美食と言う名の策略
ノールトにあるゼーラント州府近くの教会にマルガレータとサスキアは監禁されていた。今ところそれほど待遇は悪くない。監禁と言うよりも軟禁であろう。教会内は自由に動けるし、食料などはわずかではあるが貯蔵されている。外出が許されないだけであった。そもそもノールトには二千名ほどの吸血鬼が駐屯しており、ほとんどは眠らされているとはいえ、危険極まりなく外に出ることなどできはしないのである。
「ピーテル・・・ピーテル・・・ピーテルが・・・」
二人が拉致されてから数日経過しているが、マルガレータはほとんど半狂乱の状態であった。サスキアはずっと彼女をなだめながら逆に冷静に状況を受け入れている。少なくとも自分たちを虐待して何かをしゃべらせようと言う意図は今のところない。マルガレータを誘拐する理由としては、牛血粉の製法を聞きだすことだと言うことぐらいはサスキアにもわかるが、製法をしゃべったところで、実際に製造するのは、首謀者の一人であるというファン・クラッペでもいない限り、マルガレータの協力なしには不可能であった。
サスキアとしては、最悪、牛血粉の製法など教えてしまっていいと考えている。その程度のことはヤンの知略があれば問題にならないと信じているのだ。ヤン自信が不死騎軍に牛血粉の製法をリークしようと考えていることまでは知らないが、本当に秘密にするつもりであれば、もっと徹底的に機密保持を図ろうとしたはずである。
「マルガレータ・・・大丈夫・・・ピーテル君は生きているわ。お姉さまがすぐに帰ってきたはずよ。必ずどうにかしてくれる・・・」
サスキアは拉致され、連れ去られる際に、護国騎士団と前後して宮廷の方から向かってくる馬車がいたことに気づいていた。おそらくはカリスが乗っていたに違いないと今は思うのだ。あれほどの危機に際してもサスキアはきわめて冷静であった。
「サスキア・・・どうしよう・・・どうしよう・・・」
「マルガレータ、安心して。ピーテル君はお姉さまがどうにかしてくれる。私たちのことはヤンが考えてくれる。ね。あんまり泣いてちゃだめ。元気出さなくちゃ」
初めて二人が会ったときはこの逆の構図であった。マルガレータは幼い外見とは裏腹にしっかりもので、こと恋愛などに関してはサスキアよりもはるかに大人なのだが、この事態にあってはまったく立場は反対であった。
「ずいぶんとあの先生のことを信用しているのね。婚約者なんだって?」
突然、二人がいる応接間に入ってきたのはイエケリーヌであった。サスキアはさっと身構えたが、マルガレータは震えて彼女の背に隠れてしがみついている。
「ええ。そうです」
「なるほど、未来の旦那様が助けてくれると信じているわけだ?」
「違います」
「?」
イエケリーヌは意外な返答に怪訝そうな顔をした。
「ヤンであれば、私たちが拉致されたことなどであなたたちに屈したりはしないと信じています。これぐらいのこと、彼にはたいした問題でもありませんわ。あなたたちの思惑を粉々に打ち砕くついでに、私たちを助けることぐらい、簡単なことでしょう」
挑発的な台詞を真剣な表情でサスキアは言ってのけた。マルガレータの顔は引きつっているが、イエケリーヌの表情には雷光がひらめいた。先日ヤンのとげのある言葉に逆上して失敗したばかりであるからどうにか自制する。二人を拉致したときの振る舞いについても、あとからエドとドースブルフにたしなめられていた。無意味に残虐なことを行えば、恨みを買い、かえって敵の士気をあおることになるだけであった。
「見せ付けてくれるわね。あの小さなナイト君といい・・・まあ、いいわ。牛血粉の製法は教える気になった?」
「だっ・・・誰がっ」
必死に勇気を振り絞って言い返そうとしたマルガレータをサスキアが止めた。感情的になった方が負けなのである。こちらが冷静でさえいれば、この短気な女不死鬼に隙を作ることは難しくないと思った。サスキアは看護婦であり、またメイドであると言うだけで、シルヴィアやカレンのように政治や経済に詳しいわけでもなく、まして軍略や政略のことはわからないが、周囲に公国トップクラスの頭脳が集まる環境にいたので、こうした点ではきわめて思慮深い。なにより、ヤンを心から信頼しているだけでなく、彼の考えを理解したいと努力していたので、『ヤンならどうするか』を考えれば、おのずと適切な状況判断ができた。
「教えないとは申しません。でも、誰が製造されるのですか?牛血粉の製造はきわめて微妙な調節を要する工程が必要です。慣れた医師でもいない限り確実に失敗しますわ。間違えると毒にもなるものです」
「・・・」
イエケリーヌは不死鬼である自分を前にしてまったく怖気づかないサスキアにやや苛立ちを感じた。すぐ感情的になるところは父親似であった。だが、これについてもなんとか自制することに成功した。
「なら、あなたたちに作ってもらうしかないわね」
「そうして差し上げてもかまいませんが、肝心のバレンツ研究員がこの様子ではすぐには無理でしょう。必要な材料と設備を書き出しますから準備はしておいてください。それができて、彼女が落ち着いたら牛血粉を製造しますわ。出来上がったら、私が調理して差し上げます。レシピもお教えしますわ。試食した方によれば結構美味と言っていただいております」
「ふんっ!うまかろうがまずかろうが関係ないわ。私はね」
バタンッという大きな音を立てて、イエケリーヌは出て行った。サスキアの態度に我慢できる限界ぎりぎりであったようだ。イエケリーヌは不死鬼となる以前から父親に武術かとして育てられた。男児のいないフーゴーはことあるごとに『なぜ女に生まれたっ!』と彼女を責めた。そのため、イエケリーヌは女性らしいことなどまともにしたことはほとんどない。看護婦として女性らしさの象徴のようなサスキアがうとましかった。
「イエケリーヌ殿。勝手に捕虜に会われるのは困りますな。あなたが捕らえた捕虜でもここは私の城です。許可を得てからにしてもらいましょう」
部屋を出たところですぐに行き会ったのはエドであった。エドとしては、せっかくの人質である二人の女性をイエケリーヌが怒りに任せて傷つけはしないか心配だったのだ。牛血粉の製法など盗まなくても、そのうちヤンがリークすると言う読みには自信があり、自分に指揮権があれば、確実に裁可しない作戦であるのだが、実施してしまった以上はそれを利用しない理由はない。イエケリーヌとフーゴーの親子の短気さと残虐さには反吐がでる思いであった。
「あら、軍師殿。かわいらしい捕虜のお二人はあなただけのものではなくてよ」
「あなたがまた馬鹿なことをしないか心配なだけです。無用に残虐なことをすれば、敵軍の指揮を上げさせるだけだ。余計なことさえしなければ、今回の護国騎士団本部強襲は大変よい結果をだせたんですがね。二人を守ろうとした若い騎士を叩きのめしたりするから、護国騎士団本部では兵士や事務員のモチベーションがかえって上がってしまった。それさえなければ、目的はともかく結果には満足できるものだったのですが・・・」
「ちっ・・・」
「多少はあの二人を見習って女らしくしてみてはいかがですか?不死鬼とは言え、がさつさが目立ちすぎると少々見苦しい」
「このっ・・!」
イエケリーヌは激発し、エドに殴りかかった。不死鬼同士であれば素手で格闘するだけでもどちらかが死ぬ可能性が高い。だが、エドはイエケリーヌの拳を軽くよけ、手首を握って捻り上げた。人間ほどに苦痛は感じないが、動きを封じされた屈辱感は変わらない。前かがみにさせられたままの姿勢のイエケリーヌの耳元でエドがささやく。
「ご令嬢。これ以上はドースブルフ殿の立場を悪くするだけだ。お分かりでしょう?お父上の今の立場を。あなたとご自身の失態は致命的なものだ。これ以上墓穴は掘らないほうがいい・・・」
手を離したエドはそのまま後ろも振り向かずにマルガレータとサスキアがいる部屋に入っていった。屈辱に歯軋りをさせながら、イエケリーヌは教会から出て行く。
「・・・エド・・・」
「久しぶりだね。サスキア」
サスキアの目は大きく開かれた。マルガレータは二人の会話を理解できない。なぜ親しげに呼び合うのか。
「なぜこんなところに・・・まさか・・・不死鬼に・・・」
「ヤンから聞いていないのか・・・」
エドはザーンでヤンが語ったのと同じことをサスキアに話した。十年前、フリップ王国軍に傭兵として参加し、予期せぬ伝染性吸血病の大流行で感染し、不死鬼となったこと。戦友の生き血を吸いながら生きながらえ、掃討戦に参加していたヤンと出会い、逃がされたこと。二人の会話は散文的なものであった。エドは何の感情もこめずに過去を打ち明けたのである。
「なぜ・・・不死鬼軍なんかに・・・」
「それは、君が知る必要はない。君たちの安全は私が保証しよう。イエケリーヌあたりに手出しはさせない。だが、牛血粉の製造については教えてもらいたい」
サスキアは幼馴染から真実を聞きだすことをあきらめた。ヤンと同様にエドのこともよくわかっている。話したくないことはとことん話さない男であると言うことを。サスキアは表情を堅くした。目の前にいるのは幼馴染のエドではなく、不死鬼軍の軍師なのだ。サスキアにはエドがヤンに負けないほどの知恵を持つ男だと言うことがわかっていた。
「それは先ほどイエケリーヌさんにお話しました。マルガレータが落ち着いたら協力します。材料と設備をそろえておいてください」
急に、敬語を使い始め、二人の間には見えない壁が出来上がったようにマルガレータには見えた。
「了解した。無理をしてもらう必要はないがね。そのうちヤンが教えてくれることだろう。だが、何もしないよりは君たちを安全にできる」
「配慮には感謝します」
たいした会話もせずにエドは部屋から出て行った。
「サスキア・・・」
エドが出て行った後、しばらく二人は無言だったが、マルガレータが先に話しかけた。ピーテルのことから立ち直ったわけではないが、サスキアとエドの様子を見て、自分以上に深刻な状態にサスキアがいるのではないかと思ったのだ。
「さっきの人は・・・」
「エド・フレイレ・・・私とヤンが孤児院にいたときの幼馴染よ・・・」
「どんな人なの?」
サスキアは多少はためらったものの、子供のころの話をし始めた。
サスキアとエドは物心ついた時から孤児院にいた。サスキアの両親は商用の旅の途中で事故死している。まだ、二歳の時で両親の顔もよく覚えていない。ウテワール家は中程度の商家であったが、サスキアを置いて旅に出ていた両親が死ぬと、使用人たちは散り散りになっていった。屋敷に誰もいなくなったところで、サスキアの乳母は孤児院に彼女を預けて消えてしまったのである。資産は使用人たちが勝手に持っていってしまっていた。
エドは赤ん坊のころに親に捨てられている。フレイレという姓も親のものではない。捨てられたときに身に着けていた産着に『エド』と言う名前が縫いこまれており、それを名前にし、姓は字を書けるようになった時に自分でつけたものである。百年戦争の際、傭兵隊長として活躍した人物から取ったものであった。
五歳年上のエドはサスキアにとって兄のような存在であった。だが、エドにとっては妹ではなかったかもしれない。まだ、恋と言うにはあまりにも幼く、淡い感情ではあったが、今のサスキアにはエドが幼友達以上の感情を持って自分に接していたのではないかと思える。色恋沙汰に鈍いサスキアではあるが、それに後からでも気づくことが出来るほど、エドは彼女だけには優しかった。
エドは孤児院ではリーダー格であった。年上の少年たちに孤児院の子供たちがいじめられたと聞けば、大勢が相手であってもそれに立ち向かっていった。本人も怪我をするが、年長の少年たちはボロボロにされる。年の割りに腕っ節がいいというだけでなく、頭も良かった。独学で武術の練習もしていたようだ。年少の孤児たちを誘い、罠を仕掛けた川べりに不良少年たちを誘い込んだこともある。落とし穴に落ちた少年たちは穴に川の水が流れ込み、溺死の恐怖に小便を漏らしたところで、エドに泣いて許しを請うたのである。
九歳の時、母親を病で失い天涯孤独となったヤンが孤児院に入ってきた。同年輩のヤンにエドは興味を持ち、二人は仲良くなった。年少のサスキアもそれに加わったが、エドとは違う感情をそのころからヤンには持っていた。二人ともやさしく、勇敢で賢い少年であったが、ヤンの方が感情的にはずっと不器用で、何か放っておけない感じがしたのだ。医者を志していることを知ったサスキアはすぐに、自分は看護婦になろうと決めたのである。
エドとヤンは中が良かった。二人が組めば近所の不良グループなどまったく敵ではなかった。まともに遣り合っても、二人がいれば十人以上の年長の少年たちを相手にしても、まったく遅れをとることはなかったし、作戦を立てて完膚なきまでに叩きのめしたことも数知れずあった。そのうち、孤児院の子供たちに手を出す不良たちはまったくいなくなった。
だが、いつしか、エドはヤンのことを友人としてよりライバルと思うようになっていた。サスキアの存在だけがそうさせたわけではない。少年ながら兵士となって戦場を駆け巡ることを志すエドは、医者を目指しながら自分同様に喧嘩の強く、荒事にも頭の切れるヤンを過剰に意識していた。
ヤンがファン・バステン家に引き取られることが決まったとき、エドはヤンを呼び出した。
エドはファン・バステン家が武門の家柄であると知っていた。ウィレムが活躍した吸血鬼掃討戦の前は父親が保安兵団長であった程度で、爵位の低さからそれほどの地名ではなかったが、優れた騎士を何人も輩出した家系であった。
エドはヤンをなじった。そんな家に生まれながらなぜ医者などを目指すのか。それだけの武術があってなぜ戦わないのか。エドはライバルを永遠に失うことを恐れていたのだ。だが、ヤンはそんなエドに向かって語ってみせた。
「戦わないわけじゃないんだ。僕は敵を倒すためじゃなくて、患者を助けるために戦いたいんだ」
サスキアはこの一言を忘れない。これは自分の一生を決めた言葉だった。エドはわざわざ喧嘩をする場所にエドはサスキアを呼んでいたのである。
エドは何も言い返せなかった。決して鈍重な男ではない。ヤンとはまるで兄弟のように、賢く理屈っぽい、物腰の柔らかく、いざとなると大人もしり込みするほどの迫力で怒るところまで同じだった。だが、ヤンのこの物言いには何も言い返せなかった。
二人は結局喧嘩することなくそこから帰った。それ以降、サスキアはどちらとも連絡を取ることはなかった。子供ながら、ヤンが医者を目指すなら大変な勉強をするのだろうと思い、邪魔にならないようにと考えたのだ。エドに対しては、自分がクリステル家に引き取られたあと、程なくして孤児院から姿を消したため、連絡を取ることは出来なかったのである。
その間、サスキアは知らないが、ヤンとエドはたまに文通をしていたようだった。
「エドがどうして不死鬼軍にいるのかはわからないけど、さっきの話だと、十年以上不死鬼として生きていたみたい・・・ヤンが動物の血液で生きながらえる方法を教えたからできたことだと思う。人間を襲って血を得ていたならいくら彼でも十年も逃げ続けられるはずはないもの・・・」
「サスキア・・・」
「マルガレータ・・・牛血粉を作って。そんなことでヤンの考えていることの邪魔にはならない。それに・・・」
「彼も、他の不死鬼たちも伝染性吸血病患者にはかわりなってことね・・・」
「ええ・・・敵か味方かっていうのは軍の人たちの話。あなたと私は医者と看護婦。私たちの戦いは別にあるわ」
「わかった。やりましょう。おいしい牛血粉料理で不死鬼軍をギャフンと言わせてあげなきゃっ!」
「味付けは私がするわよ・・・」
「うっ・・・信用ないわね・・・」
この話でマルガレータは完全に自分を取り戻した。ピーテルのことは心配しても仕方ない。サスキア同様、カリスのことは心から信頼していた。彼女の腕なら死なせることなどあろうはずもない。
翌日、不死鬼のうち主だった者十数名が二人を軟禁している教会に集められた。ヨハネス、エド、フーゴー、イエケリーヌの他、バールーフ・グローティウスなど大監獄で不死鬼となった者数名と、フーゴー配下の吸血兵団の指揮官もいる。
「私たち二人だけでは何百名もいる不死鬼の方々全員分をご用意することはできません。皆さんに試食していただいて、よろしければ、大量に生産できる体制をお考えいただければと思います。味付けについてもレシピをお教えしますわ」
サスキアは愛想がいいとはいえないが、ごく普通に振舞っていた。マルガレータの表情には多少の緊張感はあるものの、サスキアにならって出来るだけ自然な振る舞いをする。とても捕虜のものとは思えなかった。二人の様子にむしろ不死鬼軍の幹部たちは戸惑っている。
二人の手によって不死鬼たちの前に二枚の皿が並べられた。
「スープはたまねぎをすってオニオンスープ風に仕上げました。細かく刻んだうえに、長い時間煮込んでますので、消化能力の弱い不死鬼の皆さんにも胃の負担にはなりません。材料が足りないので、お肉風の料理は用意できませんでしたが、鱒の魚脂を使ったものを作ってみました。とろとろのゼリー状のものはゼラチンになります。魚肉風の味付けになっています」
見た目にも料理らしく、不死鬼の優れた嗅覚にも心地よい香ばしい香りが食卓に立ち込めていた。
「さあ、お召し上がりください。皆さんは私たちの臨床実験で対象になったロビー・マルダー氏と違って、筋力を抑えるようなことはされてませんから、必要な牛血粉の量はずっと多いことと思います。おなか一杯食べる必要がありますわ。おかわりもご用意いたしました。実用化される場合はここまで手間はかけられないかもしれませんが、簡単なメニューもございますので」
おそるおそると言った具合に不死鬼たちは料理に手をつけ始めた。監視下において調理されていたので毒などが加えられているはずもない。先に吸血鬼を使って毒見もされていた。
全員、無言であった。気づくと、皆ガツガツと食べ始める。半分ほど食べたところでバールーフが感想を述べた。
「うまい・・・鉄くさい人血しか飲んでいいない我々にとっては・・・」
ドースブルフですら貴族の出身にもかかわらず、テーブルマナーなど忘れたかのようにスープを口の中にかっ込んでいく。イエケリーヌは無言であった。どこか悔しげである。ヨハネスも無言で落ち着いた雰囲気を維持してはいるが、スプーンを口に運ぶペースはやや速い。
「驚きましたね。栄養を取るための薬のようなものと思ってましたが・・・これはれっきとした料理だ・・・」
そう口にしたのはエドである。牛血粉の料理の完成度にはヤンでさえ驚愕したものである。同じレベルの知性を持つエドにとっても、これは意外なものであった。
エドとヨハネスにとっては十年ぶりに人間らしい料理を口にしたことになる。平静を保っているようでいて、おかわりを始めると他の不死鬼たちと先を争い、食卓は戦場と化した。
「みなさん、落ち着いてください。まだまだありますから。ちゃんと並んでくださいね」
異常発達した筋力を持つもの同士が取っ組み合いなど初めては、サスキアとマルガレータは無事ではすまないが、その場を取り仕切っているのは完全にこの二人である。牛血粉料理を目の前にしては、不死鬼など欠食児童の集団かのようであった。
その場にいた人数の三倍の分を用意していたなべが空になったとき、何人かの不死鬼は目に涙を浮かべていた。吸血兵の指揮官である不死鬼たちである。大監獄から来た者たちに比べ、不死鬼となってからの期間が長く、納得してそうなったわけではない連中にとっては、この食事は奇跡のようなものに思えたのである。
捕虜であるはずの二人の女性に、何人もの不死鬼たちは頭を下げて感謝の言葉を述べてから教会を去った。ヨハネスは何も言わずに去ったが、ドースブルフ、イエケリーヌ、そしてエドは最後まで残って、二人に話しかけた。
「驚いたな。これほどのものとは思わなかった」
「サスキアほどの味付けは誰にでもできるものではないかもしれませんが、簡単なレシピもあります。今日のような料理は大人数相手に作るのは大変かもしれませんけど」
エドの言葉に答えたのはマルガレータである。完全に落ち着きを取り戻していた。不死鬼たちの反応を見てからは余裕すらある。自分たちのやってきたことは間違っていないと言うことをここでも確信できたのだった。
「不死鬼の皆さんであれば、ご自分でお食事を用意することも可能ではありませんか?」
「いや、ほとんどの者は囚人か犯罪者、まともな料理などできはしないだろう・・・」
ドースブルフでさえ、二人に真剣に相談する体である。
「イエケリーヌっ!この二人に調理法を習えっ!」
「なっ!ち、父上っ!」
「お前が牛血粉の製造法と調理を覚えれば、操死鬼を使って大量に用意できる」
「な、なぜ私がっ?!」
「女だからと言うのではない。だが、我々にとって食事は重要な問題だ。他の指揮官級の不死鬼などには任せられる話ではない。操死鬼を十分に使いこなせる者でないと不可能だからな」
エドは笑いをかみ殺した。まさか本当にこの二人を見習って、女らしいことをイエケリーヌにさせることになろうとは。余計な口を挟んでイエケリーヌの機嫌を損ねるのも悪いので、何も言わないことにした。
「牛血粉の製造は微妙な工程が幾つかありますが、ちゃんと手順さえ間違えなければ失敗はしませんわ。調理については、普通の料理と変わることはありません。イエケリーヌさんはお料理の経験は?」
「あ・・・あるはずもないっ!」
「イエケリーヌ!捕虜とは言え、これからこの二人に教えを請うのだっ!態度をあらためよっ!」
エドはたまらず噴出してしまった。イエケリーヌは赤面しながら睨みつける。
「大丈夫。慣れればなんてことはありません。武術の稽古はずっとされていたのでしょう?それよりはずっと簡単です」
「うっ・・・ぐっ・・・お、お願い・・・するわ・・・」
だが、ドースブルフとエドはさすがに二人の様子が気になった。何かをたくらんでいるようにも思えるが、いったいそれが何なのかはまったくわからない。ドースブルフはエドにそっと話しかけた。
「いったいこの二人は何を考えているのだ・・・」
「わかりませんが・・・彼女たちがこうしたところで、戦局に影響があるわけでもありません。別に公国軍の不利益にもならない・・・」
納得しかねるドースブルフは直接二人に聞くことにした。
「なぜ、このように我々に協力的なのだ?」
返答はサスキアからであった。
「牛血粉の製造については、私たちが話さなくてもいずれヤン・エッシャーからリークされることでしょう。それはそちらの・・・エド・フレイレさんもそうお考えのようですし、私もそう思います」
「こんな調理法まで教えてくれるのはなぜだ?」
「別においしい料理を提供したからと言って、戦局には影響しませんわ。どうせならおいしいものを食べさせたいと思っただけです。私もこちらのバレンツ研究員もあなた方と武器を取って戦うようなことはできませんが、せめて皆さんの味覚を屈服させてみたかったのですわ」
三人の不死鬼はポカーンと口をあけて呆けてしまった。
「これはまた・・・すっかりしてやられたようだな・・・これについては完全に白旗をあげるしかない」
ドースブルフは機嫌よさそうに大笑いした。無骨な不死鬼の武人もサスキアの言い様が気に入ったようである。不機嫌なのはイエケリーヌだけであった。
かくして、翌日からサスキアにイエケリーヌは牛血粉料理を習うことになる。そんなことが戦局に大きく影響するなど、彼のヤン・エッシャーと言えども考慮の外であった。