につながります。そうした習慣性、依存性を抑えるための研究のご許可を頂きたい」


フレデリックはカリスに向かってそう言ってきたのである。


「研究のテーマとしては確かに重要と思います。他の研究と並行になりますから、医学院の学生たちもうまく使って進めてください。でも、かなり困難なものになりそうね」

「はい。しかし・・・はっきりとしたことはまだ言えませんが、手がかりはありますので」


カリスは不審そうにフレデリックを見やったが、口には出さなかった。



フレデリックは確かに変わっていた。変えたのはロビー・マルダーであろう。元々フレデリック・ファン・ビーヘルは医学院時代は天才と言われていた。そのことが、返って彼の精神を歪め、薄っぺらなエリート意識を芽生えさせ、慢心を生んだのである。その彼が、ただただ自分の義務を果たすことに全力を傾けるようになった。研究者としての力は実際にはヤン・エッシャーに劣るものではない。わずか数日後にはアンステロドの習慣性を抑える試薬の開発に成功し、二名の不死鬼の同意を得て臨床実験を始めたのである。





「酒の一滴は血の一滴!」

「一滴呑むたび一敵屠らんっ!」


ザーンの城門前に集まった兵士たちがウィレムの掛け声に答えた。ルワーズ騎士団一万人を主力とし、護国騎士団第三部隊と騎士団長親衛隊を中心とした三千の機動部隊、保安兵団及び東方騎士団に所属する、ザーン及びノールトの城兵、それに一部の自治領主の私兵や傭兵を加えて臨時編成された七千の対不死鬼兵団をあわせ、合計二万の兵力が出立するところだった。


ルワーズ騎士団及び対不死鬼兵団はウィレム自信が統率し、それをディック・ファン・ブルームバーゲンとジェラルド・ファン・ハルスが補佐し、人質救出の為にロビー・マルダーとピーター・レインが同行する。


護国騎士団はヤン・エッシャーによって率いられ、シモン・コールハースが副将を務める。そしてなぜかそこには、カレン・ファン・ハルスとレベッカ・ローレンツが同行していた。

ずいぶん長らくお待たせいたしました。外伝と並行して話を進めていきますのでよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ