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不死騎  作者: 槙原勇一郎
25/34

強襲と嗜虐

突然、ウィレムとシルヴィア、そしてカリスが宮廷に呼ばれた。時刻はすでに夕方。いつもどおり謁見の間に出ると、ジェローンはいつにも増して上機嫌であった。


「カリス殿、良い知らせだ。マウリッツ・スタンジェ医局長から手紙が届いたぞ」

「えっ!?」


これは、フリップ国王シャルルが自分の情報機関を使ってルワーズ宮廷に届けさせたものである。シャルルは再び国境地域に旅立つマウリッツに依頼し、フリップ王国がルワーズ公爵に対する主従の関係を解消したい旨をジェローンに伝える手紙を書かせたのだ。ついでとばかりに、カリスに対する手紙も一緒に届けてくれた。


「スタンジェ医局長はすでにアキテーヌを訪れ、どうやら、不死鬼軍に協力しているらしいジュリオ・ベルルスコーニ枢機卿を失脚させる活動を始めたようだ。それが成功すれば、フリップ王国側の不死鬼軍は有力な後ろ盾を失うし、国境地域の住民避難作戦も決行するとのことだった。そうなれば、奴らはいよいよ血液を確保する方法がなくなり窮地に立たされることになるな」


追い詰められ続ける不死鬼軍もついに軍としての体裁を維持することすら出来なくなる。フリップ王国側からの補給が出来なくなれば、ノールトに駐屯する数千の吸血兵はザーンに対して無謀な攻城戦を行うしかなく、そうなれば、レム・ファン・リートフェルトが完膚なきまでに叩きのめしてくれることだろう。


「ついでとばかりに、シャルル陛下は枢機卿さえいなくなれば、ルワーズ公国の独立を正式に認めたいと言ってきている。フリップ王国がルワーズへの宗主権を放棄するとなれば、インテグラ王国にとっても、ルワーズは大した意味のないものとなる。吉報に次ぐ吉報だな」


ジェローンはカリス宛ての手紙を自ら本人に手渡した。カリスはどうにかギリギリ自制することに成功し、落ち着いて封を切って読んだ。内容にたいしたことはない。カスペルが優秀な護衛であること、アキテーヌのワインはやはり極上の味であったこと、途中の村やアキテーヌでの事件がこと細かに書かれていたが、カリスが一番読みたかったのも、そしておそらくマウリッツが一番書きたかったのも、最後の二行であったろう。



『カリス。苦労ばかり掛けて申し訳ない。もう一月もすればルワーズに帰ることができるだろう。それまでの間、中央医局を頼む。ヤンの力になってくれ。君にしか頼めない。帰ったらすぐに結婚しよう』



カリスは泣き出しそうになりながら必死にそれをこらえた。




だが、国境の向こう側の状況がどうあれ、事件が全て解決したわけではない。未だにノールトは占領されたままであり、城塞都市に収容されている住人をいつ自宅に帰してやれるか見通しは立っていないのである。三人が宮廷に来たついでとばかりに主な閣僚も集めて、打ち合わせが始まった。議長を務めるのは、もう時期引退が決まっているベルト・ファン・レオニー国務卿である。


「ファン・バステン元帥。住民の避難計画と食料の確保については滞りなく進んでいると聞いております。現状はどうなってますか?」

「主任主計官ピーテル・ブルーナの手により、すでに食料の確保は完了いたしました。予定の三割増しの金額でスペルファへの転売ができ、ラウラからの食料は二割引で購入できましたので、伝染性吸血病対策基金には余剰が出るぐらいです。すでに各都市での配給が始まっており、住民から不満の声もほとんど聞かれません」

「ほう・・・」


集まった閣僚たちから驚きの声があがる。ピーテルの食糧確保の計画は奇術と評され、僅か二十四歳の主任主計官は今や閣僚たちの注目の的であった。どうにかして自分の下で参事官にでも迎えて、その手腕を発揮してもらいたいと考えているのだ。


「では、不死鬼軍の幹部の編成についての捜査はどうなっておりますかな?」


保安兵団長ピエト・ファン・サッセンの報告書をウィレムが読み上げる。


「すでにご存知のとおり、敵軍の幹部で元帥と呼ばれているのは、元公国元帥フーゴ・ファン・ドースブルフ伯爵であることが確定しました。アメルダムで策動していた女の不死鬼は彼の庶子、イエケリーヌ・エラスムス、それ以外に、捕虜となった不死鬼によればファン・ドースブルフ伯の部下ではないようですが、元護国騎士団第一部隊副隊長ヨハネス・ファン・ビューレンや、詳しくはわかりませんが、元傭兵のエドと呼ばれる人物が軍の中枢にあるようです」

「資金や血液を提供しているのは?」

「テオ・ファン・ダルファー侯爵につきましてはご存知のとおり、操死鬼となる手術をされ、操り人形として利用されていたようです。一方で、現在実際にスポンサーとして動いているのは、おそらく二名、フリップ王国の辺境伯レオンス・ド・アズナブール卿と、フリップ王国が指名したルワーズ公爵、アルベルト・ルワーズ卿であることがわかっております。これに、スタンジェ医局長の報告を加えると、フリップ宮廷内において、ジュリオ・ベルルスコーニ枢機卿が動いているとのことでした。こちらについては、スタンジェ医局長がフリップ国内において、彼を失脚させる工作に動いております」

「吸血鬼の軍を編成するには医学に詳しい者が必要ときいているが?」

「はい。そうした技術面を担当しているのは、元公国中央医局検死室長ファン・クラッペ医師で、どうやら、彼の下ではジュリオ・ベルルスコーニ配下の修道士で医術の心得のある者が動いているようです」


状況は瞬く間に整理された。すでに、不死鬼軍の全容はほぼ把握できている。そして、その中での人間関係についても、およそ推測が付いていた。こうなれば、いくらでも幹部たちの間に間隙を作る方法が考えられる。今頃ヤンはそうしたことを考えるのに大忙しなことだろう。


「ふむ。元帥の弟君の活躍で、国境地帯から不死鬼軍を殲滅できる日も近そうですな」


皆、先の展望については楽天的であった。不死鬼軍を殲滅することができれば、次はシルヴィア・ファン・バステンが国務卿に就任し、フリップ王国からは完全な独立を果たし、あとはインテグラ王国との関係を明確にできれば、真のルワーズ独立公国の始まりである。この国の未来は確実に明るいものに思われた。





突然、本来部外者の入れないはずの閣議室に一人の書記官が現れた。司法府の制服を着た壮年の人物である。彼は無礼をわびる言葉も言わず、司法卿アントン・ファン・フェルメールに近づき、何事かを耳打ちにした。その瞬間、アントンの表情が急に険しくなる。


「陛下っ!大監獄が何者かに襲撃されましたっ!」

「!」





アメルダム大監獄はその名称とは裏腹にアメルダムの街壁の外に存在する。政治犯や凶悪犯、巨額の麻薬取引の常習者など、死刑乃至終身刑に該当する者ばかりを集めた監獄である。収監している者は千名に及ぶ。近年、ルワーズ公国では死刑廃止が検討されており、未執行のままの死刑囚が増え続けていることから、監獄内はかなり過密な状態になっていた。一つの城砦として使うことも可能な巨大な建造物である。その管理は司法府に任され、獄卒は保安兵団から派遣された兵士たちであった。


大監獄の外壁は地上五メートルの高さがあり、それも、四メートルのところで内側と外側それぞれに分かれてせり出したYの字型をしている。この壁を越えて脱獄または侵入することは不可能であった。ただし、普通の人間にはである。


事件が起こったのは夕刻だが、その始まりはその日の日の出前であった。


二人の人物が塀を飛び越えた。人間業とは思われない跳躍力である。これには見張りをしていた保安兵団から派遣された警備兵も気づいていない。何せ塀を飛び越える者などいるはずはないから、見張りはすっかり油断していた。


その二人は、誰にも見つからないまま、大監獄内にある物置に身を潜めていた。囚人たちの朝の点呼が終わり、午前中の運動の時間に彼らは行動を起こした。


運動の時間に外に出て体を動かせるのは、模範囚、少なくとも普通に監獄の生活を送っている者だけである。反抗的な者や凶暴性が改善されない凶悪犯、脱走を図った経験があったり、看守に対して不服従な者は独房に入れられ、そこから外に出ることは一切許されない。


二人の男、ヨハネス・ファン・ビューレンともう一人の不死鬼は、独房に入れられた一人の男の前に音もなく降り立った。


「バールーフ・グローティウス・・・迎えに来た。決意は変わらないか?」


問いかけたのは、ヨハネス以外のもう一人の男であった。


「エドか・・・ああ・・・変わらんさ。準備は出来ている」


バールーフと呼ばれた男は三十歳を少し越した程度で、顔は土色、髭は伸び放題であるが、体は意外とがっしりしているし、よく見れば、多少は才走ったところがあるように見える。


バールーフはエドと呼ばれた不死鬼に手渡された、長い針のような物を脇腹に突き刺した。極めて細い針で、それほどの苦痛も感じないものと思われた。が、バールーフはそれを深々と刺したあとで、かき回す様に動かした。


「ぐ・・・ぐぅ・・・」

「苦しいのは少しの間だけだ。すぐになんともなくなる」


見れば独房を監視するはずの看守はすでに絶命していた。二人のうち一人は剣で、もう一人は槍で心臓を一刺しされていたのだ。


「ふぅ・・・大丈夫だ。もう痛くない・・・始めるか・・・」




三人になった男たちは行動を開始した。次々に凶悪犯たちが不死鬼へと変えられていった。方法は極めて簡単である。小さめの匕首で腹を刺すと同時に、ヨハネスやエド、バールーフが問いかけるのだ。


「このまま死ぬのがいいか?不死鬼の力を得て、再び世にでるのがいいか?人であることを捨てることになるが、すでにお前らは人として生きていけまい。不死鬼となり力を得れば何だって出来る。お前たちを捕まえた奴らに復讐したくはないか?」


終身刑や死刑執行予定者として、希望を失っている囚人たちは、次々と不死鬼となることを自ら受け入れた。腹に開けられた傷から不死鬼の血液を注入され、イエケリーヌの場合とは違い、本人の意思で不死鬼になった者をヨハネスとエドは急激に増やしていったのである。


不死鬼となることを拒否した者もそのまま死ぬことは許されなかった。不死鬼の血液の代わりに普通の吸血鬼の血液が注入され、理性を失った吸血鬼となる。エドが犬笛を吹き、彼らはその指示のしたがって、運動場に整列した。すでに独房にいた者だけでなく、全ての囚人が吸血鬼か不死鬼にとなった。監獄内にいた保安兵団の兵士や司法府の事務官たちは全て殺されている。


大監獄の責任者である司法府から派遣された獄長は執務室に吸血鬼が現れた瞬間、どうにか最後の役割を果たした。席の後ろに垂れ下がった紐を引き、アメルダムの監視塔からも確認できる警告用の火矢を打ち上げることに成功したのである。その一瞬後には、吸血鬼たちによって体をバラバラに引き裂かれていた。




ウィレムは、シルヴィアやカリスを残し、単身で駿馬を駆り、大監獄へ向かった。いやな予感がしていた。いや、確信していた。ヤンであれば防げていたかもしれない事態ではなかったか。敵が不利な理由は制御の難しい吸血鬼を軍の主力としていることにある。吸血鬼を十分に制御できる数の不死鬼をそろえるか、あるいは不死鬼が主力となりえるだけの数になれば、この点は解決される。そんなことは不可能と考えていたが、終身刑や死刑に処された囚人たちであれば、自ら不死鬼となることを承諾するかもしれない。


が、これはヤンの智謀を過大評価したものであろう。ヤン・エッシャーと言えどもここまで頭が回るはずはない。仮に、大監獄での事件を事前察知することが出来たとしても、もう一つの作戦までは同時に防ぐことは出来なかったであろう。


アメルダム大監獄はすでに保安兵団の機動部隊千名と護国騎士団の騎士団長親衛隊及び第三部隊からなる千名にによって包囲されていた。護国騎士団を指揮しているのは、先日第三部隊副隊長に任命されたばかりの、ディック・ファン・ブルームバーゲンである。ウィレムは、元々親衛隊捜査部のデッサン担当でしかないディックを高く評価していた。理由は、僅か一晩で百名を越す人数を集め、『サスキア嬢防衛隊』を組織した手腕による。


『危機に際して周囲を明るくするために自ら馬鹿をやれる男こそ本当の勇者である』と言う彼の持論にも合致するがそれだけでなく、馬鹿なことであっても、組織力を発揮できる人間は貴重であると言う考えからであった。ディック自身は軍略も武技も大したものではないが、第三部隊では護国騎士団最強の剣士であるシモンが隊長であるので、副隊長には彼にはない能力を持つ者を選んだのである。


だが、それは今回のケースに関しては裏目に出たかもしれない。ディックは大監獄襲撃の報告を受けて、本部にいた騎士のほぼ全員を出動させてしまっため、護国騎士団本部はがら空きとなった。だが、この時点ではウィレムもそのことには気づいていない。むしろ、遅滞なく部隊を編成して大監獄に出動させたディックの手腕に感心した。もっとも、護国騎士団が本部に残っていたとしても、もう一つの作戦を阻止できたかどうかは怪しいもので、単に被害者の数を増やしただけかもしれなかった。


突然、大監獄の壁が内側から破壊された。もうもうと土ぼこりが舞い上がった一瞬後から戦闘が始まる。


「キシャアーッ!!」


あまり意味のない叫び声を上げて、穿たれた壁の穴から出てきたのは数百名に及ぶ吸血鬼たちである。興奮した様子の彼らは次々と壁からひしめき合って出てきた。それに対する構えはすでに出来ている。ディックがすでに用意していたのは、レム・ファン・リートフェルトも得意とする対吸血鬼密集防御体制であった。


吸血鬼の突撃にけたたましい音を立てた金属製の壁の後ろから無数の瀉血矢が放たれる。飛び出してきた吸血鬼は次々と血煙を上げて死んでいった。ウィレムは思わず口笛を吹いた。ディックの意外な戦術指揮能力に対しての賞賛である。瀉血矢の放つタイミングは絶妙であった。


だが、次の瞬間、考えてもいないことが起こった。


穿たれた壁の穴ではなく、その壁の上から無数の人間が密集防御を飛び越えてその裏に現れた。飛び降りた辺りにいた弓箭兵は瞬く間に素手で引き裂かれて死んでいった。僅か一分程度の間に、地上には数百人の不死鬼たちが降り立っていた。その間、百名程度の弓箭兵と密集防御を形成していた兵たちが殺されている。ディックの指示で急ぎ、不死鬼たちを遠巻きに囲ったが大して意味がないことは本人たちにもわかっていた。


「ヨハネスっ!貴様か!」


ウィレムは珍しく我を忘れて怒っていた。不死鬼たちの先頭に立っていた長身の男こそ、ヨハネス・ファン・ビューレンである。寡黙なヨハネスが珍しく言葉を口にした。エドは幾分驚いた顔をしている。


「ファン・バステン隊長・・・いや、元帥にまで上り詰められたとか」

「貴様!なぜ不死鬼軍などにいる!なぜ、大監獄を襲ったっ!」

「あなたにしてはおかしな質問をする。不死鬼の軍はこれから私が作るのだ。ドースブルフの考えた吸血鬼の軍など野良犬の集団に過ぎない」


ヨハネスは長剣を握っているが構えてはいない。だが、ウィレムは彼を攻撃することはできなかった。確信がある。自分では絶対にヨハネスには勝てない。ウィレムは三十八歳だが、まだ衰えを感じているわけではない。だが、三十を過ぎた辺りから、成長を自覚することはなかった。十年前、ヨハネスはすでに自分と互角の実力を持つ剣士だったのである。不死鬼となった今では自分がかなうはずもなかった。


「戦おうとしないのは正しい判断だ。私と戦うのはあなたではない。だが、いいのか?」

「何がだっ?!」


苛立ちは隠せない。


「これほどの人数をここに向けていいのか?ドースブルフの鬼子はこのチャンスを見逃さないだろう。まあ、あの愚かな女が考えていることなど本来不要だそうだがな。そこにいるうちの軍師によればだが・・・」


指を刺した先にいるのはエドであった。ウィレムには見覚えのない人物である。


「牛血粉の製法など、こちらから行動を起こして奪わなくても、そのうちヤン・エッシャーが教えに来るでしょうね。公国軍にとってはその方が都合が良いのですから・・・」


エドの言葉にウィレムは戦慄した。まさしくヤンの考えていた戦略である。牛血粉の製法を教えれば、不死鬼軍はフリップ側とルワーズ側で分裂する。ドースブルフはアズナブール辺境伯の制御を受け付けなくなり、ファン・クラッペの発言力も低下する。そうすれば、マウリッツがフリップ王国の宮廷を説得して、戦力の薄いフリップ側国境を攻め落とせばいいだけで、ヤンにコテンパにやられたドースブルフなど恐れる必要もない。それをこの不死鬼軍の軍師を名乗る男は読んでいたのである。


「あなたたちが早く帰れるように、我々もいなくなるとしましょう。ヨハネスさん、急ぎましょう」


不死鬼たちの集団はすでに暗闇となった街道に向かって異常な跳躍力で移動し消えていった。騎馬隊を指揮して追跡しようとしたディックをウィレムは止める。


「だめだっ!今すぐ護国騎士団本部にもどれっ!吸血鬼治療チームが危ないっ!」




ヤン・エッシャーに油断があったとすれば、不死鬼軍の幹部は一枚岩ではなく、連携に欠くと思い込んだことであろう。確かに彼らは決して一枚岩で結束しているとは言いがたい。だが、お互いを利用して、自分の作戦を成功させる形で、結果として連携することは可能であった。今回の計画はヨハネスが配下の不死鬼を劇的に増やすために大監獄を襲撃することを知ったイエケリーヌが考え出したものである。イエケリーヌは軍将としての才能がないことをヤンによって証明されている。だが、それをドースブルフは責めることは出来なかった。イエケリーヌがヤンに叩きのめされた翌日、ドースブルフ自身もしてやられたからである。


だが、一方でイエケリーヌは工作員としてはほとんど失敗したことはなかった。ヤンが現れる以前には、アメルダムにおいてファン・ダルファー邸を不死鬼の館に変貌させ、そこを拠点に小悪党を集めて不死鬼の指揮官に変えていった。また、ロビー・マルダーを護国騎士団本部に送り込み、吸血鬼化させることにも成功している。ヤンの治療により不死鬼となって生きながらえることはできたが、それは工作そのものの失敗ではなかった。


イエケリーヌが行動を起こした理由は、ヤンやシモン、ジェラルドにより、フリップ王国国境とノールトを結ぶ街道が封鎖されたことによる。これにより、ノールトの吸血兵は行動に必要な血液を得られず、眠らせたままの状態にせねばならなかった。すでに、ザーンに進軍することも出来なくなっていたのである。そこに、中央医局によって開発された擬似食品で不死鬼が人血なしに生きられるようになったとの発表が入ってきたのだ。


ノールトには多少の血液の備蓄はあったが、もちろん日持ちはしない。何より、ノールトの城主となっている不死鬼の軍師、エド・フレイレが血液を供給することを拒否した。エドはヨハネス同様、十年前に自然発生した不死鬼である。イエケリーヌの詐術によって不死鬼になった者ではなく、ドースブルフは彼に対する命令権は持っていなかった。


最初は協力的で、余分な吸血兵をノールトから撤収するリートフェルトの軍に処分させ、残りの吸血兵でノールトを接収したのだが、ケテル村でドースブルフがヤンに敗れて以来、言うことを聞かなくなった。不死鬼軍においてドースブルフの制御をまったく受け付けないヨハネスに接近し、今回の大監獄襲撃の策を練ったのである。




護国騎士団本部は無防備な状態にあった。本来それはそれほどの問題ではない。すでに、アメルダムの不死鬼軍の拠点はヤンによって壊滅させられていたのだから。だが、市街戦になるのならともかく、少人数でのテロに対する完全なる防御と言うのは存在しないのである。


大監獄での変事に騎士たちが緊急招集された時には、その日の勤務時間は終了していた。吸血鬼治療チームではまだザーンからの捕虜を受け入れておらず、医師と看護婦の人数だけが過剰な状態で、仕事の割には人数が多く、残業の必要な状態ではなかった。一方で、急激に年下とは言え部下が増えたことで、マルガレータもサスキアも多少神経にこたえたようで、ストレスが溜まっていた。心配したピーテルが二人を中庭に誘って、少し肌寒い中で軽くワインとチーズを楽しむことにしたのである。


「ピーテル君は本当に気が効くわ・・・よかったね。マルガレータ」

「なるほど・・・多少はエッシャー先生の気が利かないところを気にしているのね?」

「ば、馬鹿いわないでよ・・・ヤンは・・・ヤンはあれで良いんだから・・・やさしいし・・・」

「患者さんに優しいのと自分に優しくしてくれるのはちょっと違うんじゃないかしら?」

「何をそんなに勝ち誇っているのよ・・・」


ピーテルは何も言えない。同い年の女性二人を前に、ホスト役になってワインを交互に注いでいるだけだった。気は利くが、物慣れない若者なのである。


勤務時間も終わり、三人が気づきもしないうちに、警備の騎士たちは招集され、大監獄に向かってしまった。庁舎内には極少数の警備と残業している者しかいない。もっとも、そうでなければ、この事件の被害者の数は一桁多くなっていただろう。


他に誰もいなかった中庭に、急に数名の護国騎士団の制服を着た者たちが現れた。三人とも気づかなかったが、彼らは本部庁舎の屋根の上から飛び降りてきたのである。


「マルガレータ・バレンツ主任研究員ですね?」

「は、はい。そうですが・・・」


サスキアはおかしなことに気づいた。マルガレータはもはや護国騎士団でも有名人である。騎士団員にとっては、主任主計官ピーテル・ブルーナの婚約者であり、中央医局の職員にとっては、カリスに認められ過去に例のない研究助手からの主任研究員への出世を遂げた、吸血鬼治療チームのリーダとして、知らぬ者はいない人物なのだ。保安兵団の兵員にしても、マルガレータを知らないと言うことはありえない。


「マルガレータッ!下がってっ!」


叫んだのはサスキアではない。ピーテルだった。その声に反応したのもマルガレータではなくサスキアであった。サスキアはマルガレータの腕を引っ張って、すばやくピーテルの後ろに下がった。マルガレータはまだ状況を把握できていない。


「ほう・・・うわさの天才研究員がこんな青臭い小娘だと思ったら、それを守るナイト様もこんなお子様とはね・・・」


嗜虐的な笑みを浮かべたのはイエケリーヌだった。その目がサスキアを捉え、険しくなる。


「ふんっ!あのときの小娘まで・・・その二人を連れて行けっ!」


後半は自分の背後にいた不死鬼たちへの命令である。だが、不死鬼たちは二人に近づくことができなかった。ピーテルが剣を構えている。もちろん、不死鬼にとってみれば、こんな小柄でどう見ても武術の素養のない男を恐れる必要はない。ただ、その目には気迫がこもっていたので、一瞬狼狽とは言わないものの、ためらいが出ただけである。


「へぇ・・・かわいい娘二人の前で格好をつけたいのかい?どれだけがんばれる試してあげよう」


イエケリーヌがフレイルを構えた。


「うわぁぁぁぁっ!」


悲鳴に近い叫び声を上げながらピーテルは体ごと剣を突き出して突っ込んだ。しかし、ピーテルの剣技は護国騎士団の中でも一、二を争う弱さである。一人の兵士としては半人前以下なのだ。


イエケリーヌのフレイルがうなり、ピーテルの左の脛を強く打った。ピーテルは前のめりに転倒する。一撃で左足の骨は砕けた。


「ピーテルっ!」


悲鳴を上げたマルガレータとそれを支えていたサスキアはすでに不死鬼たちに両腕を捕まれ、イエケリーヌの後ろに引っ張られていた。


「あら、せっかく格好つけたのにこけちゃったわね」


サディスティックな笑みを浮かべながらフレイルを頭上で回す。その直後にイエケリーヌは意外そうな顔をした。


「へえ、頑張るじゃない・・・」


ピーテルは剣を杖にして立ち上がり、激痛に耐えながら、再び剣を構えた。左足は完全に折れている。右足のみで体重を支えながら戦う意思は目から消えない。


再びイエケリーヌのフレイルが唸る。


「うっ!」


今度は右腕を直撃した。さらにイエケリーヌはフレイルを振るい続ける。


「どこまで頑張れるかしら?」

「マルガレータとサスキアさんをはなせっ!」

「なかなか根性あるじゃない・・・でも、しつこい男は嫌われちゃうわよ」

「ピーテルっ!もういいっ!もういいからっ!やめてーっ!!」


あきらめないピーテルの声と、イエケリーヌの嘲笑と、半狂乱のマルガレータの悲鳴が交錯する。すでにピーテルは両腕両足を破壊されていた。立ち上がれない状態になっても、ひざ立ちになり、折れた腕で剣握り、すがり付くようにイエケリーヌに近づこうとした。


「マルガレータっ!」

「ふんっ!」


無情の一撃がピーテルの剣を砕く。すでにピーテルは瀕死の状態だった。それでも、戦う意思は失っていなかった。折れた剣をひざ立ちのままイエケリーヌに向けて突き出そうとする。


「イエケリーヌ様・・・護国騎士団が戻ってきました。そろそろ引き上げませんと・・・」


いつの間にかいなくなっていた不死鬼の一人が戻ってきてそう口にした。


「そう・・・ここまでみたいよ。ピーテル君。よく頑張ったわ。あなた」


再びフレイルが唸る。


「やめてぇぇぇっ!」


マルガレータの悲鳴が響き渡った時、ピーテルは護国騎士団本部の中庭に横たわっていた。両腕両足は折れ、最後の一撃はアバラを砕いていた。それでも、まっすぐに伸ばすことも出来ない腕は、折られた剣を離さず、下げられることはなかった。

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