ザーン防衛戦
ドルテレヒト州州都ザーン。現在のザーンは都市として成立して以来の歴史の中で空前の人口を抱えている。国境二州の全人口を一都市に集めたのだから当然である。ただし、一部はアメルダムや西側のより安全な地域に疎開している。それでも二十五万という人口がこの街に集まったことなど今までは一度もない。州都とはいえ、人口か希薄な東部の国境地帯なのである。
ザーンは州都であるため、地方官として行政に責任を持つ州卿がいる。今はゼーラント州の州卿もザーンにいる。また、城塞都市であるので、都市の行政を執り行う都市卿もいる。さらに、ファン・ハルス家を典型とする地方領主も周辺から集まっていた。
彼らを守るのが護国騎士団第一、第二部隊を中心に、城兵や保安兵団の戦闘部隊、自治領主の私兵などを集めて編成された五千人ほどの軍隊である。彼らは自分たちを称して『ザーン防衛軍』と呼んでいる。様々な組織に所属する者の寄せ集めであるため、そうした固有名詞を要することで、団結を計ろうとしたのだ。
こうしたことをきめ細かく考える点において、護国騎士団の中でもレム・ファン・リートフェルトに並ぶ者はいない。せいぜい、戦士や将帥としては落第生で、経済に関する知識とセンスが抜群、きわめて高い事務処理能力を持つ、主任主計官ピーテル・ブルーナか、つい最近まで護国騎士団長婦人であったシルヴィア・ファン・バステンぐらいであろう。
本来、ザーンには今一人、第二部隊長ヘンドリック・ファン・オールトがファン・リートフェルトと責任を分かち合うはずなのだが、先日のケテル村での戦闘で戦死している。その結果を一番現実の問題として受け止めることになったのが、レム・ファン・リートフェルトとだった。戦友の死を嘆いている余裕などまったくない。
レム・ファン・リートフェルトはとにかく多忙であった。住民や避難民の管理などは州卿が主に担う仕事である。護国騎士団第一部隊長である彼の仕事は、来るべき吸血鬼との戦に備えることであり、さらに、住民の中から若者を中心として、義勇軍を編成したいと騒ぐ者をなだめることであった。素人の義勇軍が参加して、役に立つほど吸血鬼との戦は簡単ではない。レムはまず始めに、従軍経験の無い者の参加を禁止することで、いきなり高いハードルを示した。
だが、義勇兵志願者はその程度のことではあきらめない。実際には、彼らを説得したり、あるいは編成したりする作業自体が重い負担であり、護国騎士団を中心とするザーン防衛軍の活動を阻害しているとも言える状態なのだ。
そこに救いの手を差し伸べたものがいる。義勇軍は、義勇軍として、正規軍とは別に編成し、編成が終わってから、ザーン防衛軍の指揮下に入れば良い、編成の作業は自分がやろうと名乗り出た人物が現れたのだ。ケテル村を中心とするステーン湖畔の国境地域にささやかな自治領を持つ公国東部の名門ファン・ハルス家の当主ジェラルド・ファン・ハルスである。
ジェラルド・ファン・ハルスはカレンとカスペルの兄であり、十年前の吸血鬼掃討戦の際には、ウィレム・ファン・バステンの強引な出撃が始まるまでの間、村の若者たちを組織して、すでに数万の規模に膨らんでいた吸血鬼たちと戦った経験もある。
「軍隊が住民のこうしたわがままによって、手を煩わされるというのはあまり意味はありません。事務的な作業は私が担当して、編成作業を請け負います。まあ、簡単なことではありませんので、相当な時間がかかるでしょうが、そうだとしたら、逆に無謀な出撃などさせずに済ますことができる可能性もありますな。この作業自体はそれほどまじめにする気もありませんが、必要なことがあったら他にも言ってください」
ファン・ハルス家は名門で爵位としては伯爵位、ステーン湖の水産物によって巨額の資産を築き上げている。貴族文化そのものが、女性の解放、公職における貴族優遇の減少、能力主義などによって失われていく過程にあるアメルダムの貴族たちと違い、昔ながらの格式を維持し、伝統的な貴族教育を受け、それでいて、気さくで親しみやすい人柄がこの一族の特徴であった。
「ファン・ハルス伯、誠にありがとうございます」
「いえいえ。レム隊長には集中して吸血鬼と戦っていただきたいのです。もちろん、出来ることがあれば、他にも協力はさせていただきます」
「ありがとうございます」
ジェラルドの提案により、とりあえず、レムはケテル村かノールトから吸血鬼軍が到来した時の対策に集中することができた。そして、それは、レムのアイデアによって、ザーンを難攻不落の城にするという結果を生む。攻城/篭城戦は力と力のぶつかり合いというよりは、知恵比べの側面が強い。護国騎士団中、攻城と篭城についてもっとも深く研究しているのもレム・ファン・リートフェルトであった。『戦う哲学者』はまるで『戦う建築士』になって、さまざまな仕掛けを考案して、ザーンの城壁を難攻不落のものとする作業に集中していた。
ジェラルドがこうして、ザーン防衛軍の義勇部隊の編成をはじめたのは、アメルダムからヤンを司令官とする増援部隊が出立した前日で、保安兵団と騎士団長親衛隊による大規模な増援部隊が到着した翌日であった。その次の日、ヤンを主将とする部隊が到着する予定の前日、ケテル村方面から吸血鬼軍が現れ、ザーンを包囲しはじめた。
「各隊!予定通りの配置につけっ!アメルダムからの増援部隊も現れる!ファン・バステン将軍の弟君だ!公国一の知恵者がこちらに向かっておるぞ。一日守ればこっちの勝利は確実だ!」
レムは冷静沈着が持ち味の男だが、軍将の素質として、兵士たちの士気を高めることも十分にこなせた。ヤンがいなければウィレムの昇進後、護国騎士団長の座にもっとも近いのがこの男なのである。
義勇兵隊の編成作業は始まったばかりで、まだまだ進んでいないが、護国騎士団第一、第二部隊、親衛隊、保安兵団などの部隊はすでにレムの検討していた基本戦術に従い城壁の各所に配置されている。吸血鬼相手に打って出る必要はまったくなかった。以前ヤンが述べたとおり、吸血鬼の軍隊は野戦ではある程度の力を発揮するが、篭城戦ではそれほど有利にはならない。用兵に融通が利かない吸血鬼では、知恵比べとなる攻城はきわめてやりにくいものなのだ。まして、レム・ファン・リートフェルトにとっては、そのような攻城軍を手玉に取ることなのど、児戯に等しいことであった。
「ファン・リートフェルト隊長!吸血鬼軍を率いているのは例の女不死鬼と思われます!フレイルを振るう馬上の女が見えました!その数三千!」
「なるほど・・・ファン・バステン将軍はかなりの使い手だったとおっしゃってた。軍将としてはどうかな・・・?」
偵察担当者の報告にレムは考えた。ヘンドリックが殺されたときの状況からすると、女不死鬼イエケリーヌ・エラスムスは、今一人、ウィレムがフーゴー・ファン・ドースブルフではないかと疑っている、鎧の不死鬼の指示で動いている。彼女自身も将才を持ち合わせているのであろうが、さて、どのように吸血鬼を使ってくるものだろうか。
三千の吸血鬼たちは城壁を取り囲んだ。ザーンの城壁で囲まれている領域はきわめて広い。三千程度では完全に取り囲むことなどは不可能で、三方向から千人程度の部隊が攻め込んで来たに過ぎなかった。
「東門!吸血鬼が門扉を破壊しました!」
「そうか、掛かったな。予定通りやってやれ!」
東門にはイエケリーヌがいた。攻城において吸血鬼の有利な点があるとすれば、攻城兵器などがなくても、吸血鬼自身の発達した筋力で、門扉や城壁を破壊できることにある。イエケリーヌは特に体格のよい吸血鬼を選び出し、城壁に向かって走らせた。
本来、ヤンは一人の不死鬼が指揮可能な吸血鬼の数を百人程度と考えていた。そうであれば、このザーン攻囲軍には三十人程度の不死鬼を必要とする。だが、不死鬼の血液を直接投与することにより、確実に不死鬼を生み出すことのできる彼らも、軍将となりえる不死鬼を増やすことには手を焼いていた。不死鬼には自由意志があるので、当然、こちらの言うことを聞いてくれるとは限らない。
自分から志願する者はまずいないのであるから、だまし討ちにして感染させることになる。そうなれば、自分が不死鬼になったことに気付いた者の多くは、その場で自殺を遂げるか、非協力的な態度を取るかのどちらかだった。イエケリーヌの下にも不死鬼の将は二人しかいない。それも軍事面に詳しいわけでもない二人だった。血液を安定供給されて生き残るために仕方なくしたがっているのだ。
ただし、ヤンの予想と違うのは、吸血鬼に言うことを聞かせる方法というのを、ファン・クラッペが研究していたことである。これは吸血鬼にしか効かない催眠術のようなもので、ある種の条件付けを行って、凶暴な状態から、おとなしい状態に移行させ、ある程度従順に師事に従わせることもできた。また、凶暴な状態であっても、彼らを誘導するぐらいのことは出来るようになっていた。
イエケリーヌの発した巨漢の吸血鬼たちは、地響きが聞こえてきそうな勢いで門扉に迫り、体当たりを食らわせた。さすがに一度では巨大な扉を破壊することは出来ない。上から瀉血矢やラッパの音が降り注いでいるが、フルプレートの鎧と耳栓がその影響力を低下させていた。
数度の吸血鬼の体当たりにより、東門の門扉は破壊された。破壊された扉の向こうに吸血鬼たちが突進する。
吸血鬼たちは血の飢えから、本能の求めるままに人間を求めて扉の無効に殺到した。不死鬼と違い、彼らにはすでに言語を操る能力すらない。獣とまったく変わらない程度の知能しか持ち合わせていないのだ。ファン・クラッペの開発した特殊な催眠術で、ある程度の行動の制御は受け付けるようになったが、それでも戦闘中などに事細かな指示を実行することはできない。
このときも吸血鬼たちは指示を受けてではなく、ただ、前方の扉が破壊されたので、そこに殺到したのである。イエケリーヌもそれで良いと考えていた。
イエケリーヌの武技はファン・ドースブルフ伯自らが仕込んだもので、不死鬼となる以前から、かなりの腕前に達していた。軍将として、戦術や戦略なども手ほどきも受けているが、こちらは、武技ほどには上達していない。何より、吸血鬼の軍を率いたことのある者など、他にはいないのである。
突然、突入した大門の辺りで大きな音がなった。すべての吸血鬼は耳栓をつけているが、それでも、周囲にいた吸血鬼は苦痛を感じ、聴覚と平衡感覚を失ってバタバタと倒れている。
レム・ファン・リートフェルト力作の仕掛けであった。
一番に攻め込まれると思われた東門ははじめから門扉の内側で塞がれていたのである。それも、巨大な石を使って、大門が開いたところに、百人ほどが入れる程度の部屋が作るられていた。吸血鬼たちは気付かないが、地面には大量の油が足首まで浸るほどにたまっていた。さらに突入直後、天井に開いた小さな穴から大量の小麦粉が投げ込まれ、濛々と煙のように粉が部屋の中に広まったところで、松明が投げ込まれた。油への引火と粉塵爆破が同時に起こる。突入していた吸血鬼たちは四肢がバラバラになり、入り口付近にいて、続いて突入しようとしていた集団も、爆発と大音量でダメージを受けた。
さらに、それに続いて、東門の部屋は突き崩され、土砂と瓦礫によって門はふさがれてしまう。壁や扉なら体当たりで破壊することもできるが、瓦礫の山ではそうはいかない。これ除去するなどという地道な作業は吸血鬼には出来ないし、操死鬼を使おうとすれば、城壁の上から降り注ぐ瀉血やの雨に抗するこができない。
これで、東門は完全にふさがれたことになる。
「ちっ・・・小細工を・・・」
周囲には彼女の呟きを理解できる者はいない。自分以外の二人の不死鬼は北門と南門に回っている。一度軍勢をまとめて、西門に回るべきかどうか迷ったが、東門の彼女は城門の突破以外に操死鬼によってケテル村から運ばれてくる物資の受取と配布を行う役目もあった。ケテル村から近いこの場所を確保しておかなければならない。操死鬼は融通がきかないので、東門に誰もいないからといって他の場所に行くという判断ができないからだ。
いかに吸血鬼を使い、本人は不死鬼として強力な戦闘力を持っていようと、城壁をはさんだ攻防戦にあっては、百戦錬磨のレム・ファン・リートフェルトに対抗できようもなかった。
レム・ファン・リートフェルトの罠はもちろんこれだけではない。北門ではわざと崩れかけたままで、どう見ても簡単に破壊できそうな城壁があった。城門は裏側に瓦礫が詰まれており、体当たりをしても破壊できない。さして軍勢の指揮の経験がない、北門担当の不死鬼は何の疑問も抱かずに城壁の崩れかけた箇所に吸血兵を集中して送り込んだ。城壁は簡単に破壊される。
東門と同じように、吸血鬼たちは本能の求めるがままにそこに殺到した。そしてやはり手痛い逆撃を喰らう。破壊された城壁の中は空洞になっていた。破壊したのは外側の壁だけである。石の壁と天井に囲まれた狭い空間に次々と吸血鬼が侵入したのを見計らって、天井から吊り下げられたドラが大音響で鳴り響いた。
耳栓など関係ない。ほとんど密閉された空間で容赦なく鳴り響いたドラの音は耳の穴からだけでなく、頭部の骨を振動させて音を伝えた。鼓膜を破壊することはできなくても、聴覚神経には過剰な刺激が入力され、吸血鬼たちは大混乱に陥る。
そこに大量の土砂が天井に急に開いた穴から流し込まれた。瞬く間に数百名の吸血鬼が生き埋めになる。
南門でも状況は似たようなもので、こちらは門や壁を破壊するのではなく、城壁を吸血に上らせた。吸血鬼の筋力を持ってすれば、石畳の城壁のわずかな突起に指をかけて上ることも難しくはない。城壁の上に吸血鬼たちがたどり着いたときには、そこには誰もいなかった。これを指揮していた不死鬼は何の疑問も抱かずに数百名の吸血鬼を屋根に乗せた。
その瞬間・・・
城壁の上の床が崩れて抜け落ちた。絶妙のタイミングで、城壁に上りきった吸血鬼のほとんどが崩れたところに飲み込まれ、狭い通路いっぱいの瓦礫のと共に下にたたきつけられた。前後不覚の吸血鬼の集団の中に大量の瀉血屋が降り注がれる。この部隊の吸血鬼も鎧を着用してはいたものの、すべての吸血兵にいきわたっていなかったため、大量の吸血鬼が瀉血矢によって血液を失った。
最後には首刈り部隊が突入、すべての吸血鬼の頭部を体から切り離した。中にはこの状況を結局理解することのなかった不死鬼の指揮官も混ざっている。イエケリーヌは自分の数少ない持ち駒を失った。この時点で、レムは戦友ヘンドリック殺害への報復を果たしたのかもしれない。
「ちっ・・・一度東門から一キロの位置で軍を再編する!」
操死鬼は言葉を理解する。といっても、自由意志はないので、言われたとおりの行動や、誰かの言葉を繰り返すのみである。伝令担当の操死鬼に上記の伝言を携えて、北門の司令官に指示を届けにいかせた。
「油断するな!罠は一回しか使えないものが多い!次はこうはいかないぞっ!」
レムの判断は正しい。このような策略は最初のうちだけで、長続きはしない。緒戦は完勝できたがその分手ごまを失っている状態なのだ。
初日の戦いは、こうして篭城側のほぼ完勝の形で終わった。夕刻から始まり、一晩かけて攻めまくった吸血鬼部隊は昼の日差しの中で戦うことを避けるためだけでなく、戦闘で失った吸血鬼の体力を回復させるために、一時撤退せざるを得なかった。
ヤン・エッシャーとシモン・コールハースが率いる部隊は騎馬を励まし、本来どうにか夕刻にたどり着くところを、まだ日の高いうちに、城壁が見える位置までたどり着いた。すでに先発隊からの報告で、ザーンが吸血鬼軍に包囲されていることもわかっている。近くまで着いたときには、すでに初日の戦いは終わっており、東門からケテル村側に一キロの地点で陣取っているのが見えたのである。
「今のうちに西門から入城しますか?」
「いや、それでは、たかだか五百の援軍が来ただけの事。敵は我々の派遣を知らないでしょう。このことを最大限に活かせば、五千の援軍に等しい戦力として動けます」
シモンの質問は確認のためであり、ヤンがそのような簡単なことを考えないはずもないことはわかっていた。シモンは知将ヤン・ファン・バステンのことを信用しきっている。
まず、ヤンは部隊をザーンから五キロほど離れた位置にある森の中に布陣した。医師などの非戦闘員と輸送部隊などを入場までの間、隠す目的もある。そこで、部隊の全員に向かって演説を行った。
「聞いてのとおり、すでにザーンは吸血鬼軍により攻撃を受けている!レム・ファン・リートフェルト隊長は篭城戦の名手、決して遅れをとることはないし、おそらくはわれわれの支援がなくてもあの程度の数なら支えられることだろう。吸血鬼の軍は長期に戦線を維持することが難しい。どうせ長くはもたないが、我々は敵に大きな打撃を与え、吸血鬼による軍などがナンセンスであることを思い知らせねばならない!」
五百名の騎士たちが真剣に聞き入る。わずか就任から十数日の護国騎士団長代理はすでに騎士たちの信頼を集めていた。ウィレム同様、型破りな人物ではあるが、その武技と軍略はウィレムにまったく劣る事はなく、対吸血鬼戦においては、間違いなくこの国最高の人材であることを全員が確信していたのである。
「戦闘部隊五百名を二つに分ける!百名は私が、四百名はシモン隊長が指揮するものとする!私の部隊は私と共に、ケテル村と敵陣との連絡を遮断する!吸血鬼は保存の利かない血液を糧食として確保しなければならない。ケテル村からは一日数度の輸送があるものと思われる!これを襲えば、吸血鬼である兵はともかく、不死鬼の司令官たちは動揺する。あせって反転してきたところを、側面からシモン隊長の部隊が攻撃する。レム・ファン・リートフェルト隊長がそれを見れば、必ず打って出てくることであろう!大打撃を与えることで、敵は吸血鬼軍の限界に気づくはずである!心して挑め!我々の戦果が今後を大きく左右するぞっ!」
「オオーッ!」
騎士たちは自分たちの剣や槍、ラッパなどを掲げてヤンの激励に応じた。
「シモン隊長。お願いします。横撃のタイミングが重要です。貴方ならそれを正確に測れるはず」
「はっ!お任せください」
ヤンの部隊百名はおとりの役目もある。吸血鬼に輸送などという作業はさせられないであろうから、輸送部隊は操死鬼のはずである。普通の人間では吸血鬼と一緒に仕事などさせられないし、不死鬼は貴重であろう。ファン・クラッペは不死鬼の血液を直接輸血することで確実に不死鬼にする方法を開発しているが、だからといって、素直に不死鬼の将として戦う者が簡単に現れるわけではない。輸送のために不死鬼を使うことなどは出来ないはずである。
だから、危険な仕事をするのはむしろシモンなのだ。わずか四百で三千の敵に横撃を行うという作戦である。だが、シモンならばそのタイミングと臨機応変の対応を期待できると考えての布陣であった。
ヤンは十年前の吸血鬼掃討戦では、戦術の立案を行ったが、直接兵士の指揮を執ったわけではない。難しい作戦は専門家であるシモンに任せるべきであった。
ケテル村にはフーゴー・ファン・ドースブルフが二千の吸血兵と共に駐屯していた。無人の建物を吸血鬼の宿舎に当てている。活動させては収拾がつかないし、その分だけ血液を余分に必要とするので、薬を使って吸血鬼たちはそのほとんどを寝かしつけている。数名の不死鬼と輸送などの作業に当たる操死鬼だけが起きて活動していた。
「相手の指揮官はファン・リートフェルトか・・・。イエケリーヌでは荷が重いだろうが、別にザーンを占領できなくとも良い。吸血鬼軍の恐ろしさをやつらに植え付けることが目的だ」
フーゴーは周囲の不死鬼たちに語った。彼の周りにいる不死鬼たちは吸血鬼軍の部隊長であるが、元々軍人というわけではない。せいぜい、夜盗の首領だの、傭兵だの小規模な戦闘指揮の経験があるかどうかという者たちである。あまりまともな人材とは言えなかった。
「イエケリーヌ様は苦戦されておられるようですが・・・」
恐る恐る意見を述べたのは、壮年の不死鬼である。夜盗の首領として保安兵団に追われていたのを、フーゴーが見つけ出し、不死鬼にしたのだ。不死鬼にされたことには最初恨みを抱いていたが、どうせ未来の開けない自分であるので、それを受け入れ、不死鬼として戦うことで運命を切り開こうと考えた。
「ふん、これもいい経験だろう。武技が優れているだけでは、一兵卒としてしか働けないからな。数人でも城壁の内側に侵入を果たせば、住民が吸血鬼化し、ザーンを混乱に陥れることができる。落城まで行かなくてもそれで十分。うまくいってファン・リートフェルトを追い出すことができれば、フリップ国内と同様、住民から採血して吸血鬼軍を維持することに使えるようになる。拠点はノールトとこの村だけでも十分だ。これでファン・クラッペのヤブ医者から自立できる」
不死鬼軍はヤンの予想したとおり、決して一枚岩とは言えない状態だった。不死鬼や吸血鬼、操死鬼についての研究で軍団維持の技術面を支えるファン・クラッペ、軍人であり、吸血兵団を統率するファン・ドースブルフ、フーゴーの言うことは聞かずに独自の動きをする、最古参の不死鬼ヨハネス・ファン・ビューレン、さらには、スポンサーである、レオンス・ド・アズナブールやアルベルト・ルワーズがそれぞれにそれぞれの都合で動いていた。
ファン・クラッペとド・アズナブールは慎重派である。旧アズナブール辺境伯領の領民から採血した血液のみが今は糧食として使えるもので、それを保存したり、輸送したりするための手段はファン・クラッペの手によって考えられた。この二人の発言力が強まることは仕方がない。
痺れを切らしているのはアルベルトで、ルワーズ国公即位が目的の彼は早くルワーズ側国境地域に勢力を広げたいのである。ヨハネス・ファン・ビューレンは何を考えているのかわからなかった。
今回の進軍はほとんどファン・ドースブルフの独断である。軍を維持するための建前上、しかたなくレオンスは血液を提供しているが、成果が上がらなければそれも差し止められる可能性があった。それでも、危険な賭けに出た理由は、ファン・クラッペから独立した行動を取れるようになりたいがためであった。ファン・ドースブルフ自身は別にアルベルトに忠誠を誓っているわけではない。彼自身は十年前に果たせなかった、吸血鬼軍の編成そのものが目的なのだ。自分の命令を無視し、詐術的な方法で吸血鬼を討伐したファン・バステン将軍への復讐と、自分の正しさを認めさせることに、執念を燃やしていた。
実は、これはファン・クラッペの動機と酷似している。ファン・クラッペは言うなれば、フレデリック・ファン・ビーヘルと同様、高学歴のエリート医師でありながら、同年代のマウリッツ・スタンジェの方が評価が高いことに逆恨みをしていたのである。彼はその偏執的な情熱を伝染性吸血病の軍事利用という、非人道的な手段そのものに向けていた。
軍の編成とその威力を知らしめることを目的とするファン・ドースブルフと、技術の開発そのものに執着するファン・クラッペとの相克は深まるばかりであった。スポンサーであるアルベルト、レオンスの二人もそれぞれの目的があり、幹部の間だけでもまとまりを欠いているというのが、不死鬼軍の現状である。
二日目の戦いはまた夕刻から開始された。今度は二千五百までに減った全軍が一塊になって、南門から攻めかかる。西門以外はすでに門扉は破壊した上で、進入不可能になっており、壁を破壊しても危険が伴うことがわかっている。イエケリーヌが考えたのは、城壁の屋根が崩された箇所から強引に攻めかかることであった。一度罠が発動した箇所でさらに発動可能な罠が仕掛けられているとは考えにくいからだ。
イエケリーヌの作戦は功を奏したかに見えた。瀉血矢を浴びせられ、次々と吸血兵が倒れていったが、吸血兵など多少失ったところで痛くもない。中には二十万以上の住民がいるのだから、彼らを吸血鬼化させれれば、いくらでも補充が利くのだ。そして、わずか数人でも吸血鬼が市外に侵入すれば、民衆がパニックを起こす。そうなれば、落城させることなどたやすいはずであった。
吸血鬼たちの数名が崩れた壁から内部への侵入を果たした。一瞬後には大量の瀉血矢を浴びて絶命したが、前進が不可能ではない証拠である。
「進めぇっ!血の飢え満たせ!中にはお前らの好物がひしめいているだぞ!」
イエケリーヌは激励するが吸血鬼が相手ではたいした意味もない。
「イエケリーヌ様!輸送部隊が襲われました!」
生き残った不死鬼の将が遠眼鏡を片手に血相をかいて現われた。彼から遠眼鏡をひったくったイエケリーヌはすぐさまそれを構える。ケテル村方面からくる操死鬼湯輸送隊の荷物から煙が上がっていた。
「ちいっ!お前はここに残って攻城戦の指示をっ!私が余剰の千で輸送部隊を迎えにいくいくっ!」
イエケリーヌは部隊を編成してケテル村方面に駆けていった。
ヤンは武術よりも乗馬に優れた者百名を選び出して自分の部隊を編成した。この部隊の最初の仕事はほとんど戦闘とは言えないものであった。予想通り、操死鬼のみで編成される輸送部隊がケテル村方面から現われたので、これを襲うのである。操死鬼には戦闘などまともにできない。戦いとは単に体力の問題ではなく、臨機応変の判断が常に必要なことであるからだ。操死鬼にはそうした判断ができない。凶暴な吸血鬼ならば、人間の戦い方とは違うものの、獣のように十分危険な存在となれるが、操り人形には無理である。
駿馬にまたがった百の騎馬隊は風のごとき勢いで輸送部隊に迫った。操死鬼は何も出来ないというよりも、無反応である。ヤンを先頭にした部隊は、数十の荷馬車を狙って分散し、勢いをそのままに輸送部隊の中を通って、逆側に抜ける。それと同時に、荷馬車には火がついた。高速で移動中でも消えないように工夫した、特殊なランタンである。
これも予想していたことだが、輸送部隊が運んでいるのは血液だけではない。日中の日差しを浴びても大丈夫なように、吸血鬼たちが肌に塗る油も輸送していた。火は油に燃え移り、瞬く間に荷馬車は全焼する。操死鬼はそれを無関心に眺めていた。彼らには目の前で起こっていることが何かは理解できないし、そもそも何かが起こったことに興味を示さないのだ。
輸送部隊がいた街道を横切って、逆側に抜けた後、再結集した百名の部隊はそのまま方向転換した。ザーン方面に向くと、前方から砂塵が見える。騎乗のイエケリーヌと思われる女性を先頭に、その背後には無数の吸血鬼が大きく口を開けて迫ってくるのが見えた。だが、これも計算のうちである。
「吸血鬼の足なら騎馬でも逃げ切れるとは限らない!再び街道を横切って、北に向かって走る!やつらに方向転換をさせるのだ!吸血鬼は足は速いが小回りは利かない!」
乗馬をとめることはなく、こう言いながら自らが北に向かって走る。乗馬の名手たちはそれにまったく遅れずに従うことができた。
考えたとおり、直進はすさまじい勢いの吸血鬼軍は方向転換で著しくその速度を落とした。足は速いが、高速で移動しながら方向を変えるためには、独特の技術がいる。筋力だけの問題ではなくなるのだ。イエケリーヌの指示でそうした対応を行おうとしても、吸血鬼は言うことを聞かない。数百名の吸血鬼は方向を変えた彼女に従わず、意味もなく直進してから、何が起こったかわからないようにきょろきょろした後、やっと彼女を見つけて、遅れて走りよった。また、別の数百名は彼女の方向転換に気づいてはいたが、勢いを保ったまま方向転換することが適わず、転倒してしまい、周囲を混乱させた。
たったこれだけのことで、軍列が乱れるのが吸血鬼の軍隊というものだった。一丸となって移動すること自体に無理があるのだ。ヤンの騎馬隊は何度も方向転換をし、イエケリーヌの軍勢は前後左右に薄く広がってしまった。
そこにシモンの率いる四百の騎馬隊が突然現われたように強襲した。絶妙のタイミングである。ヤンの信頼を裏切ることはない。シモン・コールハースは自分で考えている以上に、剣士としてだけでなく、指揮官としても優れた男であった。理屈によらず、優れた感覚で戦機を測る目を持っているのだ。これはヤンにもない力である。
「吸血鬼たちは散り散りになっている!騎馬の勢いを殺さず、駆け抜けながら攻撃せよ!」
この指令も的確であった。吸血兵には体力差もある。すでに、ヤンに揺さぶられ、疲れ始めた者もいた。密度が薄く、騎馬隊が猛スピードで通過しても、それに対応することは難しい。
シモンは配下の四百名に三つの武器を持たせていた。一つは瀉血矢で、鞍につけた半弓で撃つ。吸血鬼たちが固まっていた場合は、併走する形でこの武器を使う予定だった。もう一つは以前、ウィレムがイエケリーヌに向かって使った瀉血針のダートで、これなら素手で投げられる。もう一つはメイスで、これを使って戦うのはできるだけ避けたいと考えていた。屋外で、騎馬での戦いであることから、音響攻撃も臭気結界も使えない中で、まともに接近戦を挑むのは被害の大きさを考えると最後の手段であった。
この時、シモンが選んだのは二つ目の武器、ダートである。一人数百本、鞍の前輪に皮袋を結んですぐに取り出せるようにしていた。シモン配下の騎士たちはやじり陣形を取って、吸血鬼の密度の薄い群れの中を駆け抜ける。この横撃はかなり一方的なものであった。
イエケリーヌは吸血鬼たちの体力に気を使っていなかった。自分についてきている百名程度にしか目がいっていない。斜め後方からのシモンたちの襲撃にはしばらく気づきすらしなかった。後方にいる吸血鬼はすでにだいぶ体力を失っている。騎馬で駆け抜ける者たちを相手に、襲い掛かることも出来ず、ダートを浴びて、あちこちで血煙を上げていた。
シモン隊が猛スピードで吸血鬼の部隊を駆け抜け、さらに反転して、再度吸血鬼部隊の中を横切る。あっという間に、一人平均二体の吸血鬼にダートを当て、イエケリーヌの部隊は二百名程度に減ってしまった。
「な・・・なんだこれは・・・」
イエケリーヌはヤンの部隊しか見ていなかった。右に左に絶妙なタイミングで揺さぶられ、自分の向いている方向すら見失いそうな状況だった。ヤンの部隊が自軍の右側に回りこもうとしたので、先回りしようと方向転換をした時に、初めて後方部隊が目に入ったのである。そこには血しぶきを上げて力尽きている数百名の吸血鬼の群れがいた。まだ、息のあるもの者もこうなるとどうしようもない。翌朝が来れば、皮膚がぼろぼろになり、何も出来ないうちに死んでしまうことだろう。
仮にイエケリーヌが視野の広い十分に経験のつんだ指揮官であったとしても、それほど事態は良くなっていたとは思われない。指揮官の欠点ではなく、吸血鬼の軍隊そのものが持つ欠陥を突かれたのだ。名将と言われる人物でこの状況を予見できていたならば、ヤンの部隊を追跡したりはせずに、守りを固めて、去るに任せたことだろう。高々百名の部隊で、数千吸血鬼をどうにかすることなど出来ないのだから、以後、輸送部隊に不死鬼の指揮官と護衛の吸血鬼を付けるように父であるフーゴーに頼めばいいだけだったのだ。
吸血鬼たちは催眠術と、不死鬼の持つ強さに屈服し、ある程度言うことを聞いている。それは、指揮官の動揺がダイレクトに彼らの動揺につながることを意味する。指揮官が馬の足を止めると、彼らも足を止めた。二百名程度の群れは、その場に立ち尽くす。どうしていいかわからなくなっているのだ。その瞬間、周囲から瀉血矢が雨のごとく降り注いだ。
ヤンの百名、シモンが自軍を百数十名ずつ三つに分け、四方向から同時に矢が注がれる。しかも、騎馬は足を止めておらず、周囲をグルグルと回っていた。吸血鬼はどうしていいかわからない。人間の軍隊であれば、一箇所に結集し、一団となって、一方向に突破を図るだろうが、吸血鬼にはそんなことは出来ない。何より指揮官のイエケリーヌが混乱していたため、そのような指示も出せていなかった。ほとんど全滅である。
イエケリーヌ自身は愛用のフレイルを頭上でまわし、瀉血矢をすべて叩き落していた。状況はつかめない。とにかく自分の身を守るのに手一杯だったのだ。最強最悪の軍隊を率いていると考えていた彼女は戦慄した。何がこうまで自分を追い詰めるのか。訓練されているとは言え、ただの人間の集まりに、ここまで一方的に吸血鬼軍が追い詰められるとはどういうことか。
イエケリーヌは混乱し、冷静な判断力を失った。彼女は一兵士としての戦いしかできなくなっていた。一兵士としてのイエケリーヌはきわめて優れた戦士ではある。
フレイルを振り回す彼女を遠巻きに騎士たちが包囲した。
左右からヤン・エッシャーとシモン・コールハースが現われる。
「イエケリーヌ殿。テオ・ファン・ダルファーの邸宅以来ですね。すでに貴方お一人だ。騎士たちは貴方を狙って瀉血矢を構えている。いかにあなたがフレイルの名手でも、同時に放たれた五百本の矢を全て叩き落すことは不可能。降伏しなさい。悪いようにはしない。中央医局では伝染性吸血病患者が社会生活を営むための研究を進めている。反乱の罪には問われるだろうが、事情あってのことなら、ある程度酌量の余地もあります」
丁寧な口調でヤンは話しかけた。馬上で短槍を持ってはいるが構えてはいない。逆側でシモンは油断なく右手に剣と左手にダートを構えている。手綱は握らずに口にくわえていた。この状態でもシモンは馬を自在に操ることができる。
イエケリーヌはしばらく茫然自失していたようだった。だが、次の瞬間、弾かれるように行動に移った。
「死ねえっ!」
ヤンに向かって突進する。ヤンは槍を構えていない。これは正しい判断だった。ヤンさえ倒してしまえば、局地的にも逃げおおせる可能性はできる。ヤン・エッシャーの死は間違いなく兵士たちを動揺させるからだ。また、ヤンの殺害にさえ成功すれば、たとえば自分が倒されても、それ以上に護国騎士団に大きなダメージを与えられる。対不死鬼軍の要はヤン・エッシャーなのだ。そのことは、彼がアメルダムに行く前からわかっていたから、道中の襲撃を行ったのだ。吸血鬼を使った襲撃の指揮官も彼女だった。
ヤンが槍を構えずにいた理由はわかっていた。ヤンに襲い掛かればシモンはダートを放つ。矢をつがえているとは言っていたが、ヤンは接近しすぎであった。五百人が同時に放つことなどできない。彼の身の安全の要はシモンなのだ。
ヤンに向かってイエケリーヌが突進した瞬間、もちろん、シモンはダートを放った。三本同時にである。だが、イエケリーヌは前方のヤンに向かって出なく、後方でフレイルを旋回させていた。ダートははじかれ、さらに・・・
ビュンッ!
シモンはとっさに飛んでくるものを剣で払い落そうとしたが、剣があたってもそれに巻きつくように動いて、鉄球がシモンの肩に当たった。致命傷ではないが、一瞬苦痛に動きが止まる。イエケリーヌは後方にフレイルを投げて、素手でヤンに突進したのだ。
だが、ヤンもイエケリーヌに無反応だったわけではない。槍は構えていなかったが、彼女は素手である。馬上で素手による戦闘というのはいかに不死鬼であって難しい。イエケリーヌはすれ違うように馬を横につけて、馬上から飛んでヤンに襲い掛かった。
不死鬼との格闘は圧倒的に不利である。そもそも筋力が大きく違いすぎるのだ。ヤンは体術を身に付けているが、馬上でそれを発揮することができるのか・・・できた。構えてないとは言え、ヤンは槍を持っている。それを突き出すような余裕はなかったが、前方に横にして、それを差し出した。剣などの攻撃を受けるときの構えである。もちろん、不死鬼の強力な攻撃をまともに受けられるはずはない。イエケリーヌは手刀でそれをたたき折ろうとした。右手でそれを行い、左手で顔に掴みかかろうとしたのだ。
何が起こったのか、イエケリーヌだけでなく、近くで見ていたシモンにすら理解できなかった。ヤンに襲い掛かり、手刀が槍を叩き折ろうとした瞬間、彼女の体ははじかれるようにヤンの後方に飛んだのである。
だが、勢いがありすぎたのか、それにより、包囲している騎士の近くまで飛んでしまった。そのことだけはイエケリーヌにも理解できたらしい。彼女は着地と同時に地を這うような低い姿勢で馬の足の間を走りぬる。
「撃つな!撃たなくていいっ!」
ヤンの指示に瀉血矢をつがえていた騎士たちはそれを下ろす。
「今のはいったい・・・」
「ああ、彼女には一度降伏することが可能であることを話したので、それでいいのですよ。うまくいけば周りの不死鬼にも話すかもしれない。敵の首脳部は動揺することでしょうね。好きで不死鬼軍の指揮官をやっている者ばかりではないでしょうから」
「いえ・・・そのことでなく・・・」
シモンはヤンの意図はわかっていた。一人ぐらい、指揮官が減ったところで、それほど意味はないのだ。不死鬼は敵にとって貴重だろうが、イエケリーヌは一人の兵士としてはともかく、将帥としてはたいした力がないことを露呈していた。だとすれば、生きて帰した方がはるかにこちらに使い道があるのである。総司令官の娘であるということが特に意味を持つのだ。
「あの女を吹き飛ばした技です」
周囲の騎士たちも集まってきた。まるで手品か何かのようにしか見えなかったのだ。
「人間の体の構造と力学の知識を応用しただけのものですよ。はるか東方の国で『ジョウジュツ』とか『アウィキ』とか言う武術があるそうですが、それについては詳しい文献もないのでわかりません。ですが、その話にヒントを得て、自分なりに考えてみました。敵の打撃を上手に受けて、その力を吸収するのではなく、他の方向に向かわせるのです。それであの女は吹っ飛んだわけですね。あそこまで吹っ飛ぶのは彼女の力が尋常ではないから。さすがに不死鬼だ」
イエケリーヌの怪力などよりも、ヤンの体術と知識の方が尋常ではなかった。改めて、五百の騎士たちはヤンを認めることとなった。
イエケリーヌがヤンたちを追っている間、ザーンの南門に集まっていた千五百の部隊も頑強な抵抗にあっていた。崩れた城壁の上に操死鬼を使って板を載せ、その上を吸血鬼に移動させるという手段が功を奏し、城壁の向こう側に百名ほどの吸血鬼を送ることが出来たのだが、ただ、それだけのことだった。今やザーンはレム・ファン・リートフェルトの手により、城壁周辺の区域はまるで迷宮のようになっていたのである。
二十万以上の人口を抱えながら、城壁周辺の区域は一般市民の立ち入りを禁じ、建物と建物の間に、石や土嚢で壁を作り、簡単には内側に侵入できなくしていた。それも、単に壁で通路をふさいでいるのではなく、複数の方向に道を分かれさせていた。吸血鬼たちは指揮官がいなければ集団での行動など出来ない。わらわらとそれぞれ好き勝手な方向に動くうちに分散してしまう。そして建物の屋根などに潜んでいた、狙撃手の手によって次々と瀉血矢を浴びせられた。侵入に成功した百名の吸血鬼は瞬く間に全滅する。
だが、不死鬼の指揮官にはそのことはわからない。侵入を食い止める動きがないことを、敵が動揺してなすすべもなく、城壁から引いたのだと判断した。次々と吸血鬼を送り込み、その数が七百に達した時、突然、背後から瀉血矢の雨が降り注いだ。
レム・ファン・リートフェルトが第一部隊の千騎を西門から出撃させ、大きく迂回して南門の部隊の背後に回っていたのである。その構えは先日ノールトで吸血鬼の集団を撃退した、対吸血鬼密集防御体制であった。巨大な盾の壁、その背後から瀉血矢の雨が降り注ぐ。指揮官の判断はまずいことこの上なかった。手元に残っている吸血鬼の半数、三百程度をそっちに向けたが、そもそもが三百対千である。ほとんどの吸血鬼は盾の壁にたどり着くことすら出来なかった。どうにかそれを突破した吸血鬼も先日同様、盾の壁が発する大音響で昏倒してしまう。
焦った指揮官をさらに動揺させることが起こった。
南門の城壁からだいぶ西にずれ、南西の角、見張り台があるあたりに、いつの間に巨大な板が出現していた。それは、城壁の一番上から斜めに立てかけられたようになっている。その上から続々と騎馬隊がすべるように降りてきたのだ。指揮を執っているのは、ジェラルド・ファン・ハルスであった。レム・ファン・リートフェルトが出陣の直前に依頼したのだ。レムは思慮深い男だが、それは保守的な人間であることを意味するものではない。冷静に考えて正しいと思えば型破りなこともする。護国騎士団らしい人物でもあった。
ジェラルドの優れた指揮能力と冷静な判断力に気づいたレムは、自分では抱えきれない第二部隊の指揮を頼んだのだ。最初、第二部隊の騎士たちは反発したが、ジェラルド演説で彼に心酔してしまった。
「みなさん!みなさんは先日のケテル村での戦いで、尊敬するヘンドリック・ファン・オールト隊長を失ったと聞いております!勇猛な彼の弔い合戦は、皆さんが行うべきでしょう!私は十年前伝染性吸血病で父を失っております!私にとってこの病との戦いは父の弔い合戦でもあるのです!私に従えというのではありません!共に戦っていただきたい!」
それほど個性的な言い様ではない。だが、地位の高い者がここまで腰を低くしているのは驚くべきことであった。さらに・・・
「ファン・リートフェルト隊長が背後から襲撃したタイミングで我々は打って出ます!その際は私が先頭にたちます!もし、私が吸血鬼に攻撃を受け、傷つき戦えなくなったり、噛み付かれて感染しても気にする必要はありません。私に噛み付いて隙のできた吸血鬼を私ごと串刺しにしなさい!私は一騎がけをします!私をおとりにして、襲い掛かる敵に横撃を加えるのです!さあっ!戦いましょう!」
「オオーッ!」
この発言にすべての第二部隊の騎士が奮い立った。この一見良家のぼっちゃんに見えなくもない三十そこそこの男は、気品を備えながら、戦士としての気概を持つ人物であったのだ。この瞬間、護国騎士団一の猛将、ヘンドリック・ファン・オールトが育てた剛勇の騎士たちは、ジェラルド・ファン・ハルスという優雅な男に故人と同じ資質を認めたのである。
ジェラルドの部隊は、事前に用意してあった数百本の長大な角材を、相手が動揺している隙に手際よく城壁に立てかけて並べ、固定した。かなり急な角度ではあるが、護国騎士団の乗馬の技術はきわめて高い。転げ落ちるような勢いでこれを滑り降り、ジェラルドを先頭に吸血鬼たちに向かって殺到した。全員手にはメイスを握り、まずはラッパを信じがたい肺活量で吹き鳴らす。効果は室内や、とどまって吹いた場合よりも低いだろうが、それでもないよりはましだった。
ジェラルドは一騎がけを宣言していたが、彼の新たな部下たちはそれを許さなかった。副隊長格の騎士が叫ぶ!
「ジェラルド殿に遅れをとるなっ!我々は護国騎士団一の勇猛な部隊だぞっ!指揮官に一騎駆けさせるなど柔弱なやつは一人もいないことを知っていただくのだっ!」
すでにジェラルドは士心を得ていた。こうなるとこの第二部隊の戦闘力は五割増しである。特に周到な仕掛けがあるわけでなく、メイスを片手に突入しただけだが、この部隊の勢いに吸血鬼たちは抗することができなかった。そもそも戦場にあって吸血鬼たちは、血に酔った状態になければ、指揮官の指示になしは何もできない。右往左往しているうちに、馬上からメイスを叩きつけられる。指揮官は何も言えなかった。状況の変化についていけずに判断を下せなかったのである。
結局彼がとった手段はやはり最悪のものであった。自分一人で逃亡を図ろうとしたのだ。
騎馬に乗って、ケテル村方面に走り出したとき、突然一本の瀉血矢が、彼の首筋に刺さった。すさまじい勢いで血液が抜き取られる。判断力のない吸血鬼なら、そのまま死ぬところだが、不死鬼なら、すぐにこの矢を抜き取ることができる。動揺しながら抜き取り、矢を捨てたが、かなりの体力を奪われていた。気づくと目の前に短槍を持った男が馬上にいた。
「イエケリーヌは逃亡したが、君は逃がさない。死か捕虜となって我々の不死鬼治療を受けるかだ。どうする?」
「ち、治療だと?」
「ああ、反乱軍に加わり、指揮を執ったことは死に値する重罪だが、故あってのことだろう?酌量の余地はある。すでに、君らの策略で感染したロビー・マルダーは中央医局の研究員たちの手で、だいぶまともな生活をできるようになった。昼でも活動できるし、血液を大量に摂取しなくても生きられる。ちゃんと多少は人間らしい食事も取れるようにもなった」
そう言われると、程なくして、男は泣き出した。
「う・・うぁ・・・うあぁぁぁ・・・た、助けてくれ・・・お、俺は・・・こんな・・こんなこと・・・いやだったんだ!あの、イエケリーヌって女にそそのかされ、気づいたら不死鬼にされていた・・・ただの・・・ただの・・・スリだった俺に、吸血鬼の指揮官なんてできっかよ・・・生きていくために必要な血をもらう為に・・・」
「ああ・・・お前は不運だっただけだ。私たちの治療を受けろ。吸血鬼化して長く時間がたった者はもう無理だが、不死鬼ならまだ何とかなる。」
こうして、不死鬼軍から初めて捕虜が出たのである。
彼が指揮を取っていた部隊は全滅した。吸血鬼化し、理性を失った者はもう助けようがない。死を与え、安らかに眠ることを祈るだけであった。
残念ながらこの戦いではザーン防衛軍にも犠牲者がでた。ヤンとシモンの部隊にはまったく被害はなかったのだが、ファン・リートフェルトの第一部隊では数十名が逃亡する吸血鬼を無理に追ってしまい、逆撃こうむって死亡した。ジェラルドが指揮した第二部隊はまともに突入したため、やはり数十名が死亡。また、十名程度が吸血鬼に噛み付かれた。
その中には、ジェラルドに遅れるをとるなと叫んだ副隊長の姿もある。
「じぇ、ジェラルド殿・・・どうやらここまでのようです・・・第二部隊をお願いいたします・・・」
副隊長は自分の剣を心臓に向けてつき立てた。
ジェラルドの剣が直前でそれを弾き飛ばす。
「だめです!私の父は不死鬼となった自分を呪い死を選びましたが、貴方にはそんなことはさせないっ!」
「ジェラルドっ!よく言ってくれた!ここは私に任せてくれっ!」
そう言ったのはヤン・エッシャーである。彼はケテル村にいるころは、ヤンと友人づきあいがあった。弟は弟子入りしているし、妹は無謀にも彼に惚れていた。兄弟三人ともがヤンにほれ込んでいたと言っていい。
「さあ、すぐに城内に運ぶんだ!医師団も連れて来ている!私はこういう事態のためにここに来たのだ!」
再会の挨拶をする暇もなかったが、ヤン、シモン、ジェラルド、レムは負傷者を収容し西門から城内に引き上げた。この戦いは被害は出たものの、完全な勝利であった。