ノールト攻撃作戦
「ヤン、済まない大敗を喫してしまった・・・」
「百戦して百勝とは行かない。犠牲者が出たことは悔やまれるが君の失策ではない。もっと早く撤退してもよかったんだ。私の判断が遅かったとも言える」
優雅で端正なジェラルドの顔には疲労と悔恨の陰りが見られた。ザーンの護国騎士団支部には本部と同様の司令部が開設されている。この会話は司令部の中央にあるヤンの席で交わされた。司令部に席を持つザーン防衛軍の幹部たちは全員がヤンの席に集まっていた。
「夕刻にはアメルダムから大規模な増援部隊が到着します。公国元帥自らの出陣です。この戦力を用いて不死騎軍との決戦に挑むことになります。総力戦です」
「攻城戦となりますか?」
問いかけたシモンだが、単純にノールトを包囲しての戦いになるとは思っていない。
「相手にはエド・フレイレが軍師として控えています。私が考える程度のことは彼も考えているでしょう。我々がノールトを兵力に任せて包囲すれば、直前に出撃しどこかに待機していた不死騎兵隊が後方から襲いかかってくることは間違いありません。ルワーズ騎士団は大兵力ではありますが寄せ集め。後方から攻め込まれて混乱すれば、有利な攻城戦であったとしても、あっという間に瓦解することでしょう」
「では、どう対処なさいますか?」
「方法は二つです。ノールトの吸血兵の兵力と不死騎隊を分断し、連携不可能とするか、逆に不死騎兵をノールト城内から外に出さないかです。城内にあっては強力な不死騎といえど、所詮八百程度の兵力でしかありません。ですが・・・」
「相手の軍師もそんなことは百も承知ということですな」
「ええ・・・ですから、前者の選択肢しかありません。不死騎隊とノールトを別々に相手にするしかないのです。どのみちどんな大兵力を持ってしても、不死騎隊には抗しえません。不死騎隊には護国騎士団の精鋭をもってあたり、ノールトの吸血兵はルワーズ騎士団の戦力で相手することになるでしょう」
全員に緊張が走る。吸血兵が守るだけのノールト攻略については、それほど不安を感じてはいない。たとえ寄せ集めのルワーズ騎士団であっても、対吸血鬼装備で固め、戦術を十分に仕込めば恐れることはないからだ。公国元帥ウィレム・ファン・バステンの指揮ならなおさらである。
問題は護国騎士団が不死騎隊に勝てるかどうかであった。
「方法はあります。あまり使いたくはありません。ですが、それは私が医者だからです。軍略としては極めて基本に忠実に考えればいい」
「どういうことですか?」
「最小限の犠牲で最大限の打撃を相手に与える戦術です」
「つまり・・・」
ヤンの苦悩がシモンにはわかった。軍将としては当たり前のことだが、戦闘で被害者が皆無ということはありえない。戦術とは極論すれば、『以下に効率的に味方を殺すか』でしかないのだ。味方の少数の犠牲の上に敵に多大な損害を強いると言う思考が当たり前なのである。しかし、医師であるヤンにとっては、決してとりたくない手段であることもシモンは理解できた。今までのヤンの戦略は救いようのない吸血鬼は別として、自軍の兵士にも敵の不死鬼にも出来る限り死者を出さないことを考えてのもので、だからこそ空前の大戦果を上げ続けてきたのである。
「エッシャー先生・・・犠牲が出ることはやむを得ません。護国騎士団の騎士たちはこの戦いのために命を賭けることに躊躇しません。自分の生と死が無駄ではないことこそ彼らにとっては重要なのです」
「どうか、死を厭わないなどと言う考え方はやめて下さい。ですが、戦術としてはこれしかありません・・・」
ヤンは既存の戦術理論を覆す必勝の腹案を持っていた。少なくとも不死鬼隊を釘付けにし、ノールトの戦力からは確実に分断出来る方法である。
夕刻、ザーンに到着した公国元帥は実弟である護国騎士団長代理に頭を下げた。ヤン不在のアメルダムにおける大監獄襲撃と吸血鬼治療チームの中心人物拉致を防げなかったことに対する謝罪である。
「兄上らしくもない。失敗した時こそ、戯言を言って皆を励ますのがウィレム・ファン・バステンの持ち味ではありませんか?公国元帥になったからと言って、優等生のふりなんか似合いませんよ?」
「そういう言い方はないだろう・・・」
ヤンの一言にふてくされたような態度をとったウィレムを見て、皆微笑を浮かべた。こういう時だからこそ、沈んでしまってはいけない。それを最もわかっているのがウィレムであった。そうは思っても、ヤンに対しては謝罪しなければならないと考えていたのである。
「大丈夫です。サスキアもバレンツ主任も無事に違いありません。エド・フレイレは無用に残忍なことは決してしませんし、周りにもさせないでしょう」
「・・・どういうことだ?」
ヤンはウィレムに自分とエドとの関係を説明した。この話にもっとも衝撃を受けたのは増援部隊に同行して来たカレンである。シモンにとってのヨハネス同様、ヤンとサスキアにとってのエドも彼女に複雑な思いを抱かせた。カレンだけではなく、兄のジェラルドにとってもそうであるのだが、兄の方は妹よりもずっと自分の気持を整理出来ている。過去のことはどうしようもないのである。それを運命という言葉では片付けたくはないが、済んだことに足を引っ張られては先に進むことはできないのだ。
「それに、サスキアであれば、無理に彼らに抵抗したりもしないでしょう。求められれば牛血粉の製法も教えるでしょうし、あるいはそれ以上、今頃は不死鬼達に料理でも振舞っているかもしれない」
「そんな馬鹿な・・・」
「いえ、サスキアはそういう娘です。私でもそうするでしょう。彼女なら、反乱軍の将兵であっても、伝染性吸血病患者にはかわりないと考えるはずです。そういうことをしても、私の軍略には影響ないこともわかっているはず」
カレンはまぶしい思いで、ヤンを見つめた。これほどの分かり合える相手を持てることは幸せなことだろうと思ったのだ。ヤンにとって、自分はそうなれなかったが、未練はなくともヤンには幸せになって欲しいと願っている。そして、今や自分にとってもサスキアは大切な友人であった。彼女が無事であるとヤンの口から聞けるのなら、安心していいと思ったのである。
「ですが、と言ってお二人を不死鬼軍に拘束させたままにするわけにはいきますまい?拷問や虐待にあうことはなくとも、戦時中です。人質を無視して戦略はなりたたない」
そう口にしたのは、何故かザーンにまで付いてきたピーター・レインである。レベッカまで来ている。理由はロビー・マルダーの捜索であるのだが、それでザーンにまで出てきている理由がわからない。
「当面はどうしようもありません。タイミングを見て救い出すしかない。私が行きます」
「!」
「駄目だっ!対不死鬼軍連合騎士団の実施的な司令官はお前だ。総司令官自らの潜入工作など認められない!」
即座にそう主張したのはウィレムであった。
「総司令官は公国元帥たる兄上でしょう?」
「名目はそうだ。だが俺には不死鬼軍に対向する軍略はない。お前の策だけが頼りだ」
弟の智謀にすべてまかせるというのだ。他人がいえば無責任この上ない発言と取られるかもしれない。だが、これはヤン・エッシャーとウィレム・ファン・バステンの間での会話である。平時の軍の管理と統率に兄が責任をもち、非常時の軍略は弟にと言う役割分担はすでにすべての軍将達が認めるところであった。
「しかし・・・」
「エッシャー先生、そういう泥臭い仕事は泥臭いことが得意な人間に任せてくれないかね」
「!」
突然、司令部の会議室の窓から声が聞こえた。全員が窓に顔を向ける。会議室は三階にあるのだが、涼しい顔でその窓に取り付いている男がいた。行方不明になっていたはずのロビー・マルダーであった。
「ろ、ロビーっ!」
驚きの声を上げたのはピーターであった。窓のそばにいたレベッカが直ぐに鍵を開ける。会議室に滑り込んだロビーは皮肉な笑顔を浮かべながら話し始めた。
「悪いな。騒ぎに乗じて脱走させてもらっていた。一働きさせてもらいたい。もう、アバラの調子も良くなってきたし、病人とはいえそろそろリハビリさせてもらってもいいだろう?」
「ど、どういうつもりだ?」
「あの二人の嬢ちゃんはずいぶんと俺のためにいろいろと手を焼いてくれたよ。盗賊だったこの俺にだ。吸血鬼になってからじゃなく、人生の中でないほど、人間らしい気分にさせてくれたのさ。許可がなくても俺は行くぜ」
ピーターでさえ何も言えなかった。ロビーが二人に恩義を感じていることはわかる。しかし、それにしてもあまりにも危険な話しなのだ。彼を患者と考えているヤンが承諾するはずがない。
「ロビー、君は不死鬼とはいえ筋力は普通の人間と変わりないし、痛覚もそうだ。潜入して、見つかれば・・・」
「先生だって普通の人間じゃねえか」
「そりゃそうだが・・・」
「先生よ・・・俺はファントム・ロビーだ。俺に忍び込めないところなどないぜ。スタンジェ先生の研究室だってな。あんたに捕まったのは初めてのミスだ」
「だが、城内のどこにいるかもわからないんだぞ?」
「二人がいるのは州府庁舎の近くにある小さな教会さ」
「!」
「この数日何をしていたと思う?事前調査は潜入には欠かせないことなんだぜ」
ロビーはすでに数度にわたってノールト城内に忍び込んでいたのだ。城内には普通の人間は極少数しかいない。活動しているのは作業用の操死鬼と不死鬼だけである。その中でも誰にも見つからずに城塞都市の中を自由に行き来していたのだから生半なことではなかった。
「ヤン。ロビー氏に頼もう。攻城戦と前後して彼に潜入してもらうしかない」
ウィレムはロビーを信頼した。これだけの危険を冒そうというのに、まったく気負った感じがしない。それほど、この盗賊とは面識はないのだが、ウィレムの勘がこの男が信頼にたる男だと告げていた。
「だが、一人では二人の人間を連れ出すのは難しいぞ?二人ともごく普通の女性だ」
「ロビーが行くなら私が監視につくのが筋ですな」
そう口にしたのはピーター・レインである。
「エッシャー先生、これでも私はロビーの専従になる前は、麻薬組織への潜入捜査官だったんですよ」
「しかし、ロビーもそうですが相手は不死鬼ですよ?」
無言でヤンの元に近づいたピーターは突然腰のショートソードを引き抜いた。
「なっ!」
シモンやウィレムでさえ何もできぬ前に、剣を走らせ、気づいたときにはすでに鞘に収めている。
「先生、気丈にふるまってはおられても、やはり婚約者のことが気になるのでしょう?いつもは剃り残しなんてありませんでしたからな。でも、身だしなみが乱れるのは紳士としてはいかがなものですかな?」
ヤンの顎の先にわずかに残っていた剃り残しのヒゲが綺麗に剃り落とされていた。皮膚にはまったく傷がついていない。
「髭剃り(シェービング)レイン。私の昔の通り名です。まともに戦えば勝てないかもしれないが、身を守るぐらいはどうにかできますよ。ヨハネス・ファン・ビューレンでも出てこない限り」
身を守るどころではない。これほど正確な剣さばきはシモンやウィレム、いや、ヨハネスでさえ無理であろう。
「そのヨハネスのようなのがでてきたらどうしますか?」
これはシモンである。ピーターの剣技に驚きを隠せない。だが、正確な剣さばきだけで勝てるような相手ではない。シモンもまともにやり合えばピーターに負けるとは思わなかった。ピーターの剣技は速く正確な攻撃が持ち味であろうが、それがわかっていれば、逆に攻め手を読みやすい。
「レイン主任にはもう一つ通り名があります」
レベッカの言葉にピーターはバツの悪い表情を浮かべた。
「いざとなれば、脱兎の如く逃げ去る。その逃げ足の速さから兎のピーターと」
「ぷっ!そんな可愛らしいかね?」
ロビーが噴出し、それをきっかけにして全員が爆笑した。
「ヤン、この二人に任せよう。それしかない」
「・・・わかりました・・・ロビー、レイン主任・・・」
突然、ヤンが頭を下げた。二人の方に手を載せた。二人にはヤンの手から震えが伝わってきた。
「どうか・・・どうか・・・サスキアと・・・バレンツ主任をお願いいたします・・・」
全員、言葉がなかった。気丈に振舞っていたのは演技であった。ヤンは今すぐにでも、ノールトに助けに向かいたかったのだ。理性では二人は無事だとはわかっている。信頼はしている。それで、割り切れるものではなかった。
ロビーが軽くヤンの背中を叩く。
「先生よ、たまに周りに頼ってみるのもいいだろ?そうでもしてもらわないと、あんたに助けられっぱなしじゃ俺だって格好つかねぇさ」
「そうです。先生、保安兵団にも挽回の機会をいただきたい」
保安兵団は大監獄の警備を担っている。管理は司法府の管轄だが大監獄内の治安維持と、万が一の外部からの脱走の手引きなどに大して備えるのは彼らの役割なのだ。それを、すべての囚人が吸血鬼か不死鬼となり、後者は全員脱獄したのである。この汚名を返上するためにピーター・レインは無理を行ってザーンまで出てきたのだ。
「ジェラルドによればヨハネスは我々を待ってしびれを切らしているらしい。急ぐ必要もありませんが、あまり待たせても仕方がない。ルワーズ騎士団の軍勢を長期に維持することも負担になります。明後日、ノールトへ向けて進軍します」
「ああ、先生、それからもう一つ報告がある」
そういったのはロビーである。
「つい三日前のことだ。ノールトの城門に三百ぐらいの騎馬隊がフリップ側から到着している」
「ジェラルドの第二部隊を壊滅させたヨハネスの一団だろう」
「そうなんだろうが、その中に妙な連中が混ざっていてな」
「妙な連中?」
ウィレムが怪訝そうな顔をする。妙な連中といえば不死鬼の軍隊自体妙であることにはかわりないのだが、なにか特別そう思わせる者がいたということか。
「金ピカの馬車にのった若い男を中心に、妙にお高く止まった連中が数十名いた。たぶん、そのヨハネスって奴じゃないかと思うが、騎馬隊の指揮官らしき奴がやたらと丁寧な態度で付き添っていたぜ」
「ほう・・・スポンサーのどちらかだな・・・若い男というと・・・」
顎に手を当てながらウィレムはある人物の名前を思い浮かべた。全員、同じことを考えてた。
「アルベルト・ルワーズか・・・しかし、なぜこの時期に・・・わかるか?ヤン・・・」
「一番可能性が高いのはレオンス・ド・アズナブールと袂を分かったということではないでしょうか?そろそろマウリッツの工作も功を奏していいころです。アキテーヌでベルルスコーニが失脚すれば、辺境伯領にフリップ王国軍が殺到してくる可能性が高い。レオンスを見限って、アルベルトは本来の目的のためにルワーズにやってきたのではないでしょうか?」
「本来の目的?」
「名前だけ形式上残されているルワーズ公爵の地位に実質を持たせることです」
これはそれほど意外なことではなかった。アルベルトが不死鬼軍のスポンサーになるとしたらこれしか理由はないのである。だが、財力や血液の供給などについては、レオンスに比べて大して提供できるものはない。スポンサーとしての発言権は決して大きなものではない彼が最前線にまで出張ってくる理由は何かと言う点に疑問が残る。ウィレムがそう口にするとヤンは澄ました顔で答えた。
「ドースブルフあたりは一応ルワーズ公国の臣下としての意識を持っているでしょう。反乱を起こすとは言え大義名分が必要です。アルベルトの役割はそこにあります。わざわざ迎えに行ったヨハネスにしてもそうなのでしょう。単に国境地帯で大暴れできればいいと言うわけではありません」
「アルベルトはわかるが、ドースブルフやヨハネス、それとエドの目的は一体何だ?」
「それぞれの思惑は微妙に違うところはあるでしょうが、彼らは不死鬼の戦士として戦い続けることを欲していることは共通している。そのためには、大きな戦果を上げて、新しいスポンサーにアピールできるだけの実績を得る必要があります。単に戦場で強かったと言うだけでなく、結果として政治的な意味を持つような・・・」
「それが、アルベルト・ルワーズの国公即位と言うことか・・・」
小首を傾げて言うのはジェラルドである。あまりにもナンセンスな話しに思えるのだ。確かに不死鬼の軍団は強力だが、だからといって、公国全土を平定できるほどのものではない。巨大な軍隊の中で特殊部隊のような位置づけであれば、不死騎隊はかなり強力で使いでのあるもので、実際そういう触れ込みで近隣各国に売り込み始めるつもりであろうが、扱いにくい吸血兵と千に満たない不死騎兵で、一国を飲み込むことは不可能である。
「アルベルトの目的はそれほど壮大なものではないかもしれません。例えば、ノールトを押さえ、ゼーラント州全域程度の領土に東ルワーズ公国でも建国できれば満足なのかもしれませんし、あるいは全土を支配できると勝手に夢想している可能性もあります」
「後者であれば・・・」
「ええ、いずれ、ヨハネス達に見限られることでしょうね」
ウィレムは腕組をして考えた。
「どっちがこっちにとって都合がいいかな・・・アルベルトがおとなしくゼーラント州、それも住民の住んでいない地域の領主程度で満足してくれるのと、公国全土に覇を唱えようとするのとでは・・・」
「そこは・・・どちらであっても、こちらの都合の良い方に差し向ける方法があります」
「どういうことだ・・?」
「つまり、こっちからゼーラント州をくれてやると言ってやるのです。ロクに戦果も上がらないうちに。できれば、こちら側がある程度の勝利を収めたあとにです。ヨハネスとエドは困ることでしょうね。スポンサーにアピールするためには戦う必要があります。アルベルトがゼーラント州だけで満足していたとしても、ヨハネスとしては焚きつけて戦争に持っていかざるをえませんし、全土を収めることに色気があれば、程よいところでやめられなくなる」
ヤンの提案は極めて大胆なことであるが、この男が口にすると大したことではないように思えてくる。
「なるほど・・・そうなると奴らはどうする?」
「一番ありそうなのは、アルベルトに戦争を決意させておいて、ある程度勝利したところで・・・」
「アルベルトを殺すか・・・」
「はい。それが一番彼らにとって都合が良いのです。しかし、アルベルトだっておとなしく殺されるつもりはないでしょう。ヨハネス、エド、フーゴー、いずれかを味方につけようとする。可能性が高いのはフーゴーですね。フーゴーが東ルワーズ公国の元帥などと言う地位で満足するはずはありませんから」
全員がうなずく。フーゴーの吸血兵隊とヨハネスの不死騎兵隊が噛み合えば、高確率で不死騎兵隊が勝つだろうが、いくら協力でも千の騎兵隊だけならいくらでも料理のしようがある。吸血兵だけでなく、操死鬼の作業部隊を掌握しているのはフーゴーの方であろうから、万事融通が効かなくなってくる。少なくともノールトに立てこもることは困難になってくるであろう。ヤンの軍略は奇抜なようでて、極めて合理的なことであった。
「となると、まずは、目の前の戦いに勝利して、奴らを焦らすことだな。次にできるだけダメージの少ない形で、アルベルトに欲が出てくるように負けてやる」
「はい。その時は気前よくザーンぐらい明け渡してやってもいいのです。ブルーナ主任主計官の立てた計画のおかげでそれぐらいは、資金面でも問題ありません。ザーンにいる二十万の住人をアメルダムに移してしまうことぐらいは可能でしょう」
「そうしておいて、フーゴーと対立したヨハネスとエドが千人弱の不死鬼だけで、ザーンかノールトに立てこもらざるをえなくすれば良いわけだな」
「はい。まずは、目の前の勝利を考えましょう。ノールトを一気に奪還する必要はありません。不死騎兵隊の強さが絶対的なものではないことさえ証明し、人質を取り戻せさえすれば十分です。あとのことを考えると派手な勝利は返って意味がありません」
納得したように頷いてウィレムを腕を組んだ。たとえ人質を取られていようと、ヤンの智謀に陰りが見られることはない。それを確認していたのである。腹違いの弟に全幅の信頼を置いているウィレムだが、同時にその弟のことを常に気遣っていた。豪胆で粗野な人物と思われがちではあるが、それだけでは軍の中枢で役割を果すことは難しい。ウィレム・ファン・バステンは実は誰よりも周囲の心理に敏感な男であった。
「兄上はルワーズ騎士団を率いて、ノールトを包囲してください。ジェラルドはその補佐を。護国騎士団は第三部隊と騎士団長親衛隊の二千を私とシモン隊長が率います。第一部隊と第二部隊の残存兵力はリートフェルト隊長が指揮し、ザーンを固めてください。状況に応じて、ノールトへの増援をお願いします。リートフェルト隊長ならその判断もお任せできる」
「じゃあ、俺と旦那は包囲の前にノールトに潜入するとしよう。攻城戦が始まってからでは流石に難しくなるからな」
「ああ、よろしくお願いする」
ヤンが丁寧に礼を施したので、ロビーは驚いた。ヤンにとっては、ロビーは患者であるが今は頼るべき盟友であった。婚約者の身柄はこの男の働きに掛かっているのだ。
ウィレムが立ち上がり、護国騎士団ザーン支部の司令部全体を見渡して、声を高めて叫ぶ。
「これより!ノールトでの不死鬼軍との本格的な戦闘に入るっ!戦い方は心配しなくていいっ!ヤン・ファン・バステンの智謀があれば決して負けることはないっ!各々、護国騎士団長代理の指示の従って奮闘せよっ!」
全員が粛然と襟を質した。