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不死騎  作者: 槙原勇一郎
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枢機卿

マウリッツ・スタンジェとカスペル・ファン・ハルスの奇妙な二人連れは旧辺境伯領を出たところで、馬に乗り換えた。辺境伯領内では有人の村に立ち寄ることを避けたのである。騾馬と馬車を売り、最低限の荷物だけを持って、馬購入した。マウリッツは十分な路銀を持っていたし、カスペルもなんだかんだで良家の師弟であるから手元不如意になることなどはない。


カスペルはマウリッツよりも遥かに優秀な騎手であったが、その代わりお世辞にも駿馬とは言いがたい馬に乗っているため、それほどのスピードアップにはつながらなかった。二人は徒歩よりわずかに早いと言う程度の時間をかけて、どうにか王都アキテーヌに辿り着いたのである。すでに夕方であったため、近隣でも名高いフリップ王国の宮殿に行くのは翌日のこととした。久々にまともな宿のベッドで眠ることにしたのである。


「スタンジェ先生はこの国の国王陛下に面識がおありなんですよね?」

「ああ、確かに。でも十年以上も前の話だ」

「と言っても、先生が命の恩人なのでしょう?」

「意外と医者の顔など覚えてはいないものだよ」


そんなもんかと思いながらベッドに腰掛けたカスペルは相変わらずメスを片手に、糸の通された筒を弄繰り回している。それでも、以前よりは難しい問題に挑戦しているのだが、ヤンやマウリッツがこの方法で特訓していたころに比べると、上達の速度は遅い。


「さて、カスペル君。私は少し外に出てくる。酒場にでも行って情報収集をしてくるよ」

「あ、私も・・・」

「おいおい、酒場に行くといったろう?この国では十八を超えないとアルコールを呑んではいけない決まりがあるんだ。特にこのアキテーヌではね。酒場には入れてくれないさ」

「ちぇっ・・・」


不本意そうな顔をしながら、またメスと筒をいじり始めた。


マウリッツはアキテーヌの街には今回で三度目である。十年以上前にスペルファ熱の治療法を確立したマウリッツは、すぐにヨルパ大陸西部を一通り旅した。一つは各地の医術を学んで、それをカイパー派の医術に取り入れるため、もう一つはスペルファ熱の治療法を各地に伝導することが目的で、その足跡は病が流行した地域を網羅している。その行き返りにフリップ王国を通過し、途中でたまたま遊学から帰る途中にスペルファ熱に掛かった当時は王太子のシャルル・ド・フリップと出会い、治療をしたのである。


言葉にも不自由はない。ルワーズ語は元々フリップ語から生まれたもので、数百年の歴史の中で訛りが生じたという程度のものではあるのだが、マウリッツの場合は発音がフリップ人にも外国人と気づかれないだけに洗練されていた。これはカスペルも同じで、ヨルパ大陸西部では上流階級の共通語がフリップ語であるので、子供のころから教え込まれている。まして、ファン・ハルス家はフリップ王国との国境沿いに自治領を持っているのだから尚更であった。


マウリッツは十年以上前に立ち寄ったことのある居酒屋を探したが、さすがに残ってはいなかった。斜向かいの新しく出来たらしい店に入る。店の中は大入りであった。夕食はすでに済ませてあるので、ルワーズのものよりも遥かに名高いワインとつまみ程度にチーズを注文する。


情報収集といいながら、マウリッツは別に現地の人々に話しかけようと言うつもりではなかった。面と向かって外国人や旅人と話すことになれば、誰もが話の内容に気を使う。一人で飲みながら、周囲の会話に聞き耳を立てる方がベターであった。


「ラウラとの国境沿いではまた群盗がでたらしいぜ」

「ロシュフォール卿がまた新しい女を作ったらしい・・・今度は何とびっくり、大修道院のあの四重過ぎの院長だって言うんだから驚きだ・・・」


だいたいはくだらない話か関係のない話ばかりだった。それでも、マウリッツはあきらめずに、ワインをおかわりして話を聞き続ける。実を言えばマウリッツは下戸ではないが、あまり酒は強くない。カリスもマウリッツと一緒にいるときはそれほど呑まなかった。別に猫を被っていたわけでもなく、マウリッツがフリップ王国に渡ってから、不安な気持ちをごまかすために呑んでいるのである。その証拠に仕事をしている間はしゃきっとしているが、やることがなくなると、マルガレータあたりを巻き込んでからみ酒を始めるのだ。


「ルワーズとの国境付近の方だがよ、どうも国王陛下と宰相閣下はどうにかしたいと思っているのに、他の奴が出兵に反対していて、何も出来ないんだとよ。おかしな話だよなぁ。国王陛下と宰相がどうにかしたいと思っているのに・・・大きな声では言えねえけど」


言葉とは裏腹に、大声で話しているすっかり出来上がった男の声にマウリッツは反応した。フリップ王国では近年活版印刷の技術が普及し、新聞が発行されるようになった。この男はどうやらその記者らしい。記事のネタを酔って大声で話しているのだからたいした記者でもないだろう。


「反対しているってのは誰なんだい?」

「我らがベルルスコーニ枢機卿さ。悪魔の使いである吸血鬼が跋扈する地域に王国の軍を派遣するなど無意味だと言うんだ。もう、住民はとっくにやられちまっているだろうってね。悪魔に魅入られた土地に出かけるなとか言ったらしいぜ」

「へえ、うわさじゃルワーズの方じゃ吸血鬼は呪いとかじゃなく、病気ってことになっていて、治療法まで研究している医者がいるって聞いたけどな・・・」

「ああ、そういう話が出ているから、枢機卿も必死なんだろうさ。ルワーズの方じゃ十年前の件ですっかり教会の力が弱くなっているらしいからな」


マウリッツは舌打ちこらえた。十年前のルワーズ公国で起こっていたこととまったく同じ話である。それも登場人物まで同じなのだ。現在のフリップ王国の枢機卿ジュリオ・ベルルスコーニは十年前はルワーズ教区の大司教であった。ルワーズで権威を失った後、一度ラウラの聖地に戻り、そこで法王からフリップ王国内の全教区を管轄する枢機卿としてアキテーヌに赴任したのである。十年前のことでもベルルスコーニは懲りていないらしい。


だが、逆に言えば国王と宰相が吸血鬼退治に前向きなのなら、十年前にカイパー博士が行ったのと同様、マウリッツの口舌によって、ベルルスコーニをやり込めてしまえばいいと言う話になる。マウリッツは別に無神論者というわけではないが、医師である以上は神の論理よりもこの世の理屈を優先する。何よりも、神の使いであるはずの聖職者が世俗的な野心をあらわにしているのを見るのは心地のいいものではない。容赦するつもりは一切なかった。


とりあえず、貴重な情報が手に入ったので、マウリッツは宿に帰ることにした。問題は明日、どうやって国王に謁見するかである。ルワーズとフリップは別に敵国になっているわけではないが、ルワーズ公国の中央医局長と言う肩書きで国王に謁見を申し込むのは少々無理がある。と言って、フリップ王国の宮廷に知己がいるわけでもない。


「とりあえずはあたって砕けろか。だめならそのあとで考えよう・・・」





「やっぱりだめでしたね・・・どうします?」


カスペルは少々イライラしていた。身分が高い者や低い者でも権威を傘に来て横柄な態度を取る連中が嫌いなのである。自分自身、ケテル村にあっては、自治領主の弟と言う身分で、その権威を持つ側であるのだが。


「まあ、いきなり行って会わせてくれで会えるような相手ではありませんからね。謁見の便宜をはかってくれそうな知り合いはいませんが・・・とりあえず、思いつくことをやってみますか・・・」


マウリッツ・スタンジェの名前はヨルパ大陸西側では医療関係者には有名である。十数年前に猛威を振るったスペルファ熱の治療法を確立した人物としてであって、カイパー派自体の知名度はそれほどでもない。ヨアヒム・カイパー博士も知る人ぞ知ると言う程度で、学会で研究成果を発表することを嫌う博士は見た目どおり、単に汚い自称医師の爺さんと言う評価しか受けてないのである。ルワーズ公国における伝染性吸血病の病理解明と言う功績も、教会勢力の情報操作によってあまり知られていない。国際的にはマウリッツの知名度は師を遥かに上回るのだった。


「この国には公国中央医局のような国営の医療機関はないんだが、国王の侍医はいるだろうからその辺を当たってみよう。この街で一番大きな診療所とか有名な医者を聞いて、その人に頼んでみるのがいいかな」

「なるほど。スタンジェ先生は医学の世界では有名ですものね」

「ヤンは今回は医学以外でも有名になるだろうな」

「まあ、有名になったからって、何が変わるってことでもないでしょうけど」

「そのとおり。有名になろうが武勲を立てようが、あいつは田舎に引っ込んで診療所の医者で一生を終わりたいと考えるだろう。私だってそうなんだがね」

「あれ?スタンジェ先生も田舎暮らしにあこがれているんですか?」

「田舎暮らしにというわけじゃないがね。できれば、医局長なんてご大層な身分を捨てて一町医者になりたいよ。さすがにそうも行かないところにまできてしまったがね」


実際のところ、マウリッツの場合は一町医者になることなど不可能だった。すべての肩書きを捨てて、辺境の田舎町で診療所を開こうとしたところで、医学会の権威たるマウリッツの下には医生の希望者だの、遠方への往診の希望者だの、専属の医師にと希望する大貴族だのが殺到してしまう。ある意味では公国中央医局長と言う役職についていることで、そうした『有名税』から逃れることが出来ているのだ。


「老後に夫婦でって感じの夢でいいんじゃないですか?」

「なるほど、それは悪くない案だ。カリスが賛成してくれればいいがね」


取り留めの会話をしながら、とりあえず、医者の看板を掲げている建物を探していたのだが、なかなか見つからない。アメルダムのように歩けばいくらでも医者がいると言うものではないらしい。


二人はやっと見つけた診療所で一時間ほど順番待ちをし、その医師に国王の侍医へ紹介してくれそうな医師はいないかと相談したが、返答は芳しいものではなかった。


「今の国王陛下はまだ若くて健康だから侍医なんていませんね」


ルワーズでは考えられないことで、別に健康だったとしても侍医が常に体調に気遣うのが普通である。医療技術というよりも医療に対する関心や認識の深さがそもそも違うらしい。これでは、医学会での名声を利用して謁見しようと言う作戦も実施不能になってしまう。


「陛下にお会いしたいと言っても難しいですよ。特に外国の方は。いかに医学会において国際的な名声をお持ちのスタンジェ先生でもです」


この医師もマウリッツのことを知っていた。どうやら、マウリッツのことを尊敬しているようで、いろいろと親切にしてはくれたが、謁見についてはどうしても難しいとのことであった。


「しかたありません。今日はもう宿に帰りましょう」


二人はとぼとぼと宿に向かって帰る道を歩き始めた。だが、道のりの半分も歩かないうちに急に目的地を変えることになる。二人はまったく会話をしていないが、すっかり気心が知れていた。言葉などなくても、お互いの考えが良くわかったと見えて、マウリッツはカスペルの進む方向に自然についていった。


あえて人気のない路地裏に入り込む。気づくと行き止まりであった。


「さて、どこのどなた様ですか?病人を見てほしいと言う感じじゃなさそうですね」


相変わらずマウリッツのこういうときの言い草はのんきだった。しかし、今回は相手は素人ではない。


「・・・・・・」


何も言わず、目の前に現れた男は短剣を抜いて構えた。マウリッツは武術には詳しくないが、少なくとも素人には見えない。


「先生、下がっていてください・・・」

「大丈夫かい?こっちは素手、相手は素人ではなさそうだが・・・」


カスペルの声はわずかに緊張でかすれていた。


「まあ、やるだけやってみます。怪我したらちゃんと治療してくださいね」

「お互い生きていればの話ですが・・・」


カスペルもマウリッツも危機に際して真剣に会話をしているのだが、周りにはそう聞こえないのがこのコンビのようだった。


男は短剣を振り回したりはせず、無駄のない動きで突きをカスペルに向けて放った。カスペルはこれを間一髪で交わすが、さらに横なぎの一撃がわき腹を狙って放たれる。続く攻撃もどうにかかわし続けているが、防戦一方で追い詰められていくばかりであった。カスペルはヤンから槍術だけでなく、体術の指導も受けており、こちらもかなりの腕前ではあるのだが、男の剣技はその辺の素人や腕自慢程度のものではない。


カスペルは敵の攻撃を間一髪でかわしながら、対処法を考えた。このままでは先にこちらが疲れて、動きが鈍くなる。そうなれば、これほどの攻撃をかわし続けることは不可能だった。


武器になりそうなものもない。懐に入って格闘でしとめる隙もない。


『万事休すか・・・いや・・・!』


カスペルは騎士や武将になることを目指しているわけではない。ルワーズ公国の貴族であれば、教養の一つとして剣技を修めるのが普通であるが、カスペルはそれもしなかった。武術などヤンに教えられるまではまったく興味を示してなかったのだ。それが、思わぬ才能を発見することにつながったのは、医学と武術の関係性に気づいたからである。


武術とは突き詰めれば、人間の体に関する学問に行きつく。人間の体はどう動くのか、どう動かないのか、どうすれば動かなくなるのか、それはベクトルは違えど医学と同じ領域の知識を必要とするものである。


このときのカスペルのひらめきもまさしくそうした、医学と武術の重なる領域から出てきたものである。


カスペルは男の横なぎの一撃を仰け反って交わした瞬間、バランスを崩した。ただし、巧妙な演技である。次の瞬間男は一瞬で短剣を逆手に持ち替えて、カスペルの喉元をめがけて、振り下ろした。


「か、カスペル君っ!」


マウリッツはカスペルを連れて来たことを後悔した。道中、何度か彼の武術の冴えを目にして安心してしまっていたのだ。こんなことで、若者を死に追いやってしまうなんて・・・


マウリッツは短剣が振り下ろされた瞬間、目をつぶってしまっていた。だから、それを開ける一瞬後までは何が起こったのか、まったく気づいていなかった。


「あ、あれ?」


目を開けると、倒れているのは男の方だった。カスペルは腕から血を出しているが大した量ではない。


「いやあ、あぶなかった。こんな戦い方は二度としたくないですよ。思ったよりざっくりいっちゃって・・・先生・・・手当てしてもらえます?」


カスペルの服の右の袖は肘の辺りで引き裂かれ、傷もその辺りにある。男はカスペルの左手

の拳で喉元を打たれて昏倒したようであった。と言うのも、カスペルは固まったように、左手を突き出したままの姿勢でまだいたからだ。


「いったいどうやって・・・?」

「ああ、見てなかったんですか?この男が短剣を逆手に持って振り下ろして来たときに、右腕を出してそれを受けたんです。うまい事、肘の辺りの腱に引っかかってくれて、捻って短剣を絡め取ったんです。ほら、そこに転がっている。やっぱり、ちょっと痛かったな・・・腱とか神経は損傷していないと思うんですけど・・・」


マウリッツは急いでカスペルの患部を見て、神経に損傷がないかどうかの簡単な検査も行った。


「大丈夫だ。いやあ、大したものだが、これはさすがに大博打だ。一歩間違えたら一生右腕が使い物にならないところだったぞ・・・」

「死んでしまったらどうせ使い物になりませんよ」

「そりゃそうだが・・・」


なんという度胸か。こんなところまで、ヤン・エッシャー似の弟子とは。医術の腕はまだまだと言っても、十七才の若者である。外科の器用さでは、マウリッツやヤンは大陸でも五指に入ることは間違いないから、そもそも比較の対象にならない。カスペルは十分に医師としての素養を持ち合わせながら、これだけの格闘術と胆力を備えている。若いころのヤンそっくりであった。


「うむ、しかし、ちょっとラッキーだったかな・・・少なくともこれで、役人と話ができる。すぐにシャルル陛下まで辿り着くことは出来なくとも、多少は宮廷の中枢に近づけるというわけだ」

「いったい誰の差し金でしょう・・・」

「国境地域なら不死鬼軍の連中とかが考えられるが、ここはアキテーヌだ。が、心当たりはあるよ」

「誰です?」

「枢機卿ジュリオ・ベルルスコーニ猊下さ」

「ベルルスコーニって・・・確か十年前までルワーズの大司教じゃ・・・」

「ほう、若いのに良く知っているね。そのとおり、吸血鬼掃討戦の前は悪魔の仕業だだの、天罰だなど口走って、聖水だの聖餅だのを売りさばいてずいぶんと懐をあっためていた大実業家だな」


辛らつなせりふを吐くマウリッツは心底ベルルスコーニを軽蔑していた。神の使いたるものが刺客を使って、都合の悪い者を殺害しようとするなど言語道断である。


「カイパー博士にやり込められて、一度ラウラに戻った後、この国の枢機卿になったらしい。街で見かけたかなんかして、やばいと思ったんだろう。さて、少し待っていてくれ、役人を呼んでくる。男が気づきそうになったら、うまい事昏倒させておいてくれるね?」

「ええ、生かすも殺すもどうとでもなります。こうなってしまえば」


物騒な会話をのんきな口調で交わしてから、マウリッツは急いで役人を呼びに行った。





「なぜ、この人たちを襲った?」

「・・・」


憲兵の質問に男は何も言わない。だんまりを決め込んだようであった。


ルワーズ公国であれば、こうした犯罪の捜査は保安兵団が担うことになる。保安兵団は軍組織で、実際に戦争になれば兵士を供給することになるが、平時は全領土を統括する司法組織である。伝統を重んじるフリップ王国の場合も、似たような組織として、元々軍隊内の秩序を維持する目的で結成された憲兵隊が平時は都市部の治安維持の任務を負っている。


憲兵は極めて謹厳実直でまじめな男であった。フリップ王国にあまりいい印象を持っていないカスペルは、賄賂を要求してきたり横柄な態度を取るのではないかと想像していたのだが、そうしたことは一切しなかった。


「ふぅーむ・・・何も言うつもりはないか・・・マウリッツ・スタンジェ先生でしたな。なにやら、有名なお医者様とのことですが、お心当たりはございますか?」


外国人であるマウリッツに対しても丁寧な口調を使う。


「心当たりならございますし、それがあたっていれば、こうして彼がしゃべらない理由もわかります。しかし、それをあなたが知ってしまっては、あなた自身に大きなご迷惑をおかけすることになるかもしれない。つまり、この国で大きな権力を持っている人物の差し金である可能性が一番高いです」

「なるほど、お気遣いいただいてありがとうございます。しかし、私も別にこの先大した出世を期待しているわけではありませんし、こういうやり口をする人物なら人生を掛けてでも逮捕してやりたいと思うたちでしてね」


マウリッツもカスペルも知らないが、この男はどうもピーター・レイン捜査官と気が会いそうであった。犯罪捜査を行うものは、長く続ける中でこうした正義感を自分の中に育むものらしい。ピーター・レインなどは大貴族の若様の犯罪を暴きだし、危うく殺されかけたことがあるくらいなのだ。


「なるほど・・・では、申し上げます。彼のバックにいるのは枢機卿ジュリオ・ベルルスコーニ猊下でしょう」

「!」


驚いたのは、憲兵ではなくだんまりを決め込んでいた男の方だった。詳しい事情を知っているわけではないだろうが、雇い主が誰かぐらいはわかっていたようで、それを簡単に見破られたことに驚いたのだ。


「アキテーヌには過去二回ほど訪れたことがありますが、短期間でしたし、人に恨みを買うようなことをした覚えはありません。しかし、枢機卿猊下は過去にルワーズで大司教を勤められておりましたし、実を言えば多少の恨みを買っております」

「どのような?」

「この国では吸血鬼のことを呪術的な存在と捉えるのが一般的ですが、ルワーズでは十年前の戦後の騒動の際に、伝染性吸血病という病であることが立証されております。それは私と私の師によって解明されたことです。それにより、ルワーズ公国における教会の権威は失墜しました。もちろん、皆が信仰を捨てたわけではありませんが、教会が政治に口を出すなどと言うことはできなくなったわけです」

「ほう・・・逆恨みではありますが、猊下があなたを殺してやりたくなると言うのはありえる話ですね。まあ、確かに簡単には手に負えない相手ではありますが、他にもいろいろとやっておられる方でしてね、私もずっとどうにかしてやりたいと思っていたのですよ」


マウリッツはこの憲兵が気に入った。カスペルもである。フリップ王国では無人の村を転々としたり、不死鬼軍の一味と勘違いされて襲撃されたりとろくな目にあわなかったが、この男との出会いだけは幸運であったかもしれない。


「さて、私の野望はさておいて、スタンジェ先生はどうされたいですか?いや、それ以前にアキテーヌにはどのような御用で?」

「実は、シャルル陛下に謁見し、お話したいことがあるのです。と言っても、それほどのコネもありませんし、ぶらりと現れた外国人、それも外交官でもなんでもない、医者と会っていただくと言うのは難しいとはわかっているのですが・・・」

「ふむ・・・何かとても重大な話なのですね?枢機卿猊下に狙われることもわかっていながら、アキテーヌにいらっしゃったのは」

「そのとおりです」

「いいでしょう。枢機卿猊下を逮捕すると言うのは簡単ではありませんが、私が先生をシャルル陛下にお引き合わせしましょう」

「えっ!?」


そんなことを一憲兵が出来るはずもない。こういう権力にへつらわないタイプの男が、宮廷にコネがあるとも思われない。いったいどういうことか・・・


「とりあえず、今日は宿にお帰りください。明日の夕方お迎えにあがります。明日は非番でしてね」


なんだかよくわからないが、他に伝手があるわけでもないので、この憲兵を信用することにした。





翌日、宿に迎えに現れた憲兵に連れられ、マウリッツとカスペルはとある料理屋に向かった。非番だと言うことで私服で現れた憲兵を見て、マウリッツは何かが脳裏に引っかかった。勤務中はチェインメイルを着込み、ツバのついた兜をかぶっているので、顔立ちはあまりわからなかったが、私服になるとどこかで見た記憶がある。


「失礼ですが、先日憲兵事務所で以外にもどこかでお会いしたことはないでしょうか?」

「はは。お気づきでしたか。憲兵事務所にいらっしゃる前の日に、居酒屋で先生を見かけましたよ」

「あっ!あの新聞記者・・・」

「ええ。まあ、どこの司法組織もそうだとは思いますが、居酒屋って言うのは情報の宝庫ですからね。犯罪捜査を担当するものは、身分を偽ってああいう店で張り込むものです」


マウリッツの頭の中で警告がなり始める。憲兵が情報収集のために居酒屋に行くと言うのなら、マウリッツ同様、静かに酒を飲んで、周りの話に聞き耳を立てているはずだが、この男は大きな声でベルルスコーニを批判していた。仕事としてやっていると言うなら、ベルルスコーニへの批判に同調した者を監視して、弾圧すると言うようなことも考えられる。


「はは、警戒しておられるようですね」


憲兵も勘がいい。いや、初めからわかって言っている可能性もある。カスペルにはそこまではわからない。初めて訪れた町なので、周囲をきょろきょろしながら好奇心旺盛に憲兵にいろいろと物を尋ねている。


「まあ、先生のお疑いが杞憂であると言うことは、このお店に入ればわかっていただけると思いますよ」


そんなことを言われても、マウリッツは安心できない。


「はあ・・・」


生返事をしながら、店に入る。店の店主は妙に恐縮した体で憲兵に対応した。憲兵の割には物腰の柔らかく、態度も横柄ではない男に何故これほどまで丁寧な対応をするのかわからない。疑念が晴れないマウリッツは、ついネガティブな想像をしてしまう。


『この男、まじめで謙虚そうに見えて、実は食わせ者なのではないのか・・・影で賄賂を取ったり、都合の悪い者を弾圧したり、あくどい事をして私服を肥やしているのではないか・・・あるいは枢機卿の手先であるとか・・・』


マウリッツ・スタンジェという男はヤン・エッシャー同様、間違いなくルワーズ公国を代表する頭脳を持つ男である。ヤンのように軍略や武術に長けているわけではないが、医術だけでなく、工学や政治学の知識も持ち、多彩な才能を持つと言うことでも共通する。


ただし、ヤンは好奇心と楽天的で自由な発想がその英知の基礎となっているのに対し、マウリッツの場合はそれとは逆に慎重さとそして悲観的な疑い深さが知恵の源泉となっている。決して性格の悪い男でもないし、悪い印象を与えることは少ないのだが、それは、彼が用心をして、そうしたネガティブな部分を表情や発言にはでないように意識しているからに過ぎない。一方で、疑いを抱いたとしても、それでも、信用に値する相手だとわかったときには、疑念を捨てることには躊躇がなく、思い切りの良さでもヤンといい勝負ではあった。


腫れ物に触るような態度の店主に案内され、一番奥の個室に通されると、そこには先客がいた。フードを目深にかぶり、顔を見せないようにしている、雰囲気からすれば若い男のようであった。


席についてからも、しばらく誰もしゃべらない。一度引っ込んだ店主が、店で一番のものだと言うワインを注いで周り、カスペルには変わりに果物の果汁を出して下がってから、初めてフードの男が口を開いた。


「お会いできてうれしい。スタンジェ先生、この十年以上あなたへの感謝を忘れたことはありません」


そういいながらフードを下ろした。


「シャルル殿・・・いえ・・・陛下・・・」


そこにいたのは、フリップ王国国王シャルル・ド・フリップその人であった。


「ルワーズ国公のジェローン殿とは違い、王国の宮廷はいたって堅苦しいところで、抜け出してくるのも一苦労です。ジュール・ド・エッフェルの手引きがなければ、こうして街に出てくることは難しいので、彼があなたと出会えたことは神の恩寵と言えるでしょう」

「!」


ジュール・ド・エッフェルとはこの国の宰相の地位にある男である。


「ああ、ご存じなかったのですね。あなたを案内してきたその男が、宰相ジュール・ド・エッフェルです」

「無礼はお許しください。名乗ることができなかった事情をご察しいただければ・・・」

「なぜ・・・あのような・・・」


宰相と言う地位にある者が、新聞記者のふりをして、街の酒場で飲み騒いだり、憲兵として犯罪者の取調べをしていると言うのはどういうことか。ここは開明派の優勢なルワーズ公国ではなく、伝統と格式を重んじるフリップ王国なのである。考えられることではなかった。


「酒場で私がわめいていたとおりです。私も宰相とはいえ、この国では十分に実権を握っているわけではありません。政敵の悪口を口にしてみて、回りの反応をうかがったり、時として、賛意を示した人物を見方に引き込んだりします。憲兵としてお話したことも同じ。ベルルスコーニ枢機卿は宗教的権威を振りかざして、政治的な影響力も奮っております。他にも聖職者らしからぬ世俗的野心から、いろいろな悪さをしているのですが、情けないことにどうにも対応できていません。何か力になってくれそうな方を探すためにもああしたことをしているのです」


自嘲気味な言葉を人の悪い笑みを浮かべて言う。器用なことだった。


「それは・・・驚きました。それでは、私が陛下と閣下のお役に立てるという判断で、こうしたお取り計らいをしていただけたのですね?」


マウリッツは疑い深い人物だが、一度状況がはっきりとすると、そこからの頭の回転はヤン以上である。今はこの状況を最大限に利用するのがいいに決まっていた。意外なきっかけから、直接国王を話す機会を得られたのである。先方の期待するものをこちらが用意できれば、確実に力になってくれるに違いない。


「まずは、とにかく命の恩人であるあなたにお会いしたかった。もちろん、あなたの方でも私に用があることは承知しておりますし、こちらにもお願いしたいことはあります。ですが、とりあえずは、再会を祝して乾杯といきましょう。さ、そちらのお若い方も・・・残念ながらお酒はお店に迷惑が掛かるので果汁になってしまいますが・・・」


四人は乾杯し、憲兵・・・宰相ジュール・ド・エッフェルが呼び鈴を鳴らすと、料理が運び込まれてきた。フリップ王国の風習としては、こういう場の料理は前菜から始まり、デザートが出てくるまで、一枚ずつ皿が出てきては下げられ、頻繁に給仕が行き来することになるのだが、この日はゆっくりと話をするために、すべての皿がいっぺんに運び込まれてきた。庶民が宴会をするときの形である。格式ばった風習の多いフリップ王国の第一人者は、実はジェローンと同様に堅苦しいことが嫌いで、庶民の生活に憧れを抱いているようであった。


食事をしながら、エッフェル卿が話を始める。


「お恥ずかしい話なのですが、居酒屋で私が話したことは全て真実。陛下と私は国境地域の状況をどうにかしたいとは考えているのですが、枢機卿の宗教的権威の前に騎士たちも及び腰なのです。呪われた地に出向く気にはなれないと・・・」

「なるほど・・・しかし、枢機卿は大司教時代に同じ状況で、我が師ヨアヒム・カイパーに目の前で吸血鬼が病であることを立証され、ルワーズにおける宗教的権威を失っております」

「はい。ですので、今度はあなたにフリップの宮廷において同じことをしていただきたいのです」

「ふむ・・・」


マウリッツはあごに手を当てて考えた。これは、願ったり適ったりの申し出ではあるのだが、相手は外国の支配者である。あまりに都合のよすぎる展開には警戒せねばならない。


「スタンジェ先生、私は先生にお命を助けていただいた後も、あなたの動きをずっと見ておりました。傀儡の王ではありますが、政治権力はふるえなくとも、情報を得る方法を持つことは可能ですので。スタンジェ先生は単にルワーズ王国のために、吸血鬼と戦っておられるわけではないでしょう?カイパー派の考えはもっと広い視野に立ったものである筈」


これはシャルルの言葉である。なるほど、傀儡の王と言いながらなかなかの洞察力である。マウリッツはもちろん、ルワーズ公国で公職にあり、国のために働いているが、行動の原理はあくまで医師としてのもので、両国の国境地域の住民たちを助けたかった。血液を過剰に採取されて弱った上に、風邪で子供が亡くなったという村人の話はあまりにもひどい。


「しかし、国王陛下は逆にこの国に対して責任をお持ちのはず。国境地域の国民を守るためと言うのはわかるとしても、一方で、ルワーズ公国で公職にある私が出張ることには問題はないですか?」

「実は・・・今回の吸血鬼の件だけでなく、ルワーズ公国との関係についても、枢機卿と対立している点があるのです」

「ほう・・・」


シャルルの言葉を続けるのはエッフェルだった。


「すでに、私たちとしては、ルワーズ公国との臣従関係を白紙にしたいと考えています。この十年でルワーズ公国は自身の力で大きく発展を遂げました。いまさら、フリップ王国の枠組みのなかに取り込んでも、せっかく発展したものを衰退させるだけでしょう。税率もぐっと安い。フリップ王国の他の地域にあわせて、高率で搾り取れば、自由の気風の強いルワーズでは反乱が起こるでしょうし、ルワーズだけに特例を認めれば、他の地域から不満の声があがります」

「それはそうですが・・・」

「さらに、そもそもフリップ王国がルワーズ公爵位に固執していたのは、ルワーズ公爵がフリップ王国の王室に近しい存在とされるからです。インテグラ王国がフリップ王位の継承権を主張する大義名分となる点に問題があり、歴代の王と宰相は戦争をしてでも、ルワーズ公の位を王室の中に収めようとしてきました。ですが、独立したルワーズ公国が成立した以上、そこにこだわる必要はありません。むしろ、対等の条件で修好を深め、ルワーズで育った優れた社会制度や技術をフリップに取り込んでいく方がはるかに意味のあることです」

「スタンジェ先生、私たちとしては、これを機会にというのは、国境地帯の惨状を考えるとはばかれますが、被害が出てしまった以上、単に目の前の問題を解決するだけでなく、フリップ、ルワーズ両国にとって、良い変化をもたらすきっかけにしたいと考えています。ルワーズ側では、文武の最高幹部人事が刷新されたとか」


マウリッツはアメルダムを出て以来一ヶ月ほどは、宮廷中枢から離れていたので、そうした話は知らない。フリップ宮廷では先に話していたとおり、国王直属の情報機関がそのことをもたらしたのだろう。


「ほほう、いえ、私は一月ほど前にアメルダムを出てきましたので聞いていないのですが・・・」

「公国の至宝と言われるファン・バステン夫妻が文武の頂点に上がられるとか。ウィレム・ファン・バステン将軍が元帥に昇進され、不死鬼軍事件の解決後という留保付きですが、シルヴィア・ファン・バステン殿が国務卿に就任されることが決まったそうです」

「そうですかっ!いや、ファン・バステン将軍は私の親友ですし、ご婦人とも親しくさせていただいておりますので。なるほど・・・」

「フリップ王国もそれにならい、古い体質を一新して不死鬼軍事件を解決したいと考えております」


これはわからなくもない。ここまで話していて、シャルル国王も、ジュール・ド・エッフェル宰相も実権のないお飾りと言われながら、なかなかの見識を持っていることはわかる。しかし、そうした決して無能とは思われない二人が、名目上の君主と最高政治責任者でありながら、実権を握れていないと言うことが、フリップ王国の病理なのだろう。


「つまり、まあ、わかる話ですが、そうしたルワーズ公国との柔和策に枢機卿は反対なわけですな。まあ、当然と言えば当然ですが・・・」


おそらく、大っぴらにはジュリオ・ベルルスコーニのルワーズ宮廷での失脚の話はフリップ王国には正確に伝わっていないのだろう。十年前の戦争後、フリップ王国はまず出兵で七割の兵を失った衝撃から、軍部が崩壊し、収拾の付かない状態であったし、程なくしてシャルルの父親である当時の国王が亡くなったため、ルワーズの内情などにかまってはいられなかったのである。後日、シャルル直属の情報機関がその辺の事情を探り当てたのだろう。


「で、私はどうすればいいのでしょうか?お二人に協力すれば、国境地帯の不幸な住民たちを解放できますし、ルワーズ公国に害をなす不死鬼軍を追い詰めることもできる。利害は一致しているとは思います。ただ、私はこの国では所詮外国の一医師でしかありません」

「はい。この国はルワーズ公国と違い宗教の権威は絶大です。正攻法では枢機卿を失脚させることはできない。十年前、カイパー博士がされたように、理屈と実証実験で枢機卿を言い負かしたとしても、それで、一気に形勢逆転とは行かないでしょう・・・」


苦虫を噛み潰した顔でジュールが言う。


「しかし、実は・・・逆転のチャンスがありまして・・・」

「ほほう・・・」

「ラウラより法王猊下がフリップにお見えになるのです」

「!」


法王とはラウラ国内にある聖地に住み、教会勢力の頂点にある聖職者である。あらゆる枢機卿や大司教、司教は法王の指名によって、任地に赴くことになっている。と言ってもそれは形式上の話で、教会内の様々な力関係によって、人事が決まっていると言うのが本当のところである。しかし・・・


「ベルルスコーニに明らかに教義に反する行為があれば、法王猊下はその場で彼を罷免、あるいは破門する権限をお持ちです。法王猊下の前で彼の非を鳴らすのです。それは、この国の政治権力を名目上握っている我々ではできません。教権の独立を侵すことになりますから」

「外国人の私にそれをせよということですか・・・しかし、明らかに教義に反する行為とはなんでしょうか?一応、吸血鬼を呪術的存在とすることは、教会の教義に反してはいないでしょう。他になにか明確な罪状はあるのでしょうか・・・」

「確信はありません。しかし、本当なら彼は確実に破門になることをしております」


シャルルが声を低めた。口にするのもはばかられることなのだ。


「不死鬼軍には相当数の医師たちがおります」

「それは間違いないでしょう。おそらくそのトップにいるのは、情けないながら私の元部下、ルワーズ公国中央医局にいたファン・クラッペと言う医師ですが、彼一人で不死鬼軍の行う医学的な処置を全て出来るはずがありません。アキテーヌに来る途中の村でも、医師が採血に立ち会っていると言う話は聞きました」

「その医師たちですが、ルワーズ公国の医師と言うことはありえませんね?」

「そうですね・・・ファン・クラッペはアメルダムでは嫌われ者でしたし、そもそも吸血鬼に関わる仕事と言うのはほとんどの医師は避けようとします。治療についてもそうですが、ましてそれを軍事利用する、しかも、反逆にとなると、ほとんどの医者は及び腰となるでしょう」

「そう、つまり、不死鬼軍の医師たちはフリップ王国の医師なのです。ところがここにもう一つの問題がでてきます」


シャルルの言葉続けたのはジュールである。


「この国の医師の大半は教会の修道士です。ルワーズ公国の医学院のような教育機関はありませんし、カイパー博士のような市井の名医と言うのはいないわけではないですが、極めて数は少ない」

「つまり・・・ベルルスコーニ枢機卿が不死鬼軍に協力して医師を供給していると・・・」

「はい。それをあなたに証明していただきたいのです。法王猊下がアキテーヌに到着する半月後までに・・・」


これは生半な話ではない。吸血鬼を悪魔の使いとする教会で高位にある者が、事もあろうにその吸血鬼を使って国家転覆をたくらむ輩に協力しているのだから、破門どころか異端審問に掛けられて、火あぶりにされてもおかしくない話なのである。それをマウリッツに証明せよと言うのだ。


「私はただの医者。多少工学や政治学もかじってはいますが、情報工作員でも捜査官でもありませんよ?」

「ですが、我々には先生しか頼る相手がおりません。調査をしていただけませんか?」

「・・・」


マウリッツは黙り込んだ・・・そもそも、昨日、刺客に襲われたりしているのだから、ベルルスコーニには、すでに自分は監視されている可能性もある。いや、間違いなく、こうして国王と宰相に接触したことも知られているはずだ。


「先生!やりましょう!」


カスペルがはじめてこの店に来てから発言した。


「カスペル君・・・」

「大丈夫です。こんなこと、エッシャー先生がされていることに比べれば大した危険もありませんよ」

「しかし・・・私はただの医者だ・・・」

「医者だからできることもあるんじゃないですか?」

「?」


カスペルと言う若者は明るく楽天的で、まだまだ子供くさいところもあるのだが、どういうわけがヤンに似て、訳知りであった。


「吸血鬼の手術痕です。死体でしたけど、国境地域で一体だけ見たじゃないですか?」


カスペルとマウリッツは国境地域を抜ける途中、道端で異臭を放っている死体を発見していた。それには腹部に傷があり縫合された痕もあったのだ。さらに吸血鬼であるにも関わらず、首筋などにドルテレヒト蝙蝠や吸血鬼が噛み付いた痕もなかった。マウリッツはその時点で、不死鬼軍が吸血鬼を作る方法をだいたい推測できていた。


「そうか・・・吸血鬼を一体捕獲し、その手術痕から執刀医を判別できれば・・・」

「手術の痕を見るだけで誰がやったかもわかるのですか?」

「医師の手術にはどうしてもそれぞれの癖と言うものがでます。他人のまねをしたところで、なかなか矯正はできません。その医師が、教会の修道士であれば・・・」

「まず、その医師が異端審問に掛かることになるでしょう。この国の修道士はベルルスコーニの権威に逆らうことはできませんが、教会の最高権力者たる法王猊下の前で嘘をつくことなど出来るはずもない・・・」


なるほど。それならマウリッツにできることではある。しかし、まだ問題はある。


「どうやって、吸血鬼か吸血鬼の死体を手に入れるかと言うことですが・・・」

「それは僕の仕事です。僕はエッシャー先生の代理としてスタンジェ先生に着いてきているんですから」


カスペルが胸を張って言う。


「今までお聞きもせずに失礼でしたが、このお若い方は・・・?」

「私の弟弟子、ヤン・エッシャーの医生です。武術の手ほどきもうけておりますが」

「ほほうっ!国境地帯で不死鬼軍相手に活躍しておられるヤン・ファン・バステン殿の!少し前にはたった二日で五千もの吸血鬼の軍を全滅させたと聞いております!」

「本当ですか?!」


カスペルはうれしそうに言う。


「本当です。あなたのお師匠はヨルパ大陸でも屈指の武将でしかも名医のようですな。そのお弟子さんとあらば・・・」


ジュールが期待をこめた眼でマウリッツを見た。


「ふう・・・今まで以上に危険な目にあいますよ?カスペル君・・・それでもやりますか?」

「エッシャー先生は一晩で五千もやっつけたんです。僕にだって一人ぐらいはどうにかできます」

「わかりました。私も同行します。吸血鬼の死体は腐りやすい。すぐに処置しなければ証拠にはできないでしょうから・・・」

「スタンジェ先生!お願いします!」


一国の国王と宰相が、医者に向かって頭を下げた。




マウリッツとカスペルは翌日、大忙しで準備を行い、再びアメルダムから国境地帯に旅立った。ジュリオ・ベルルスコーニは刺客を送って失敗したものの、これを聞き、マウリッツが身の危険を感じて逃げ去ったのだとたかをくくったようである。権力に目のくらんだ聖職者ほど、ありえるはずもない神の恩寵と言うものを信じたくなるようだった。

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