表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死騎  作者: 槙原勇一郎
22/34

ケテル村奪還

「マニュアルどおりの手はずでいけ!まずは不死鬼化剤だ!血液を大量に失っているから、体調のいい兵士から採血させてもらうんだ!牛血粉を飲ませていては間に合わない!直接動脈に注射しろっ!」


ヤンの鋭い指示が飛ぶ。ザーンに同行した医師たちはこうした状況に場慣れしていた。あわてることなく、指示を着実に実行する。


治療を受けているのは、第二部隊副隊長ヨハン・ノップラーである。出陣直前にジェラルドの支持を表明し、また、彼の一騎がけを許さず全軍突撃をかけた彼は今回の戦いの功労者であった。吸血鬼化を恐れ自殺を試みたところをジェラルドに止められ、ヤンの治療を受けていた。


「ノップラー副隊長!聞こえるな?」

「ええ・・・エッシャー先生・・・私は・・・どうなるのですか?」

「すでに不死鬼化には成功した。前例のあることだから心配はいらない。筋力異常発達の抑制は数日後から始める。君の場合は大量の血液を失っているから、それを補給してからの話になる。血管に直接健康な兵士から採血した血を入れたから、しばらく安静にしていれば大丈夫だ。心配するな!これまでどおりとはいかなくても、ちゃんと人間らしい生活ができる!」


患者にこうしたことを口にするときと、軍勢を目前に演説するときは普段の柔和な彼とは比べようもない迫力が言葉に込められる。抗いがたい力を持って発せられた言葉に、今までの場合と同様、ヨハン・ノップラーも奇妙な安心感を覚えた。



今一人、捕虜となった不死鬼軍の部隊長マージン・ぜーリックは護国騎士団ザーン支部の地下牢に幽閉され、ヤンの開発した筋力異常発達を抑制する「アンステロド」を注射されたうえで、経過を観察されることとなった。疲労困憊の彼に早速牛血粉を使った食事が提供されたが、ここにはサスキアはいない。味付けなど十分にはできず、また、ゼラチンを使った擬似食品など手間のかかる調理も不可能なので、ワインなどで牛血粉を煮込んだだけの『牛血粉のシチュー風』ぐらいしか用意できなかった。それでも、マージンはそれを平らげて、涙を流した。少しでも人間らしい食事が出来るようになるとは考えていなかったのである。




「ヤン、鬼神のごとき活躍を聞いているぞ。しかし、大丈夫か?」

「何がだい?」

「体の方だよ。もうずっと働きっぱなしだろ?」


ヤンのことを気遣っているのは、ジェラルドである。二人はケテル村にいる間に親友になった。ケテル村ではジェラルドにタメ口を聞けるのはヤンだけである。逆にジェラルドも雑な口調で話す相手はヤンぐらいのものだった。伝統的な格式を保つこの貴族にとって、ヤンは実に貴重な存在であったのだ。


「ああ、大丈夫だ。まだまだ働けるさ。今の私には無限に力が沸いて出てくる」

「ほう・・・」

「ずいぶんと照れずにサスキアさんのことを惚気るようになったのですね」


いやらしい笑みを浮かべながらシモンが口を挟んだ。


「!・・・シモン隊長?それはどう言う・・・」

「エッシャー先生はつい先日ご婚約されたのですよ。幼馴染のサスキアさんという女性とです」

「ほほうっ!いやあ、それはおめでとう。これでやっと妹も解放されたな・・・」

「カレンさんが?」

「本当にまったく気づいてないのですね・・・」


あきれたのはシモンであった。


「まったく、あれはちょっと我が妹ながら惨い仕打ちを受けるものだと思いましたよ。五年間も結構露骨なアプローチをされているのにまったく気づかないんですから。この先生は・・・」

「な・・・ジェラルド・・・いったい何のことを・・・?」

「本当にこういうことはエッシャー先生は鈍くらっしゃる・・・」


ジェラルドとシモン、ヤンにとってはすでに二人とも親友である。二人の親友は苦笑いしただけだった。


「ああ、そういえばファン・ハルス伯・・・」

「ジェラルドで結構」

「では、ジェラルドさん、妹さんは特別監察官のお仕事を終えた後も、アメルダムに留まるとおっしゃってました。ファン・バステン夫人が国務府か司法府に席を見つけるように根回しを始めてらっしゃいます」

「ほう、それはありがたい。ファン・バステン夫人にも良しなにお伝えいただきたい。いや、シモン隊長もしばらくはザーンですな」

「そうですね。妹さんはすでに護国騎士団本部内でも注目の的です。大変優秀な方ですし、何せ護国騎士団では女神とあがめられていたサスキアさんを、騎士団長代理自ら独占してしまった後なので」

「なるほど。妹も朴念仁への適わぬ恋から開放されれば、案外まともな結婚相手も見つけてくるかもしれませんね。何せ、こと色恋沙汰については思い込みの激しい娘でしてね」


心底ほっとしたような顔をした。何せ最愛の妹が自分の親友に適わぬ慕情を長く抱いていたのだ。兄としても気まずいことはこの上なかったのである。


「その妹さんから伺いました。お父上を伝染性吸血病で亡くされたことを・・・」

「ええ、しかし、ずいぶん妹の話にお詳しいですね」

「いえ、実は私も・・・縁者が伝染性吸血病で、それも不死鬼となり、どうやら不死鬼軍に参加している様子ですので・・・」

「なるほど、そんな話を聞かされては、情の深い妹は自分の身の上も話してしまうでしょう。そういう娘です。父のことは・・・兄弟の間でも滅多に話題にしませんが、貴方のその話を聞けば黙っていられなかったのでしょう。悪くない傾向です」

「何がですか?」

「どんな理由にせよ、異性のことが気になるようになれば、それがうまい具合に惹かれる要因になることはある!シモン隊長、是非頑張ってください」

「は、え、な、何をでしょう・・・」

「何せ妹は二十代の大事な時期の半分を、この朴念仁のために無駄に費やしたのですからね」


シモンといえどもジェラルドの話はわかりにくい。ジェラルドは父の話をあえてしたくないため、シモンとカレンの話をまぜっかえして、ジョークに紛らわせようとしたのだが、悪ふざけは得意でも、つい最近まで無骨でとっつきにくい武人肌だったシモンのユーモアセンスでは追いつかなかったらしい。


三人ともワインを片手に話している。ただし、蜂蜜を加えたものだ。夕刻の激戦で体力が落ちているので、糖分を補給しつつ、胃や肝臓への負担を軽減するためである。


事後処理を終えてレム・ファン・リートフェルトも席に加わった。ワインを片手に軍議を行うのは護国騎士団の流儀である。


「城の破損部分の修復は二、三日で終えることが出来るでしょう。並行して新しい仕掛けを用意いたします」

「ファン・リートフェルト隊長のアイデアは無限ですな。貴方がいる限りザーンは間違いなく難攻不落の要塞だ」


ジェラルドがそう褒めちぎった。公国一の篭城戦の名手は間違いなくレム・ファン・リートフェルトであろう。


「しかし、相手はフリップ王国国境地域から補給を受けられます。また、今回はケテル村からの出撃でしたが、ノールトにも相当数の吸血軍が駐屯していることがわかっています」


レムはノールトから民衆を誘導する際、吸血鬼の襲撃を撃退したあとも、偵察の者を後方に置き、無尽のノールトに数千吸血鬼が入城したのを確認していた。こうした芸の細かさもこの場で最年長の男の特徴である。


「そうですね。ケテル村かノールトのどちらかは早々に奪還せねばならない。実を言えば吸血鬼の軍隊は大軍になった方がこちらには御しやすい。制御しにくい吸血鬼ですから、その運用は至難の業です。今日もあの程度の揺さぶりで、動揺してなすすべもなく敗れていったわけですから」


ヤンは吸血鬼の軍隊などそれほど恐れてはいない。そもそも発想がナンセンスなのだ。理性のない兵士など扱いにくい上に、見た目ほどの戦力にはならない。虎や狼などの猛獣を調教して投入するほうがまだしも使いでのある話なのだ。恐れるべきは、不死鬼の集団である。体力絶倫でかつ思考を維持した不死鬼が集団となれば、それは間違いなく最強最悪の軍団となるに違いない。しかし、不死鬼軍といえどまだそれだけの数の不死鬼の兵員を用意することは難しいはずだった。


「明日、朝一で出陣します。ファン・リートフェルト隊長は城の守りを固めて修復を続けてください。私とシモン隊長、ジェラルドで行きます。兵員は今日の戦いでは負担の少なかった保安兵団と親衛隊を中心とした千人と第三部隊の五百で十分」

「え?で、どこに向けて・・・」

「ケテル村です。明日の正午につくように時間を調整します。イエケリーヌはケテル村方面に逃亡しましたが、おそらくそれが原因で、幹部の不死鬼たちには亀裂が走ることでしょう。今がチャンスです」

「しかし・・・兵員の方はともかく先生は・・・このタイミングで・・・」

「このタイミングだからこそです。ケテル村を奪回できれば、これからはノールトだけを考えればよくなります」


驚いているのはファン・リートフェルトでヤンを良く知るジェラルドとシモンは驚かなかった。ヤンの強さは積極果敢な決断にある。状況をリードし、敵に先んじるチャンスがあればそれを逃さないために多少強引なことは平気でやってのけるのである。その意味ではウィレム・ファン・バステンも同じであるのだが、ウィレム以上に決断のスピードは速い。


「まず、捕らえているマージン・ゼーリックに話を聞きましょう。彼からケテル村の陣容を知ることが出来るはずです」


そう言って、グラスのワインを飲み干した。全員がそれに倣う。




「調子はどうだい?」


筋力異常発達の抑制剤『アンステロド』を投与されて、数時間たったマージンは元気そうであった。すぐにははっきりとした効果は出ないはずだが・・・


「先生!聞いてくれよ。さっきのうまいシチュー、本当に久々に人間らしい食事だった」


それほどのものではない。かろうじて『料理』といえなくもないという程度であるのだが、それでも、人血をすする食事しか出来てなかったマージンにとってはご馳走だったのだ。改めて、マルガレータの発想の重大な意味を確認できた。


「それで、うれしっくてさ、手が震えて・・・ちょっとだけスープをこぼしたんだ。膝の上に・・・そしたら・・・少しだけど熱かったんだっ!日光で焼けようと、火傷をしようと、剣できりつけられても痛みを感じなかったのに・・・俺・・・少し人間に戻ったみたいでよ・・・」


マージンは泣いていた。もう、人間らしい生き方など不可能と諦めていたのだ。それがヤンの治療によりわずかではあるが、希望が見えてきたのである。


「そうか。痛覚の鈍化については、神経が破壊されて起こるものと考えていたから、アンステロドを注射しても治らないかも知れないと思っていた。違ったようだな。痛覚が刺激を伝達するのを抑制されるということか」

「ああ、難しいことは良くわからないけど・・・とにかく、先生・・・ありがとう・・・」


これほど真摯で深い感謝を受けることは、医者をしていてもそうそうはない。死なずにすんだという場合よりも、『人としての死を迎えられる』ことの方が人間にとっては重大なことなのかもしれなかった。


「焦らないことだ。前例となるのはロビー・マルダー氏だが、彼とは違って君は不死鬼になってから時間が経っている。まったく同じ経過になるとは限らない。が、少しでも今効果を感じられるなら、間違いなく希望はある。アメルダムの研究チームのリーダは、まだ若い女性の医師だが不死鬼が人間らしい生活を送れるようにすることを真剣に考えている。食事や昼間の活動もそうだ。中央医局だけでなく、国務府も協力して、社会復帰プログラムの作成にも着手し始めた」


これは、シルヴィアがカレンの協力を得てはじめたことで、プロパガンダとしても大きな意味を持つ。まだ、治療法も完全には確立されていない伝染性吸血病であるから、このようなことは時期尚早であるのだが、それに取り組むことで、公国政府の伝染性吸血病患者への姿勢を明確に示すことが出来るのだ。


「ああ・・・もちろん、スリからも足を洗うよ・・・その社会復帰プログラムとやらでまともな仕事付けるって言うんなら・・・」


ヤンはサスキアの言葉思い出す。出会いのない人生を送ることは人生の病に繋がると。体の病だけでなく、人生の病を治すことも医者の役割なのではないか。いや、医者だけでなく、全ての人間が互いの人生を豊かにすることが生まれついての義務であるのかもしれない。犯罪者に身を落とすことは人生の病なのだ。


「君は反逆罪をはじめ、殺人罪、誘拐罪、集団騒乱罪などの多くの罪状で取り調べられることになるが、事情が事情だ。しばらくは、治療もあるし身柄を拘束されることになるが、不死鬼軍との戦いが終われば特赦が出るように国公陛下には書簡を提出しておく。だから、不死鬼軍と戦う我々に協力してくれないか?私は出来ることなら、心ならず不死鬼として吸血兵の指揮官となっている君の同僚も助けたい」


マージンはまた泣き出した。


「先生・・・先生は神様だ!俺たちみたいなクズのことをそんなに考えてくれるなんて・・・何でも話すよ・・・」


元々涙もろい男なのかもしれない。少しだけワインを注いでやった。あまり大量に飲むとアンステロドの効果が薄れるかもしれない。それを飲んで落ち着いてから、話し始めた。


「ケテル村にはまだ二千ぐらいの吸血鬼がいるはずだ。それ以外に作業を行わせるための操死鬼もいる。こっちは五百ぐらいだ」

「そいつらを指揮している不死鬼は?」

「みんなが元帥と呼んでいるフーゴー・ファン・ドースブルフと、その下に五、六人だ。あと、イエケリーヌが逃げたんならそれも復命しているだろうけど・・・」

「フーゴーとイエケリーヌ以外はどんな連中だ?」

「俺と似たようなものさ。イエケリーヌに騙されたり、瀕死の状態だったのを不死鬼になって助かったやつら。元も似たようなもんで、だいたいは小悪党さ。武人とかそんなのはほとんどいない・・・」

「それは不死鬼軍全体がそうなんだろうか?」

「うーん、全員の顔を見たことあるわけじゃないが・・・ヨハネスって奴は元々軍人みたいだっだな・・・」


その瞬間、シモンの表情が険しくなった。


「ヨハネス・ファン・ビューレンかっ!やつもケテル村にいるのか?」

「い、いや、ヨハネスはフーゴーの部下ってわけじゃない。奴は奴で自分の判断で動いているんだ。俺が出てきたときは、フリップ側に残っていた」


シモンの剣幕にマージンは面を喰らっていた。


「シモンさん。落ち着きましょう。ヨハネス以外には?」

「あとはノールトの方に向かったエドって奴は元々傭兵だったらしい。めぼしいのはそれぐらいだ。後はみんな俺と同じようなもので・・・」

「なるほど・・・まあ、そのエドって奴は今はいい・・・ケテル村ではどんな様子だ?」

「吸血鬼は基本的に眠らせてある。ファン・クラッペって医者が妙な方法を考え付いて、そいつの作った笛を吹くと腹いっぱいの吸血鬼は眠ってしまうんだ。耳がやたらと良くなった俺たちにも聞こえない不思議な笛の音なんだが、吹くとやたらと犬が吠えるから犬には聞こえるんだろう。起こすための曲というか吹き方もあって、それを流すまでは何があっても起きない。その状態で、出撃するまでの間はずっと寝かしつけている」

「寝ている間に攻撃されたときはどうするんだ?」

「起こすための曲を笛で吹けば、すぐに凶暴になる。逆に吹き方しだいで大人しくもなる。普段からいたぶって言うことを聞かせるようにしていたから、それである程度は指示を受け付けるようになるんだ」


ファン・クラッペは医師として倫理観に欠ける男だが。優秀であることは疑いない。軍事利用に必要なこと一つ一つをよく検討して、技術開発を行っていたようだ。


「よし。わかった。ありがとう。これからもいろいろ聞くことはあると思う。戦闘が一段落したら、君はアメルダムに護送される。護国騎士団本部の治療チームが君を担当することになる」

「かわいい女医さんと看護婦さんが面倒を見てくれるぜ。両方ともじきに人妻になるけどな」

「人妻・・・嫌いじゃないですよ」

「おっ、おいっ!」

「ああ、看護婦さんの方は先生の婚約者だからな」

「そりゃ、手を出すわけにいきませんね」


シモンのに答えて冗談を言う余裕が出てきたようだった。いや、こういう和やかな雰囲気に持っていけるのもヤンの才能なのだろう。それほど意識してのことではなく、性格的なものなのだろうが。



部屋に戻ってから、ヤンは再度宣言をする。


「明日朝一に出撃です。昼までにケテル村を強襲します。保安兵団五百は歩兵ですが、これはジェラルド、君に頼む。第三部隊五百をシモン隊長、私は親衛隊の五百を率います。歩兵は後からケテル村につけば問題ありません。私とシモン隊長は全速力でケテル村に向かいます」


吸血鬼との戦いの基本はスピードである。騎馬の機動力を生かして強襲し、不死鬼の判断が追いつかないうちに大ダメージを与える。命令系統の不具合が不死鬼軍の最大の欠点であるからだ。


「わかりました。御武運を」


ファン・リートフェルトは敬礼して見せた。自分の役割というのをよく理解している。リートフェルトは防戦にはあっては、公国一であると言う自負があるが、野戦ではそうも行かない。何より、自分はザーン防衛の責任者として城壁の修復と、新たな罠設置などを急がねばなかった。




翌日早朝、出陣する部隊の兵士たちには前夜には通達が行っていた。出陣前にザーンの広場に兵士たちは整列し、ヤンが訓示を述べる。


「聞けっ!ザーン防衛軍の兵士たちよっ!我々に科された任務は極めて重いっ!公国と不死鬼軍との最前線において過酷な任務を科せられたのが我々だっ!だが、諸君は武人である。このザーンに集められた住民たちを守り、不死鬼軍に勝利する機会を我々は得たのだっ!恐れるなっ!先日の戦いのとおり、個々の吸血鬼は強力でも吸血鬼の軍には欠点がある。私の言うとおりにすれば、決して負けることはないっ!」

「オオーッ!」


千五百の攻撃部隊の兵士だけでなく、広場周辺に集まった民衆からも歓声が上がった。


「ただしっ!死ぬことは許さんっ!生き延びてみせよっ!自分の命と引き換えに敵を倒すなどと言うことは私は認めないっ!絶対に生きてかえるのだっ!」


会場はしーんと静まり返った。ヤンの言葉には戦いを宣言する以上の迫力が篭っていたのだ。


兵士たちは全員手にグラスを握っていた。ジェラルドがファン・ハルス家の倉庫から供給してくれたワインが注がれている。激務の中での急な出陣のため、士気を高揚させる出陣前の景気づけが必要だった。ヤンに代わり、シモンが演台に上って音頭を取る。


「酒の一滴は血の一滴っ!」

「一滴呑むたび一敵屠らんっ!」


全員が一気にワインを飲み干し、すさまじい熱気が広場を満たした。


「がんばって来いよっ!死ぬんじゃねぇぞっ!」

「帰ってきたらみんな飲もうやっ!」


一般の市民たちも興奮して、兵士たちを励ます。


兵士たちは、ヤン、シモン、ジェラルドに先導されて、ザーン西門より出陣した。



ヤンとシモンが指揮する合計千の騎馬隊は猛スピードで駆けた。兵士だけでなく軍馬も疲労がたまっているはずだが、兵士たちの熱気が伝染してか、そんなそぶりを見せない。ただただ、ケテル村へ向けて疾走した。


ケテル村近くの丘の上に達したのはまだ日が昇りきらない時刻であった。予定よりも一時間程度早い。村からは見えない丘の上に布陣し、ヤンとシモンが自ら敵情を観察した。正午にはなっていないが日差しは強い。もう、秋ではあるが、この日は好天であった。そのためか、吸血鬼たちの姿はほとんど見えない。おそらくは操死鬼であると思われる、ゆっくり歩く人影が少し見えた程度だ。


ケテル村にはヤンの診療所がある。そのため、村の地理にはきわめて詳しい。だが、ヤンの作戦は単純なものだった。シモンの指揮する第三部隊の精鋭は乗馬の達者が多い。村人には申し訳ないが、この比類ない機動力を持つ部隊が、村を疾走しながら家々に火を放つ。寝かしつけられている吸血鬼は何もできないままほとんどが焼け死ぬだろう。吸血鬼は痛覚を感じないため、自分の身に火がついても気づかないかもしれないぐらいなのだ。


シモンの部隊はそのままいったん村の中を通過する。遅れてヤンの部隊が突撃し、火を逃れて出てきた吸血鬼を強襲する。主に使う武器は瀉血ダートである。昼間のことで、肌に油を塗りこむ余裕もない。今日の日差しであれば肌はただれ落ちることだろう。動きの鈍い吸血鬼であればこれで十分な戦術である。


「シモンさん、お願いします」

「了解しました。一度抜けた後、反転するタイミングを計ることにいたします」

「注意すべきは数名いるという不死鬼です。降伏する者は殺したくないが、確認する余裕がないこともあるでしょう。瀉血ダートでは彼らを殺すことはできません。自分で引き抜けばいいだけの話ですから。しかし、その分隙はできる。反転するときは瀉血ダートを使う者とメイスを持つ者を二人一組にしてください」


ヤンにしては大雑把な作戦に思えるが、これで十分だった。吸血鬼は攻城戦も苦手だが、守りに入って戦うことはもっと苦手である。組織的な行動が難しいのであるから当たり前であった。



掛け声もなしに、シモンの合図だけで騎馬隊が駆け抜けていく。丘の上から降りる勢いは大岩が転げ落ちるかのようだった。僅か五百の騎兵のかける音が地響きのように思える。


先日、ヤンが輸送部隊に使ったのと同じ投擲用のランタンを使った。一度分散した騎馬隊は次々と家々へこれを投げ込む。人口希薄地帯の村落であるから、建物同士の間には広い空間があり、隣家に燃え移るようなことはあまりないが、あっという間にあらゆる建物に火がついた。勢いをそのままに騎馬隊は村から離れ、逆側に突き抜けて再結集する。



「ちっ!うわさのヤブ医者の小細工かっ!すぐに吸血鬼をおこせっ!この緊急時だ!肌が焼かれようととりあえず外に出すのだっ!」


フーゴーはいらだちながら的確な指示を出した。これしか対応のしようはないのだが。そして、対応の予想がつく攻撃を仕掛けることがヤンの戦術の真髄であった。


フーゴーの指示により、イエケリーヌと二名の不死鬼が操死鬼を使って消火にあたる。全ての建物を鎮火させることは無理と考え、特に多くの吸血鬼が眠る建物に限定して消火活動を行わせた。もちろん、敵軍がさらに殺到してくることも予想できている。こちらはフーゴー自身が急ぎかき集めた吸血鬼たちで対応する。この緊急時にあって、冷静な対応はヤンの予想を超えていた。しかし、こちらに対応不可能な範囲ではない。


「いくぞっ!フーゴーを討ち取るっ!」


この時のヤンの声はケテル村の医師ヤン・エッシャーのものではなく、護国騎士団長代理ヤン・ファン・バステンのものであった。武人としてのヤンの姿がそこにある。公国最高の武人と言われるウィレムに劣らぬ気力がそこにみなぎっていた。


フーゴーもまさか昨日の今日で襲撃を受けるとは考えていなかった。三日でも時間があれば、瀉血ダートを使った攻撃にも対応方法を考えたことであろう。決して無能な男ではない。しかし、相手も疲労困憊していると考えて、油断していたのも確かであった。何より昨晩戻ってきたイエケリーヌに対する怒りが、そうした冷静な思考を妨げていたのかもしれない。落城させるとまでは行かなくとも、いくばくかの被害を相手に与えるぐらいは出来ると考えていた。それも適わず、貴重な不死鬼の指揮官を二人も失い、三千の吸血鬼が全滅したのである。思いつく中での最大の損失であった。実の娘で、自ら父に倣い不死鬼となった女をフーゴーは平手打ちにし、怒気が収まらぬまま、この時を迎えていたのである。


どうにか屋外に脱出した吸血鬼はフーゴーの周りに円陣を組んだ。この程度の動きは出来るように、犬笛を使った催眠術を工夫していたのだ。これはまだフーゴー自身にしか出来ないことである。


そこにヤンの部隊が突入する。まともに激突したのではなく、距離をとって騎馬隊は円陣の周囲を回りながらやはり瀉血ダートを投げる。フーゴーは円陣を崩すわけにはいかなかった。円陣にほころびが生じれば、その瞬間そこから騎馬隊が突入してくることは目に見えていた。吸血鬼はとっさに行動を変えることが苦手である。突入してきた騎馬隊に対応するには間に合わない。


だが、いざ、戦いとなればフーゴーも冷静になっていた。円陣のあちこちで血煙が巻き上がる中、その内側より、矢が放たれたのである。


「きゅ、吸血鬼が矢を放つのか?」


騎士たちは僅かに動揺したが、ヤンにはすぐにカラクリがわかった。矢は大量に放たれているが、狙いを定めてのものではない。数人が矢を受けたが、幸いにも致命傷ではなかった。


「おそらく矢を放っているのは操死鬼だっ!周囲を回りながら円陣からの間合いを取れっ!接近、攻撃、離れることを繰り返すのだっ!タイミングを計って矢を放つようなことは奴らにはできないっ!」


動揺しかけた騎士たちもすぐに落ち着きを取り戻した。ヤンへの絶大な信頼のなせる業である。ヤンの指揮に従うのは戦闘にならなかった中央医局の強制捜査に参加した者が半分程度いるだけだが、すでに全員がヤンにウィレムと同様の力を感じていたのである。


フーゴーの円陣はあっという間に赤い円形の血の池変わっていった。そこにシモンの騎馬隊が勢いを付けて突入してくる。円陣に参加できなかった吸血鬼を次々と瀉血ダートとメイスで倒していく。


「シモン隊長!フーゴーをお願いします!騎士たちでは荷が重い可能性があるっ!」

「承知っ!」


阿吽の呼吸であった。言葉など要らないくらいで、ヤンが自分に呼びかけた時点でシモンはフーゴーと思しき鎧の不死鬼に向かって駿馬を駆っている。


それ以外のシモン配下の騎士たちの一部が、フーゴーの周囲にいた数名の不死鬼に向かった。瀉血ダートとメイスをもった騎士が二人一組で襲い掛かる。ただし、メイスを持つ者は頭蓋を破壊するほどの力では攻撃していない。うまく昏倒させ、生かして捕らえることができれば、マージン同様に救うことができるかもしれないからだ。


シモンは互いに馬上のままフーゴーと対峙していた。


「フーゴー・ファン・ドースブルフ元帥!お初にお目にかかる。護国騎士団第三部隊長シモン・コールハースがお相手仕るっ!」

「ふん、青二才がっ!小細工はたいしたものだったが、武技で俺に適うとでも思ったかっ!」


シモンはこの時、昨夜同様、右手には愛用の長剣、左手には瀉血ダートを握っていたが、さらにこれ以外に、背中に一本のレイピアと腰にパリーイングダガーを指していた。馬上では使いにくいが、万が一ヨハネスがいた時のための用意である。


フーゴーに瀉血ダートを投げてもダメージを与えることは難しい。体にはがっしりとフルプレートの鎧を着込んでいるし、頭部にもフルヘルムを被っている。フーゴーとわかったのは、その鎧に見覚えがあったからで、顔を見てのことではない。そもそもファン・ダルファー邸でも臭気攻撃に対応するための例の奇妙なマスクを付けていた。


だが、シモンは正確にフルヘルムの覗き穴を狙ってダートを投げた。フーゴーは頭を振ってこれを交わすが、僅かに体勢を崩す、その瞬間、シモンは剣をフーゴーの頭に向かって投げたっ!


大きな音立てて、剣はフルヘルムに激突し、フーゴーの頭から吹き飛んだ。フーゴー自身もバランスを崩し、落馬する。それを見たシモンは自分を馬から下り、背中のレイピアと腰のパリーイングダガーを抜いて構えた。


「くっ・・・尻の青い餓鬼が・・・味なまねを・・・」


そう言ってこちらを向いたフーゴーを見た瞬間、シモンは絶句した・・・




その時、ヤンは昨晩に続いてイエケリーヌと対峙していた。徒歩で操死鬼に指示を出していたのを見つけ、自分も馬を下りている。


「くっ!ヤブ医者めっ!」


父親に殴られたことも含め、全てはヤンのせいであった。イエケリーヌの目には復讐の炎が燃えていたが、ヤンはまったく動揺していない。


「もう諦めなさい。昨日の戦いでわかった。貴女は一流の武術家で不死鬼の力を得てその面ではかなり実力だが、戦争は素人だ。貴女の指揮では吸血鬼など野良犬の集団でしかない」


諦めろといいながら、言葉の意図は挑発であった。振り下ろされたフレイルをあえて短槍で受ける。鎖が巻きつき、それをイエケリーヌが引き寄せようとした瞬間、ヤンは鎖に巻かれたままの短槍をイエケリーヌに向かって投げた。


鎖が巻かれたままであるから、槍は投擲されたようにまっすぐには飛ばない。斜めになった棒がイエケリーヌに叩きつけられただけでダメージにはならなかったが、それを手で振りはらった瞬間、目の前にヤンがいた。ヤンは素手でイエケリーヌに接近し、格闘で決着を付けようとしていたのだ。


すでにフレイルで攻撃できる間合いではなかった。イエケリーヌは右の拳をヤンに向けて突き出す。ヤンはそれを左に避けて、自分の右手で手首をつかみ、同時に左手の手刀をイエケリーヌの喉元にたたきつけた。不死鬼といえど、喉仏が急所であることには変わりない。痛覚は鈍いが呼吸に支障をきたせば苦しむことにはなる。何よりヤンの力は常人並でもイエケリーヌが拳を放った力をそのまま利用している。絶妙のタイミングで放たれたカウンターであった。


「うっ・・・!?」


次の瞬間、イエケリーヌは背中からのけぞるように一回転して宙を舞い、頭から地面に叩きつけられていた。ヤンが東方の武術に関するうわさにヒントを得て自ら編み出した体術の応用である。どんなに筋力を付けようと、人間の間接の構造そのものが変わるわけではない。力を入れようと思っても、入らない向きと言うのがある。ヤンはそれを巧妙に利用して、手刀を放つ同時につかんだ手首を捻り、自分の力によらず、イエケリーヌの反射的な動きを利用して投げたのだ。


「お嬢さん、少しは私の話も聞いていただきましょう。医者の話はちゃんと聞いた方がいい」




シモンを驚愕させ、一瞬の隙を作ったのはファン・ドースブルフの顔であった。顔全体が無残にも赤く焼け爛れていた。不死鬼となった後、日の光を浴びてのことだろうが、豪胆なシモンと言えど覚悟なしには直視できないほどの容貌だったのだ。


フーゴーはその隙を突いて攻勢に転じる。先ほどのシモンと同様に自らの剣をシモンにに向けて投げつけた。


シモンの二剣を用いた剣技は敵の攻撃を自分の刀身で滑らせ、自分は体勢を維持したまま、相手の体勢を崩すものだが、投げつけられた武器に対しては対応できない。豪腕で飛ばされた剣を叩き落すためには両手の力が必要だった。シモンはレイピアとパリーイングダガーを交差させて、剣を叩き落す。そのうちにフーゴーは馬の上に体を移し、シモンの傍から走り去った。


拾った短槍をイエケリーヌに突きつけていたヤンも、フーゴーの攻撃には意表を疲れた。猛スピードで迫ったフーゴーは馬をさおだたせて、ヤンを馬蹄で踏みつけようとしたのだ。かろうじてかわしたもののイエケリーヌからは離れざるを得なかった。すぐさまイエケリーヌはフーゴーの後ろに飛び乗る。彼女の肩には馬蹄のあとが残っていた。ヤンがかわした馬蹄を代わりに受けてしまったのだ。


「たいした知略と武技だが、次はそうはいかん。今日はお前の勝ちだがな」


捨て台詞を残してフーゴーは去っていった。あえて配下の騎士たちには追わせない。シモンでさえ侮れない相手を一般の騎士ではどうすることも出来ないはずだった。



少しの間を置いて、ジェラルドの歩兵隊が到着する。数名の不死鬼の身柄を拘束し、吸血鬼の死体を焼き払い、まだ火の残っていた建物の消火などの事後処理は彼らの手によって行われた。


「今回はこれぐらいで良いでしょう。少なくとも合計五千の吸血兵がこの二日で全滅しました。不死鬼もフーゴーとイエケリーヌ以外は戦死か捕虜にしたのですから」

「画竜点睛を欠く点もございましたが・・・」

「いえ、あの二人が生きていれば、不死鬼軍はいつまでも一枚岩にはなれないでしょう。フーゴーは冷静に見えて感情で動く男です。ファン・クラッペのような奴とそりが合うとは思えませんから、生きていた方がこちらにも使い道はあります」


シモンにそう答えたヤンはさすがに疲れた様子だった。二日続けての完勝である。しかも、このケテル村奪還戦では、こちら側には操死鬼の矢による軽傷者以外の被害はなかった。シモンもジェラルドも感心せざるを得ない。この男の頭脳さえあれば、本当に不死鬼軍など恐れる必要はなかった。


しかし、後日、彼にも限界があることに気づく。自分のいない場所で起こることには対応できるはずもなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ